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夜のプリパラは、痛いほど静かだ。
それは現在のバージョンである『アイドルランド』にアップデートする際、『閉園時間』という決まりが生まれたせいでもある。
これにより、夜のプリパラはシステムと、マスコットと、ボーカルドールと……そして、歪みによって生まれた、闇の存在のための場所となっている。
しかし人ならざる彼らも、夜は基本的に休息を取る傾向にある。ヴァーチャルの存在でも、感覚は人間とそう変わらないからだ。
そんな夜の静寂を、破る音があった。
カツ、カツ、とヒールが地面を叩く音。それは四方八方に反響し、聴覚を支配する。
それが鳴る場所はダンプリズン。かつて牢獄として使われた、さびれた廃墟。今はもう、誰も寄り付かない。────闇の存在以外は。
「…………」
最上階、扉が開け放たれたその部屋で、男は目を開ける。ベッド代わりの古びたソファ。髪は無造作っぽく整えられ、レザーのジャケットを身に纏う。彼こそがダークアイドル、マリオだ。彼はその日初めてのライブを終え、満足の中休んでいた。
その足音は、マリオの耳に容易く届いた。魔王たる能力を持つ彼からしてみれば、どんな人物が訪れようと、警戒なぞする意味がなかった。マリオは寝そべったまま、鳴り続ける足音を聞いていた。
そしてその足音は、遂にマリオのいる最上階へとやってきた。迷いのない足取り。目的があるに違いない。ヒールの音は、段々と強く大きくなっていく。最後には、壁を隔てない、生の音を耳に運んだ。
扉の前に、音の主がやってきた。その人物は、うすら笑みを浮かべており、そして──女だった。メイド風のコーデを着ている。
まだプリパラのルールに疎いマリオでも分かる。これは恐らく異常事態だ。
億劫だが体を起こしたマリオは、目の前の人物に問いかける。
「ここの……男プリとかいうのには、女はいないんじゃないのか。というか今の時間だと、閉園時間ってのを過ぎてるんだろ?」
すると女は、悠然と返事をした。
「ルールを破るのがどれだけ簡単かなんて、貴方の方がよく知ってるんじゃない?」
「…………」
こいつには対処をすべきだ。そう判断を下したマリオは、己のギターに手をかける。
「ロッキュー!」
ギターの先端から、マリオのダークキーの複製が射出される。これを身に受けた者は、誰であろうと無気力な状態になる。
はずだった。
「っ?!」
確かにマリオのキーは、女の胸元に現れた、心の象徴であるマイクに突き刺さった。しかしどんなにキーを回しても、手応えがない。
女の様子も、本来ならぐったりと脱力するはずが、何も変わる様子がない。
マリオの頬に、一筋の驚きの汗が垂れる。
「ふふ……私には効かない。貴方と同じで、この世界そのものが『どーでもいい』から」
そう言うと女は、マイクに突き刺さったキーを掴んだ。
「!!」
マリオが『ロック』する際のマイクとキーは、あくまで概念上のものだ。普通の人間には、知覚することはできないはずだ。
しかし目の前の女は、確実にマリオのキーを、自らの手で引き抜いた。
女の、マリオより小さい手に、ダークキーが握られる。女はそのキーを、確かめるように、じっと見つめて、撫でるように擦る。マリオはその様子を、警戒まじりに眺める。
突然、女は上を向き、キーを頭の上で摘んだ。そして、口を開ける。
「お前何して、」
次の行動を予測したマリオが驚愕する。だがそんなこと、普通はするはずがない。
しかし、そんな『普通』を嘲笑うかのように、女は迎え舌で、キーを丸ごと飲み込んだ。
「ごちそうさま♡」
こんな行動、マリオが発射するダークキーが、概念上のものと知っていなければできない。──もしくは命知らずの狂人だ。
この世のほとんどが『どーでもいい』彼が、彼女に問わずにはいられなかった。
「お前、何モンだ」
問われた女が、少しずつ、ゆっくりと、マリオに近付いていく。
