第2章
夢小説設定
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本部の廊下は、相変わらず慌ただしい。
書類を抱えた兵士。伝令の足音。低く抑えた声が、絶え間なく行き交っている。
私は、壁際を選んで歩いていた。
できるだけ、目立たないように。できるだけ、邪魔にならないように。
「あ、いたいた。」
不意に、軽い声。
振り向くと、そこにいたのはハンジ分隊長だった。
眼鏡の奥の視線が、まっすぐこちらを捉えている。
「ユニ、ちょっといい?」
拒否できる雰囲気ではない。けれど、捕まえ方は柔らかい。
私は、素直に頷いた。
「はい。」
ハンジさんは、歩き出しながら言う。
「いやさ、用事ってほどじゃないんだけどね。君の報告書、読んだよ。」
一瞬、背筋が伸びる。
「……問題、ありましたか。」
「んー?」
ハンジさんは、首を傾げてから笑った。
「逆。妙に、整いすぎてる。」
整いすぎている。それは褒め言葉とも、警戒とも取れる。
「必要な事だけが、ちゃんと書いてある。感情も判断も、削ってない。でも、煽ってもいない。」
歩きながら、横目でこちらを見る。
「……自覚、ある?」
私は、少し考えてから答えた。
「いえ。ただ……見た通りを、書きました。」
「ふぅん。」
ハンジさんは、それ以上追及しなかった。
代わりに、少し声の調子を落とす。
「ねぇユニ。君、自分がどう見られてるか分かってる?」
一瞬、言葉に詰まる。
壁外調査の前と後とでは──確かに、空気は変わった。
「……以前よりは、敵意は、減ったと思います。」
正直な答え。
ハンジさんは、軽く頷いた。
「うん。それは間違いない。」
そしてほんの少しだけ、目を細める。
「でもね──評価が変わるのと、距離が変わるのは別なんだ。」
私は、足を止めた。ハンジさんも、立ち止まる。
「君は、近づきすぎない。必要以上に前に出ない。それでいて──」
一拍。
「ちゃんと、仕事はやりきる。」
責める響きはない。分析するような声。
「だからさ、周りは扱い方が、分からなくなる。」
私は、視線を落とした。
それは、ずっと意識してきた事だ。
「……ご迷惑を、かけているなら──」
そう言いかけたところで、ハンジさんは手を振った。
「違う違う。"迷惑"じゃない。」
そして、少しだけ声を落とす。
「ただね。"守りたい"って思わせるのは、才能だよ。」
胸の奥が、僅かに揺れる。
「本人がそれを自覚してないのが──まぁ、君らしいけど。」
軽い笑い。私は、何も言えなかった。
ハンジさんはもう一度歩き出しながら、振り返らずに言う。
「安心していい。今のところ、誰も君を責める気はない。」
一拍。
「むしろ──どう扱うべきか、考え始めてる。」
それは、庇護か。期待か。それとも──監視か。分からない。
「だからね、」
最後に、少しだけ柔らかい声で。
「君は、今まで通りでいい。無理に変わらなくていい。」
私は、ゆっくりと頷いた。
「……ありがとうございます。」
ハンジさんはそれを聞いて、満足そうに笑った。
「うん。じゃ、またね。」
その背中を見送りながら、私は胸の奥を、静かに整理する。
変わったのは、評価だけじゃない。
距離。視線。期待。そして──守ろうとする、意志。
それをどう受け取るべきか。
答えは、まだ出ない。
ただひとつ確かなのは──私はもう"何もしていない存在"ではない。
という事だけだった。
廊下は、思ったよりも静かだった。
人の行き来はある。けれど足音は抑えられ、声も、必要最低限しか落ちてこない。
本部特有の、「動いているのに張り詰めている」空気。
資料室へ向かう途中──ふと、前方に立つ人影が目に入った。
……違う。
目に入ったのではなく、先に、見られていた。
