my sweet master
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デッキ、もしくはモンスターと心を通じ合わせた決闘者は、カードの精霊が見えるようになる。この事実は世間一般に伏せられているが、最早決闘者の間では常識に近いことだった。決闘者専用のSNSでは自らの相棒たる精霊についての書き込み、写真、動画と、あらゆる媒体が共有され、人々は交流していた。しかしその裏では、彼らの存在を悪用し、自らの目的を果たさんとする組織もあった。
これは、そんな世界で、一人の決闘者が相棒と出会う、始まりの物語。
「…………!」
ふと、書類仕事中に感じる、全身を覆う熱いもの。目に見えぬそれは激的なようで、それでいて穏やかにワタシの体を、指先から足先まで包み込んだ。
それはワタシに向けられる、強烈な『興味』だった。
直感した。ついにワタシの主となる決闘者が現れたのだ。
我々、精霊世界に住む者は、主と共にデュエルを行うことが至上の喜びである。主と力を重ね合わせ、時には教育を施すことで、より高みを目指していく。精霊であれば誰だって憧れることだ。
そしてカードの精霊とは、決闘者の数だけ世界線が存在する。つまり『ワタシ』は複数存在し、その中で、この『ワタシ』の主となる者が現れたのだ。我が隊がマスターの手に渡るまでもう少し期間があるが、今すぐ人物像を知っておけば、いざ会う時に有用であることは間違いない。
ワタシは書類を片付けると、隊舎の北側にある森の奥へと足を伸ばし、向こう側────マスターとなる者が住む人間界を見ることができる、小さな泉へ着いた。澄んだ水面 を覗き込むと、一人の人間が映し出される。
何の変哲もない女だ。いや、性別はどうだっていい。マスターは何を根拠に我々を選んだのだ? 効果か? 装備の見た目か?
──────“なんて、楽しそうなの”?
何の話をしている?
だがやはり、この女が我々に興味を持っていることは本物だ。楽しそう、とは、何を指して言っているのだ。
──────ワタシ、だと?
どうやらこの人間は、力を解放しドラストリウスとなっているワタシの表情を見て、『楽しそう』という感想を抱いたらしい。そして、それだけが、興味の理由らしい。
どういうことだ、何故それが好意となる? こういった場面では確かにワタシは楽しいが、それが興味の理由となる理屈が理解できない。この、恐れられ、敵が最期に見る表情が。
しかもこの人間、ワタシ達の効果は一切読んでいない。どころか、ドラストリウスのワタシ以外絵もろくに見ていない。その上で、『楽しそう』という一点で、興味を抱いている。
“こんなに楽しそうなひとと一緒に戦えたら、他の誰と戦うよりも楽しいだろうな”
ただ、それだけで?
力ではなく? 地位ではなく? 役割ではなく?
勝利ではなく、褒賞ではなく、仕事ではなく。
“楽しいから”、ワタシと共に戦いたいだと?
ワタシの知見の範疇の外だ。こんなことを言う者に、今初めて会った。マスター。ワタシのマスター。
今は他に組みたいデッキがあるらしい。知ったことか、ワタシの直感が言っている。お前は絶対にワタシ達の元へ来る。
***。名前を覚えたぞ。
それから、暇があれば***の様子を見に行った。日常の大半の時間では別の事物について考えているが、その奥で、常にワタシのことが引っかかっているらしい。良い傾向だ。
同時に、ワタシ以外の隊員には一切興味がないことと、それが手に取るまでのネックになっていることも判明した。通りでアマルテもエララも反応していないはずだ。ならば、奴らにはこの事実をしばらく伏せておくべきだろう。────アマルテは最近頻繁に森に行くワタシに対して、何かを察しているようだが。
ワタシは業務の隙間で絶えず考えを巡らせた。何故、***はワタシの表情を好意的に思っているのか。その他に全く関心がなくとも、その一点だけでこちらに伝わるほど強く興味を持っているのか。
しかしワタシの中に推測の材料がない以上、思考が進むことはない。調べようにも調べ方の手がかりすらないのだ。闇の中を何も持たず歩むような状況で、つい、隣に控えるアマルテに声が出た。
「アマルテ」
「なんですか?」
「楽しそうな表情に惹かれる者というのは、どういう精神なんだ」
怪訝そうに目をしばたたかせる彼を見て、己の失言を悔やんだ。だが、良い機会かもしれない。
「どういう状況なのか、もう少し情報がほしいんですが……」
彼のその声に、困惑の色はあまりない。どちらかというと、好奇を滲ませている。言外に言っているのだ、『ようやくボロを出したな』、と。ワタシは苦々しく思いながら、説明した。
「────ワタシ達のマスターとなる者が現れた」
「えっ、そうなんですか? 私は何も感じませんでした……」
「それはそうだろう。マスターは、ワタシの表情にだけ興味があるのだ」
「表情、ですか?」
「そうだ。ドラストリウスになっている時のワタシの表情を好意的に思っているらしい」
「ええ? ……それで、さっきの話ですか」
「そうだ」
「う〜ん……」
アマルテは腕を組んで悩み出す。彼も交友関係が極端に広いわけではない、もしかするとこんな前例は知らないかもしれない。だが彼ならば、何か知識はもらえるだろう。
「とりあえず、私もマスターを見てよろしいですか?」
「ああ」
森の奥の泉にワタシ達が映ったかと思うと、その姿を変えだす。
「女性じゃないですか」
「それがどうかしたか?」
アマルテは困惑したように、ワタシとマスターを交互に見る。
「マスターは……リーダーのこと、好きなんじゃないですかね……?」
「ああ、そりゃあ好きだろう。興味があるんだから」
「あ、あの……好きっていうのはですね、この場合、恋愛という意味で……」
「恋愛?」
眉が吊り上がっているのが、自分でも分かる。
「まずマスターが貴方の表情に惹かれている件ですが、そういう人もいると思います。見るに……この方は、リーダーに近い性格をしているように思います」
「そうか?」
「私の拙い見立てでは、ですが。故に、親しみを覚えているのではないでしょうか」
「そうか。だが、それが恋愛感情にまで発展するのか?」
「する可能性もあるかと。『楽しそうな姿』なんて、その人に恋をする理由として、割とありえる話です。……ちょっと、この方は特殊ですが……」
「…………」
実感が湧かない。この人間は、ワタシに惚れたから興味があるのか? それも、表情だけに?
静かに分析を続けたいところだったが、闖入者がそれを許さなかった。
「あんた達ふたり揃って何サボってんの?! それマスター? マスターよね!? あっちの世界であたし達の情報出たのよね!?」
聞き慣れたうるさい声が響く。
「ハア……」
「えっ女の子!? ちっちゃーい! かわいい! あたし好み!!」
「エララ……分かっているでしょうが、人間はこの大きさで大人ですからね?」
「わかってるわよ! でもなんであたしには伝わってきてないわけ!?」
「ハア……教えてやる」
ワタシは二度目の溜息をつき、渋々エララにも説明した。
「……そして、アマルテの見立てでは、マスターはワタシに恋愛感情を抱いているらしい」
「間違ってるかもですよ?」
「はあ!? あんたに!? しかもあの、頭おかしくなってる時のあんたに!?!」
「黙れ。ワタシとて確証は持っていない」
「なんかビックリして混乱してるだけなんじゃないの?」
「それもあるかもしれませんが……マスターの行動を見ていると惹かれてもおかしくなさそうなんですよ」
「ホントに? アマルテがそこまで言うならそうかもしれないわね……」
「これで用は済んだだろう。もう少ししたらワタシ達も戻る、先に戻っておけ」
「なにその言い方!? というか……」
エララの目が、疑うようにワタシを見てくる。
「あんた最近ずっとここ来てたの? あんたの方がマスターのこと好きなんじゃない?」
「………………は?」
完全に虚を突かれ、二の句が継げない。
段々と実感が湧いてきた。何を的外れなことを言っているのか、見てみろ、アマルテも呆れて物を言えなくなっているだろう。ワタシがマスターを好き? 無論、主となるならば好くに決まっている。今後共に戦場を駆ることになるのだから。だが文脈からしてこいつが言っているのは『恋愛的好き』の話だろう。マスターを? 恋愛の相手として好く? 愛す? そんなことがあるものか。大体ワタシは今まで恋愛感情なぞ抱いたことがない、感覚のないものをどうして覚えようか。ワタシのこの感情は、“モンスターとして当然のもの”だ。力であり、地位であり、役割であり、勝利であり、褒賞であり、仕事を目的として、どんなマスターであろうと自然と感じるものだ。恋愛感情なんて、
─────だが、マスターは、その全ての外からワタシに興味を抱いた。
「……違う、ワタシはマスターに恋愛感情など、抱かない。お前の見当違いだ」
「……………………」
アマルテとエララが、顔を見合わせた。
『これで話は収まった』ととぼけるのは簡単だが理性がそれを許さない。話は一切収まってなどいない。揶揄う範疇すら超えて驚いたエララとアマルテはその後ワタシにマスターの話はしていない。
ワタシは毎日泉に足を運んだ。そしてマスターの様子を見た。目的は依然として人柄を把握するためと、もう一つ、ワタシの感情が恋ではないと確認するためだ。他者を観察することで自らを鑑みる、人生における基礎だ。
マスターは、デュエル以外の生活環境で苦戦しているらしい。しかし折れずに改善しようと動く様は、確かにワタシに近しいかもしれない。見た目より行動力がある。
そして、時に杞憂なほど脳内で予測をしがちな傾向がある。それを見て閃いた、そうだ、襲撃を行う際のようにシミュレーションを行えばいいのだ。このマスターが、今のような興味を持たない場合にもワタシの感情が変わらなければ、ワタシが抱いているものは恋愛ではないと言える。
想像する。彼女が、ワタシの表情ではなく、ドゥームズ全体の展開方法を見て興味を抱く場面を。もしくは、洗練された装備に惹かれる様を。ワタシの感情は変わらないはずだ、何故ならこれは恋愛感情ではないのだから──────
「………………まずい」
そこには、喪失に似た不快感があった。