「私は貴方の、今までの全てを知っている。今日初めてライブをしたことも、この間この辺りで起きたゾンビ事件の原因であることも、香田澄あまりに因縁があることも」
並べられる言葉と共に、マリオの目が見開かれていく。
「めがボーイ《クソガキ》にセンス笑われて傷付いてたけど、今日は平気そうだったね。『魔王』としての記憶を思い出したから? それとも、我慢してたの?」
「お前……お前は……」
マリオはギターを握ったまま、慄く。
女は、答えた。
「私は***。私は、貴方に会うためだけにここに来た」
***と名乗る女が、さらにマリオに近付く。
「私と一緒に、この世界を滅ぼしましょう。マリオ様。」
「一緒に世界を滅ぼすっつったって……」
「私はマリオ様が『魔王』としてご活躍されるためなら、なんだってしますよ。女子プリへの偵察でもパシリでも、なんでも」
「…………」
マリオは***と名乗った者を見下ろす。恭しい態度でありながらその瞳は、どこか底知れない。
「まあ、部下の1人や2人いた方が、便利かもな」
「ありがとうございます」
「ならとりあえず俺は寝直す。お前はまあ……テキトーにしてろ」
「承りました。では、マリオ様がご就寝の間、警備を務めさせていただきます」
「そんなことしろとは……、はーもうどーでもいいぜ……」
マリオは脱力してギターを置き、ソファに再び体を沈めた。
「おやすみなさいませ」
意識を手放す直前、***の姿と声がマリオを包み込んだ。
朝起きると宣言通り、***はマリオのそばで控えていた。
「おはようございます、マリオ様」
「お前、本当に夜通し起きてたのか」
「? はい」
「……夜中に忍び込んでる奴には今更か。俺は今日もその辺のヤツらを『ロック』してくる。ついてくるなら、面倒だからバレねえようにしろよ」
「その件ですが、私は一度プリパラを離れます。外での生活がありますので……。申し訳ございませんが、戻ってくるのは夕方となります」
「なんだよ。……なんだっけか、ボー、カ……? ──そういうやつらはずっとここにいられるらしいんだがな」
「私も、そうなれる方法を探っております」
「そうすりゃいつでもこの俺の姿を見放題だな。夕方ぐらいにはライブも終わるから、ここで待っといてやるよ」
「勿体ないお言葉……なるべく急いで戻ってきます!」
***はそう言うと、獣のような速さで飛び出していった。
「……訳分かんねー上に、忙しねーやつ」
マリオはひとりごちた。
プリパラの空が橙に染まる。閉園時間も迫り、辺りは別れを惜しむムードで満ちている。
しかしダンプリズンのマリオは違った。ソファの背もたれに両腕を乗せ、脚を組んでふんぞりかえる。
その時、ヒールがカツカツと鳴る音が聞こえた。
「遅くなって申し訳ございません!」
はぁはぁと息を切らしている***が扉にもたれかかる。その手には、ブランド名が書かれたビニールのショップバッグが握られている。
「なんだそれ」
「チョコレートです! プリパラの外で買ってきました! お好きかなと思って……」
「気が効くじゃねぇか」
よろよろと歩く***からバッグを受け取ると、マリオは間髪入れずに中身を出した。
中から出てきたのは、リボンで包装された箱だった。
「馴染みのねぇタイプだな」
「そうですか?」
そう言いながら、***はマリオの隣に座る。
「あ、駄目ですか……? 一緒に食べようと思って……」
「別に。お前が買ってきたモンだろ」
「ありがとうございます。私も好きなんです、チョコレート」
「なんだ、気が合うな」
マリオはリボンをするりと解く。解けたそれを放ると、あっさりと箱の蓋を開いた。
中には、チョコレートを保護するための厚紙があった。
「?」
「紙取ってください、紙」
「おん」
そうしてようやく、チョコレートの粒が姿を現した。
「やっぱり見たことねータイプだな」
「おいしいですよ。食べてみてください」
「これ味違うのか?」
