──何も覚えていない。
〈俺〉という存在は最初からこんな形だっただろうか？
そもそも存在していたのだろうか？
そんなはずはないのに、確かにここに居るのに、自分の身体が幻のように感じる……

『──泡沫の夢』

それが、空っぽの俺に残された唯一の言葉だった。

売り切れ、……１本くらい、何か残ってないかな (おもむろに自販機をガタガタと揺さぶる、しかし電源コードがバチバチと火花を散らしたのでさっと手を引いた) ……さすがにダメか。

──きみは、まだ言葉を話せるのか (反射的に口から出た言葉。なぜそんなことを、と自分自身が思う、自分は何も知らないはずなのに) そうか、魂を失えば、本物の《怪物》と成り果てる……それがこの町の《ことわり》なのか (眼前の男の様子と“無いはずの記憶”を辿って状況を理解し、頷く)

魂の残量。目には見えないけど、僕はさっき目覚めたばかりだ、おそらくかなりの余裕があるはず。だから多分……、

(──と、彼が手を差し伸べようとした瞬間、怪物の牙が彼の喉元に突き立てられた。喉笛を切り裂かれ叫ぶ事も叶わず、彼の意識は闇に沈んだ)

……僕は、死んだはず、では (思わず右手が喉元に触れる、確かに食い破られたはずのそれは今は傷一つない) “魂の残量”……それがある限り、繰り返すというんだな。

(ふと、自分の足に違和感を覚えた。靴を脱ぎ裾を捲ると、そこにあるのは明らかに『前回』とは違う深い体毛に覆われた『獣の足』だった) ……これが“異形”か。──自分が何者かも知らない僕が言うのもなんだけど、妙な気分だな。

(その相手は未だ『人間』としての理性を保っていた、しかし極めて好戦的で、狡猾だった──) 出来れば戦いたくはない、けど、生き残る為なら仕方ない……！ (垣間見えた隙に相手の懐に飛び込む、そのまま『獣足』で重い蹴りを打ち込もうとした、その時)

(──がぱり、と音を立てて開いた男の“腹”に足を喰いちぎられた) ッ！？ なん、だ、それ……痛っ……！！ (片足を失ってバランスを崩した彼は地面に転がり、激痛に身を捩る。そうしている間にも『複口』の怪物は目の前に迫ってくる)

(抵抗も虚しく四肢を喰われ、意識を手放す直前、血に濡れた『複口』が彼に向かって囁いた)

『次の宿主は、お前だ──』

…………、 (四肢を確認する。何も“異常”はない。立ち上がって受話器を手に取り耳に当てた。ツーー、という音が続くだけだった)

『──下らないな　今更そんな物に縋るつもりか』

──は？ (驚いて辺りを見回す、その声は受話器から聞こえたものでは無い、しかし周囲に人の姿は見当たらない) まさか、『複口』…… (恐る恐る腹に手を当てる、自分の身に潜む何かがくつくつと笑った、気がした)

(飛び掛ってきた影を『獣足』で蹴り飛ばす──否、この狭い空間では“壁に叩き付ける”と言った方が正しいか) 問答無用、か……きみは、言葉の通じる相手では無いみたいだな (ぐったりと倒れ込む相手を見て、さあどうするかと思案したその時)

『さあ　喰ってしまえ　そうすれば──お前の魂も満ちるだろう』

……、 (腹部に大きく開いた『複口』がべろりと舌舐めずりしたのを感じた。胸のざわめきを感じながらもシャツのボタンを外していく。そして──)

(そこから続くであろう光景に目を閉じた。暗闇に歪な咀嚼音ばかりが響き渡った)

──！ (ぞくり、と背筋が凍った。ほんの一瞬前まで平穏な時を共に過ごしていた筈なのに、その『目』に捉えられた瞬間、身体が動かなくなってしまった) ……あ、ぅ…… (叫び声を上げようにもこの口からは情けない呻き声しか出てこない)

……っ、 (縋るような思いで自分の腹部を見た、そこに在るはずの『複口』は完全に沈黙している) 今は腹一杯で動きたくないってのか……！ (絞り出すような声で悪態を吐いた、その刹那、彼の視線が宙を舞い──血飛沫を浴びる“彼の身体”を映しながら、地に落ちた)

(――視界が、妙だ。物質としてそこに在る世界とは別に“揺らぎ”のようなものが見える。前回の“死因”を思い出して額に手を当てた) ……僕もいよいよ『怪物』じみてきたみたいだな、 (ふ、と息を吐く。双眸と共に『第三の目』が瞬いた)

……良かった。今日はどうやら、ゆっくり休めそうだ (周囲に化け物の気配が無い事を確認すると扉に施錠し、ゆるりとベッドに寝そべった。白いシーツに身を包ませながらすやすやと寝息を立て始める……)

(徐ろに手を伸ばそうとする、が、その瞬間火花が散る) っ…… (慌てて引っ込めた手を握る。焼却炉の中身が気にかかるが、無理して取る必要もないと判断してその場を立ち去った)

なんだろう、この扉。ここだけやけに頑丈そうだけど…… (鉄扉に手を掛けて揺さぶるが、あまりに重くビクともしない) この先は……

……位置的に多分、旧校舎かな？ (“無いはずの記憶”を探って推測するが、それを確かめる術も無く。壊すのは不可能だと悟るとやれやれと首を左右に振ってその場を立ち去った)