ワタシがマスターに抱いているものを仮に恋愛感情だとする。しかし、もしも彼女と、一般的に恋人同士がすること──ハグやキスなど──をすることを考えても、高揚のようなものを感じない。というか、あまり実感を持てない。やはり、恋愛感情ではないのだろうか。
しかし、事案に巻き込んだ以上情報共有はすべきだ。エララには言うと間違いなく面倒だから、アマルテを別件で呼んだ際、現況を報告した。
「ワタシがマスターに抱いているものは恋愛感情であると結論付けた。しかし、彼女とのハグやキスを想像しても実感が持てん。やはり恋愛感情ではないのか?」
アマルテは一瞬呆気に取られたのち、冷静に分析を行った。
「それは、今まで足を踏み入れたことのない分野であるために、想像が難航しているんじゃないでしょうか? この分野には門外漢なのですから、まずは、自分に親しいところから考えてみたらいいのでは? 例えば、マスターと一緒に戦場に行くとか」
「マスターと、戦場か……」
デュエルをすることになれば、自ずと経験する状況だ。マスターが指示を出し、ワタシ達は戦う。心地良く敵を粉砕すれば、その後ろで、マスターはワタシの表情を見て喜ぶのだ。
「……良いかもしれない」
互いに利益を得ている、間違いなく良しとされることだ。
「では、マスターの訓練に付き合う状況はどうでしょうか? もしかすると、戦略の考え方を説く必要もあるかもしれません」
「マスターと、訓練……」
肉体的にも精神的にも、教えることは山ほどある。その中で彼女はきっと、懸命に追いついてくるのだろう。振るう鞭の感触、耳に届く彼女の漏れた声、そして痛みに耐えながらワタシを見上げる姿。
「これだ!!」
「そこからハグやキスに発展してみたらどうですか?」
「分かる! 想像ができるぞ!」
そうか、これらは褒美であり、恋人同士だけができる、より深く愛情を教え込む行為なのだ。
「流石だな、アマルテ」
「私ができることをしたまでです」
「これで確定したな。ワタシのこれは恋愛感情だ。そして、マスターが抱いているものも恋愛感情だ」
「後者についても断言していいのですか?」
「ああ。ワタシが会ってもいないマスターに惚れたのだから、マスターもまたワタシに恋していてもおかしくはあるまい」
「……ふふっ」
「何がおかしい?」
吹き出すアマルテに不服を感じる。だが、理由など自分でも分かる。
「なんでもありません」
「……まあいい。話は終わりだ、下がれ」
「了解」
その後、努力も虚しくエララにもこの結論は伝わった。
「どうしてもエララが知りたいと言うので……申し訳ありません」
アマルテはそう謝罪したが、一切彼を咎めるつもりはない。大方ワタシの部屋を出た辺りで、「マスターの話したんでしょ!?」と質問責めに遭ったのだろう。そのような状況で口を割るなと命じる方が酷だ。
「っはあ〜〜〜〜〜〜……あんたがねぇ〜〜〜〜…………」
じろじろと見てくる奴の目が鬱陶しい。
「槍でも降るんじゃないかしら! というか、マスターの気持ちまで決めつけたのはどうなの!?」
「人聞きの悪い言い方をするな。状況から妥当な推定をしただけだ」
「ついこの間まで『恋愛感情であるはずがない』って言ってたのはどこのどいつよ! それにしても、あんたがねぇ……」
「何度も言うな。……自分に色恋なぞ似合わないことは、自分で一番分かっている」
「……あっ、そ。で、マスターはそろそろあたし達のデッキ組みそうなの?」
「いや。その辺りの進展はない」
「は!?」
「だが、ワタシは確信している。マスターはいずれ必ず、ドゥームズを手にする。お前だってそれを期待しているだろう?」
ワタシの質問を受けて、エララは珍しく目を逸らした。
「……そりゃあ、あたしのことも好きになってくれたらいいなって思うけど……」
「そうだ。故に待つのだ、マスターの期が熟すその刻を」
その後も、ワタシは泉に行ってマスターの様子を見続けた。感情の種類は同定できても、その回路については未だ腹落ちしていない。マスターの人生を観察しながら、自分が抱えた恋という慣れないものも、同時に鮮明にしていこう。
そんなある日のことだ。
「返り血も流さずにいなくなったと思えば……ここにいたんですか」
襲撃を完了した帰還後、ワタシはいつものようにマスターを見ていた。体に染み渡る砲撃の反動を感じながら見るマスターは、今後のデュエルの予行として、とても有意義だ。しかし、今日はそれだけではなかった。
軍服の下に包帯を巻いたアマルテに、今起きたことを説明する。
「……マスターが、認識した」
「何をですか?」
「ワタシの効果をだ!! ようやっとワタシが有能であることを知ったらしい!! ハハハハ!」
「楽しそうですねえ」
何か微笑ましいものを見るようなアマルテの反応で、若干冷や水を浴びせられた。
「……勘違いするな、先程の戦闘の熱が少し残っているだけだ」
そう説明しても、彼は何か言いたげだ。
(今までそんなこと一度もなかったのに……)
どうせこのようなことを考えているに決まっている。そうだ、ワタシが戦闘後の思考の切り替えを怠るわけがない。
マスターはワタシが相手のモンスターを装備できることに驚き、いたく気に入ったらしい。そのままワタシの強さにも目を向けるがいい。お前にはワタシが相応しく、ワタシにはお前が相応しいのだ。
雨という天候はあまり好むことができない。装備にはいつも以上の注意が必要となり、我々自身の動きにも障害が生じる。
それに拍車をかけて、今日は不快だった。報告書を書き終えた後の机に突っ伏してしまいたいほどだった、今までそのような行動はしたことがないのに。
「……あんた、見たことない顔してるわよ」
報告書を持ってきたエララが、ワタシを見下ろしてそう言った。それはそうだろう、今のワタシの精神状態は、降雨によって濁った池のようなものだ。
アマルテが気を利かせ、何が起きたか説明しようとする。
「実は……」
「──いや、いい」
しかしワタシは、それを手で制した。
「自分で話す」
それは午前中、まだ晴れていた時のことだ。日課の訓練メニューをこなしたワタシは、休憩ついでにマスターの様子を見に行った。マスターはどのように過ごしているだろうか、確認は最早ワタシの義務のようなものだ。
するとマスターはワタシ達の設定画を見ていた。良いぞ、そうしてもっと我々について知れ。そう思ったのも束の間、マスターに、ある変化が起きた。
それは、とてつもない失望だった。
見ていたのはワタシの普段の表情だ。──そうだ、マスターはドラストリウスのワタシしかまともに見ていない。普段の姿は認識すらしていなかったのだ。そして今二つの姿が繋がり、マスターは、『期待していた人物ではない』と、ワタシに見切りをつけた。表情によって好意を抱く者は表情によって嫌悪も抱くということだ。
「リーダー……」
再度経緯を話したワタシに、アマルテは憐憫の目を向ける。
「あの、」
「そんなんで落ち込んでんの!?」
口を開こうとしたアマルテを、うるさい声が遮った。
「いずれは起きたことでしょ!! あんたは知らないだろうけど恋愛なんて好きになったり嫌いになったりするのが当たり前なの!! マスターを待てって言ったのはあんたでしょ!?」
雨音に紛れぬ声が頭を叩くように響く。その声が、認めたくはないが、多少、精神に好影響を与えた。
「……フン、お前に言われずとも分かっている」
アマルテもまた、先程言えなかったことを口にする。
「大した根拠はありませんが、大丈夫だと思いますよ。戦場にいる時の姿はリーダーの本質なのですから、それをマスターもわかってくれるはずです。……私達のマスターなんですから」
「ああ……そうだな」
まさか、こいつらにワタシの個人的な感情を慰められる日が来るとは。マスターと認識し合ってからイレギュラーなことばかり起きている。そしてそれは、マスターの元へ行くことで、もっと大きく続くだろう。
「取り乱したな。我々はマスターがデッキを組むまで準備を行った上で待機する、この方針を継続していく」
「もー大袈裟なのよあんた! 初めての恋だから浮かれるのもわかるけど、マスターのところに行くまでに多少慣れときなさいよ!?」
「うるさい」
「いやしかし、俄然面白くなってきましたね」
「ああ」
ワタシ達にこれ以上できることはない。もどかしい思いがないと言えば嘘になるが、『この』ワタシと『あの』マスターが引き合わせられたことに、必ず意味はある。
(信じているぞ、マスター)
だが、その後に全く精神の傷なく過ごせたかというと、そうではない。今まで感じたことのない胸元の違和感が、泉のほとりで風に煽られる度に疼いた。
マスターは誕生日を迎えたらしい。次の機会には、祝ってやれるだろうか。思えば今マスターは、生活環境の改善で忙しなく動いているのだ。こちらまで手が回らずとも仕方がない側面もある。あんな小さな体で、何の力も持たない上に、生まれつき体が弱く人間が苦手らしい。だというのに、自らの手で状況を変えようと奔走している。このような悩みを抱えたことのないワタシからすると、彼女の人生は、見たことのない光景ばかりだった。
ワタシの力があれば。ワタシの知恵があれば。ワタシという存在がいれば。お前に、そんな思いをさせることはないというのに。ただ、デュエルに集中させてやれるのに。しかし同時に、そんなマスターだからこそ、ワタシは惹かれ続けていた。
マスターはワタシに失望したが、依然としてワタシの情報は入ってくるようだった。なんなら、戦闘前の姿もワタシとして認識するようになったことで、目に入る機会は増えたらしい。皮肉なことだ、そう感じていると。
マスターの心に、またもや変化があった。
平常時のワタシを見続けたことで、段々と受け入れられるようになったらしい。それどころか、『胴付きゆっくりみたいでエロい』……? 単語の意味は分からないが、なにやら劣情を覚えているらしい。大変良いことだ! 性欲を抱くということは、やはり最初からアマルテの読みは当たっていたのだ。奴にも報告してやろう、喜ぶに違いない。
それから、急激に話が進み始めた。
日を重ねるごとに、マスターの思考のうちのワタシが占める割合が大きくなっていった。そしてついには、マスターがワタシ達の収録されたパックを探した。興味を我慢できなくなったのだ!!