「はい。さっきの紙に乗ってた、ちっちゃい冊子みたいなのに味が書いてあります」
「これか。ふーん……」
小さな二つ折りの冊子を開くと、それぞれのチョコレートの味の解説が記されていた。どれも専門的な単語を用いて、格式高く、美味であることを予感させている。
「どーでもいいぜ」
しかしマリオは、一つ目の説明に目を滑らせる途中で冊子を投げた。
「全部食っていきゃ同じだろ」
「そうですね」
そうしてマリオは、チョコレートが入った小箱の、左上端の粒を口に運んだ。箱の中で最も色が黒に近い、ビターなものだ。
歯で割ると、華やかなカカオの香りが広がる。シンプルにチョコレートそのものの味わいを感じられるものだ。
「ん、ウマい」
同じように、***もマリオが先程つまんだものと同じフレーバーを口に含む。***の表情が柔らかくなる。
マリオは無遠慮に、スナック菓子と同じ要領でチョコレートを食べていく。同じペースで食す***は、マリオがあくまでいつも通り振る舞っているであろうことを理解しつつも、少し不安になっていた。
「お」
ふとマリオが手を止める。見れば箱の中身は、残り一粒となっていた。
「これは2つないみたいだな」
「そうですね、……」
マリオは***をじっと見つめる。
「どうすんだ?」
***の脳裏に、よからぬ提案が駆け巡る。……が、流石に***も、この出会ってからの時間の浅さで、それを言ってしまえる胆力はなかった。
***は箱をそっとマリオの膝から取り、生贄を捧げるかのようにマリオに差し出した。
「お、お食べください……」
偶然にもそれは、真っ赤なハートの形をしていた。
マリオは無言で、紙のカップから音を立ててつまみ、チョコレートを口に放り込む。噛んだ瞬間、甘酸っぱいベリーソースが弾ける。ミルク多めのチョコレートと溶け合い、甘さと酸っぱさが混じり合う。
雫となったチョコレートを飲み干したマリオは、機嫌良く言った。
「また買ってこい」
「あ……ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げる***。その頭頂部に、何かが生える。
「ん?」
「?」
毛で覆われた、やや縦長の一対の三角形。***は何事もない顔をしているが間違いない、頭から獣の耳が生えている。
「なんだこれ」
「ッ!!?」
マリオは無遠慮にそれを掴む。瞬間、***の体が跳ねる。
「耳? 猫とか犬みてーな……なんでこんなもんが?」
「あ、あの、このコーデ、というかアクセが、感情が昂ると犬の耳と尻尾が生えるみたいで、」
「尻尾? 尻尾も生えてんのか?」
見ると、腰の辺りからふさふさとした尻尾が生えており、気付かなかったのが不思議なぐらいブンブン揺れている。そちらもマリオは勢いよく掴む。
「ッ!!」
「本物みたいだな」
毛は作り物のファーとは違う柔らかさを持ち、生き物を触った時のようなあたたかさがある。
「たぶん、実質本物なんだと……。さ、触られてる感覚が、あるので……」
そう言う***の顔は、いつの間にやら真っ赤になっていた。
「じゃあ耳どーなってんだよ」
「あっ耳はこっちだけで聞こえてますよ。こっちは触られる感覚だけです」
尻尾を離された***は少し冷静になって、人間の耳だけで聞こえていることを示した。
「じゃあ本当に飾りか。変な技術使ってんな」
「っひッ」
再びマリオの手が***の犬耳に伸びる。マリオはしっかり指で掴んで、そのままつまみ上げた。
「痛い痛い痛い!」
「おー、本当に生えてやがる。取れねえ」
「そ、そうみたいですね。確認も済みましたしもう……」
「いや尻尾の方が訳わかんねーだろ。生えてるならどうやって服貫通してんだ? スカートに穴でも開いてんのか?」
「どっ、どーでもいいでしょうそんなこと! マリオ様がお気になさることではないのでは!?」
