調香師のノート RecipeⅢ ルチル
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西の国のとある酒場で、私は興味深い魔法使いの図書室の話を聞いた。西の国の住人はとにかく好奇心が旺盛だ。旅人である私を見かけるやいなや、あっという間に酒を奢られ、身の上話を強請られる。最初はその独特の距離感に困惑したものだが、かつての賢者の魔法使いたちの逸話を集める私にとっておしゃべり好きの彼らはありがたい情報提供者であった。
とはいえ冗談好きの彼らの話を夜明けまで真剣に聞いた末、すべて作り話であることを「面白かったろう?」と悪意なく告げられることも度々あった。
ある夜訪れた酒場は上質な酒とつまみを提供する、西の国の中では静かな店で、魔法使いも人間も、客たちはみな程よく嗜むように美酒に舌鼓をうっていた。そこで隣のカウンター席に座った紳士から、魔法使いの図書室の話を聞いたのだった。
「変わり者の魔法使いの図書室です。ええ、西の国の住人で変わっていない人なんていないと言いたいのでしょう?分かりますよ。ここは、愛すべき変わり者の国だ。その魔法使いは、玩具を愛していました。子どもたちが夢中になる積み木やパズル、ぬいぐるみに人形、模型……人によってはガラクタでしかないそれらにその人は長い人生の時間も、お金もすべて惜しみなく注ぎ、世界中から様々な玩具を蒐集した」
「かつて厄災と言われた月に恋した魔法使いがいた国です。玩具に魅了された魔法使いがいても驚きませんよ。しかし、図書室の話でしたが……その魔法使いは本ではなく玩具の蒐集していた?」
「そう、焦らないでください。夜はまだ長い。魔法使いは世界中から玩具を集めるのと同時に、その玩具の見てきたものを、書き留めていたのです。魔法使いが集めた玩具の中には古い古い時代から何世代にも渡って受け継がれてきたものもあった。その玩具が記憶した景色、様々な時代の子供たちの日々、暮らし、人生を彼は物語の形にして、自宅に保管していたのですよ」
「玩具の、記憶……それはまたお伽噺話めいていますね」
「担いでいるわけではありません。僕も西の国の住人ですから冗談は大好きですが、これは本当の話ですよ。その魔法使いの自宅─最初に話した図書室は、今でもこの西の国に存在しているのですから。数え切れないほどの玩具の記憶の中に、もしかしたらあなたがお探しの賢者の魔法使いたちの記憶も存在しているかもしれない、どうです?」
「確かに、可能性はありますね。その魔法使いと、件の図書室の場所を教えていただくことはできますか?」
「魔法使いに会うことは残念ながら出来ません。もう何年も前に石になってしまった。だが図書室はまだあります。場所もお教えしましょう。……しかし、入れるかどうかの保証は、僕にはできません」
「どういうことです?なにか結界でも張っているとか、」
「そんな禍々しい話じゃないですよ。今でも子供たちが出入りする場所ですから。しかし、入室条件がちょっとばかし変わっているのです。魔法使いは自分が石になる直前、置き手紙を残しました。
《この場所を、私が残した金貨の尽きぬうちはこのまま残し続けること。この中にある、私が玩具から蒐集した物語は、この場所に立ち入った者なら誰でも自由に読むことを許可する》」
「誰でも自由に立ち入ることではなく、立ち入った者は誰でも自由に、なのですね」
「鋭いですね。そう、手紙には続きがあります。
《この場所に私はある魔法をかけた。玩具を友人のように愛するような、童心を持つ者だけに扉が開かれる魔法である。どんなに幼い者でも童心を失っていてはこの扉をくぐることは出来ず、またどんなに老いていても童心を失っていなければこの扉をくぐることができる。心の中の、ほんの一欠片だけで良い。小さな一欠片であっても、童心を生かし続けている者たちへの敬意を込めて、彼らへのサンクチュアリとしてこの場所を残す》
その手紙と、向こう数百年は小さな家を維持できるだろうという沢山の金貨を残して、魔法使いは石になりました」