「アマルテ! エララ! こっちに来い!」
「何よ!? 作戦会議にはまだ早いでしょ!?」
「マスターに何かあったんですか?」
「あっそういうこと!?」
「そうだ!」
集って泉を覗き込む。しかし不幸なことに、マスターが即座に行ける範囲では、ワタシ達のパックは既に売り切れてしまっていた。
「でも、まだ在庫がある報告も上がっているようですね」
「ああ。最早、マスターの元へ行くことは確定した。あちらの世界のリサーチを増やす必要がある」
その後はまるで、マスターのワタシ達への感情の昂りに呼応するかのように、マスターの生活環境に光明が見え始めた。マスターの努力の一助になったようで嬉しかった。それに伴い、彼女は引っ越しをすることが決まった。そして引っ越し先に下見に行くと、ワタシ達のパックがあったのだ!!
「おお!」
歓喜に打ち震えるマスターの姿に、ワタシ達も同じ感情になる。そしてその時マスターは決意した。
『引っ越しの日にこれを買おう』。
やっと、やっとだ。浮遊感──敵を撃ち殺した時のような──が全身を覆い、後から現実味が追いついてくる。ここまで待ったのだ、引っ越しの日など、たかが数日に過ぎない。万全の状態で当日を迎えるため、更に準備を進めなければ。
ワタシはその日の分の仕事をさっさと片付けると、これまでまとめてきたマスターの世界のメモを改めて見返した。食事、マナー、服装、一日のスケジュール等。全くの異文化とまでは言わないが、違う部分も多い。生活を共にするならば躓きそうな箇所もあるため、それらを事前に潰しておく。
仕事については問題ない。こちらの世界に戻る際、移動の直前の時刻を狙って飛べる。ワタシは今日このまま、平常通り仕事を終わらせて、明日マスターの世界へ行けばいい。
引っ越しの前日故に、マスターも今日は忙しいようだ。荷物の最終確認をして、向こうに送る準備をしている。今までの行程で既に燃え尽きているのか若干投げやりな態度が気になるが、仕方のないやつだ。ワタシが見えるようになったら、そういうところも指摘してやろう。
夜になり、風呂も済ませてからもう一度泉へ向かう。マスターがちゃんと眠れているか確認しておこう、こういう時にうまく寝付けないことが多いようだからな。ベッドに入ったマスターは、日中の疲れからか、存外すんなり寝入ったようだ。
「おやすみ、***」
明日からはお前の隣でこれを言うことができると思うと、胸が高鳴る。
翌日。マスターが無事に出発できたのを見送ると、ワタシ達も最後の準備にとりかかる。とはいっても必要なものは特にないため、我々の身一つで向かう。重要なのは今後の指針の確認だ。
「改めて周知するが、マスターは人見知りで警戒心が強い。ワタシ達が見える状態になったとしても、全員が一挙に押し寄せれば不要な緊張は免れない。それを避けるため、基本的にそばにいるのはワタシ一人とする。お前達は向こうの世界にいてもいいが、マスターからは身を隠しておけ」
「相変わらず不満しかない方針だけど、仕方ないわね……」
「ええ、私も間近でマスターを見たいので残念です。状況確認の会議はマスターの就寝後で変わりないですか?」
「ああ、それでいく。最優先はマスターの都合だ。他に質問はあるか?」
「ないわ」
「大丈夫です」
「では、向かうぞ」
森の奥の小さな泉。そこは最早、慣れ親しんだ場所になっていた。しかし、ここに来るのも今日で最後の可能性がある。
澄んだ水面には、我々三人が映っている。そこに意識を集中させると、徐々に肉体が変質していく感覚が起こった。向こうの世界へ行く儀式である。そして視界が光に包まれ、こちらとあちらを結ぶ、何処でもない空間に繋がった。
真っ白なその場所では、意思を強く持つと、脳裏に移動中のマスターの姿が見えた。やっと、やっとワタシ達のことを詳細に調べているのだな。そうだ、ワタシの名はドラスティア。覚えてくれ、今後何度も呼ぶのだから─────────
もう一度視界が光に包まれ、それが止んだと思うと、我々の前を、大荷物を抱えたマスターが小走りで横切った。
「…………!!」
見下ろした髪の流れ。小さく起こった風の感触。汗と、何か花のような香り。
「っ着いて行くぞ……!」
明確に呆気に取られた。これが、同じ世界にいるということか!! 小走りといっても、荷物という重りを持ったマスターに追いつくことは容易い。マスターが向かったのはカードショップだ。日の傾きからしてもう少し経てば入居の時刻となる、その前にパックを買おうというのだ。計画性がないと罵ってもいいだろうが、必死になるその姿に、胸を打たれた。
無事に一つボックスを買うと、マスターは小走りを再開した。今、マスターの腕に、ワタシ達が。そして新居に着くと、手続きが終わった。荷物をおろし、中から鋏を取り出すと、早速マスターは開封を始めた。
彼女は、一つの縛りを設けていた。それは、『このボックスからドラストリウスが出なかったら、それは自分との縁がないということであるため、ドゥームズを組まない』というものだ。まだ他のデッキを組みたい気持ちもあるらしい。知るか、そんなもの。逃すものか。我々精霊界に住むもの────デュエルモンスターズのモンスターは、多少であれば確率に介入することができる。
開封を続けろ。そうすれば自ずと、ワタシを手に入れ────なんだ、この感情は? まだ薄くマスターの思考と繋がっている感触があるため、そこに意識を集中させる。────────『寂しい』、だと?
パックの開封はようやく半分を過ぎたほどだ。その時点でマスターが抱いた感情が、『来てくれなくて、寂しい』? …………どこまで面白がらせるのだこのマスターは!! あれほどまで長く我々に手を出すまで逡巡したというのに、今でも他のデッキの可能性を視野に入れているというのに!? ワタシがマスターの手に渡ることを当然と考えて、それが叶っていない現状を『寂しい』と言うだと? なんと傲慢なことだ! ……そしてそれだけ、今も無理をしているということか。
ならば欲するがいい。普段のワタシはドラストリウスほど好みではないかもしれないが、持っておけ。デッキを組むなら必要になる。これでまだ不安か、頑固なことだ。……それでいい。それでこそワタシのマスターなのだから。
さあ、今こそその目に、壊獄神ユピテルに選ばれしこの身を映せ。
お前という運命が、ワタシを選んだように。
ワタシという運命は、お前を選んだのだ。
「…………!」
息を呑む音が聞こえる。
今ここに、正式に我々のマスターが誕生した。
マスターの新しい生活が始まった。だが、問題が二点ほどあった。
まずは、新しい環境でもすんなり事が運ぶことはなく、四苦八苦しているために、我々をデッキとして組み上げるまではまだ少しかかりそうだ。
もう一つは、マスターの中に出来たワタシ達のイメージと、実際の我々がかなり違っていた。
「どうしましょう?」
「…………。」
近場に他の精霊も見当たらないため、前例を参照することもできない。
「……恐らく、こちらの世界で我々の情報が統制されていることには、何か理由がある。故に、マスターが今持っている情報から作り上げたイメージに合わせて振る舞うべきだろう」
「それって演技するってこと? あたしはほとんど変わらないからともかく、アマルテなんて大丈夫なの?」
「はは……なんでか私だけ一切情報を出してもらえてませんからね……。でも、新しい試みで面白そうです。やってみせます」
「頼んだぞ」
「何あんたは関係ないみたいな顔してんの! あんたも大概難しい役しないといけないでしょ!?」
「難しい? どこがだ」
「マスターはあんたのこと性欲なくて丁寧なやつだと思ってんのよ!? 真逆じゃない!!」
「ワタシが性欲に塗れた粗野な男だと? ハア、嫌でもお前と共にいた時間は無駄だったようだな」
「なんですって!?」
「まあまあ……マスターが私達のことを認識できるようになるまでまだ時間がかかりそうですから。それまでになんとかしましょう」
再び訪れた苦しい環境でも、マスターはワタシを心の支えとして足掻き続けた。こうして隣にいるというのに手出しできない状況は歯痒かったが、ますますデュエルできる日が待ち遠しかった。
マスターは、デッキに使うほとんど全てのカードを自力でパックから当てるつもりらしい。なんと素晴らしく一貫した態度か! 労力がかかろうと自分の信念を優先する、ワタシはお前のその頑固さが好きだ。
さらに、気が付くとマスターはパックからワタシを引く快楽の虜になってしまったらしい。次はいつ、何にかこつけてパックを買おうか、苦しみの隙間でいつの間にか考えている。もっともっとワタシを求める姿を見せろ!