***はさっと、スカートの後ろを押さえて抗議する。それに対して、マリオは語り始めた。
「そうだ、どーでもいいことだ。……だがな、昨日俺の質問はぐらかしやがっただろ。『部下です』っつーならなんで正直なことを話せねえ? ……俺に対して、何か考えてることがあるってことだろ」
マリオの鋭い眼光に、***はたじろぐ。
「それが何であろうと、俺にマイナスにならなきゃどーでもいい。でも俺より下の立場のお前が、俺に対してコソコソ画策して、内心ほくそ笑む。これは良くないよなぁ?」
***の心臓が、ドキドキと高鳴る。
「……そっ、それが私の尻尾を触ることに、どうつながるっていうんです?」
「俺は上! お前は下! はっきりさせるためには、お前の策略を見逃す代わりに、何かアドバンテージがねえとなぁ?」
「いやいやいや、おかしいですって! それでも、それとこれとは話が……」
「ただでさえお前は俺の『ロック』が効かねえ、ムカつくことにな。いざという時即お前を御する手段がないのは──まあどうとでもできるが──何か不便があるかもな。……どうもさっきから、普通に触ってるだけなのに様子がおかしいよな? さては……」
***の胸が更に高鳴りを増す。尻尾が勝手に揺れる。
「その耳と尻尾、弱ぇんだろ?」
マリオの逞しい指が、再び***の耳と尻尾に伸びていく。
「そっ……そんなことは……」
「嘘なんかついてもバレてんだよ」
マリオの右手が、耳の内側の毛の薄い部分を、すり、と撫でる。そして左手が、豊かな毛の尻尾を持ち上げる。
「やめっ……やめてください……」
「やめろと言われてやめるかよ」
こういった返しをされることは、***の想定内だった。だからこそ困るのだ。
ぞわぞわと、本来、こんなに早くあってはならない感覚が***の体に伝わる。***の両手が、行き場をなくして彷徨う。尻尾を掴んだマリオは、もう片方の手で付け根の辺りを弄っていた。
「やっぱり穴が空いてんだな。でもさっきまでこんなもん無かったよな? 生える時だけ空くのか?」
***の顔が、熟れた林檎のように真っ赤に染まっていく。
「っ〜〜〜〜マリオ様っ!!」
突如大きな声を出した***に、マリオは少々目を丸くする。
「そんなにくすぐってぇのか?」
「くすっ……!?」
マリオの言葉に、***は衝撃を受ける。そして***は、大幅に声のトーンを落として言った。
「あの……一回ちょっと、耳を貸してほしいんですけど」
「は? なんでだよ」
「大きい声で言いたくないことなんです!!」
「そんなことあるか? 普通に言えよ」
「……じゃあ、言いますけど」
***の態度の変化に、マリオもなんとなく耳と尻尾を離す。
「マリオ様。その……性知識って、ありますか?」
「あるぜ。セックスのことだろ」
「そうです。どういうことするかは分かりますか?」
「チンコをマンコに入れんだろ。嘗めてんのか?」
「……それ以外は?」
「それ以外? それ以外になんかあるか?」
「……じゃあ、恋愛感情ってありますか……?」
「あんまり分かんねーな」
マリオの答えに、***はがっくりと肩を落とす。
「それがどーかしたのかよ」
「マリオ様…………。絶ッッ対に、私以外をこんなに触ったりしないでくださいね!!」
***は小型犬が吠えるように、マリオに強く言った。
そこでマリオは、あることに気付く。
「あ、そうか。お前、俺のことが好きだからこんなに色々してんのか」
「〜〜〜そうですよ!!!」
***は半ば叫んで言う。
「ま、どーでもいいぜ。とりあえずこれ捨ててこい」
マリオは先程投げたリボンや紙を取って、***の膝の上の空き箱に放る。
「この辺の時間は暇なんだよ。だから早く帰ってこいよ」
「はい……」
脱力した様子の***だが、言われるままに空き箱を持って扉へと向かう。
「クソガキどもにバレるなよー」
マリオの声を背中に受けながら、***は長いダンプリズンの階段を降りていく。
めがボーイを警戒しながらゴミ捨てを終えた***は、ふと気付く。
(『暇だから早く帰ってこい』って、マリオ様に必要とされてる?)
