2章 鉄の女
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(デフォルト名:みょうじ なまえ)長編、短編固定です。
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鋼の城壁、あるいは静かなる観測者か——
社内の廊下を歩けば、耳を塞ぎたくなるような不穏な囁きが聞こえてくる。
「DEATH-T……。あれはもはやエンターテインメントではない、殺人迷路だ」
「社長は武藤遊戯という少年に敗れてから、何かに憑りつかれてしまった」
社員たちの顔には、かつて剛三郎を追い落とした若き王への心酔はなく、ただ自分たちを巻き込んで沈没しようとする泥舟への恐怖だけが張り付いていた。
だが、21歳の人事部長、みょうじなまえだけは違った。
彼女は乱れることのない足取りで、重苦しい空気が停滞するオフィスを通り過ぎる。
彼女の仕事は、怯える彼らを励ますことではない。彼らが「不祥事」と呼ぶであろう事象の芽を、あらかじめ論理という名のハサミで摘み取ることだ。
なまえは自室で、DEATH-Tに関する膨大な予算書と法的リスクのリストを精査していた。
瀬人が構築したあの狂気の遊園地では、実験段階で「予期せぬ事故」が多発している。
本来なら、労働基準監督署やメディアが黙っていない事案だ。
なまえは、沈黙のままキーボードを叩く。
だが、その指先には迷いはない。
彼女は知っている。たかが復讐のために、これほどの「世界の理を書き換える技術」を生み出してしまう彼の異常性を。
彼の執着は、単なる破壊ではなく、常に創造という莫大なエネルギーを燃料に動いているのだ。
彼は遊戯を憎んでいるのではない。敗北という理解不能なバグを、自らの力で修正しようとしているだけなのだ。
その飽くなき知的好奇心と向上心の根源は、復讐という狭い檻をいつか必ず食い破る。
その才能が、たった一人の少年に勝つことだけで満足し、枯れ果てるはずがないことを、なまえだけは法的資料の裏側に透けて見える未来から読み取っていた。
過酷な労働を強いた開発チームには、退職金の上乗せという名目の口封じではなく、彼らのキャリアにとって抗いがたい「次世代技術の独占ライセンス」という形の報酬を提示する。
メディアに対しては、DEATH-Tを「極限状態におけるバーチャルリアリティの生理学的影響」という学術的な実証実験としてパッケージ化し、公的な認可を裏から通していく。
彼女は、瀬人に「考え直してください」とは一度も言わない。
彼が混沌の渦中にあり、一人の少年への復讐を通して、自らの魂を脱皮させようとしていることを、彼女だけは確信していた。
だからこそ、彼がその闘いを終えてこちら側へ戻ってきたとき、彼の手が血で汚れていないように。
海馬コーポレーションという器が、一点の曇りもない状態で彼を迎え入れられるように。
彼女はただ、完璧な「掃除」を続けていた。
午前三時。社長室のドアが開く。
室内には、モニターの青白い光に照らされた瀬人の横顔があった。その瞳はかつてないほど鋭利で、同時に壊れそうなほどに張り詰めている。
「……報告は」
「DEATH-Tに関連する全セクションの労務リスク、および外部への情報漏洩対策、すべて完了しました。当局への説明資料も、法務部と連携してクリーンなものに差し替えてあります」
なまえはデスクに一冊の端末を置いた。
そこには、瀬人の狂気が一滴も漏れ出さないように塗り固められた、完璧な企業の建前が記されている。
「……フン。貴様は、俺が血迷ったとは思わんのか。無能な社員共と同じようにな」
「私は人事部長ですから、主観で社長を判断することはいたしません」
なまえは、一歩も引かずに彼を見つめた。 その瞳には、「信じています」という甘い言葉よりも、さらに深い理解が宿っていた。
迷え、狂え、海馬瀬人。
貴方がその暗闇を抜けたとき、目の前に広がる景色を、誰よりも早く私が整えておく。
その決意は、もはや忠誠心という言葉では収まりきらない、魂の共犯関係そのものだった。
「……何か問題が起きれば、すべて私の不手際として処理いたします。ですから、貴方は……そのままで」