視線が、こちらを捉える。
一瞬遅れて、それが誰なのかを理解する。
エルヴィン・スミス団長。
珍しい。執務室でも会議室でもなく、こんな廊下の途中で会うなんて。
彼は何かの書類を片手に持ったまま、こちらを見ていた。
値踏みするようでもなく、探るようでもない。ただ──気づいたから、見た。それだけの視線。
私は足を止めて、軽く姿勢を正す。
「……エルヴィン団長。」
呼びかけるよりも早く、エルヴィン団長が口を開いた。
「ユニ。」
低く、落ち着いた声。
名前だけ。それ以上でも、それ以下でもない。
それなのに、なぜか背筋が伸びる。
「今、少し時間はあるか。」
問いかけは穏やかだ。けれど、断る前提は置かれていない。
「はい。問題ありません。」
そう答えると、エルヴィン団長は僅かに頷いた。
「なら、少し歩こう。」
進行方向を変えず、並ぶでもなく、先導するでもなく──自然に、同じ速度で歩き始める。
廊下に、2人分の足音が重なる。
「報告書、読ませてもらった。」
唐突に、核心。私は、息を整える。
「不足があれば、修正します。」
「いや。」
即答。
「よく書けている。事実と、観測と、違和感。きちんと分けてあった。」
評価。明確な。それを淡々と告げるところが、いかにもエルヴィン団長らしい。
「……ありがとうございます。」
それ以上、言葉は続かなかった。少しだけ沈黙が落ちる。
エルヴィン団長は、前を向いたまま続ける。
「今、本部の空気は、分かりにくいだろう。」
否定できない。
「君に向けられていた視線も、完全に消えたわけじゃない。」
一拍。
「だが、確実に変わった。」
私は、足元に視線を落とした。
自分では、あまり実感がない。ただ、やるべき事をやっただけだ。
「結果は、いずれ追いついてくる。焦る必要はない。」
まるで考えている事を、先に言われたみたいだった。
廊下の突き当たりで、エルヴィン団長が立ち止まる。
「──それと、」
少しだけ、声の調子が変わる。
「無理は、するな。」
命令ではない。忠告とも、少し違う。
その言葉が胸の奥に落ちて、一拍、考えてしまう。
リヴァイ兵士長にも、同じ事を言われた。
倒れたあと、眠って……今はゆっくり過ごしている──つもりだ。
それでも、こうして重ねて言われるという事は──
私は視線を逸らさずに、口を開いた。
「……無理、しているように見えますか。」
自分でも、少しだけ弱い聞き方だと思った。
エルヴィン団長は、すぐには答えない。ほんの一瞬、私を見る。
顔色。立ち方。呼吸。
全部を見てから、静かに言った。
「"している"というより──」
一拍。
「無理を、自覚しないまま進めてしまう顔だ。」
責める響きはない。けれど、誤魔化しもない。
「君は、自分が立っている間は大丈夫だと思う。倒れたあとで初めて、限界を認めるタイプだ。」
図星だった。言い返す言葉が、見つからない。
「それは、悪い事ではない。だが──」
エルヴィン団長は、少しだけ視線を和らげる。
「調査兵団にとって"使える人材"ほど、先に壊れる。」
だからこそ、という言葉は、続かなかった。それでも、十分だった。
「……気をつけます。」
そう答えると、エルヴィン団長は短く頷いた。
「それでいい。気をつけようと"考える"だけで、結果は変わる。」
言い切り。
「困ったら来い。聞くだけでもいい。」
それは命令ではなく、逃げ道の提示だった。
私は小さく息を整えて、もう一度、頷く。
「……ありがとうございます。」
エルヴィン団長はそれ以上は何も言わず、また歩き出す。
背中を見送りながら、胸の奥で静かに思った。
──聞けて、よかった。
リヴァイ兵士長には、きっと、まだ聞けない言葉。
けれど誰かに"見えている"と知れただけで、少しだけ、肩の力が抜けた気がした。