月明かりが夜道を照らす。
頼りない街灯は、時折チカチカと明暗を決めかねていた。
戦いの疲れからかすっかり寝入ってしまったパートナー達とは反対に、確かに疲れはしたもののまだ熱が醒めきらず、目だけが無駄に覚めきってしまった綺羅はクロガネシティを散策する。
炭鉱が稼働している昼間とは違って、人々のざわめきもポケモン達の騒がしさもそこにはなく、まるで世界に自分一人だけ置き去りにされたような気がして二の腕を擦った、その時だった。
「ッどけ!」
「うわ…っ!」
やっと出会った人の気配に、突き飛ばされたのは。
闇夜に溶け込む程全身真っ黒な衣服を着ていたため目の前に来るまで気が付かなかった。
殆ど受け身も取れず綺羅は地面に尻餅をつく。手に砂利が食い込み、ぷつりと切れた音がした。
同時に、男(声から察するに男だろう)が背負っていた鞄から声が聞こえる。
『出せー!はーなーせー!出ーせー!!』
子供が暴れるような声。
その声は確実に、男の背後から漏れてきていて…。
「…なあ、お兄さん」
そそくさと歩みを進めていた男の腕を掴む。
男は声を掛けられるとは思わなかったのか殆ど見えない顔でこちらを見て、固まった。
「お兄さんってトレーナー?」
「はあ?だったらなんだよ」
「いやさ…お兄さんのリュックの中にいる子、すっげー出たがってるけど。出してやんねーの?」
鞄の中では変わらず声の主が暴れているのか、かちゃかちゃとボールが擦れる音がする。
「出たがってる?でたらめ言うな、ポケモンの言葉なんてわかるわけないだろ」
「わかるよ」
「…は?」
「わかる」
男の眉間に皺が寄った。
抗うように、男の腕を握る手に力を込める。
「ッ離せよ!気持ち悪い!」
腕を思い切り振られ、掴んでいた手を思わず離した。
その隙に男は闇の中に走り去る。相変わらずリュックからはボールが暴れる音がした。
「…なんつってな」
綺羅はポケットからガムテープで頑丈に固定されたモンスターボールを取り出す。
「大事なもんは背中じゃなくて自分の手で持ってないと危ないぜー、お兄さん」
男が消えた暗闇に向け、そう呟いた。
そっとボールに耳を当てる。
『すぅ…』
暴れていた声の主は疲れたのか寝息を立てていた。
なんだかこのまま帰るには忍びない気がして、近くにあったベンチに腰掛ける。
寝入っている住民を起こさないよう慎重にガムテープを外した。
「酷いことするなぁ」
ふと先日コトブキシティであった男性の事を思い出す。
"人のものを盗ったら泥棒"。
「……」
背徳感を感じながらも最後のガムテープを外したその瞬間、小さかったボールが突然大きく膨らんだ。
無理やり抑え込んでいたものが弾けたような…少なくともモンスターボールからは聞いたことのない音がする。
途端。
「ッうわ?!」
ばきゃん、と。
モンスターボールが粉々に砕け、眩い光と共に丸い何かが膝の上に落ちてきた。
「…えぇ…」
丸い何かは、顔面からダイブしたのか、へぶ、と声を上げる。
数秒の沈黙の後勢いよく身体を持ち上げぱちくりとこちらを見上げたのはタマザラシだった。
『あれ?』
殆ど無いに等しい首を捻り、辺りを見回す。
飴玉ほどに丸くぷっくりとした身体は動くたびにぷよぷよと柔らかそうに揺れた。
そしてもう一度、確認するかのように恐る恐るこちらを見上げる。
「えっと…こんばんは?」
『ぴ、ぴぎゃあああ!』
「うおっ?!」
2度目に目が合ったその瞬間、タマザラシは大きな口を全開にして悲鳴を上げた。
突拍子もない突然の出来事に綺羅の身体は大きく跳ねる。
『人間怖いよおぉ!!助けてぇえぇ!!!』
「あっ、ちょ、待っ」
そう叫ぶか否や、タマザラシは膝の上から飛び降りると、先ほどの男が走って行ったのとは逆方向に高速で転がって行き、あっという間に闇の中に消えた。