5章 最果ての女
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(デフォルト名:みょうじ なまえ)長編、短編固定です。
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バトルシップの動力源が放つ微かな地響きが、床を通じて骨の髄まで伝わってくる。
高度数千メートル。
夜の闇を切り裂き進む巨大な鋼鉄の城は、瀬人の野心そのものが形を成した、影を許さぬ不夜城だった。
ブリッジのモニター群が放つ無機質な青光を浴びながら、みょうじなまえの指先は、正確なリズムでキーボードを叩き続けていた。
「みょうじ部長、失格となったデュエリストたちの移送、および市街地の破損被害に伴う賠償精査、すべて完了いたしました」
瀬人の忠実な側近である磯野もまた、この深夜の激務に一切の綻びを見せない。
だが、その視線には、膨大な事務処理を膿として冷徹に捌き続けるなまえへの、静かで確かな畏怖が混じっていた。
「……ええ、ご苦労様。磯野さん。警察への根回しは予定通りに。ただし、役員会への報告書からはオカルトを想起させる文言はすべて削除して。あくまで機材の不具合と参加者の暴走、それだけに集約させてちょうだい」
「承知いたしました」
短く、乾いた言葉の往復。
磯野が深く一礼して去ると、静まり返ったブリッジに、もう一つの足音が近づいてきた。
「なまえさん、まだ仕事してくれてるんだね。お疲れ様」
海馬モクバは、コンソールの青白い光に照らされた彼女の横顔を、静かに見つめていた。
その瞳には、深夜まで兄の覇道に寄り添い続ける女性への、純粋な労いが宿っている。
「ええ、副社長。第4セクションまでの処理は終わりました」
「もう、その副社長ってのはやめてよ!俺も兄様も、なまえさんのことは特別に信頼してるんだから。俺もなまえって呼ぶから……これからはモクバ、って呼んで」
「……そうね。わかったわ、モクバくん」
なまえがわずかに表情を和らげて応じると、モクバは少しだけ安心したように笑った。
だが、その笑顔はすぐに翳り、彼は瀬人が引き籠もっている私室の方向――暗い廊下の先を、不安げに見つめた。
「……ねえ、なまえ。今の兄様、なんだか見ていて怖いんだ」
「……怖い?」
「うん……。ただ機嫌が悪いっていうより、何かに追い詰められているみたいで。……あんなに余裕のない兄様、初めて見たよ。もしかしたら今の兄様にとって、ここで淡々と数字を捌いているなまえだけが、唯一の正気の拠り所かもしれない」
モクバは視線を落とし、祈るような、あるいは縋るような声で続けた。
「だから……お願い。兄様の様子を見てきてくれないかな。今の兄様のそばに行けるのは、なまえしかいないんだ。……兄様を、こっち側に引き戻してほしいんだ」
「そう……。わかったわ、モクバくん。任せて」
少年の切実な願いと不穏な予感を背負い、なまえは瀬人の孤独と激情が渦巻く、重厚な自動ドアの先へと足を踏み入れた。
室内は、ブリッジよりもさらに暗い。
窓の外を流れる雲が月光を遮り、部屋には不気味なほどの静寂が満ちていた。
瀬人は、大型モニターに映し出される遊戯や城之内の対戦記録を、憎悪と焦燥の入り混じった眼差しで睨みつけていた。
「お疲れ様、瀬人くん。モクバくんから預かった承認済みのログよ」
瀬人は振り向かない。 ただ、低く、喉の奥を鳴らすような唸り声を漏らした。
「……反吐が出る。どいつもこいつも、カードに宿る魂だの、見えない絆だの。実体のない妄想を盾に、論理を、確率を、俺の構築した完璧なシステムを嘲笑う。……過去の遺物に縋る敗北者どもが、いつまでも進化を拒んでいるに過ぎん!」
瀬人の拳が、コンソールを激しく叩く。鈍い音が、逃げ場のない密室に響き渡った。
「感情という計算不可能な変数が、盤面を完成させる。それが貴方の愛するゲームの本質でしょう?」
「フン。貴様までそのオカルト染みた理屈を並べるか、みょうじ!」
「いいえ。……でも瀬人くん、本当は貴方自身が、誰よりもその非合理に怯えているんじゃないかしら? 潜在意識では既にその力を認め、受け入れてしまっているからこそ、そうやって過剰に拒絶してみせる……」
「黙れッ!!」
瀬人が弾かれたように振り返る。その瞳は、青白い炎を宿して荒れ狂っていた。
「俺が、あのゴミのような妄想を受け入れているだと? 貴様に何がわかる! 俺が信じるのはこの脳に刻まれたロジック、および俺自身が切り拓く未来だけだ。それを……貴様ごときが、俺の内側を知ったような口を利くな!」