しかしマスターが四枚目の普段のワタシを引いたところでエララから注意があった。
「あんた確率操作してるでしょ!?」
「してないが」
「嘘つくんじゃないわよ口の端ニヤけてんのよ!!」
「だとしたらなんだというのだ?」
「マスターが不安になってるでしょ!! 実は自分とデュエルしたくないのかなって!!」
「………………。」
それは勿論知っていた。だが、デッキを組めるようになってしまえば、この愉快な時間もなくなる。そう思うと少し惜しかった。
そろそろ本当にデッキを組みたい、そう思ってマスターが買ったボックスに、ワタシは二枚目のドラストリウスのワタシが出るように念じた。そうして無事、デッキは完成した。
忙しい日々の隙間を縫って、マスターは友とデュエルの約束を取り付けた。相手は前々からデッキを握っており性質をよく理解している。それに対してマスターは正直なところ、デュエルが弱い。そしてそもそも、簡単な動きをするデッキしか触ったことがない。それはデジタルで手軽に行うデュエルの様子から知っていた。事前にワタシ達がどのような動きをするかは調べていたが、実戦でどれだけやれるだろうか。
弱いどころか、処理が間違っている。……自分で気付いて修正したようだが。前途多難だ。
だが……一つ一つの動きを大切にし、ワタシが出るだけで喜ぶ姿は、戦闘の高揚ともまた違う形で心を沸き上がらせた。
そして、幾度も対戦を重ねた末。
相手が軽く手札事故を起こしていたということもあったが、ようやくマスターが一勝をもぎ取った。ストレートに展開が決まり、ワタシの強力な攻撃が通る、勝ち方の中でも特に気持ちの良いものだった。
その時、マスターの様子が変わった。
哄笑を始めたのだ。そう、それは、まるで──────戦場でのワタシのように。
精神の昂りが嘘偽りなく剥き出しになった姿。上がった口角、肉体の内側の熱が放射されるような様子を見ていると、ワタシの内にある興奮も増幅されていく。
長い間あった疑問がようやく解けた。何故、マスターはワタシの表情だけで惚れ込んだのか。
『楽しそう』、というのは、こんなにも愛おしいのか。
友と解散し帰路に着くと、とっくに夜になっていた。まばらな街灯が照らす中、マスターはワタシを取り出すと、小さな声で話しかけてきた。
「楽しかったね」
ああ、ワタシも同じ気持ちだ。そう答えてやりたい。早く、ワタシ達が見えるようになればいい。
その時、路地裏から不審な人物が現れた。
「…………」
マスターは黙ってやり過ごそうとする。だが、相手の方が動いた。
「お前のデッキから新鮮な絆の匂いがする……。そのデッキ、奪わせてもらうぞ!」
「何!?」
言うや否や、相手はマスターに手錠付きの鎖のようなものを投げて装着させた。
「くっ!」
「これを着けた者はデュエルをして勝敗が着くまで解放されることはない! 俺が勝てばお前のデッキをいただくぞ!」
「なんだと!?」
──なんだこの状況は。話には聞いたことがある、デュエルを悪事に用いる者がいると。だが、何故マスターがその対象になるんだ。マスターは今日ようやく初めて我々を使ったのだぞ。それに対して、デッキを奪う、だと。
そんなことは、断じて許さん。絶対に叶えさせん。
マスターはデュエルディスクを取り出すと、装着してデッキを装填した。
「デュエル!」
「先攻は俺が貰う! 俺のターン!」
マスターの顔が歪む。勝手に先攻をとられてはそうもなる。
「カードを四枚伏せる! そして発動! デス・メテオ! 挨拶代わりの1000ポイントダメージだ!」
マスターの頭上に隕石が降り注ぐ。迫力ある映像だがソリッドビジョンだ────そのはずだった。
「っがは──────ッ!?」
それを食らったマスターが、後方へ大きく吹き飛んだ。リアルダメージが発生している────闇のデュエルだと!?
それが、どれほどの痛みなのか。ワタシには推測するしかない。マスターは一般人で、魔力もない人間で、その中でも弱い方に入る。それがどれほどの苦しみなのか、ワタシが真に知ることはない。
反射的にマスターを受け止めようと、体が動いた。触れることなんてできはしないのに。──その時、まるで向こうの世界で泉を覗いた時のように、不思議とマスターの思考が伝わってきた。
──────助けて、ドラスティア…………。
「っ…………!」
小さな女の体重が、ワタシの腕の中に全て伝わってきた。脱力した筋肉の感触も、直後に再び力が入る感覚も、全て。
「!?」
ワタシを見上げた***の目が、大きく見開いた。
「ドラス、ティア……?」
揺れる視線にかけるべき言葉を考えていると、ぼろぼろと涙がこぼれ始めた。
「幻覚……?」
「──違う。『私』はカードの精霊、本物のドラスティアだ。噂は聞いたことがあるだろう?」
「あ、ある、けど。そんな、本当に……」
「話は後だ。先に目の前の敵を倒すぞ。落ち着いて、さっき友とのデュエルで勝利した時のことを思い出せ。そうすれば、必ず勝てる」
「あ、あ……」
「デッキを──私達を信じろ。そうすれば、貴方に必ず応える。カードを構えろ、マスター!」
ワタシの言葉に呼応して、彼女は涙を流しながら姿勢を正す。
「ドゥームズの動き方は覚えているな?」
「うん、基本的なところは……」
「それでいい。それさえできれば、あとは私達が支える」
それを聞いて安心したのか、マスターの目に鋭く光が宿った。
「私のターン、ドロー! 私は終刻竜機Vーアマルテを召喚────!」
その後、ターンは進み。
「終獄龍機XIIードラストリウスでダイレクトアタック!」
「だが、攻撃力3500でなんになる! 次のターンになればお前は負け……」
「このターンで決着を着ける!!」
マスターが吠え、手札から一枚のカードを突きつけた。
「速攻魔法発動! リミッター……解除!!」
ワタシの体に活力が漲る。その場を焼き尽くす砲撃が、全身から放たれた。
「馬鹿なあああああああああああ!」
敵は断末魔を上げて敗北し、マスターは解放された。しかし、逃げ失せる際に相手が気になる言葉を吐いた。
「俺は負けたが、『組織』はお前達のように絆で結ばれたデュエリストとデッキを絶対に逃すことはない……! これで終わったと思うなよ……!」
「…………」
マスターが眉を顰める。ワタシも同様の感情を覚えた。
ふと、マスターの体がふらつく。体力を消耗し過ぎたらしい。肩を抱いて立たせてやる。
「大丈夫か」
「大丈夫、ありがとう……。ありがとう、ございます……?」
「どっちでもいい」
「へ、変な感じ……。というか、なんか興奮? 疲れ? でふわふわしてきた……。本当に幻覚じゃないよね?」
「幻覚じゃない。その辺り、帰ってからゆっくり話そう」
「うん……。でもごめん、帰ったら寝ちゃうかも……」
「それでもいい。その場合は明日話す」
マスターと会話できている。マスターに触れられている。改めて、喜びが湧いてきた。
その後もマスターは何度も『組織』の連中にデュエルを強要された。なんとか勝ってきたが、根本的にもっと強くしたい。その為にじっくりと訓練をさせてやりたいが、今の環境では難しいだろう。
ワタシ達はしばらく演技を実行しながら過ごした。エララはあのような言い草だったが、大して本当のワタシと変わらない。確かに普段やらない行動を取ることになったが、それも問題なかった。
マスターの手を取る。差し出してくる食物を食べる。隣で寝てやる。どれも未経験のことだった。しかしそうやってマスターと触れ合っていると、悪くない気がした。これらがマスターの精神を支えるのなら、今は専念しよう。
そして朗報として、マスターはデッキが完成した後もワタシを求めることをやめず、事あるごとにパックを買った。毎度毎度緊張しながら開封をする姿に、たまらなく愉悦を感じた。
計算外のことがあったとすれば、それは彼女がワタシ以外のメンバー──アマルテとエララにも親しみを覚え始めたことだ。ドゥームズという隊そのものを愛してくれることは心底嬉しい。だが、何故そいつらにまで接触を許す。お前が好きな『楽しそう』な表情をするのはワタシだけだというのに。
しばらくして。やっとマスターの生活に余裕が出てきた。同時にその頃、ワタシ達の情報を多く載せた書籍が発売された。マスターは大層浮かれながらそれを読み、そして、途中で大声を出した。
「ドラスティアってサディストなの!?!!?」
書籍を持ったままワタシを見上げたマスターが、小さく震えている。
「ああ。そうだ」
答えると、彼女は震えたまま後退り、そのまま後方にあったベッドに座り込んで、顔を覆った。
「……演技してた、って、こと……?」
「ああ。マスターが知らない情報を出すことで、何らかの悪影響が出ることを考慮したからな」
彼女は一度顔を上げて、ワタシのことを見た。しかし再度俯いた。
「無理、させてて、ごめん……。でも申し訳ないのに、もう甘やかしてくれないだ、って、落ち込んでる自分がいる……本当にごめん……」
「? 何故そうなる」
「え、だってサディストってことは、厳しくしたいってことでしょ?」
「確かに厳しくもしたいが。それが、普段の甘やかしをしない理由にはならん。教育に最も必要なのは飴と鞭の使い分けだ」
マスターの隣に座り、脇の下から手を入れて膝の上に乗せてやる。
「お前がこういうことをすることで、安心して物事に邁進できるのは分かった。さらに言えば、ワタシだってお前に恋しているんだ。触れ合うのは嫌いじゃない」
「ど、ドラスティア……」
マスターの頬が赤く染まり、目が潤む。ああ、こういう顔が好きだ。
「それはそれとして、痛めつけたいとも思っているがな」
「え」
「ずっと『組織』の奴らが許せなかった、ワタシのマスターだというのに許可もなくダメージを与えて……マスターをいたぶっていいのはワタシだけなのだぞ」
「え、え?」
ワタシは腿の装甲の隙間に手を遣り、ずっと仕込んでいたものを取り出した。
「愛用の鞭だ。最近は時間に余裕ができてきたから、そろそろデュエルの訓練をしようではないか。基礎的な体力育成から実戦的な戦術の組み立て方まで、ワタシが教えられることを全て教えるぞ。コレを振るうこともあるだろうが、訓練の時点で痛みに慣れておけば、闇のデュエルのダメージに怯むことはなくなる。全て必要なことなのだ」
マスターの目が、よく手入れされた革の鞭の艶に注がれる。これで怖気付くか? そんなタマじゃないだろう、お前は。
「愛用ってことは……今まで他の人に使ってきたんだよね……。そりゃそうか……リーダーだもんね……」
「〜〜〜〜〜〜っ!」
仕方のないやつめ!!