その事実を意識した瞬間、なくなっていた犬耳と尻尾が生え、***はダッシュでダンプリズンに戻った。
「マリオ様! ただいま戻りました! 何をいたしましょう!?」
「なんでそんなテンション上がってんだ? ……まあいいや。ならまずは、面白い話の一つでもしてみろ」
ふたりの夜が、深まり始める。
それは現在のバージョンである『アイドルランド』にアップデートする際、『閉園時間』という決まりが生まれたせいでもある。
これにより、夜のプリパラはシステムと、マスコットと、ボーカルドールと……そして、歪みによって生まれた、闇の存在のための場所となっている。
しかし人ならざる彼らも、夜は基本的に休息を取る傾向にある。ヴァーチャルの存在でも、感覚は人間とそう変わらないからだ。
そんな夜の静寂を、破る音があった。
カツ、カツ、とヒールが地面を叩く音。それは四方八方に反響し、聴覚を支配する。
それが鳴る場所はダンプリズン。かつて牢獄として使われた、さびれた廃墟。今はもう、誰も寄り付かない。────闇の存在以外は。
「…………」
最上階、扉が開け放たれたその部屋で、男は目を開ける。ベッド代わりの古びたソファ。髪は無造作っぽく整えられ、レザーのジャケットを身に纏う。彼こそがダークアイドル、マリオだ。彼はその日初めてのライブを終え、満足の中休んでいた。
その足音は、マリオの耳に容易く届いた。魔王たる能力を持つ彼からしてみれば、どんな人物が訪れようと、警戒なぞする意味がなかった。マリオは寝そべったまま、鳴り続ける足音を聞いていた。
そしてその足音は、遂にマリオのいる最上階へとやってきた。迷いのない足取り。目的があるに違いない。ヒールの音は、段々と強く大きくなっていく。最後には、壁を隔てない、生の音を耳に運んだ。
扉の前に、音の主がやってきた。その人物は、うすら笑みを浮かべており、そして──女だった。メイド風のコーデを着ている。
まだプリパラのルールに疎いマリオでも分かる。これは恐らく異常事態だ。
億劫だが体を起こしたマリオは、目の前の人物に問いかける。
「ここの……男プリとかいうのには、女はいないんじゃないのか。というか今の時間だと、閉園時間ってのを過ぎてるんだろ?」
すると女は、悠然と返事をした。
「ルールを破るのがどれだけ簡単かなんて、貴方の方がよく知ってるんじゃない?」
「…………」
こいつには対処をすべきだ。そう判断を下したマリオは、己のギターに手をかける。
「ロッキュー!」
ギターの先端から、マリオのダークキーの複製が射出される。これを身に受けた者は、誰であろうと無気力な状態になる。
はずだった。
「っ?!」
確かにマリオのキーは、女の胸元に現れた、心の象徴であるマイクに突き刺さった。しかしどんなにキーを回しても、手応えがない。
女の様子も、本来ならぐったりと脱力するはずが、何も変わる様子がない。
マリオの頬に、一筋の驚きの汗が垂れる。
「ふふ……私には効かない。貴方と同じで、この世界そのものが『どーでもいい』から」
そう言うと女は、マイクに突き刺さったキーを掴んだ。
「!!」
マリオが『ロック』する際のマイクとキーは、あくまで概念上のものだ。普通の人間には、知覚することはできないはずだ。
しかし目の前の女は、確実にマリオのキーを、自らの手で引き抜いた。
女の、マリオより小さい手に、ダークキーが握られる。女はそのキーを、確かめるように、じっと見つめて、撫でるように擦る。マリオはその様子を、警戒まじりに眺める。
突然、女は上を向き、キーを頭の上で摘んだ。そして、口を開ける。
「お前何して、」
次の行動を予測したマリオが驚愕する。だがそんなこと、普通はするはずがない。
しかし、そんな『普通』を嘲笑うかのように、女は迎え舌で、キーを丸ごと飲み込んだ。
「ごちそうさま♡」
こんな行動、マリオが発射するダークキーが、概念上のものと知っていなければできない。──もしくは命知らずの狂人だ。
この世のほとんどが『どーでもいい』彼が、彼女に問わずにはいられなかった。
「お前、何モンだ」