激しい昂りが、彼の肩を僅かに震わせる。
海馬瀬人にとって、自身の論理の綻びを指摘されることは、魂を土足で踏みにじられるに等しい。
彼は逃げ場を塞ぐようになまえへ歩み寄り、机上の石造りのチェス盤を、まるで凶器のように指し示した。
「……いいだろう。そこまで俺の深層を監査できたと自惚れるなら、今すぐここで証明してみせろ。貴様のその不遜なロジック、この俺が盤上で直々に叩き潰してやる!」
瀬人は、黒く磨き上げられた駒を盤上に叩きつけるように置いた。
「座れ! 貴様のその透かした仮面の下にある理屈が、俺の激情を上回れるというのなら……その手で、俺を投了させてみろ!」
八つ当たりに近い、剥き出しの挑戦。
対局が始まると、空気の密度が一段階上がった。
瀬人の指し手は、先ほどまでの荒ぶりをそのまま反映したかのような、苛烈で容赦のない猛攻だった。
彼は一秒の猶予も与えず、盤面を力でねじ伏せ、なまえの退路を暴力的な速度で奪っていく。
沈黙の中で、石造りの駒がぶつかる乾いた音だけが、死刑執行の秒読みのように響く。
十手。
瀬人の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
盤上の秩序は完全に彼の支配下にあり、なまえはただ防戦に追われているように見えた。
瀬人の脳内では、数手先までの全分岐が完璧に演算され、勝利への道筋(キングスロード)は一点の曇りもなく輝いている。
(……フン、この程度のものか。事務処理に特化した貴様の脳では、この盤上の戦場を支配する覇気までは計算しきれんようだな)
二十手。
瀬人の確信は深まる。
彼はなまえの主要な駒を誘い出し、包囲網を完成させた。
もはや投了は時間の問題。彼は勝利を確信し、冷酷に最後の一撃を見舞うべく手を伸ばした。
だが、その瞬間。
なまえが動かした一兵卒(ポーン)の、あまりに無意味で、あまりに微かな動きに、瀬人の指先が空中で止まる。
瀬人が築き上げた完璧な論理の城壁に、目に見えないほどの小さな亀裂が走る。
彼はその一手を確認するために、脳内の演算を再始動させた。
数千、数万通りの分岐。 だが、どれだけシミュレーションを重ねても、その一手が「何のためにあるのか」が解読できない。
三十手。
瀬人の眉間に、次第に険しさが混じり始める。 焦燥が、冷たい汗となって額を流れた。
(……なぜだ。なぜ、この俺のキングスロードが、貴様のその細い指先に阻まれる……!)
盤面は、いつしか異質な静寂に支配されていた。
瀬人の猛攻は、なまえという底の見えない深淵にすべて吸い込まれ、霧散していく。
彼が「勝った」と確信したポイントこそが、実は彼女が用意した奈落の入り口だったのだ。
三十五手。
瀬人の呼吸が荒くなる。
彼が最強と信じた陣形は、先ほどの一兵卒(ポーン)が起点となり、ドミノ倒しのように内側から崩壊を始めていた。
彼の手は駒の上で静止したまま、屈辱に、そして信じがたい恐怖に激しく震える。
(俺の演算を……俺の思考を、先回りしているというのか? この俺を、盤上の外側から観測し、誘導していたと……!?)
それは、彼が最も嫌う「非合理」よりもなお恐ろしい、自分を凌駕する圧倒的な理の証明だった。
四十手。
もはや逃げ場はない。
なまえの指先が、死神の鎌のように静かにクイーンをスライドさせた。
「チェックメイトよ。……私の勝ちね、瀬人くん」
静まり返った室内で、なまえの声だけが冷徹に響いた。
瀬人は盤面を凝視したまま、像のように固まっている。
握りしめられた拳が、敗北の衝撃と、自分というシステムを完全にハッキングされた屈辱で、音を立てるほどに震えていた。
「……馬鹿な。この俺が……完璧なはずの俺の計算が……ッ!」
絞り出すような、痛切な声。
瀬人はガタリと椅子を鳴らして立ち上がり、盤面を叩きつけるような勢いでなまえを睨み据えた。
「認めん! 貴様のような、戦場の外側で泥を掬うことしか能のない女に、俺の理詰めが破られるはずがない! 何かの間違いだ……データのノイズか、あるいは盤面の偶然か!」
「偶然? 瀬人くん、貴方が一番嫌う言葉じゃない」
なまえは微動だにせず、見上げる視線に冷ややかな光を宿した。
「貴方の計算は完璧だったわ。でも、それはチェス盤の中だけの話よ。貴方は駒の効率と最善手だけを追っていた。……私は、貴方の焦燥を読んでいたのよ」
「焦燥だと……? 俺が、貴様相手に焦ったとでも言うのか!」
