第3章
夢小説設定
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昼過ぎ。
廊下を歩いていると、後ろから軽い足音が追いついてくる。
「ユニ〜、ちょっといい?」
振り向くと、いつもの調子で手を振るハンジ分隊長がいた。
「トロスト区からの荷物、届いたよ。支給品以外の私物、一式。」
思っていたより、早い。
「今から部屋に運ぶけど──」
視線が、私の背後へ流れる。
「リヴァイ。手、空いてる?」
少し離れた位置にいたリヴァイ兵士長が、短く返した。
「問題ねぇ。」
それだけで、話は決まったらしい。
「……これで全部だな。」
低い声。
箱のひとつを軽々と持ち上げる、リヴァイ兵士長。
結構な大きさだが、重さを感じさせない佇まいで立っている。
──無理をしているようにも、見えない。
「確認したか。」
「はい。書類上は、これで全部です。」
私の答えに、リヴァイ兵士長はそれ以上何も言わない。
ただ箱を持ったまま、視線だけで行き先を示す。
──行くぞ、という合図。
廊下を歩きながら、私は箱から目を離せなかった。
中には、憲兵団時代の私物が入っている。
使い慣れた筆記具。古い手帳。任務の合間に読んでいた本。
どれも、"あの場所"にいた私の証拠だ。
でも、それを今──
調査兵団本部に運び込んでいる。
それだけで、過去が静かに整理されていく気がした。
「……重くないですか。」
思わずそう聞くと、
「これくらいで音を上げられるか。」
即答。視線も、変わらない。
けれど、歩く速度は私に合わせている。
部屋の前まで来て、箱が下ろされる。
「中、確認しろ。足りないものがあれば、言え。」
命令口調。けれど──そこにはもう、"憲兵の部屋を片付ける"響きはなかった。
私は、箱に手をかける。蓋を開ける前に、一度だけ深く息を吸った。
……大丈夫。
これは、終わらせる作業だ。戻るためじゃない。
私は中身を確認しながら、必要なものだけを机に置いていく。
その間、リヴァイ兵士長は何も言わない。
ただ、部屋を見渡している。
……そして。
ふと、その視線が止まった。
窓際の机。
そこに、綺麗に畳まれたまま置かれている──1枚のマント。調査兵団の、マント。
リヴァイ兵士長のもの。
気づいた瞬間、私の心臓が、少しだけ跳ねた。
返しそびれたまま。タイミングを、失ったままのそれ。
リヴァイ兵士長は、それを手に取ることはしない。
ただ、一瞬目を細めただけ。
「……ここにあったか。」
低い声。
責める響きはない。問いでもない。
私は手を止めて、視線を落とした。
「……すみません。返そうと思っていたんですが……。」
言い訳になりそうで、言葉を切る。
リヴァイ兵士長は少しだけ間を置いてから、言った。
「別に構わねぇ。」
それだけ。
マントに触れず視線を外し、また木箱の方へ向き直る。
「今は──そっちの方が、必要だったんだろ。」
断定でも、追及でもない。ただ、事実として置かれた言葉。
私は胸の奥で、小さく息を吐いた。
「……はい。」
それ以上、何も言わなかった。
マントは、そのまま机の上にある。
返されたわけでも、取り上げられたわけでもない。"まだ、そこにある"という状態。
それだけで、十分だった。
私は再び、荷物の整理に戻る。
憲兵だった頃のもの。今はもう、必要のないもの。そして──これから、ここで生きるためのもの。
静かな部屋で、木箱の蓋が閉まる音だけが、淡々と響いていた。
夜。
灯りを落とした部屋で、私は箱の中身をひとつずつ整理していた。
昼間に開けた木箱。
必要なものだけを机に移して、残りはもう一度確認してから片付けるつもりだった。