問われた女が、少しずつ、ゆっくりと、マリオに近付いていく。
「私は貴方の、今までの全てを知っている。今日初めてライブをしたことも、この間この辺りで起きたゾンビ事件の原因であることも、香田澄あまりに因縁があることも」
並べられる言葉と共に、マリオの目が見開かれていく。
「めがボーイ《クソガキ》にセンス笑われて傷付いてたけど、今日は平気そうだったね。『魔王』としての記憶を思い出したから? それとも、我慢してたの?」
「お前……お前は……」
マリオはギターを握ったまま、慄く。
女は、答えた。
「私は***。私は、貴方に会うためだけにここに来た」
***と名乗る女が、さらにマリオに近付く。
「私と一緒に、この世界を滅ぼしましょう。マリオ様。」
「一緒に世界を滅ぼすっつったって……」
「私はマリオ様が『魔王』としてご活躍されるためなら、なんだってしますよ。女子プリへの偵察でもパシリでも、なんでも」
「…………」
マリオは***と名乗った者を見下ろす。恭しい態度でありながらその瞳は、どこか底知れない。
「まあ、部下の1人や2人いた方が、便利かもな」
「ありがとうございます」
「ならとりあえず俺は寝直す。お前はまあ……テキトーにしてろ」
「承りました。では、マリオ様がご就寝の間、警備を務めさせていただきます」
「そんなことしろとは……、はーもうどーでもいいぜ……」
マリオは脱力してギターを置き、ソファに再び体を沈めた。
「おやすみなさいませ」
意識を手放す直前、***の姿と声がマリオを包み込んだ。
朝起きると宣言通り、***はマリオのそばで控えていた。
「おはようございます、マリオ様」
「お前、本当に夜通し起きてたのか」
「? はい」
「……夜中に忍び込んでる奴には今更か。俺は今日もその辺のヤツらを『ロック』してくる。ついてくるなら、面倒だからバレねえようにしろよ」
「その件ですが、私は一度プリパラを離れます。外での生活がありますので……。申し訳ございませんが、戻ってくるのは夕方となります」
「なんだよ。……なんだっけか、ボー、カ……? ──そういうやつらはずっとここにいられるらしいんだがな」
「私も、そうなれる方法を探っております」
「そうすりゃいつでもこの俺の姿を見放題だな。夕方ぐらいにはライブも終わるから、ここで待っといてやるよ」
「勿体ないお言葉……なるべく急いで戻ってきます!」
***はそう言うと、獣のような速さで飛び出していった。
「……訳分かんねー上に、忙しねーやつ」
マリオはひとりごちた。
プリパラの空が橙に染まる。閉園時間も迫り、辺りは別れを惜しむムードで満ちている。
しかしダンプリズンのマリオは違った。ソファの背もたれに両腕を乗せ、脚を組んでふんぞりかえる。
その時、ヒールがカツカツと鳴る音が聞こえた。
「遅くなって申し訳ございません!」
はぁはぁと息を切らしている***が扉にもたれかかる。その手には、ブランド名が書かれたビニールのショップバッグが握られている。
「なんだそれ」
「チョコレートです! プリパラの外で買ってきました! お好きかなと思って……」
「気が効くじゃねぇか」
よろよろと歩く***からバッグを受け取ると、マリオは間髪入れずに中身を出した。
中から出てきたのは、リボンで包装された箱だった。
「馴染みのねぇタイプだな」
「そうですか?」
そう言いながら、***はマリオの隣に座る。
「あ、駄目ですか……? 一緒に食べようと思って……」
「別に。お前が買ってきたモンだろ」
「ありがとうございます。私も好きなんです、チョコレート」
「なんだ、気が合うな」
マリオはリボンをするりと解く。解けたそれを放ると、あっさりと箱の蓋を開いた。
中には、チョコレートを保護するための厚紙があった。
「?」
「紙取ってください、紙」
「おん」
そうしてようやく、チョコレートの粒が姿を現した。
「やっぱり見たことねータイプだな」
「おいしいですよ。食べてみてください」
「これ味違うのか?」
「はい。さっきの紙に乗ってた、ちっちゃい冊子みたいなのに味が書いてあります」
