タロウくんとソノイくんのふたりごはん。

カツ丼。


水曜は、ソノイのはじめてたべるものを、ふたりで食べる日。
うんぬんかんぬん交際を始めてからタロウとソノイで決めた約束事のひとつである。

「今日はカツ丼だ」
仕事帰りのタロウに、ずずい、と突き出されたビニール袋に入っているのは、まだじゅうぶんに温かい、発泡スチロールの丼ふたつ。一応塗り椀の形を真似した黒と赤、それなりの体格であるソノイが両手で持っても見劣りしないサイズ感、ずっしりと持ち重りのするそれは甘しょっぱい醤油ベースの出汁の香りを漂わせている。
小さなちゃぶ台にふたりぶんの箸と、インスタントの吸い物と、ほうじ茶。そこに丼をふたつのせるとかなりぎゅうぎゅうだが、タロウはひどく嬉しそうな顔をしている。
「ここの店のカツは美味いぞ」
なんでも、たまに昼に食べているそうで。いつもならタロウの仕事帰り頃には売り切れてしまうらしいが、今日は珍しく残っていたそうだ。あんたに食べさせてやりたかったからな、との言葉に、ソノイの胸の奥がぽわっと温かくなる。タロウのその心が詰まったものだ、知らない食べ物だが、食べる前から既に『幸せ』の味をしている。
定位置について、ふたり手を合わせて「いただきます」を唱える。
ぱかり、と蓋を開けると、ふんわりとたちのぼる蒸気。全体的に薄茶色がかった黄色と白、そして狐色。半透明の玉ねぎ、添えられた緑の三葉。おでんのそれともまた異なる、出汁と醤油に甘さと油気を足した独特の香りが鼻と胸を満たしていく。
「これが、カツドン」
「ああ、ほら、まずは食ってみろ」
さく、と、突き立てられた箸が、真ん中あたりのカツのひと切れを掴んだ。そのままだと大きすぎると判断したのか器用に箸だけでちぎって、まわりのたまごと玉ねぎごと大きく掴みとる。目を合わされて素直にあくりと口を開くと、満足げに頷いたタロウは素早く的確にソノイの口中に掴んだカツを放り込んだ。大きすぎず小さすぎない塩梅なのは流石だな、と頭の一角で考えながらはぐりと噛むと、見た目から予想していた以上の汁気がじゅわりと滲んで口中に拡がる。肉汁だけではない、衣にひたひたと沁みていた出汁と醤油、あとこれはみりんか? しっかりとした肉の繊維、噛みごたえがあるが硬くはなくほろりと切れる、弾力のある脂身部分は豚肉特有のあまみ、しゃくしゃく甘い半透明の玉ねぎ、火が通って柔らかくもしっかり纏まった卵の黄身と白身、何度か噛んでのみこむ、そこに汁をたっぷりと含んだ米が追加で放り込まれる。噛むたび溢れるふくよかな米のあまみと揚げ物の衣を1度通過した汁のあまみ、肉と脂の旨み、卵の滋味、玉ねぎの食感、渾然一体となって舌を喉を通り胃に落ちていく。
ごくり、のみくだして、はふ、とため息ひとつ。それなりに大きさのあるはずだった肉なのに、気がついたら口の中から消えている。とろけるというほど柔らかでもなかった、噛みごたえも存在感もしっかりあった、出汁で煮られた卵も玉ねぎも米も、確かにそこにあったのに、美味しかったという記憶だけを残してあっという間になくなっている。おかしい、と思う暇もなく、嬉しそうに笑うタロウがもうひと切れと口もとにさしだしてくる。
「……気に入ったようだな、ほら、もっとだ」
最初のひとくちはタロウに指南してもらうのが習慣だが、いつもならその後は自分で食べている。のだが、差し出された箸先にのせられた肉と米がこぼれ落ちそうで、慌てて口をひらくと、タロウはひどく愉快そうに……あるいは、愛おしくてたまらないと言いたげに笑って、ソノイの口の中に掴んだそれを運ぶ。ひと粒たりとて零さない、まさに妙技というべき技ではあった。

ひとくち、もうひとくち、さらにもっと。雛鳥に与える親のように次々と運ばれて、結局ほとんどタロウ手ずから食べさせられてしまった。仕返し、ではないが、ソノイのほうもタロウに見様見真似でやり返すと、この上なく嬉しそうに食べてくれたので、まあ良しとするが。
「ごちそうさまでした」
手を合わせ、程よい温度になったほうじ茶を啜る。あまい脂の余韻を洗い流す香ばしさが快い。ほっとする。胸に満ちる満足感、ふわふわとして、柔らかい。タロウが褒めるだけあって作り手の技量も良いのだろう、だが、なによりも大きいのは他ならぬタロウから向けられたその波動だ。物質界では脳人の目をもってしても視認は難しいものだが、それでも慣れ親しんだ感覚で、なんとなく己に向けられたものはわかる。
少しでも良いものを、美味いものを、与えたいという感情。喜ばせたいという願い。幸せを祈る行為。一挙手一投足にこめられたそれが、物質界の人間にとっての食物以上に、ソノイを温め癒し満たしている。
願わくば、タロウもまた満たされていると良いのだが。
そんなことを考えながら見ると、上機嫌のタロウは壁に貼られたカレンダーに何やら書き込んでいる。か、つ、ど……カツ丼?
「……あんたに食べさせてもらうのは、いつもより美味かった」
ぼそりと零される言葉はひどく幸せそうで。こんなにも喜んでくれるのなら、またやってみても良いかと思ってしまうくらいには。
タロウ、次はなにを、共にたべようか?

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