「ちゃんと消毒はしてある。それに、今後はお前以外に振るうことはないだろう」
「ほんと? なら嬉しい!」
アマルテとエララから視線が送られてきているが、知ったことか。マスターが納得しているんだぞ。
「こういうことも、いつかはやらないといけないと思ってたんだ。ドラスティアがやる気ならすごくありがたいよ。じゃあ早速……一旦どんな感じか体験してもいい?」
マスターはワタシの膝から立ち上がると、服を捲り上げて素肌の腹を曝け出した。
「ワタシの顔を見ながら打たれたいのは分かるが、ワタシもまだお前をどの程度の強さで打てばいいか把握しきれていない。腹は内臓を損傷しかねないから今はやめておけ」
「わかった……じゃあ背中?」
「そうだな」
マスターがくるりと反対を向く。今まで打ってきた相手と比べて面積が狭いため狙いをつけるのが難しい──だが、ワタシは的確に鞭打ってみせる。
肌が苛まれる強烈な炸裂音が響いた。
「っ………………!!」
「どうだ?」
「っがんばれ、そう……!」
「くくくくっ…………それならいい」
やはり、流石はワタシのマスターだ。期待を裏切らん。
「それじゃあ改めて……よろしくね、ドラスティア!」
「よろしくな、マスター」
抱き着いてきた***の笑顔が、鮮やかに輝いて見えた。
これは、そんな世界で、一人の決闘者が相棒と出会う、始まりの物語。
「…………!」
ふと、書類仕事中に感じる、全身を覆う熱いもの。目に見えぬそれは激的なようで、それでいて穏やかにワタシの体を、指先から足先まで包み込んだ。
それはワタシに向けられる、強烈な『興味』だった。
直感した。ついにワタシの主となる決闘者が現れたのだ。
我々、精霊世界に住む者は、主と共にデュエルを行うことが至上の喜びである。主と力を重ね合わせ、時には教育を施すことで、より高みを目指していく。精霊であれば誰だって憧れることだ。
そしてカードの精霊とは、決闘者の数だけ世界線が存在する。つまり『ワタシ』は複数存在し、その中で、この『ワタシ』の主となる者が現れたのだ。我が隊がマスターの手に渡るまでもう少し期間があるが、今すぐ人物像を知っておけば、いざ会う時に有用であることは間違いない。
ワタシは書類を片付けると、隊舎の北側にある森の奥へと足を伸ばし、向こう側────マスターとなる者が住む人間界を見ることができる、小さな泉へ着いた。澄んだ
何の変哲もない女だ。いや、性別はどうだっていい。マスターは何を根拠に我々を選んだのだ? 効果か? 装備の見た目か?
──────“なんて、楽しそうなの”?
何の話をしている?
だがやはり、この女が我々に興味を持っていることは本物だ。楽しそう、とは、何を指して言っているのだ。
──────ワタシ、だと?
どうやらこの人間は、力を解放しドラストリウスとなっているワタシの表情を見て、『楽しそう』という感想を抱いたらしい。そして、それだけが、興味の理由らしい。
どういうことだ、何故それが好意となる? こういった場面では確かにワタシは楽しいが、それが興味の理由となる理屈が理解できない。この、恐れられ、敵が最期に見る表情が。
しかもこの人間、ワタシ達の効果は一切読んでいない。どころか、ドラストリウスのワタシ以外絵もろくに見ていない。その上で、『楽しそう』という一点で、興味を抱いている。
“こんなに楽しそうなひとと一緒に戦えたら、他の誰と戦うよりも楽しいだろうな”
ただ、それだけで?
力ではなく? 地位ではなく? 役割ではなく?
勝利ではなく、褒賞ではなく、仕事ではなく。
“楽しいから”、ワタシと共に戦いたいだと?
ワタシの知見の範疇の外だ。こんなことを言う者に、今初めて会った。マスター。ワタシのマスター。
今は他に組みたいデッキがあるらしい。知ったことか、ワタシの直感が言っている。お前は絶対にワタシ達の元へ来る。
***。名前を覚えたぞ。
それから、暇があれば***の様子を見に行った。日常の大半の時間では別の事物について考えているが、その奥で、常にワタシのことが引っかかっているらしい。良い傾向だ。
同時に、ワタシ以外の隊員には一切興味がないことと、それが手に取るまでのネックになっていることも判明した。通りでアマルテもエララも反応していないはずだ。ならば、奴らにはこの事実をしばらく伏せておくべきだろう。────アマルテは最近頻繁に森に行くワタシに対して、何かを察しているようだが。
ワタシは業務の隙間で絶えず考えを巡らせた。何故、***はワタシの表情を好意的に思っているのか。その他に全く関心がなくとも、その一点だけでこちらに伝わるほど強く興味を持っているのか。
しかしワタシの中に推測の材料がない以上、思考が進むことはない。調べようにも調べ方の手がかりすらないのだ。闇の中を何も持たず歩むような状況で、つい、隣に控えるアマルテに声が出た。
「アマルテ」
「なんですか?」
「楽しそうな表情に惹かれる者というのは、どういう精神なんだ」
怪訝そうに目をしばたたかせる彼を見て、己の失言を悔やんだ。だが、良い機会かもしれない。
「どういう状況なのか、もう少し情報がほしいんですが……」
彼のその声に、困惑の色はあまりない。どちらかというと、好奇を滲ませている。言外に言っているのだ、『ようやくボロを出したな』、と。ワタシは苦々しく思いながら、説明した。
「────ワタシ達のマスターとなる者が現れた」
「えっ、そうなんですか? 私は何も感じませんでした……」
「それはそうだろう。マスターは、ワタシの表情にだけ興味があるのだ」
「表情、ですか?」
「そうだ。ドラストリウスになっている時のワタシの表情を好意的に思っているらしい」
「ええ? ……それで、さっきの話ですか」
「そうだ」
「う〜ん……」
アマルテは腕を組んで悩み出す。彼も交友関係が極端に広いわけではない、もしかするとこんな前例は知らないかもしれない。だが彼ならば、何か知識はもらえるだろう。
「とりあえず、私もマスターを見てよろしいですか?」
「ああ」
森の奥の泉にワタシ達が映ったかと思うと、その姿を変えだす。
「女性じゃないですか」
「それがどうかしたか?」
アマルテは困惑したように、ワタシとマスターを交互に見る。
「マスターは……リーダーのこと、好きなんじゃないですかね……?」
「ああ、そりゃあ好きだろう。興味があるんだから」
「あ、あの……好きっていうのはですね、この場合、恋愛という意味で……」
「恋愛?」
眉が吊り上がっているのが、自分でも分かる。
「まずマスターが貴方の表情に惹かれている件ですが、そういう人もいると思います。見るに……この方は、リーダーに近い性格をしているように思います」
「そうか?」
「私の拙い見立てでは、ですが。故に、親しみを覚えているのではないでしょうか」
「そうか。だが、それが恋愛感情にまで発展するのか?」
「する可能性もあるかと。『楽しそうな姿』なんて、その人に恋をする理由として、割とありえる話です。……ちょっと、この方は特殊ですが……」
「…………」
実感が湧かない。この人間は、ワタシに惚れたから興味があるのか? それも、表情だけに?
静かに分析を続けたいところだったが、闖入者がそれを許さなかった。
「あんた達ふたり揃って何サボってんの?! それマスター? マスターよね!? あっちの世界であたし達の情報出たのよね!?」
聞き慣れたうるさい声が響く。
「ハア……」
「えっ女の子!? ちっちゃーい! かわいい! あたし好み!!」
「エララ……分かっているでしょうが、人間はこの大きさで大人ですからね?」
「わかってるわよ! でもなんであたしには伝わってきてないわけ!?」
「ハア……教えてやる」
ワタシは二度目の溜息をつき、渋々エララにも説明した。
「……そして、アマルテの見立てでは、マスターはワタシに恋愛感情を抱いているらしい」
「間違ってるかもですよ?」
「はあ!? あんたに!? しかもあの、頭おかしくなってる時のあんたに!?!」
「黙れ。ワタシとて確証は持っていない」
「なんかビックリして混乱してるだけなんじゃないの?」
「それもあるかもしれませんが……マスターの行動を見ていると惹かれてもおかしくなさそうなんですよ」
「ホントに? アマルテがそこまで言うならそうかもしれないわね……」
「これで用は済んだだろう。もう少ししたらワタシ達も戻る、先に戻っておけ」
「なにその言い方!? というか……」
エララの目が、疑うようにワタシを見てくる。
「あんた最近ずっとここ来てたの? あんたの方がマスターのこと好きなんじゃない?」
「………………は?」
完全に虚を突かれ、二の句が継げない。
段々と実感が湧いてきた。何を的外れなことを言っているのか、見てみろ、アマルテも呆れて物を言えなくなっているだろう。ワタシがマスターを好き? 無論、主となるならば好くに決まっている。今後共に戦場を駆ることになるのだから。だが文脈からしてこいつが言っているのは『恋愛的好き』の話だろう。マスターを? 恋愛の相手として好く? 愛す? そんなことがあるものか。大体ワタシは今まで恋愛感情なぞ抱いたことがない、感覚のないものをどうして覚えようか。ワタシのこの感情は、“モンスターとして当然のもの”だ。力であり、地位であり、役割であり、勝利であり、褒賞であり、仕事を目的として、どんなマスターであろうと自然と感じるものだ。恋愛感情なんて、
─────だが、マスターは、その全ての外からワタシに興味を抱いた。
「……違う、ワタシはマスターに恋愛感情など、抱かない。お前の見当違いだ」
「……………………」
アマルテとエララが、顔を見合わせた。
『これで話は収まった』ととぼけるのは簡単だが理性がそれを許さない。話は一切収まってなどいない。揶揄う範疇すら超えて驚いたエララとアマルテはその後ワタシにマスターの話はしていない。
ワタシは毎日泉に足を運んだ。そしてマスターの様子を見た。目的は依然として人柄を把握するためと、もう一つ、ワタシの感情が恋ではないと確認するためだ。他者を観察することで自らを鑑みる、人生における基礎だ。
マスターは、デュエル以外の生活環境で苦戦しているらしい。しかし折れずに改善しようと動く様は、確かにワタシに近しいかもしれない。見た目より行動力がある。
そして、時に杞憂なほど脳内で予測をしがちな傾向がある。それを見て閃いた、そうだ、襲撃を行う際のようにシミュレーションを行えばいいのだ。このマスターが、今のような興味を持たない場合にもワタシの感情が変わらなければ、ワタシが抱いているものは恋愛ではないと言える。