「ええ。遊戯くんや城之内くんたちの勝利を目の当たりにして、貴方のロジックは悲鳴を上げていた。貴方は無意識に、この盤面で絶対的な正解を証明して、自分の揺らぎを消し去ろうとしていた。……だから、囮を差し出した私の誘いに、躊躇なく飛び込んできた。自分の内側すら監査できていない人間が、私の先読みを上回れるはずがないわ」
「貴様……!」
瀬人は胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄るが、なまえの瞳には恐怖も揺らぎもなかった。
そこにあるのは、自分と同じ、あるいは自分を凌駕するほどに冷徹な勝者の目だった。
瀬人は、目の前の女を凝視し続ける。
脳裏に、かつて見た監視カメラの映像が、および、彼女が隠し続けてきた空白の記録が、凄まじい速度で重なっていく。
(……この女は、俺の隣で、俺と同じ景色を見ていたのではない。俺という盤面を、外側からコントロールしていたのだ……)
長い沈黙が流れる。瀬人の荒い呼吸が、次第に静まり、冷たい静寂へと戻っていく。
「……フン。なるほどな。泥を掬うだけの手にしては、あまりにも鋭利すぎると思っていたが……。貴様は、俺という駒を踊らせるための盤そのものだったというわけか」
瀬人の中で、激しい拒絶が、高揚を伴った腹落ちへと変質した。
この女は、ただの部下ではない。
「認めよう、みょうじ。貴様のその空白。……俺が執着するに値する、最果ての共犯者だ」
そう吐き捨てた彼の背中は、いつになく強張っていた。
彼は窓に映る自分の影を、まるで見知らぬバグを含んだプログラムでも見るかのような、憎悪と困惑の入り混じった目で見つめている。
「……みょうじ。貴様は、信じられるか。……脳という精密な演算回路が、外部からの未登録データに侵食されるなどという、反吐の出るような現象を」
ぽつりと、掠れた声が漏れた。 瀬人が他人に見せるはずのない、致命的なエラーの露呈。
「イシズとかいう女に見せられた忌々しい石板、およびラーの翼神竜に刻まれた古代文字……。習得した覚えのない言語を、俺の脳が既知のデータとして高速演算する。俺の意志とは無関係に、ニューロンがそれを真実だと判定を下している」
「俺の最も嫌悪する非合理が、俺自身のシステムを書き換えようとしている。……この海馬瀬人の脳内に、俺の感知し得ない不正な記憶回路が存在している……。この不条理を、俺はどう定義すればいい!」
論理の化身たる彼にとって、自分の意識が制御不能になることは、自己の崩壊と同義だった。
なまえは、その孤独な背中を静かに見つめていた。 そして、一歩も引かずに、事務的ですらある、落ち着いた声をかける。
「……それが何だというの、瀬人くん」
瀬人が、ハッとしたように振り返る。
「既知のデータとして演算されるなら、それを利用すればいいじゃない。貴方のやり方で」
「……何だと?」
「不正な回路だろうとバグだろうと、貴方の脳の一部であることに変わりはないわ。……それが貴方の今を否定する根拠にはならない。貴方が海馬瀬人として、その合理的な知性で未来を掴み取ろうとしている事実は、誰にも上書きできない。……見えてしまうものを、新しい武器として使い潰せばいい。それだけのことでしょう?」
「……」
「貴方が貴方であることに、論理以外の理由なんて必要ないわ。そう教えたのは、貴方自身じゃない」
突き放すような、けれど絶対的な肯定。 瀬人は目を見開き、なまえの瞳を凝視した。
そこに映っているのは、混乱に揺れる敗北者ではなく、不遜で、傲慢で、世界を支配すべき海馬瀬人の姿だった。
瀬人の瞳から、徐々に淀んでいた困惑が消え、鋭い青光が戻ってくる。
彼は一つ、深く息を吐くと、自身の内側の霧を振り払うように顔を上げた。
「……フン。貴様の言う通りだ。過去の遺物だろうが不正なデータだろうが、俺の道を阻むならすべてを粉砕し、俺の進化の糧とする。……それだけのことだ」
瀬人は再び、いつもの不敵な笑みを口元に浮かべた。
自分を取り戻した。否、彼女という鏡によって、自分の輪郭を再定義したのだ。
瀬人は出口へと歩き出し、去り際に、何の予告も、何の躊躇もなく、その響きを落とした。
「仕事に戻れ、なまえ。これ以上の遅滞は許さん」
初めて呼ばれたその名は、事務的な「みょうじ」よりも、ずっと重く、熱く、彼女の深淵へと響いた。
なまえは、その背中を見送りながら、自分の指先が驚くほど冷たくなっていることに気づいた。
「……言われなくても、分かっているわよ」
二人の間にあった見えない境界線が、今、チェスの盤面と共に静かに崩れ去っていた。