紳士はそう語ると、手元のグラスのワインを傾けて一口飲み下す。天井から吊るされたチューリップ型のランプシェードの薄明かりに、彼の上品な目元が反射して、どことなくいたずらっぽく輝いた。
「西の国の住人はみな面白いことが大好きです。胸が躍ること、高鳴ること、歌やダンスはもちろん、例えば賭け事のようなスリルを伴うこともそれはもう愛しています。だからこの図書室は、大人の間ではちょっとした賭けの対象になっているのですよ。どうです、僕と賭けをしませんか?あなたがその図書室に入れるか否か。あなたは入れる方に、僕は入れない方に賭けましょう」
「……賭け金は?」
「お金なんて無粋なものはやめましょう。童心が試される賭けなのですから!そうですね、あなたが勝ったら、その中で読んだ本の物語を私に聞かせてください。僕が勝ったら、僕とまたここで飲む。童心を失った哀れな大人として、酒で羽目を外しましょう」
「賭けになっていない気もしますが、どちらに転んでも愉快そうです。その賭け、乗りましょう」
「そうおっしゃってくれると思いました。実はね、そういう条件の図書室ですから、子供たちは大抵の者が入れます。私たち大人は、その子供から読んだ物語を聞くのが通例なのですよ。もちろん稀に、大人で入室できた者からも。この図書室の面白いところは、何度でもリベンジ可能というところ。一度弾かれても、何度だって挑戦できる。大人になって、童心を失ったらもう二度と戻らないとは限らない、きっかけがあればどんな人でもまた童心を蘇らせることができるだろうというのが、その魔法使いの主張でした。夢を見続ける、追い続けることは難しい。けれど不可能ではないのだ、どんなひとにもいつだって、見ようとすれば見れる世界がすぐ傍に、とね」
翌日紳士の案内ので訪れた図書室は、こじんまりとした二階建ての建物だった。
扉の両隣に設えられた出窓から覗くと、壁面に造り付けられた棚という棚にありとあらゆる玩具と数え切れないほどの書物が並んでいるのが見える。
紳士は、結果を待つのも楽しみなので、と笑い、私が扉に手を掛ける前に立ち去った。
残された私は、奇妙な高揚感と落ち着かない不安感で高鳴る鼓動を静めるため一度深呼吸をし、いよいよ扉に手を掛けた。
ぎ、とかすかに軋む音を立てて扉が開かれる。私は驚きと安堵と喜びが綯い交ぜになった心地で、恐る恐る扉の向こうへ足を踏み出した。
子供の時にこの部屋を見たら、歓喜の声を挙げただろう。否、大人になった今でも、私の心はやはり歓喜に高鳴っていた。所狭しと並べられた、懐かしい或いは珍しい玩具たち。一生かかっても読み切れない数の書物。あるものは今にも壊れそうなほど古く、あるものはまだ買ったばかりのように新しい。しかしどれも、どことなくあたたかいような不思議な質感の空気を携えている。これで遊んだ誰かのぬくもりの記憶が、玩具たちをふわりと包んでいる。
扉のすぐ横の戸棚に置かれた回転木馬のオルゴールを手に取り螺子を廻す。かすかに錆びれてはいるものの可憐な音が鳴った。時おり混ざる音割れもどこかノスタルジックで、ゆったりとしたワルツの音色を聴きながら、私は室内を見て回ることにした。
ビロードのうさぎ、兵隊人形、機械仕掛けの汽車、いくつかのカードが欠けているらしいトランプ、抱き上げられるのを待っているかのように愛らしく腕を上げたお世話人形。小さく、儚く、役に立たないけれど、唯一無二の友人だったものたち。カラフルなプラスティックの香水瓶レプリカを見つけたとき、思わず微笑んでしまった。この玩具の記憶の物語が気になり、書物を探そうと手を伸ばした時。ふと、私の視界に小さな絵画が映った。
それはやわらかな筆致の水彩画で、どこかの令嬢のように美しく上質な衣服をまとった人形と、触わって抱きしめたくなるような毛並みのテディベアがまるで内緒話でもするように寄り添って座っている姿を描いた小さな作品だった。
子供なら誰でも欲しがるに違いない。目が合えば、きっと良い友人になると信じられるような、やさしさとあたたかさを携えた美しい人形とテディベアの絵。この絵に描かれた二人が近くに飾られているのではないかと、棚に視線を遣ったが、彼らは絵の中にしか存在していないようだった。