想像する。彼女が、ワタシの表情ではなく、ドゥームズ全体の展開方法を見て興味を抱く場面を。もしくは、洗練された装備に惹かれる様を。ワタシの感情は変わらないはずだ、何故ならこれは恋愛感情ではないのだから──────
「………………まずい」
そこには、喪失に似た不快感があった。
ワタシがマスターに抱いているものを仮に恋愛感情だとする。しかし、もしも彼女と、一般的に恋人同士がすること──ハグやキスなど──をすることを考えても、高揚のようなものを感じない。というか、あまり実感を持てない。やはり、恋愛感情ではないのだろうか。
しかし、事案に巻き込んだ以上情報共有はすべきだ。エララには言うと間違いなく面倒だから、アマルテを別件で呼んだ際、現況を報告した。
「ワタシがマスターに抱いているものは恋愛感情であると結論付けた。しかし、彼女とのハグやキスを想像しても実感が持てん。やはり恋愛感情ではないのか?」
アマルテは一瞬呆気に取られたのち、冷静に分析を行った。
「それは、今まで足を踏み入れたことのない分野であるために、想像が難航しているんじゃないでしょうか? この分野には門外漢なのですから、まずは、自分に親しいところから考えてみたらいいのでは? 例えば、マスターと一緒に戦場に行くとか」
「マスターと、戦場か……」
デュエルをすることになれば、自ずと経験する状況だ。マスターが指示を出し、ワタシ達は戦う。心地良く敵を粉砕すれば、その後ろで、マスターはワタシの表情を見て喜ぶのだ。
「……良いかもしれない」
互いに利益を得ている、間違いなく良しとされることだ。
「では、マスターの訓練に付き合う状況はどうでしょうか? もしかすると、戦略の考え方を説く必要もあるかもしれません」
「マスターと、訓練……」
肉体的にも精神的にも、教えることは山ほどある。その中で彼女はきっと、懸命に追いついてくるのだろう。振るう鞭の感触、耳に届く彼女の漏れた声、そして痛みに耐えながらワタシを見上げる姿。
「これだ!!」
「そこからハグやキスに発展してみたらどうですか?」
「分かる! 想像ができるぞ!」
そうか、これらは褒美であり、恋人同士だけができる、より深く愛情を教え込む行為なのだ。
「流石だな、アマルテ」
「私ができることをしたまでです」
「これで確定したな。ワタシのこれは恋愛感情だ。そして、マスターが抱いているものも恋愛感情だ」
「後者についても断言していいのですか?」
「ああ。ワタシが会ってもいないマスターに惚れたのだから、マスターもまたワタシに恋していてもおかしくはあるまい」
「……ふふっ」
「何がおかしい?」
吹き出すアマルテに不服を感じる。だが、理由など自分でも分かる。
「なんでもありません」
「……まあいい。話は終わりだ、下がれ」
「了解」
その後、努力も虚しくエララにもこの結論は伝わった。
「どうしてもエララが知りたいと言うので……申し訳ありません」
アマルテはそう謝罪したが、一切彼を咎めるつもりはない。大方ワタシの部屋を出た辺りで、「マスターの話したんでしょ!?」と質問責めに遭ったのだろう。そのような状況で口を割るなと命じる方が酷だ。
「っはあ〜〜〜〜〜〜……あんたがねぇ〜〜〜〜…………」
じろじろと見てくる奴の目が鬱陶しい。
「槍でも降るんじゃないかしら! というか、マスターの気持ちまで決めつけたのはどうなの!?」
「人聞きの悪い言い方をするな。状況から妥当な推定をしただけだ」
「ついこの間まで『恋愛感情であるはずがない』って言ってたのはどこのどいつよ! それにしても、あんたがねぇ……」
「何度も言うな。……自分に色恋なぞ似合わないことは、自分で一番分かっている」
「……あっ、そ。で、マスターはそろそろあたし達のデッキ組みそうなの?」
「いや。その辺りの進展はない」
「は!?」
「だが、ワタシは確信している。マスターはいずれ必ず、ドゥームズを手にする。お前だってそれを期待しているだろう?」
ワタシの質問を受けて、エララは珍しく目を逸らした。
「……そりゃあ、あたしのことも好きになってくれたらいいなって思うけど……」
「そうだ。故に待つのだ、マスターの期が熟すその刻を」
その後も、ワタシは泉に行ってマスターの様子を見続けた。感情の種類は同定できても、その回路については未だ腹落ちしていない。マスターの人生を観察しながら、自分が抱えた恋という慣れないものも、同時に鮮明にしていこう。
そんなある日のことだ。
「返り血も流さずにいなくなったと思えば……ここにいたんですか」
襲撃を完了した帰還後、ワタシはいつものようにマスターを見ていた。体に染み渡る砲撃の反動を感じながら見るマスターは、今後のデュエルの予行として、とても有意義だ。しかし、今日はそれだけではなかった。
軍服の下に包帯を巻いたアマルテに、今起きたことを説明する。
「……マスターが、認識した」
「何をですか?」
「ワタシの効果をだ!! ようやっとワタシが有能であることを知ったらしい!! ハハハハ!」
「楽しそうですねえ」
何か微笑ましいものを見るようなアマルテの反応で、若干冷や水を浴びせられた。
「……勘違いするな、先程の戦闘の熱が少し残っているだけだ」
そう説明しても、彼は何か言いたげだ。
(今までそんなこと一度もなかったのに……)
どうせこのようなことを考えているに決まっている。そうだ、ワタシが戦闘後の思考の切り替えを怠るわけがない。
マスターはワタシが相手のモンスターを装備できることに驚き、いたく気に入ったらしい。そのままワタシの強さにも目を向けるがいい。お前にはワタシが相応しく、ワタシにはお前が相応しいのだ。
雨という天候はあまり好むことができない。装備にはいつも以上の注意が必要となり、我々自身の動きにも障害が生じる。
それに拍車をかけて、今日は不快だった。報告書を書き終えた後の机に突っ伏してしまいたいほどだった、今までそのような行動はしたことがないのに。
「……あんた、見たことない顔してるわよ」
報告書を持ってきたエララが、ワタシを見下ろしてそう言った。それはそうだろう、今のワタシの精神状態は、降雨によって濁った池のようなものだ。
アマルテが気を利かせ、何が起きたか説明しようとする。
「実は……」
「──いや、いい」
しかしワタシは、それを手で制した。
「自分で話す」
それは午前中、まだ晴れていた時のことだ。日課の訓練メニューをこなしたワタシは、休憩ついでにマスターの様子を見に行った。マスターはどのように過ごしているだろうか、確認は最早ワタシの義務のようなものだ。
するとマスターはワタシ達の設定画を見ていた。良いぞ、そうしてもっと我々について知れ。そう思ったのも束の間、マスターに、ある変化が起きた。
それは、とてつもない失望だった。
見ていたのはワタシの普段の表情だ。──そうだ、マスターはドラストリウスのワタシしかまともに見ていない。普段の姿は認識すらしていなかったのだ。そして今二つの姿が繋がり、マスターは、『期待していた人物ではない』と、ワタシに見切りをつけた。表情によって好意を抱く者は表情によって嫌悪も抱くということだ。
「リーダー……」
再度経緯を話したワタシに、アマルテは憐憫の目を向ける。
「あの、」
「そんなんで落ち込んでんの!?」
口を開こうとしたアマルテを、うるさい声が遮った。
「いずれは起きたことでしょ!! あんたは知らないだろうけど恋愛なんて好きになったり嫌いになったりするのが当たり前なの!! マスターを待てって言ったのはあんたでしょ!?」
雨音に紛れぬ声が頭を叩くように響く。その声が、認めたくはないが、多少、精神に好影響を与えた。
「……フン、お前に言われずとも分かっている」
アマルテもまた、先程言えなかったことを口にする。
「大した根拠はありませんが、大丈夫だと思いますよ。戦場にいる時の姿はリーダーの本質なのですから、それをマスターもわかってくれるはずです。……私達のマスターなんですから」
「ああ……そうだな」
まさか、こいつらにワタシの個人的な感情を慰められる日が来るとは。マスターと認識し合ってからイレギュラーなことばかり起きている。そしてそれは、マスターの元へ行くことで、もっと大きく続くだろう。
「取り乱したな。我々はマスターがデッキを組むまで準備を行った上で待機する、この方針を継続していく」
「もー大袈裟なのよあんた! 初めての恋だから浮かれるのもわかるけど、マスターのところに行くまでに多少慣れときなさいよ!?」
「うるさい」
「いやしかし、俄然面白くなってきましたね」
「ああ」
ワタシ達にこれ以上できることはない。もどかしい思いがないと言えば嘘になるが、『この』ワタシと『あの』マスターが引き合わせられたことに、必ず意味はある。
(信じているぞ、マスター)
だが、その後に全く精神の傷なく過ごせたかというと、そうではない。今まで感じたことのない胸元の違和感が、泉のほとりで風に煽られる度に疼いた。
マスターは誕生日を迎えたらしい。次の機会には、祝ってやれるだろうか。思えば今マスターは、生活環境の改善で忙しなく動いているのだ。こちらまで手が回らずとも仕方がない側面もある。あんな小さな体で、何の力も持たない上に、生まれつき体が弱く人間が苦手らしい。だというのに、自らの手で状況を変えようと奔走している。このような悩みを抱えたことのないワタシからすると、彼女の人生は、見たことのない光景ばかりだった。
ワタシの力があれば。ワタシの知恵があれば。ワタシという存在がいれば。お前に、そんな思いをさせることはないというのに。ただ、デュエルに集中させてやれるのに。しかし同時に、そんなマスターだからこそ、ワタシは惹かれ続けていた。
マスターはワタシに失望したが、依然としてワタシの情報は入ってくるようだった。なんなら、戦闘前の姿もワタシとして認識するようになったことで、目に入る機会は増えたらしい。皮肉なことだ、そう感じていると。
マスターの心に、またもや変化があった。
平常時のワタシを見続けたことで、段々と受け入れられるようになったらしい。それどころか、『胴付きゆっくりみたいでエロい』……? 単語の意味は分からないが、なにやら劣情を覚えているらしい。大変良いことだ! 性欲を抱くということは、やはり最初からアマルテの読みは当たっていたのだ。奴にも報告してやろう、喜ぶに違いない。
それから、急激に話が進み始めた。
日を重ねるごとに、マスターの思考のうちのワタシが占める割合が大きくなっていった。そしてついには、マスターがワタシ達の収録されたパックを探した。興味を我慢できなくなったのだ!!
