第2章
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中央第一憲兵団本部。
長机の上に、書類が並べられている。
壁外調査の報告。補給線の記録。避難経路の証言。負傷者の搬送記録。各支部からの、時系列報告。
数は多くない。だが──揃いすぎている。
「……偶然じゃないな。」
誰かが、ぽつりと呟く。否定する声は、上がらなかった。
書類は、どれも別の部署から上がってきている。作成者も、提出経路も、ばらばらだ。
それなのに──示しているものは、同じだった。
・壁外で起きた異常
・判断の遅延が致命傷になりかねなかった事実
・現場が"独自判断"で穴を埋めていた実態
そしてその判断が、結果として被害を最小限に抑えている事。
「……調査兵団が、勝手に動いた証拠を集めてるのか?」
そう言った者の声には、僅かな安堵が混じっていた。
だが机の端に置かれた1枚の書類が、その期待を静かに打ち砕く。
提出者欄──エルヴィン・スミス。
「……違うな。」
別の男が、低く言う。
「これは──"勝手に動かざるを得なかった理由"を、こちらに突きつけてきている。」
沈黙。
誰も、否定できない。
書類は、糾弾していない。責任を押し付けてもいない。ただ、淡々と並べているだけだ。
「こういう状況だった」
「こういう判断が必要だった」
「その結果、こうなった」
それだけ。だからこそ、厄介だった。
「反論できるか?」
誰かが問う。
答えは、出ない。
事実に対して、感情で殴る事はできない。
ましてや今は──シガンシナ区崩壊の混乱が、まだ収まっていない。
世論も、兵団内部も、"調査兵団が動かなければもっと酷い事になっていた"と、薄々理解し始めている。
「……あの男。」
誰かが、吐き捨てるように言った。
「直接は来ない。脅しもしない。要求も、書いていない。」
それでも。
「こちらがどう動くか──もう、全部読まれてる。」
机の上の書類は、もはや"資料"ではなかった。選択肢を削り取る刃だ。
逃げ道を探そうとするほど、その道が、次々に閉じていく。
「……保留、だな。」
苦し紛れの結論。
だがそれが──今できる、唯一の抵抗だった。
書類をまとめる手が、ほんの少し震えていた。
エルヴィン・スミス。
──あれはもう、戦場に立っている男の手つきじゃない。盤上の、手だ。そして──その盤の上に自分達が"置かれている側"だと、中央憲兵はようやく理解し始めていた。
──────────────
書類机に向かい、私はペンを走らせていた。
新しい報告ではない。追加でも、訂正でもない。
──補足。
そう書いた1枚。
壁外で見た挙動。判断に迷った瞬間。その結果、どうなったか。
誰を守った、という言葉は使わない。功績も、主張もしない。ただ「起きた事」を並べる。
書き終えて、息を吐く。
これでいい。
あとは、読む側の仕事だ。
書類を揃え、端を指で整える。
一度深く息を吐いてから、私は団長室へ向かった。
ノック。
「入れ。」
中は、相変わらず書類の山だ。エルヴィン団長は机に向かったまま、顔だけを上げた。
「どうした。」
簡潔な問い。
私は一歩前に出て、補足の紙を差し出す。
「……すみません。書き忘れていた事に気づいて。」
言い訳はしない。必要だと思ったから、持ってきただけだ。
エルヴィン団長は紙を受け取って、視線を落とす。
読むのが早い。数行目を走らせ、途中で一度止まる。それから──静かに、続きを読んだ。
机の上に戻される音。
「……なるほど。」
短く、低い声。
否定でも、評価でもない。ただ、内容を咀嚼した音だった。
「状況判断の経緯が分かる。判断の結果も、過不足なく書かれている。」
そこでようやく、私を見る。
「これは、補足として十分だ。書き直す必要はない。」
足りないとも、余計だとも言わない。
「助かるよ。」
その一言は、礼儀でも気遣いでもなく、純粋な事実として落ちてきた。
私は、静かに頷く。
「……よかったです。」
エルヴィン団長はもう一度だけ紙に目を落とし、「こういう補足があると、"判断した兵士が、どう考えていたか"が残る」と、淡々と続ける。
「後で読む者にとって、それは重要だ。」
──評価だ。
でも、持ち上げるための言葉じゃない。
「気づいた事があれば、また持ってきてくれ。」
命令でも、期待でもない。"役割の共有"。
「はい。」
それだけ答えて、私は一礼し、踵を返す。
扉を閉めた瞬間、胸の奥で小さく何かが落ち着いた。
足りないと言われなかった。余計だとも、言われなかった。
──私はただ、仕事をしただけだ。
けれど、その「ただ」が、誰かの判断をほんの少し、前へ押すことがある。
それを知っているのが、エルヴィン・スミスという男だ。
そして中央憲兵は、まだ、それに気づいていない。
今は、まだ。