おやすみ おはよう
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ため息よりかすかな、小さな小さな寝息。
蝋燭をそっと吹き消す程度の空気の揺れだから、この大きな身体を通ってちゃんと肺まで届くのか心配になってしまう。
シーツに沈んだ彼の顔は、海色の髪が隠して寝顔を見ることは出来ない。
そっとその髪に指を絡める。つくりものみたいに、きれいな髪。ひんやりとした頬に触れる。何度触れても、その冷たさに驚いた肌。
コロンは、私の知らない香りだった。かつて愛用していたものとは違うものをつけてるのだろう。
その馴染みのない香りが、二人の間にぽっかり生まれたとても長い時間の存在を示してるみたい。
窓から射し込む朝日はやわらかく、小鳥たちの歌声と共にかぐわしい緑の香りを運んでくる。
彼と私で選んだこの場所。自然豊かで、生活に困らない程度には栄えていて、お散歩するにはちょうどいい範囲に植物園や図書館のある街。
大きな窓が沢山ある家は朝になれば方方からまろやかなひかりが差し込んで。
彼がミルクを落としたこっくりとした紅茶を淹れて、私がフライパンに卵を割り入れる。
光の中で、あたたかい朝食をとって。そんな日々を過ごしていた。
私が消えてから、この家で彼はたった一人、どんな朝を迎えていたんだろう。
喪失を抱えながら見る朝日は、眩しすぎなかっただろうか。かなしみにいたむ心に、小鳥の歌声は煩くなかっただろうか。
私は帰ってきた。
世界の真理も、摂理もよく分からないけれど、とにかく私は再び彼に会うことができて、二人で過ごすためのこの家に、帰ってきた。
私の姿を見た彼は、一度だけ瞬きをして。
そしてスローモーションみたいに大きな身体が私の目の前で崩れ落ちた。
彼が泣くところを初めて見たけれど、とても静かに、涙を流していた。
嗚咽をあげるわけでも、身体を震わせるわけでもなく。ただただ、透明な雫を幾筋も幾筋もこぼして。
でも、その静けさの向こうに私は海のうねりを見た。渦潮の音を聞いた。荒波の激しさを見た。凪のようなあきらめも滲んでいた。
彼は泣きながら私をただ抱きしめて、離したら消えてしまうとでも言うかのようにきつく抱きしめて。そして二人で眠った。
ただいまも、言わせてもらえなかったな。
もう一度頬に触れると、彼がかすかに身じろぎした。きっともうすこしで目覚めるだろう。そうしたら、まずは腫れてしまった瞼にキスをして。それから。
「おはよう、愛しいひと」
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