「最後だ。僕のすべてを出し切ろう」
ボールが力強く天を舞い、がぱりと口を開いた。
眩い光と共に"それ"の気配がフィールドに充満する。
これまでの手持ちとは圧倒的にレベルが違う、それを感じさせるに十分な程凍てついた空気。
ずん、とフィールドを乱暴に踏みつけたのはズガイドスだった。
「相手にとって不足なし、か。飛ばしていくぜ、蓋」
『ああ。任せておけ』
ずっと後ろで控えていた彼。
相手のズガイドスの挑発に乗る様に、フィールドを踏みつけ、一声、吠えた。
空気が震える。
「やる気十分ってとこかい?」
「ああ。ラストバトル、楽しもうぜ、ヒョウタさん」
審判の旗が空を切る。
同時に、フィールド上の二匹のズガイドスは動き出した。
「ズガイドス、"がんせきふうじ"!」
「"ずつき"で砕け!」
相手のズガイドスが力任せに投げつけた大きな岩は、蓋を取り囲むようにして落下する。
蓋はそれに一歩も引くことなく、自慢の頭を叩きつけ粉々に砕いた。
「これはどうだい?"ずつき"!」
「迎え撃て!"ずつき"だ!」
火花が散る。
粉塵が、岩石が、想いが、飛び交う。
ぎりぎりとフィールドの真ん中で自身の頭を押し付け合い、お互い一歩も引かない二匹を、トレーナーは祈るような気持ちで見つめるしかない。
「蓋、押し切れるか?!」
『余裕だ』
ポケモンバトルにおいてトレーナーは基本的に無力だ。
どちらかのポケモンが戦えなくなるまで、駆け寄ってやることも技を防いでやることも守ってやることもできない。
文字通り、力を持たない。
トレーナーの指示在りきとは言えど実際に身を削り、苦しみ、恐怖に立ち向かうのはポケモン達だ。
だからこそ。
『はぁぁッ!』
蓋が再び吠える。
同時に、ズガイドスを弾き飛ばした。よろけた相手の懐に飛び込み、腹部に自分の頭を叩きつける。
ズガイドスはフィールド上を、砂埃を上げながら転がった。
「蓋!畳みかけろ!"いわなだれ"!」
ずん、とフィールドを踏みしめると、決して長いとは言えない両手を床に向かって勢い良く振り下ろす。
途端にフィールドが崩れ、反動で砕けた床が宙を舞う。
蓋はそれをズガイドスの頭上に放った。
「避けてくれ、ズガイドス!」
祈る様に響いたその声は、どうやらズガイドスの身体を持ち上げるに十分だったようで、ダメージを感じさせない軽い身のこなしでフィールド内を駆けまわった。
全てを避けられたわけではないが、ダメージは期待できそうになくて、蓋は小さく舌を打つ。
「反撃だ!"ずつき"!」
ズガイドスは降り注ぐ岩の間をすり抜け、器用に蓋の背後に回り込むと指示通り渾身のずつきを背面に叩き込んだ。
『が…ッ!』
「連続で"ずつき"だ!」
「蓋!追撃くるぞ!右に転がれ!」
前方へ転がった蓋の肺目掛けてズガイドスは突進する。
一方蓋は歯を食いしばったまま左にあった岩を蹴り、指示通り右側に跳んだ。
「ズガイドス!追いかけろ!」
「"ずつき"で岩を砕け!一旦退がるぞ!」
好機と見たのか大胆に攻め込んでくる相手に背を向け、蓋は自分が先ほどフィールド上に降らせた岩をずつきで砕きながら進む。
綺羅の狙い通り、蓋が砕いた岩の欠片はその背を追うズガイドスに降り注いだ。
顔面に砕かれて鋭く尖った岩が降り注ぎ、ズガイドスは溜まらず足を止める。
その隙に蓋は綺羅のすぐ近くまで戻り、改めて相手に向き直った。
「蓋、痛ぇだろ。ごめんな」
『なに、かすり傷だ。気にするな』
「…絶対勝つぞ」
『お安い御用だ』
蓋の背後へ注いでいた視線をヒョウタへ移す。
彼の元まで一旦戻ったらしいズガイドスも若干余裕がなさそうだ。
「やっぱり凄いよ、君は」
