3章 仮面の女
夢小説設定
本棚全体の夢小説設定※海馬瀬人✕固定夢主
(デフォルト名:みょうじ なまえ)長編、短編固定です。
※原作ベースの独自解釈・捏造設定・オリジナル組織を含みます。
※夢小説というジャンルを理解されている方のみ閲覧ください。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
あれから数ヶ月。
海馬コーポレーションは以前にも増して苛烈な快進撃を続けていた。
ある晩方の社長室。
沈み始めた日が、デスクを挟んで対峙する二人の影を長く伸ばしている。
その日に至るまで、二人の間では幾度となく不可視の攻防が繰り返されてきた。
ある時は、新プロジェクトの強行による過労で倒れた社員の処理を巡って。
瀬人は、一分の狂いもなく補償と口封じを済ませたなまえの瞳の奥に、人間らしい「揺らぎ」を探した。
「貴様のその完璧な手際、薄気味悪ささえ感じるぞ。……何を考えている」
「社長の描く未来のために、最も合理的な処置を選択したまでです」
彼女は一瞬の迷いもなく、陶器のような微笑みで彼を煙に巻いた。
またある時は、ビッグ5の残党による執拗な嫌がらせを、彼女が法的に抹殺した直後の祝杯の席で。
瀬人はグラスを傾け、鋭いナイフのような言葉を投げつけた。
「……貴様、まさか生涯をこの会社に捧げる聖女のつもりか? 望みがあるなら言え。金か、地位か」
「私は、貴方の理想とする王国が傷つくのを好まないだけです。それが私の役目ですから」
彼女は淡々と、まるでマニュアルを読み上げるかのような声で、彼の追及をさらりと受け流した。
瀬人にとって、彼女は「最高の道具」でありながら、同時に「理解不能なブラックボックス」となっていった。
信頼が深まれば深まるほど、その完璧な「鉄の女」の仮面が、自分と彼女の間に引かれた越えられない境界線のように感じられ、彼の苛立ちは限界まで膨れ上がっていたのだ。
そして、今夜。
いつものように完璧な人事部長として報告を終えようとした彼女の背中に、瀬人の我慢はついに音を立てて砕け散った。
「……以上が、次世代ネットワーク構築に伴う人員配置の最終案です。各部署の反発は既に処理済みですので、承認のサインを」
みょうじなまえの声は、今日も一切の揺らぎがない。
完璧に整えられた赤茶の髪、隙のないスーツ、そして感情を排したビジネススマイル。
だが、その完璧さが、今の海馬瀬人にとっては耐え難いノイズとなっていた。
瀬人は差し出された端末を無造作に放り投げると、椅子から立ち上がり、一歩、また一歩と彼女との距離を詰めた。
「……フン。相変わらず完璧な報告だ。だが、貴様のその面……見ているだけで虫酸が走るッ!」
瀬人はみょうじなまえの細い手首を掴み、逃げ場を奪うように壁へと追い込んだ。
至近距離で放たれる、獣のような視線。
それは、数ヶ月にわたる彼女のはぐらかしに対する、剥き出しの宣戦布告だった。
「答えろ。貴様がその仮面を被り、俺の周囲を完璧に整え続けている真の目的は何だ。
貴様自身の……『みょうじなまえ』としての本性は、どこに隠したッ!!」
「……海馬社長、私は貴方の理想とする組織を実現するために……」
「理想などという綺麗事を吐くなッ! 俺が聞きたいのは、貴様の魂の言葉だ! 貴様は俺の……俺の何なんだッ!!」
怒号が静寂を切り裂く。
瀬人の掌から伝わる熱が、なまえの細い手首を焦がすようだった。
なまえの瞳から、それまで一度も欠けたことのなかった冷徹な光が、ふつりと消えた。
彼女はゆっくりと顎を引き、至近距離にある瀬人の瞳を、下から突き上げるような鋭い視線で射抜いた。
そこには海馬瀬人という一人の男の傲慢さを真っ向から拒絶し、その魂の深淵まで見透かそうとする、苛烈なまでの個の輝きがあった。
不意を突かれた瀬人が、わずかに息を呑む。
視線が交錯した、数秒の静寂。
やがて、彼女の瞳から険しさが消え、代わりに深い諦念と、熱を孕んだ微かな吐息が漏れた。
彼女はふっと、力なく、けれど酷く艶やかに口角を上げた。
「余裕がないわね、瀬人くん」
「……何だと?」
瀬人の眉が跳ね、声が低く震えた。
「社長」という呼称を捨て、初めて剥き出しで呼ばれた己の名。 その響きに、瀬人の動きが凍りつく。
「貴方の道の妨げにならないように、ずっとこうしていたのに。
……貴方の理想とする完璧な『海馬コーポレーション』という歯車に、私という不純物を混ぜないよう、完璧な『人事部長』を演じてあげていたのに。……それを、貴方自身が暴こうとするんだもの」
なまえは自由になった手で、瀬人の胸元にそっと触れた。
その指先からは、鉄の女の冷たさではなく、熱い拍動が伝わってくる。
「……判っているはずよ。21歳の女が、この化け物たちの巣窟で人事部長として君臨し、貴方の留守を守り抜くために、どれほどの非情が必要だったか」
一呼吸置き、彼女は自嘲気味に言葉を重ねた。
「貴方の傍らに情を抱いた女がいれば、それはハイエナたちの格好の餌食になる。
私が一度でも甘い顔を見せれば、海馬コーポレーションという城壁にヒビが入る。
……だから私は、貴方の隣で呼吸をするための資格として、この仮面を選んだのよ」
感情というノイズは、海馬瀬人の覇道において最も不要な不純物。
彼女は、彼が王として孤独に戦い抜くために、自身を冷徹な論理へと昇華させたのだ。
「……けどもうやめるわ、こんな芝居。疲れちゃった。
貴方の前でだけは、完璧な機械でいたかったけれど……人間である以上、無理よ」
なまえは真っ直ぐに瀬人を見つめ返した。
その瞳には、もはや敬意ではなく、対等な共犯者としての愛憎が混じり合っている。
「冷徹な人事部長なんて、最初からどこにもいなかった。……いたのは、貴方の隣に立つために、己を殺して城壁になりきろうとした、ただの女。……これで満足? 瀬人くん」
瀬人は答えなかった。
いや、答えられなかった。 完璧な論理の裏に隠されていた、あまりにも重く、あまりにも純粋な執念。
瀬人は初めて、一人の女性の真実に完敗を喫したのだ。
二人の間に流れていた、冷たい契約としての空気が音を立てて崩れ去る。
それは、偽りのビジネスパートナーとしての死であり、真の意味で魂が重なり合う、共犯関係の始まりだった。