「これか。ふーん……」
小さな二つ折りの冊子を開くと、それぞれのチョコレートの味の解説が記されていた。どれも専門的な単語を用いて、格式高く、美味であることを予感させている。
「どーでもいいぜ」
しかしマリオは、一つ目の説明に目を滑らせる途中で冊子を投げた。
「全部食っていきゃ同じだろ」
「そうですね」
そうしてマリオは、チョコレートが入った小箱の、左上端の粒を口に運んだ。箱の中で最も色が黒に近い、ビターなものだ。
歯で割ると、華やかなカカオの香りが広がる。シンプルにチョコレートそのものの味わいを感じられるものだ。
「ん、ウマい」
同じように、***もマリオが先程つまんだものと同じフレーバーを口に含む。***の表情が柔らかくなる。
マリオは無遠慮に、スナック菓子と同じ要領でチョコレートを食べていく。同じペースで食す***は、マリオがあくまでいつも通り振る舞っているであろうことを理解しつつも、少し不安になっていた。
「お」
ふとマリオが手を止める。見れば箱の中身は、残り一粒となっていた。
「これは2つないみたいだな」
「そうですね、……」
マリオは***をじっと見つめる。
「どうすんだ?」
***の脳裏に、よからぬ提案が駆け巡る。……が、流石に***も、この出会ってからの時間の浅さで、それを言ってしまえる胆力はなかった。
***は箱をそっとマリオの膝から取り、生贄を捧げるかのようにマリオに差し出した。
「お、お食べください……」
偶然にもそれは、真っ赤なハートの形をしていた。
マリオは無言で、紙のカップから音を立ててつまみ、チョコレートを口に放り込む。噛んだ瞬間、甘酸っぱいベリーソースが弾ける。ミルク多めのチョコレートと溶け合い、甘さと酸っぱさが混じり合う。
雫となったチョコレートを飲み干したマリオは、機嫌良く言った。
「また買ってこい」
「あ……ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げる***。その頭頂部に、何かが生える。
「ん?」
「?」
毛で覆われた、やや縦長の一対の三角形。***は何事もない顔をしているが間違いない、頭から獣の耳が生えている。
「なんだこれ」
「ッ!!?」
マリオは無遠慮にそれを掴む。瞬間、***の体が跳ねる。
「耳? 猫とか犬みてーな……なんでこんなもんが?」
「あ、あの、このコーデ、というかアクセが、感情が昂ると犬の耳と尻尾が生えるみたいで、」
「尻尾? 尻尾も生えてんのか?」
見ると、腰の辺りからふさふさとした尻尾が生えており、気付かなかったのが不思議なぐらいブンブン揺れている。そちらもマリオは勢いよく掴む。
「ッ!!」
「本物みたいだな」
毛は作り物のファーとは違う柔らかさを持ち、生き物を触った時のようなあたたかさがある。
「たぶん、実質本物なんだと……。さ、触られてる感覚が、あるので……」
そう言う***の顔は、いつの間にやら真っ赤になっていた。
「じゃあ耳どーなってんだよ」
「あっ耳はこっちだけで聞こえてますよ。こっちは触られる感覚だけです」
尻尾を離された***は少し冷静になって、人間の耳だけで聞こえていることを示した。
「じゃあ本当に飾りか。変な技術使ってんな」
「っひッ」
再びマリオの手が***の犬耳に伸びる。マリオはしっかり指で掴んで、そのままつまみ上げた。
「痛い痛い痛い!」
「おー、本当に生えてやがる。取れねえ」
「そ、そうみたいですね。確認も済みましたしもう……」
「いや尻尾の方が訳わかんねーだろ。生えてるならどうやって服貫通してんだ? スカートに穴でも開いてんのか?」
「どっ、どーでもいいでしょうそんなこと! マリオ様がお気になさることではないのでは!?」
***はさっと、スカートの後ろを押さえて抗議する。それに対して、マリオは語り始めた。
「そうだ、どーでもいいことだ。……だがな、昨日俺の質問はぐらかしやがっただろ。『部下です』っつーならなんで正直なことを話せねえ? ……俺に対して、何か考えてることがあるってことだろ」
