Ⅳ 半身/或いはSrSO4 mohs3‐3.5
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半身/或いはSrSO4 mohs3‐3.5
世界は崩落した。
天の月が姿を消し、世界は色を失い、命あるものたち─ひと、翼あるもの、鱗もつもの、植物に至るまで─は朽ち果てた。暗闇の中ですべてが乾き、静寂の中で塵へと変わる。
硝子の割れた銀縁の眼鏡が、浜辺だった塵の上に転がっている。一陣の埃っぽい風が吹き、かろうじてかつての形を保っていたそれは他の物質と同じように塵となって暗闇に呑まれた。
薄汚れた病葉のような白蛇の皮が、森だった塵の上に転がっている。一陣の埃っぽい風が吹き、かろうじてかつての形を保っていたそれは他の物質と同じように塵となって暗闇に呑まれた。
半身だった二人が存在していた証も、こうして消えた。
初めての満月の夜に産み落とされたこの世界で一番最初の
兄に続いて母の子宮から生まれ出た次子は、性を持たなかった。男でもない、女でもない。性を持たぬものには、純潔も穢れも、その概念が存在しない。
従って兄が月への贄として選ばれた。
だが兄は抗った。月へ自らを捧げる代わりに、より月好みの海にすまう純潔たちを差し出した。貪欲な月が自らを望む前に新たな純潔を与えられるように、海の中にビオトープをつくり、鱗もつものたちに教育と祈りと贄としての虚構の誇りを説いて送り出し、生き長らえた。
その事実を知らぬ次子は兄の犠牲に胸を痛め、すべてを捨ててさすらいの旅に出る。道すがら命を助けた白蛇だけをたずさえて、月に魅せられ月にあてられ月にうらぎられた子たちの欠片を集めては弔うように水晶細工をつくった。
原始のときに産まれた二人は長寿だった。
二人は、互いにかつて半身がいたことすら忘却してしまうほど、長い時を生きていた。
半身のために月に差し出され、新たな犠牲の双児を育てることで生き長らえていることも、自らの半身の犠牲への罪悪感から水晶細工をつくっていることも、二人は覚えていない。
この世界に産まれついたときからその役割についていたかのように、理由なぞ考えることも、過去を想うこともなく、各々の仕事をこなす。
半身の存在を忘れ、月を忌む理由を忘れ、鱗の少年たちの純潔を守り、月に呑まれた子たちの欠片を弔う二人。
だが満月の夜に生まれた双子は、どちらかの犠牲によって互いの運命を分かち合う。それがこの世界の理だった。長い時を経て、二人の運命はまた混じり合う。
かつての半身であることを忘れながら、やがて二人は再び出会い、共に月の脅威に抗うようになった。しかし二人の尽力も虚しく、世界は滅びた。
虚の空に灯る光がなくなった今、そんな哀れな双児がいたことは、朽ちた生命たちと同様に塵の如く意味を持たない。
天の月もまた、海底の月がかつての自身であったことを忘れていた。
大きくなる海底の光を畏れ、憤り、自らの力を強めた。強すぎる銀の月光は月自身にもやがて制御することができなくなり、世界も自身も焼き尽くした。こうして世界は朽ち、すべての理も運命も意味を無くす。
暗闇と静寂の中で、かすかな音がする。
干からびかけた海の、その僅かな海面に亀裂がはしっている。パキパキと、春先の流氷にも似た音が乾いた世界に通奏低音のようにひびく。
やがて巨大な硝子が割れるような音がして、残っていた海水が弾けた。つめたく研ぎ澄まされた欠片が暗き宙を舞う。液体だったそれは、蒼穹の色をした鉱石へと変化していた。闇の中、天青石の雨が降る。鉱石は、ぶつかり合いながらさらに細かく分裂していく。砂粒ほどになった天青石の雨の音は、いと高きところのアンセムのように朽ちた世界で響き渡った。
その音の底から、なにか巨大なものが動く音がする。
水を失った海だった塵のなかから、巨大な眼球のような月が這い出てくる。海底の月が、地に現る。月は羽根のように舞う天青石を浴びながら、ゆっくりと、原始の場所へと帰っていく。かつていた、天へ。自身であり半身だった月があけた虚空へ。
その間も、天青石のアンセムはひそやかにうたい続けられる。
やがて月は、天のいと高きところへ鎮座した。
海底に沈むとき、天へと向けていた側は宵闇の向こう側。この世界の誰もが目にすることのなかった半面を、朽ちた世界に向けて。
隠されていた月面には、なにも刻まれていない。眩いばかりの銀色があるだけ。その銀光を浴びると、天青石の雨たちが次第になにかを形作っていく。
ある雨粒は翼あるものに、ある雨粒は牙もつものに、ある雨粒は鱗もつものに、ある雨粒は二足足で立つものに。生命が生まれていく。新たな世界が生まれていく。
それに伴い、月面にも模様が刻まれていった。
新たな理、新たな運命、新たな黙示録。
やがて再び滅びるまで、月が統治する世界の創世記が始まる。
天青石の雨がやむ。巨大な月が、世界を照らす。
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