ヒョウタはそう言いながらヘルメットをかぶり直す。
既に、その先にジムリーダーはいなかった。
「だからこそ負けられない…!ジムリーダーとしてじゃなく、一人のトレーナーとして、君に勝つ!」
「…俺だって、負けたくない。絶対に勝つ!」
笑みがこぼれる。
不謹慎かもしれない。少しだけそう思いながら蓋を見た。
彼の横顔は、いつになく楽しそうで。
それが杞憂だったと気付く。
「これで最後だ!ズガイドス、全力で"しねんのずつき"!」
「蓋、受けてやるぞ。"しねんのずつき"だ!」
あまり明るくない、しかし確固たる鮮やかな青い光が二つ灯る。
同時にフィールドの殆ど端から走り出した二つの光は、真ん中でぶつかり合い、微かに火花を散らした。
次の瞬間、ぶわりと地面が持ち上がるほどの衝撃が走り、粉塵が視界を奪った。
「うわっ…」
綺羅は思わず後ろによろける。
なんとか踏ん張って、風圧に耐えた。
数秒の沈黙、張り裂けそうな緊迫感が心臓を急かす。
やがて、粉塵が晴れたその先で立っていたのは。
「…蓋……ッ!」
『綺羅、勝ったぞ』
蓋がそう言い終えるよりも前に、綺羅はフィールドに引かれていた線を踏み越え、誇らしげな笑みを浮かべる蓋に飛び込んだ。
勢い余って片方の靴が脱げる。
「おっと、と…うおッ」
「へ、おわッ」
飛び込んできた綺羅も吹き飛んだ靴も、なんとか腕を伸ばして受け止めたが、勢い余ってフィールドに二人で倒れ込んだ。
「ったく…嬉しいのはわかるが落ち着け」
「えへへ。ごめん」
ふにゃりと綺羅が笑う。
緊張の糸が切れたのだろう、目元がじんわりと潤んでいた。
嬉しそうに、だがどこか心配そうに頬を撫でる綺羅を、愛しさ余って掻くように抱きしめる。
「お疲れ様、蓋。ありがとな」
『お前こそ、良い指示だった』
その時、ヘルメットを外しながらヒョウタがフィールド上の綺羅へと近付いてきた。
男性にしては長い髪をかき分け、満足そうに、しかしどこか悔しそうに彼は苦笑する。
「負けてしまったね」
汗で頬に張り付いた髪を梳き、ヘルメットをかぶり直した。
「強かったでしょ?俺の相棒達」
「ああ。驚くほどにね」
蓋から離れ、綺羅は立ち上がり、ヒョウタに向き直る。
同時に、ヒョウタはずっと握っていた手を開き、こちらへずいと差し出した。
彼の手の中には、天井のライトを浴びて光るものがある。
「バッジだよ。僕に勝った証だ」
綺羅は差し出されたバッジを恐る恐る受け取り、見つめた。
あまり大きくはないが、ずっしりとした重量感が背筋に熱いものを走らせる。
「本当に…勝ったんだ、俺…」
その時、腰にぶら下がっていたボールがカタカタと揺れ、勢いよく開き、陽葉と炎とが飛び出してきた。
二匹はバッジを握ったまま呆けている綺羅の足元でぴょんぴょんと跳ねる。
『綺羅!綺羅!俺にもバッジ見せてくれよ!』
『ぼ、僕にも!見せてください!』
要望通り、その場にしゃがみこんで二匹にバッジを見せた。
バッジが反射して、目がきらりと光る。
『うわ!すっげえ!すげえ!』
『きらきらしてます…!』
実物を目にして更にテンションが上がったのか、陽葉はしゃがみこんだ綺羅の頭の位置よりも高く跳びあがり、炎は綺羅の腕に手を掛け一心にバッジを見つめた。
激しいテンションの上がり方に綺羅は思わずぱちくりと目を瞬かせる。
途端。
「…綺羅」
じわ、と目頭が熱くなる。
『えぇ?!ちょ、どうしたんだ、綺羅!』
『どこか痛いんですか?』
溢れそうになった涙を袖口でぐいと拭い、微笑んだ。
「えへ、ちょっと、感極まった…。嬉しいだけだよ、ありがとな、皆」
まずは、一つ目。
皆で得た勝利を噛みしめる様に、綺羅はバッジを握りしめた。