「ムクバード、"かぜおこし"だ!」
「相殺するぞ!"かえんほうしゃ"!」
羽を前後に羽ばたかせて起こした強風は、炎が吐き出した火炎放射で掻き消えた。
「反撃だ。"アイアンテール"」
炎は自分の身体より大きな尾を硬化させて飛び上がる。
「避けろ!ムクバード!」
「おいおい、あんまり無茶させるなよ」
指示通り、ムクバードは技を避けようと羽ばたくが、ここは広い大空ではなく、窮屈な室内の廊下。
小回りが効かず動きにくそうなムクバードに、炎は壁を蹴って尾を上から叩きつけた。
衝撃で床に力なく落ちる。
「この狭い場所でムクバード本来の力が出せるわけないだろ」
「く…ッ」
「終わらせてもらうぜ」
その言葉と同時に、炎は渾身の力を込めて火を放つ。
避けるだけの力が残っていなかったムクバードは呆気なく力尽きた。
「まだやるか?」
射るような綺羅の目を見た男2人はぎり、と歯を食いしばる。
もうポケモンは持っていないのかムクバードをボールに戻して以降次のポケモンが出てくることは無さそうだった。
「くそっ…!」
男二人は、覚えていろ、と捨て台詞を零し、恐らくそこから入って来たのであろう、開け放たれた窓から逃げて行った。
逃げていくその背中を見送った後、綺羅は相変わらず腕の中で震えているタマザラシをそっと撫でる。
「よし、もう大丈夫だぞ」
『また助けられちゃったね』
「気にするなよ。俺が好きでやったんだからさ」
部屋に戻り、再びベッドに座る。
後に続いた蓋が部屋の鍵をしっかりと閉めた。
ベッドの上にタマザラシをそっと載せ、駆け寄って来た炎をくしゃくしゃに撫でる。
「ありがとうな、炎。完璧だったぜ」
『お役に立てて何よりです』
その時、背中にとん、と重さが掛かった。
『…ねえ、お姉ちゃん。僕も、連れて行って』
その声はどこか震えている。
勇気を振り絞るようなその声を、振り向かないまま聞く。
『僕、多分まだ全然弱いし、あんなに戦えないと思うけど…』
じんわりと、彼が顔を埋めているインナーが濡れていくのがわかる。
鼻水を啜る音も聞こえた。
『あんな、あんな人たちに大声出されただけで怖くなって、泣きそうになるけど…絶対、役に、立つから…』
ついに嗚咽が漏れだした彼をそっと抱き上げ、膝の上に寝かせる。
「うーん。弱いとか強いとか、役に立つとか…そんなの、気にしなくていいよ」
『え?』
「ただ、お前が望んでくれるだけで、俺はお前と一緒にいる理由になる」
ぽかんと元々丸い目を更に丸くするタマザラシの尻尾をちょいちょいと弄りながら綺羅は笑みを浮かべた。
「強さなんて努力次第でどうにでもなる。壁にぶつかったら一緒に超えればいい。そんなに気負う必要はないさ」
そう言うと、彼の丸い目からは大粒の水が零れだす。
『……あはは…ほんと、なんていうか…そこの青いおじさんの苦労がわかる気がするよ…』
「誰がおじさんだ」
タマザラシは涙を流したまま器用に笑って見せた。
『連れて行って。僕、お姉ちゃんと一緒に居たい』
「お安い御用だ。宜しくな、麗水」
『…りすい?』
聞きなれない単語に、彼はこてんと首を傾げる。
「名前だよ。…気に入らないか?」
そう尋ねるとタマザラシもとい麗水はふるふると首を振り、今度こそ涙を振り払い、嬉しそうに笑った。
『宜しく、お姉ちゃん…いや、マスター!』
「ま、ますたー?」
『うん。マスター。ご主人が出来たら呼んでみたかったんだ。…だめ?』
「ダメじゃないけど…そんな風に呼ばれるの初めてだから、なんか、気恥ずかしいな」
頬を掻く。
ふいと目を逸らしたその先、苦虫を噛み潰したような顔をしている蓋と目が合った。
「あ…えっと、その。ごめん。勝手に決めて」
へら、と笑う綺羅に、蓋は苦笑して見せる。
「そういうの、放っておけないのはお前の性分だからな。気にしないさ。愛する我が子に引っ付く虫が増えるのは好ましくないが」
「え?」
語尾に早口で添えられたその言葉がよく聞こえず、綺羅は蓋に聞き返すが、彼は苦笑いのまま綺羅の髪を撫で、さっさと寝てしまった。
教えてくれそうにない空気を悟り、仕方なくもやもやしたまま綺羅も床に就いたのだった。