古い書類。使い慣れた筆記具。憲兵団時代の、私物。
どれも、懐かしい。
けれど──手が止まることはない。
ひとつ、封筒が混じっていた。
白い紙。
見覚えのある、少し癖のある文字。
……ナイル・ドーク師団長。
思わず、息を止める。
これは、いつ入ったのだろう。
多分──最後に箱の蓋が閉じられる前。誰にも気づかれないように、そっと。
封を切る。
中の文面は、驚くほど短かった。
《無理はするな。》
まず、それだけ。
そして少し間を空けた行に──
《それと、エルヴィン・スミスには気をつけろ。》
思わず、小さく息が漏れた。
心配の仕方が、あまりにもナイル師団長らしい。
直接は言わない。感情も、ほとんど書かない。
それでも行間に滲んでいるものは、はっきり分かる。
──ちゃんと、見ていた。
憲兵団にいた頃の私を。無理をしていた事も。調査兵団へ行くと決めた、その選択も。
今さら、だと思う。
けれど──胸の奥が、少しだけ温かくなった。
大切にされていたのだと、ようやく実感する。
私は手紙を読み返す事はせず、そっと折り直した。
封筒に戻す。
引き出しを開け、一番奥にしまう。
それでも──戻りたいとは、思わない。
ここで私は、自分で選んで立っている。
守られていた場所じゃない。管理される場所でもない。進む事を許された場所。
引き出しを閉める。
部屋は、静かだ。
窓の外から、夜風が僅かに入ってくる。
私はもう一度だけ木箱に視線を落とし──
それから、灯りを消した。
過去は、確かにそこにあった。
でも、私はもう、前を向いている。
翌朝。
廊下に出ると、両腕に抱えた袋の重みが、ずしりと伝わってくる。
紙屑。古い布。使い切ったインク瓶。修繕不能になった革製品。
どれも、もう役目を終えたものばかりだ。
音を立てないよう、袋を抱え直しながら歩く。
曲がり角を抜けたところで──
「……おい。」
低い声。
足が止まる。
振り向くと、そこにいたのはリヴァイ兵士長だった。
視線は、私ではなく腕に抱えた袋へ。
「……それ、全部ゴミか。」
一拍置いて、私は頷く。
「……はい。今の私には、必要ない気がして。」
嘘ではない。迷いも、もうない。
リヴァイ兵士長は袋の膨らみを一度だけ見て、小さく息を吐いた。
……ため息に近い。
「八割以上、処分してるな。」
正確だ。数えたわけじゃないのに。
「持ってきた荷物の量からして、多すぎるとは思ってたが。」
責める響きはない。呆れとも、違う。ただ、現実を確認しているだけ。
私は、少しだけ肩をすくめた。
「……過去が、詰まってました。」
言ってから、自分でも少し可笑しくなる。
リヴァイ兵士長は一瞬だけ眉を寄せ、そして──
無言で、袋のひとつを取った。
「……っ。」
反射的に声が出そうになるのを、飲み込む。
「持つ。どうせ、通り道だ。」
短い。選択肢は、ない。
私は一瞬だけ迷ってから、小さく頷いた。
「……ありがとうございます。」
2人で、並んで歩き出す。
廊下に、袋が擦れるかすかな音。
「捨てるのは、逃げじゃねぇ。」
前を向いたまま、リヴァイ兵士長が言う。
「必要なくなったなら、それでいい。」
淡々と。だが、妙に真っ直ぐな声。
私は袋を抱え直しながら、小さく息を吐いた。
「……はい。」
それ以上、言葉はいらなかった。
ゴミ置き場に着き、袋を下ろす。
中身は、もう戻らない。でも──惜しさはなかった。
空になった手を見下ろし、私は静かに思う。
……これでいい。
もう持たなくていいものを、手放しただけだ。
リヴァイ兵士長は袋を置き終えると、何も言わずに踵を返す。
その背中を見送りながら、私はほんの少しだけ胸が軽くなった。
捨てたのは、物だけじゃない。
それを、ようやく実感できた朝だった。