「アマルテ! エララ! こっちに来い!」
「何よ!? 作戦会議にはまだ早いでしょ!?」
「マスターに何かあったんですか?」
「あっそういうこと!?」
「そうだ!」
集って泉を覗き込む。しかし不幸なことに、マスターが即座に行ける範囲では、ワタシ達のパックは既に売り切れてしまっていた。
「でも、まだ在庫がある報告も上がっているようですね」
「ああ。最早、マスターの元へ行くことは確定した。あちらの世界のリサーチを増やす必要がある」
その後はまるで、マスターのワタシ達への感情の昂りに呼応するかのように、マスターの生活環境に光明が見え始めた。マスターの努力の一助になったようで嬉しかった。それに伴い、彼女は引っ越しをすることが決まった。そして引っ越し先に下見に行くと、ワタシ達のパックがあったのだ!!
「おお!」
歓喜に打ち震えるマスターの姿に、ワタシ達も同じ感情になる。そしてその時マスターは決意した。
『引っ越しの日にこれを買おう』。
やっと、やっとだ。浮遊感──敵を撃ち殺した時のような──が全身を覆い、後から現実味が追いついてくる。ここまで待ったのだ、引っ越しの日など、たかが数日に過ぎない。万全の状態で当日を迎えるため、更に準備を進めなければ。
ワタシはその日の分の仕事をさっさと片付けると、これまでまとめてきたマスターの世界のメモを改めて見返した。食事、マナー、服装、一日のスケジュール等。全くの異文化とまでは言わないが、違う部分も多い。生活を共にするならば躓きそうな箇所もあるため、それらを事前に潰しておく。
仕事については問題ない。こちらの世界に戻る際、移動の直前の時刻を狙って飛べる。ワタシは今日このまま、平常通り仕事を終わらせて、明日マスターの世界へ行けばいい。
引っ越しの前日故に、マスターも今日は忙しいようだ。荷物の最終確認をして、向こうに送る準備をしている。今までの行程で既に燃え尽きているのか若干投げやりな態度が気になるが、仕方のないやつだ。ワタシが見えるようになったら、そういうところも指摘してやろう。
夜になり、風呂も済ませてからもう一度泉へ向かう。マスターがちゃんと眠れているか確認しておこう、こういう時にうまく寝付けないことが多いようだからな。ベッドに入ったマスターは、日中の疲れからか、存外すんなり寝入ったようだ。
「おやすみ、***」
明日からはお前の隣でこれを言うことができると思うと、胸が高鳴る。
翌日。マスターが無事に出発できたのを見送ると、ワタシ達も最後の準備にとりかかる。とはいっても必要なものは特にないため、我々の身一つで向かう。重要なのは今後の指針の確認だ。
「改めて周知するが、マスターは人見知りで警戒心が強い。ワタシ達が見える状態になったとしても、全員が一挙に押し寄せれば不要な緊張は免れない。それを避けるため、基本的にそばにいるのはワタシ一人とする。お前達は向こうの世界にいてもいいが、マスターからは身を隠しておけ」
「相変わらず不満しかない方針だけど、仕方ないわね……」
「ええ、私も間近でマスターを見たいので残念です。状況確認の会議はマスターの就寝後で変わりないですか?」
「ああ、それでいく。最優先はマスターの都合だ。他に質問はあるか?」
「ないわ」
「大丈夫です」
「では、向かうぞ」
森の奥の小さな泉。そこは最早、慣れ親しんだ場所になっていた。しかし、ここに来るのも今日で最後の可能性がある。
澄んだ水面には、我々三人が映っている。そこに意識を集中させると、徐々に肉体が変質していく感覚が起こった。向こうの世界へ行く儀式である。そして視界が光に包まれ、こちらとあちらを結ぶ、何処でもない空間に繋がった。
真っ白なその場所では、意思を強く持つと、脳裏に移動中のマスターの姿が見えた。やっと、やっとワタシ達のことを詳細に調べているのだな。そうだ、ワタシの名はドラスティア。覚えてくれ、今後何度も呼ぶのだから─────────
もう一度視界が光に包まれ、それが止んだと思うと、我々の前を、大荷物を抱えたマスターが小走りで横切った。
「…………!!」
見下ろした髪の流れ。小さく起こった風の感触。汗と、何か花のような香り。
「っ着いて行くぞ……!」
明確に呆気に取られた。これが、同じ世界にいるということか!! 小走りといっても、荷物という重りを持ったマスターに追いつくことは容易い。マスターが向かったのはカードショップだ。日の傾きからしてもう少し経てば入居の時刻となる、その前にパックを買おうというのだ。計画性がないと罵ってもいいだろうが、必死になるその姿に、胸を打たれた。
無事に一つボックスを買うと、マスターは小走りを再開した。今、マスターの腕に、ワタシ達が。そして新居に着くと、手続きが終わった。荷物をおろし、中から鋏を取り出すと、早速マスターは開封を始めた。
彼女は、一つの縛りを設けていた。それは、『このボックスからドラストリウスが出なかったら、それは自分との縁がないということであるため、ドゥームズを組まない』というものだ。まだ他のデッキを組みたい気持ちもあるらしい。知るか、そんなもの。逃すものか。我々精霊界に住むもの────デュエルモンスターズのモンスターは、多少であれば確率に介入することができる。
開封を続けろ。そうすれば自ずと、ワタシを手に入れ────なんだ、この感情は? まだ薄くマスターの思考と繋がっている感触があるため、そこに意識を集中させる。────────『寂しい』、だと?
パックの開封はようやく半分を過ぎたほどだ。その時点でマスターが抱いた感情が、『来てくれなくて、寂しい』? …………どこまで面白がらせるのだこのマスターは!! あれほどまで長く我々に手を出すまで逡巡したというのに、今でも他のデッキの可能性を視野に入れているというのに!? ワタシがマスターの手に渡ることを当然と考えて、それが叶っていない現状を『寂しい』と言うだと? なんと傲慢なことだ! ……そしてそれだけ、今も無理をしているということか。
ならば欲するがいい。普段のワタシはドラストリウスほど好みではないかもしれないが、持っておけ。デッキを組むなら必要になる。これでまだ不安か、頑固なことだ。……それでいい。それでこそワタシのマスターなのだから。
さあ、今こそその目に、壊獄神ユピテルに選ばれしこの身を映せ。
お前という運命が、ワタシを選んだように。
ワタシという運命は、お前を選んだのだ。
「…………!」
息を呑む音が聞こえる。
今ここに、正式に我々のマスターが誕生した。
マスターの新しい生活が始まった。だが、問題が二点ほどあった。
まずは、新しい環境でもすんなり事が運ぶことはなく、四苦八苦しているために、我々をデッキとして組み上げるまではまだ少しかかりそうだ。
もう一つは、マスターの中に出来たワタシ達のイメージと、実際の我々がかなり違っていた。
「どうしましょう?」
「…………。」
近場に他の精霊も見当たらないため、前例を参照することもできない。
「……恐らく、こちらの世界で我々の情報が統制されていることには、何か理由がある。故に、マスターが今持っている情報から作り上げたイメージに合わせて振る舞うべきだろう」
「それって演技するってこと? あたしはほとんど変わらないからともかく、アマルテなんて大丈夫なの?」
「はは……なんでか私だけ一切情報を出してもらえてませんからね……。でも、新しい試みで面白そうです。やってみせます」
「頼んだぞ」
「何あんたは関係ないみたいな顔してんの! あんたも大概難しい役しないといけないでしょ!?」
「難しい? どこがだ」
「マスターはあんたのこと性欲なくて丁寧なやつだと思ってんのよ!? 真逆じゃない!!」
「ワタシが性欲に塗れた粗野な男だと? ハア、嫌でもお前と共にいた時間は無駄だったようだな」
「なんですって!?」
「まあまあ……マスターが私達のことを認識できるようになるまでまだ時間がかかりそうですから。それまでになんとかしましょう」
再び訪れた苦しい環境でも、マスターはワタシを心の支えとして足掻き続けた。こうして隣にいるというのに手出しできない状況は歯痒かったが、ますますデュエルできる日が待ち遠しかった。
マスターは、デッキに使うほとんど全てのカードを自力でパックから当てるつもりらしい。なんと素晴らしく一貫した態度か! 労力がかかろうと自分の信念を優先する、ワタシはお前のその頑固さが好きだ。
さらに、気が付くとマスターはパックからワタシを引く快楽の虜になってしまったらしい。次はいつ、何にかこつけてパックを買おうか、苦しみの隙間でいつの間にか考えている。もっともっとワタシを求める姿を見せろ!
