「とうちゃーっく」
ききっ、と今度こそ自分でブレーキを掛けた彼女は木々に囲まれた花畑の入り口を見上げる。
主人の激しい動きに、ボールの中でパートナーたちは飛んだり跳ねたり回ったりと大忙しだった。
「さーて、行くかー」
『ま……待て、ばか…』
ボールの中からぜぇはぁという喘鳴が聞こえてきて、綺羅は申し訳なさそうにボールを撫でる。
「あー…ごっめーん…」
『絶対いつかやり返す…ヒイヒイ言わせてやる…』
「怖いこと言わないで蓋さん」
* * *
「おい、じーさん!とっととハチミツ寄越しな!」
鮮やかな花畑の中、その鮮やかさに水を差すかのような奇抜な衣装の二人は、確実にその場所で浮いていた。
腰を屈めて小さくなっている老人に詰め寄り、男二人は怒号を浴びせる。
老人の腕の中には、黄色く透き通った甘たるそうな蜜が入った瓶が3つ程抱えられていた。
「だから、アンタ達みたいな奴らにはやらんと言っておるだろう!」
「じーさんよぉ…これはお願いじゃねえ、命令だ。アンタに拒否権はねぇんだよ」
瓶を抱きしめて離さない老人に、奇抜な男一人が腕を振り上げた。
老人はぎゅう、ときつく目を閉じるが覚悟した衝撃はいつまで経っても来ない。
そろりと瞼を持ち上げる。
男の腕には、小さく華奢な細い指が巻き付いていた。
「まあ落ち着けよ」
細いそれのどこにそれだけの力が入っているのか、抵抗する男の腕はぴくりとも動かない。
ぎち、と肉が擦れる音がした。
「な、なんだお前は…」
「いやまあ、通りすがりのトレーナーなんだけどさ。実は東にある発電所に用があるんだよねぇ。でもアンタ等の仲間がカギ閉めちゃって入れないわけ」
腕を掴まれていないもう一人の男が声の主を取り押さえようとするが、男の腕を掴んだままひらりと身を躱し、男の鳩尾に躊躇なく細い膝を叩きつける。
突如現れた小柄な彼女は大の大人の男二人をいとも簡単に地に伏せさせた。
「だから、鍵ちょうだいよ、お兄さん方」
彼女はそう言いながら無邪気で可愛らしい笑顔を浮かべる。
組伏した二人の男を見下ろしながら。
「なんだこのガキ…ッ」
「くそ、おい一旦戻るぞ!」
身の危険を本能で感じたのか、二人の男は足を縺れさせながら花畑を出て行った。
「…上手くいかないもんだなあ」
『攻撃的すぎるんだよお前は』
「優しくしたところで快く頷いてくれるとは思わないけどな」
『お前はもう少し女の子らしくだな…』
「そんなの似合わないってお前が一番わかってるだろ」
ふ、と微笑む綺羅の顔を見上げ、蓋はひそかに溜息を零す。
一体この旅が始まってから何度ため息を零しただろうか。
「お嬢ちゃんお嬢ちゃん」
「はい?」
ふいと振り向くと同時に風が吹き、花弁が舞い上がった。
先程まで小さくなっていた老人が背中をしゃきりと伸ばして瓶を一つこちらに差し出していた。
「助けてくれたお礼じゃ。持ってお行き」
「え、いやそんな…大したことしてないですし」
「そんなことはない。とても助かったよ。持って行きなさい」
半ば押し付ける様に渡され、綺羅は瓶を抱える。
たぷん、と黄金色の液体が揺れた。
「すみません、ありがとうございます」
「いやいや、お礼を言うのはワシの方じゃ。ありがとうよ」
老人は目元に皺を深く刻み、綺羅の頭をぽんぽんと撫で、満足げにうなずくと残りの瓶を大切そうに抱えて花畑を去って行った。
綺羅はそんな老人の背中を見送った後、貰った瓶をリュックにしまい込む。
しかしどうしたものか。
発電所に行くための頼みの綱は千切れてしまった。
いっそドアを突き破って入ろうかと一歩踏み出したその時、足元でかちゃりと金属音がした。
「ん、なんか踏んだ」
よっこいしょ、なんて呟きながらしゃがみこむ。
目を凝らしながら踏んでしまったらしいそれをそっと持ち上げんだ。
「……鍵?」
太陽光を反射して銀にも黒にも光る鍵を綺羅は指先でつまみながらまじまじと見つめる。
鍵に着いている小さなタグには"予備キー"と書かれていた。
「まさかあいつらご丁寧に落としてったのか?」
『綺羅さん、それは…』
「ああ。もしかしたら発電所の鍵かもしれねえ」
『もしそれで開いちまったら間抜けが過ぎるな』
『センスと一緒に脳みそも無くしちゃったのかな』
『最初から思ってたけど麗水結構口悪いのな』
綺羅は、タグも一緒に鍵をポケットに突っ込み、靴ひもを結び直す。
「ま、どちらにせよ試してみる価値はあるよな。行くぞ皆」
その声に呼応するように、ボールは各々らしく揺れた。