マリオの鋭い眼光に、***はたじろぐ。
「それが何であろうと、俺にマイナスにならなきゃどーでもいい。でも俺より下の立場のお前が、俺に対してコソコソ画策して、内心ほくそ笑む。これは良くないよなぁ?」
***の心臓が、ドキドキと高鳴る。
「……そっ、それが私の尻尾を触ることに、どうつながるっていうんです?」
「俺は上! お前は下! はっきりさせるためには、お前の策略を見逃す代わりに、何かアドバンテージがねえとなぁ?」
「いやいやいや、おかしいですって! それでも、それとこれとは話が……」
「ただでさえお前は俺の『ロック』が効かねえ、ムカつくことにな。いざという時即お前を御する手段がないのは──まあどうとでもできるが──何か不便があるかもな。……どうもさっきから、普通に触ってるだけなのに様子がおかしいよな? さては……」
***の胸が更に高鳴りを増す。尻尾が勝手に揺れる。
「その耳と尻尾、弱ぇんだろ?」
マリオの逞しい指が、再び***の耳と尻尾に伸びていく。
「そっ……そんなことは……」
「嘘なんかついてもバレてんだよ」
マリオの右手が、耳の内側の毛の薄い部分を、すり、と撫でる。そして左手が、豊かな毛の尻尾を持ち上げる。
「やめっ……やめてください……」
「やめろと言われてやめるかよ」
こういった返しをされることは、***の想定内だった。だからこそ困るのだ。
ぞわぞわと、本来、こんなに早くあってはならない感覚が***の体に伝わる。***の両手が、行き場をなくして彷徨う。尻尾を掴んだマリオは、もう片方の手で付け根の辺りを弄っていた。
「やっぱり穴が空いてんだな。でもさっきまでこんなもん無かったよな? 生える時だけ空くのか?」
***の顔が、熟れた林檎のように真っ赤に染まっていく。
「っ〜〜〜〜マリオ様っ!!」
突如大きな声を出した***に、マリオは少々目を丸くする。
「そんなにくすぐってぇのか?」
「くすっ……!?」
マリオの言葉に、***は衝撃を受ける。そして***は、大幅に声のトーンを落として言った。
「あの……一回ちょっと、耳を貸してほしいんですけど」
「は? なんでだよ」
「大きい声で言いたくないことなんです!!」
「そんなことあるか? 普通に言えよ」
「……じゃあ、言いますけど」
***の態度の変化に、マリオもなんとなく耳と尻尾を離す。
「マリオ様。その……性知識って、ありますか?」
「あるぜ。セックスのことだろ」
「そうです。どういうことするかは分かりますか?」
「チンコをマンコに入れんだろ。嘗めてんのか?」
「……それ以外は?」
「それ以外? それ以外になんかあるか?」
「……じゃあ、恋愛感情ってありますか……?」
「あんまり分かんねーな」
マリオの答えに、***はがっくりと肩を落とす。
「それがどーかしたのかよ」
「マリオ様…………。絶ッッ対に、私以外をこんなに触ったりしないでくださいね!!」
***は小型犬が吠えるように、マリオに強く言った。
そこでマリオは、あることに気付く。
「あ、そうか。お前、俺のことが好きだからこんなに色々してんのか」
「〜〜〜そうですよ!!!」
***は半ば叫んで言う。
「ま、どーでもいいぜ。とりあえずこれ捨ててこい」
マリオは先程投げたリボンや紙を取って、***の膝の上の空き箱に放る。
「この辺の時間は暇なんだよ。だから早く帰ってこいよ」
「はい……」
脱力した様子の***だが、言われるままに空き箱を持って扉へと向かう。
「クソガキどもにバレるなよー」
マリオの声を背中に受けながら、***は長いダンプリズンの階段を降りていく。
めがボーイを警戒しながらゴミ捨てを終えた***は、ふと気付く。
(『暇だから早く帰ってこい』って、マリオ様に必要とされてる?)
その事実を意識した瞬間、なくなっていた犬耳と尻尾が生え、***はダッシュでダンプリズンに戻った。
「マリオ様! ただいま戻りました! 何をいたしましょう!?」
「なんでそんなテンション上がってんだ? ……まあいいや。ならまずは、面白い話の一つでもしてみろ」
ふたりの夜が、深まり始める。