しかしマスターが四枚目の普段のワタシを引いたところでエララから注意があった。
「あんた確率操作してるでしょ!?」
「してないが」
「嘘つくんじゃないわよ口の端ニヤけてんのよ!!」
「だとしたらなんだというのだ?」
「マスターが不安になってるでしょ!! 実は自分とデュエルしたくないのかなって!!」
「………………。」
それは勿論知っていた。だが、デッキを組めるようになってしまえば、この愉快な時間もなくなる。そう思うと少し惜しかった。
そろそろ本当にデッキを組みたい、そう思ってマスターが買ったボックスに、ワタシは二枚目のドラストリウスのワタシが出るように念じた。そうして無事、デッキは完成した。
忙しい日々の隙間を縫って、マスターは友とデュエルの約束を取り付けた。相手は前々からデッキを握っており性質をよく理解している。それに対してマスターは正直なところ、デュエルが弱い。そしてそもそも、簡単な動きをするデッキしか触ったことがない。それはデジタルで手軽に行うデュエルの様子から知っていた。事前にワタシ達がどのような動きをするかは調べていたが、実戦でどれだけやれるだろうか。
弱いどころか、処理が間違っている。……自分で気付いて修正したようだが。前途多難だ。
だが……一つ一つの動きを大切にし、ワタシが出るだけで喜ぶ姿は、戦闘の高揚ともまた違う形で心を沸き上がらせた。
そして、幾度も対戦を重ねた末。
相手が軽く手札事故を起こしていたということもあったが、ようやくマスターが一勝をもぎ取った。ストレートに展開が決まり、ワタシの強力な攻撃が通る、勝ち方の中でも特に気持ちの良いものだった。
その時、マスターの様子が変わった。
哄笑を始めたのだ。そう、それは、まるで──────戦場でのワタシのように。
精神の昂りが嘘偽りなく剥き出しになった姿。上がった口角、肉体の内側の熱が放射されるような様子を見ていると、ワタシの内にある興奮も増幅されていく。
長い間あった疑問がようやく解けた。何故、マスターはワタシの表情だけで惚れ込んだのか。
『楽しそう』、というのは、こんなにも愛おしいのか。
友と解散し帰路に着くと、とっくに夜になっていた。まばらな街灯が照らす中、マスターはワタシを取り出すと、小さな声で話しかけてきた。
「楽しかったね」
ああ、ワタシも同じ気持ちだ。そう答えてやりたい。早く、ワタシ達が見えるようになればいい。
その時、路地裏から不審な人物が現れた。
「…………」
マスターは黙ってやり過ごそうとする。だが、相手の方が動いた。
「お前のデッキから新鮮な絆の匂いがする……。そのデッキ、奪わせてもらうぞ!」
「何!?」
言うや否や、相手はマスターに手錠付きの鎖のようなものを投げて装着させた。
「くっ!」
「これを着けた者はデュエルをして勝敗が着くまで解放されることはない! 俺が勝てばお前のデッキをいただくぞ!」
「なんだと!?」
──なんだこの状況は。話には聞いたことがある、デュエルを悪事に用いる者がいると。だが、何故マスターがその対象になるんだ。マスターは今日ようやく初めて我々を使ったのだぞ。それに対して、デッキを奪う、だと。
そんなことは、断じて許さん。絶対に叶えさせん。
マスターはデュエルディスクを取り出すと、装着してデッキを装填した。
「デュエル!」
「先攻は俺が貰う! 俺のターン!」
マスターの顔が歪む。勝手に先攻をとられてはそうもなる。
「カードを四枚伏せる! そして発動! デス・メテオ! 挨拶代わりの1000ポイントダメージだ!」
マスターの頭上に隕石が降り注ぐ。迫力ある映像だがソリッドビジョンだ────そのはずだった。
「っがは──────ッ!?」
それを食らったマスターが、後方へ大きく吹き飛んだ。リアルダメージが発生している────闇のデュエルだと!?
それが、どれほどの痛みなのか。ワタシには推測するしかない。マスターは一般人で、魔力もない人間で、その中でも弱い方に入る。それがどれほどの苦しみなのか、ワタシが真に知ることはない。
反射的にマスターを受け止めようと、体が動いた。触れることなんてできはしないのに。──その時、まるで向こうの世界で泉を覗いた時のように、不思議とマスターの思考が伝わってきた。
──────助けて、ドラスティア…………。
「っ…………!」
小さな女の体重が、ワタシの腕の中に全て伝わってきた。脱力した筋肉の感触も、直後に再び力が入る感覚も、全て。
「!?」
ワタシを見上げた***の目が、大きく見開いた。
「ドラス、ティア……?」
揺れる視線にかけるべき言葉を考えていると、ぼろぼろと涙がこぼれ始めた。
「幻覚……?」
「──違う。『私』はカードの精霊、本物のドラスティアだ。噂は聞いたことがあるだろう?」
「あ、ある、けど。そんな、本当に……」
「話は後だ。先に目の前の敵を倒すぞ。落ち着いて、さっき友とのデュエルで勝利した時のことを思い出せ。そうすれば、必ず勝てる」
「あ、あ……」
「デッキを──私達を信じろ。そうすれば、貴方に必ず応える。カードを構えろ、マスター!」
ワタシの言葉に呼応して、彼女は涙を流しながら姿勢を正す。
「ドゥームズの動き方は覚えているな?」
「うん、基本的なところは……」
「それでいい。それさえできれば、あとは私達が支える」
それを聞いて安心したのか、マスターの目に鋭く光が宿った。
「私のターン、ドロー! 私は終刻竜機Vーアマルテを召喚────!」
その後、ターンは進み。
「終獄龍機XIIードラストリウスでダイレクトアタック!」
「だが、攻撃力3500でなんになる! 次のターンになればお前は負け……」
「このターンで決着を着ける!!」
マスターが吠え、手札から一枚のカードを突きつけた。
「速攻魔法発動! リミッター……解除!!」
ワタシの体に活力が漲る。その場を焼き尽くす砲撃が、全身から放たれた。
「馬鹿なあああああああああああ!」
敵は断末魔を上げて敗北し、マスターは解放された。しかし、逃げ失せる際に相手が気になる言葉を吐いた。
「俺は負けたが、『組織』はお前達のように絆で結ばれたデュエリストとデッキを絶対に逃すことはない……! これで終わったと思うなよ……!」
「…………」
マスターが眉を顰める。ワタシも同様の感情を覚えた。
ふと、マスターの体がふらつく。体力を消耗し過ぎたらしい。肩を抱いて立たせてやる。
「大丈夫か」
「大丈夫、ありがとう……。ありがとう、ございます……?」
「どっちでもいい」
「へ、変な感じ……。というか、なんか興奮? 疲れ? でふわふわしてきた……。本当に幻覚じゃないよね?」
「幻覚じゃない。その辺り、帰ってからゆっくり話そう」
「うん……。でもごめん、帰ったら寝ちゃうかも……」
「それでもいい。その場合は明日話す」
マスターと会話できている。マスターに触れられている。改めて、喜びが湧いてきた。
その後もマスターは何度も『組織』の連中にデュエルを強要された。なんとか勝ってきたが、根本的にもっと強くしたい。その為にじっくりと訓練をさせてやりたいが、今の環境では難しいだろう。
ワタシ達はしばらく演技を実行しながら過ごした。エララはあのような言い草だったが、大して本当のワタシと変わらない。確かに普段やらない行動を取ることになったが、それも問題なかった。
マスターの手を取る。差し出してくる食物を食べる。隣で寝てやる。どれも未経験のことだった。しかしそうやってマスターと触れ合っていると、悪くない気がした。これらがマスターの精神を支えるのなら、今は専念しよう。
そして朗報として、マスターはデッキが完成した後もワタシを求めることをやめず、事あるごとにパックを買った。毎度毎度緊張しながら開封をする姿に、たまらなく愉悦を感じた。
計算外のことがあったとすれば、それは彼女がワタシ以外のメンバー──アマルテとエララにも親しみを覚え始めたことだ。ドゥームズという隊そのものを愛してくれることは心底嬉しい。だが、何故そいつらにまで接触を許す。お前が好きな『楽しそう』な表情をするのはワタシだけだというのに。
しばらくして。やっとマスターの生活に余裕が出てきた。同時にその頃、ワタシ達の情報を多く載せた書籍が発売された。マスターは大層浮かれながらそれを読み、そして、途中で大声を出した。
「ドラスティアってサディストなの!?!!?」
書籍を持ったままワタシを見上げたマスターが、小さく震えている。
「ああ。そうだ」
答えると、彼女は震えたまま後退り、そのまま後方にあったベッドに座り込んで、顔を覆った。
「……演技してた、って、こと……?」
「ああ。マスターが知らない情報を出すことで、何らかの悪影響が出ることを考慮したからな」
彼女は一度顔を上げて、ワタシのことを見た。しかし再度俯いた。
「無理、させてて、ごめん……。でも申し訳ないのに、もう甘やかしてくれないだ、って、落ち込んでる自分がいる……本当にごめん……」
「? 何故そうなる」
「え、だってサディストってことは、厳しくしたいってことでしょ?」
「確かに厳しくもしたいが。それが、普段の甘やかしをしない理由にはならん。教育に最も必要なのは飴と鞭の使い分けだ」
マスターの隣に座り、脇の下から手を入れて膝の上に乗せてやる。
「お前がこういうことをすることで、安心して物事に邁進できるのは分かった。さらに言えば、ワタシだってお前に恋しているんだ。触れ合うのは嫌いじゃない」
「ど、ドラスティア……」
マスターの頬が赤く染まり、目が潤む。ああ、こういう顔が好きだ。
「それはそれとして、痛めつけたいとも思っているがな」
「え」
「ずっと『組織』の奴らが許せなかった、ワタシのマスターだというのに許可もなくダメージを与えて……マスターをいたぶっていいのはワタシだけなのだぞ」
「え、え?」
ワタシは腿の装甲の隙間に手を遣り、ずっと仕込んでいたものを取り出した。
「愛用の鞭だ。最近は時間に余裕ができてきたから、そろそろデュエルの訓練をしようではないか。基礎的な体力育成から実戦的な戦術の組み立て方まで、ワタシが教えられることを全て教えるぞ。コレを振るうこともあるだろうが、訓練の時点で痛みに慣れておけば、闇のデュエルのダメージに怯むことはなくなる。全て必要なことなのだ」
マスターの目が、よく手入れされた革の鞭の艶に注がれる。これで怖気付くか? そんなタマじゃないだろう、お前は。
「愛用ってことは……今まで他の人に使ってきたんだよね……。そりゃそうか……リーダーだもんね……」
「〜〜〜〜〜〜っ!」
仕方のないやつめ!!
「ちゃんと消毒はしてある。それに、今後はお前以外に振るうことはないだろう」
「ほんと? なら嬉しい!」
アマルテとエララから視線が送られてきているが、知ったことか。マスターが納得しているんだぞ。
「こういうことも、いつかはやらないといけないと思ってたんだ。ドラスティアがやる気ならすごくありがたいよ。じゃあ早速……一旦どんな感じか体験してもいい?」
マスターはワタシの膝から立ち上がると、服を捲り上げて素肌の腹を曝け出した。
「ワタシの顔を見ながら打たれたいのは分かるが、ワタシもまだお前をどの程度の強さで打てばいいか把握しきれていない。腹は内臓を損傷しかねないから今はやめておけ」
「わかった……じゃあ背中?」
「そうだな」
マスターがくるりと反対を向く。今まで打ってきた相手と比べて面積が狭いため狙いをつけるのが難しい──だが、ワタシは的確に鞭打ってみせる。
肌が苛まれる強烈な炸裂音が響いた。
「っ………………!!」
「どうだ?」
「っがんばれ、そう……!」
「くくくくっ…………それならいい」
やはり、流石はワタシのマスターだ。期待を裏切らん。
「それじゃあ改めて……よろしくね、ドラスティア!」
「よろしくな、マスター」
抱き着いてきた***の笑顔が、鮮やかに輝いて見えた。
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