瀬人は答えなかった。
ただ、なまえが淹れた、一切の雑味がないブラックコーヒーを一口啜り、再びモニターの向こうにある、彼だけの戦場へと視線を戻した。
なまえは、静かに一礼して部屋を去った。
海馬コーポレーション本社、大会議室。
ここには、DEATH-T計画の進行に伴い、株価の暴落と世論のバッシングに耐え切れなくなった幹部役員たちが集まっていた。
彼らの忍耐は限界に達していた。
「社長を呼べ! 今すぐだ! これ以上、あの狂った遊園地に会社を心中させるわけにはいかん!」
「警察が動くという噂もある! 武藤遊戯という子供一人のために、我々まで破滅するつもりか!」
怒号と悲鳴が渦巻く中、重厚な扉が静かに開いた。 期待した海馬瀬人の姿はない。
代わりに現れたのは、氷のような無表情を貼り付けた、21歳の人事部長・みょうじなまえただ一人だった。
「——海馬社長は、現在最重要プロジェクトの最終フェーズに入っておられます。外部からの干渉は一切受け付けません」
「ふざけるな、小娘! これは会社の存亡に関わる緊急事態だぞ! 人事風情が社長を囲い込むつもりか!」
一人の役員が唾を飛ばして詰め寄る。
なまえは眉一つ動かさず、その男の目前に、携えてきたタブレット端末を突きつけた。
「……専務。貴方が先月、裏カジノで会社の機密費をいくら溶かしたか。その補填のために、どこの競合他社と接触したか。……すべて、ここに記録されています」
「なっ……!?」
男の顔が凍りついた。なまえは視線を他の役員たちへと巡らせる。
「常務、貴方が進めている海外口座への資産逃避計画。監査役、貴方がメディアの記者にリークしようとしているDEATH-Tの内部資料のドラフト。……すべて、人事部の監視下にあります」
会議室の空気が、熱狂から戦慄へと一変した。
彼女は、瀬人が「遊戯への復讐」に全神経を注いでいる間、この城の内部で蠢く裏切りや保身の動きを、すべて把握していたのだ。
「……き、貴様……脅すつもりか……!」
「脅し? いいえ、これはリスクマネジメントです」
なまえは冷徹な声で言い放ち、タブレットを会議テーブルの中央に滑らせた。
「選択肢を差し上げます。今すぐこの部屋を出て、社長が『気晴らし』を終えるまで、黙って自席で震えているか。……それとも」
彼女は一呼吸置き、この場にいる全員の生殺与奪の権を握る者の目で彼らを射抜いた。
「この場で私に懲戒解雇のスタンプを押され、その社会的生命を絶たれるか。……お好きな方をお選びください」
21歳の若き番人。 彼女が守っているのは、会社の利益ではない。
海馬瀬人という男が、心置きなく狂気の世界へ没頭できる「時間」と「場所」そのものだった。
数分の沈黙の後。役員たちは一人、また一人と、青ざめた顔で会議室を逃げ出していった。
王の不在、静謐なる守護。 誰もいなくなった会議室で、なまえは小さく息を吐き、乱れてもいないスーツの襟を正した。
彼女は窓の外、童実野町の中心に聳え立つ、巨大なDEATH-Tのタワーを見つめる。
あの中で今、瀬人は極限の闘いの中にいる。 常人なら精神崩壊を起こすほどのプレッシャーと、復讐心の炎に焼かれながら。
(……存分におやりなさい、瀬人くん)
彼女は心の中でだけ、その呼び名を口にした。
(貴方は今、鏡に向かって自分の首を絞めているようなもの。
DEATH-Tという狂気は、貴方が貴方自身を殺し、新しく生まれ変わるための儀式なのよ。
今、自らの中に残る、剛三郎の支配の論理を粉砕しようとするその混沌は、真に自律した王へと昇華するための産みの苦しみでしかない。
社員たちは貴方が血迷ったと言うけれど、私には見える。
貴方のその苛烈な創造のエネルギーが復讐という出口を塞がれたとき、濁流となって世界そのものを押し流す新たな文明に変わる瞬間が訪れる。
だから私は、貴方がその暗闇を抜けて、眩い光の中に立ち上がるその日を信じて待っているわ。
……その時、貴方の隣に立つのが私であるために。)
彼女は踵を返し、再び冷徹な人事部長の仮面を被って、執務室へと戻っていく。
王が不在の間、その玉座を守り抜くこと。それが、共犯者である彼女に課せられた、誰にも知られることのない闘いだった。