だが、額縁に立てかけるように置かれた一冊の本
がある。
予感めいたものを覚えて、そっとその本を手に取った。
春を告げる鳥のようにやわらかな緑の表紙。
そこには、金色の飾り文字で『賢者の魔法使いとさみしくなくなった人形アビゲイルのお話』と書かれていた。
とはいえ冗談好きの彼らの話を夜明けまで真剣に聞いた末、すべて作り話であることを「面白かったろう?」と悪意なく告げられることも度々あった。
ある夜訪れた酒場は上質な酒とつまみを提供する、西の国の中では静かな店で、魔法使いも人間も、客たちはみな程よく嗜むように美酒に舌鼓をうっていた。そこで隣のカウンター席に座った紳士から、魔法使いの図書室の話を聞いたのだった。
「変わり者の魔法使いの図書室です。ええ、西の国の住人で変わっていない人なんていないと言いたいのでしょう?分かりますよ。ここは、愛すべき変わり者の国だ。その魔法使いは、玩具を愛していました。子どもたちが夢中になる積み木やパズル、ぬいぐるみに人形、模型……人によってはガラクタでしかないそれらにその人は長い人生の時間も、お金もすべて惜しみなく注ぎ、世界中から様々な玩具を蒐集した」
「かつて厄災と言われた月に恋した魔法使いがいた国です。玩具に魅了された魔法使いがいても驚きませんよ。しかし、図書室の話でしたが……その魔法使いは本ではなく玩具の蒐集していた?」
「そう、焦らないでください。夜はまだ長い。魔法使いは世界中から玩具を集めるのと同時に、その玩具の見てきたものを、書き留めていたのです。魔法使いが集めた玩具の中には古い古い時代から何世代にも渡って受け継がれてきたものもあった。その玩具が記憶した景色、様々な時代の子供たちの日々、暮らし、人生を彼は物語の形にして、自宅に保管していたのですよ」
「玩具の、記憶……それはまたお伽噺話めいていますね」
「担いでいるわけではありません。僕も西の国の住人ですから冗談は大好きですが、これは本当の話ですよ。その魔法使いの自宅─最初に話した図書室は、今でもこの西の国に存在しているのですから。数え切れないほどの玩具の記憶の中に、もしかしたらあなたがお探しの賢者の魔法使いたちの記憶も存在しているかもしれない、どうです?」
「確かに、可能性はありますね。その魔法使いと、件の図書室の場所を教えていただくことはできますか?」
「魔法使いに会うことは残念ながら出来ません。もう何年も前に石になってしまった。だが図書室はまだあります。場所もお教えしましょう。……しかし、入れるかどうかの保証は、僕にはできません」
「どういうことです?なにか結界でも張っているとか、」
「そんな禍々しい話じゃないですよ。今でも子供たちが出入りする場所ですから。しかし、入室条件がちょっとばかし変わっているのです。魔法使いは自分が石になる直前、置き手紙を残しました。
《この場所を、私が残した金貨の尽きぬうちはこのまま残し続けること。この中にある、私が玩具から蒐集した物語は、この場所に立ち入った者なら誰でも自由に読むことを許可する》」
「誰でも自由に立ち入ることではなく、立ち入った者は誰でも自由に、なのですね」
「鋭いですね。そう、手紙には続きがあります。
《この場所に私はある魔法をかけた。玩具を友人のように愛するような、童心を持つ者だけに扉が開かれる魔法である。どんなに幼い者でも童心を失っていてはこの扉をくぐることは出来ず、またどんなに老いていても童心を失っていなければこの扉をくぐることができる。心の中の、ほんの一欠片だけで良い。小さな一欠片であっても、童心を生かし続けている者たちへの敬意を込めて、彼らへのサンクチュアリとしてこの場所を残す》
その手紙と、向こう数百年は小さな家を維持できるだろうという沢山の金貨を残して、魔法使いは石になりました」
紳士はそう語ると、手元のグラスのワインを傾けて一口飲み下す。天井から吊るされたチューリップ型のランプシェードの薄明かりに、彼の上品な目元が反射して、どことなくいたずらっぽく輝いた。
「西の国の住人はみな面白いことが大好きです。胸が躍ること、高鳴ること、歌やダンスはもちろん、例えば賭け事のようなスリルを伴うこともそれはもう愛しています。だからこの図書室は、大人の間ではちょっとした賭けの対象になっているのですよ。どうです、僕と賭けをしませんか?あなたがその図書室に入れるか否か。あなたは入れる方に、僕は入れない方に賭けましょう」
「……賭け金は?」
「お金なんて無粋なものはやめましょう。童心が試される賭けなのですから!そうですね、あなたが勝ったら、その中で読んだ本の物語を私に聞かせてください。僕が勝ったら、僕とまたここで飲む。童心を失った哀れな大人として、酒で羽目を外しましょう」
「賭けになっていない気もしますが、どちらに転んでも愉快そうです。その賭け、乗りましょう」
「そうおっしゃってくれると思いました。実はね、そういう条件の図書室ですから、子供たちは大抵の者が入れます。私たち大人は、その子供から読んだ物語を聞くのが通例なのですよ。もちろん稀に、大人で入室できた者からも。この図書室の面白いところは、何度でもリベンジ可能というところ。一度弾かれても、何度だって挑戦できる。大人になって、童心を失ったらもう二度と戻らないとは限らない、きっかけがあればどんな人でもまた童心を蘇らせることができるだろうというのが、その魔法使いの主張でした。夢を見続ける、追い続けることは難しい。けれど不可能ではないのだ、どんなひとにもいつだって、見ようとすれば見れる世界がすぐ傍に、とね」
翌日紳士の案内ので訪れた図書室は、こじんまりとした二階建ての建物だった。
扉の両隣に設えられた出窓から覗くと、壁面に造り付けられた棚という棚にありとあらゆる玩具と数え切れないほどの書物が並んでいるのが見える。
紳士は、結果を待つのも楽しみなので、と笑い、私が扉に手を掛ける前に立ち去った。
残された私は、奇妙な高揚感と落ち着かない不安感で高鳴る鼓動を静めるため一度深呼吸をし、いよいよ扉に手を掛けた。
ぎ、とかすかに軋む音を立てて扉が開かれる。私は驚きと安堵と喜びが綯い交ぜになった心地で、恐る恐る扉の向こうへ足を踏み出した。
子供の時にこの部屋を見たら、歓喜の声を挙げただろう。否、大人になった今でも、私の心はやはり歓喜に高鳴っていた。所狭しと並べられた、懐かしい或いは珍しい玩具たち。一生かかっても読み切れない数の書物。あるものは今にも壊れそうなほど古く、あるものはまだ買ったばかりのように新しい。しかしどれも、どことなくあたたかいような不思議な質感の空気を携えている。これで遊んだ誰かのぬくもりの記憶が、玩具たちをふわりと包んでいる。
扉のすぐ横の戸棚に置かれた回転木馬のオルゴールを手に取り螺子を廻す。かすかに錆びれてはいるものの可憐な音が鳴った。時おり混ざる音割れもどこかノスタルジックで、ゆったりとしたワルツの音色を聴きながら、私は室内を見て回ることにした。
ビロードのうさぎ、兵隊人形、機械仕掛けの汽車、いくつかのカードが欠けているらしいトランプ、抱き上げられるのを待っているかのように愛らしく腕を上げたお世話人形。小さく、儚く、役に立たないけれど、唯一無二の友人だったものたち。カラフルなプラスティックの香水瓶レプリカを見つけたとき、思わず微笑んでしまった。この玩具の記憶の物語が気になり、書物を探そうと手を伸ばした時。ふと、私の視界に小さな絵画が映った。
それはやわらかな筆致の水彩画で、どこかの令嬢のように美しく上質な衣服をまとった人形と、触わって抱きしめたくなるような毛並みのテディベアがまるで内緒話でもするように寄り添って座っている姿を描いた小さな作品だった。
子供なら誰でも欲しがるに違いない。目が合えば、きっと良い友人になると信じられるような、やさしさとあたたかさを携えた美しい人形とテディベアの絵。この絵に描かれた二人が近くに飾られているのではないかと、棚に視線を遣ったが、彼らは絵の中にしか存在していないようだった。
だが、額縁に立てかけるように置かれた一冊の本
がある。
予感めいたものを覚えて、そっとその本を手に取った。
春を告げる鳥のようにやわらかな緑の表紙。
そこには、金色の飾り文字で『賢者の魔法使いとさみしくなくなった人形アビゲイルのお話』と書かれていた。