第2章
夢小説設定
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紫。
視界の端で煙の色を確認した瞬間、俺はもう、手綱を引いていた。
──帰還。
迷う余地はねぇ。
あの色は、"考える段階は終わった"って合図だ。
「帰還だ。」
声を張る必要もない。この距離、この陣形なら、届く。
「陣形維持。無駄に散るな。」
馬の向きが、一斉に切り替わる。空気が、はっきり変わった。
さっきまでの静けさが今度は──背中に張り付く。
追ってくるか。それとも、無視するか。
どっちでもいい。
もう、目的は変わった。
俺は、一瞬だけ右を見る。
短く、指を振る。
「ユニ、半歩下がれ。右につけ。」
声を潜める必要もない。この距離なら、本人にだけ届く。
ユニは、即座に応じた。速度を変えず、陣形を乱さず、帰還時の位置へ、滑るように収まる。
ユニは、そこにいる。
戻る動きも、位置取りも、乱れていない。
──十分だ。
こいつは見るべきものを見て、言うべきことを言った。
それ以上は、要らねぇ。
視線を前へ戻す。
紫が上がった以上、調査は終わりだ。
あとは、"間に合うかどうか"。
巨人の向き。数。距離。
どれも、俺達を主目標にはしていない。
だが──それがこの状況の一番厄介なところだ。
「……チッ。」
壁が近づくにつれて、選択肢は減る。
だからこそ、戻る判断は正しい。
エルヴィンは、"外"を切った。
次は、"内"だ。
俺は、速度を僅かに上げる。
「遅れるな。全員、生きて戻るぞ。」
当たり前の事を、当たり前にやる。それだけだ。
紫の煙は、まだ空に残っている。
──壁へ戻る。
それが今の、最優先事項だ。
日が、落ちる。
それは突然じゃない。だが壁の外では、暗くなる速度だけがやけに早い。
空の色が沈み、地平線が溶ける。
陣形は、昼間よりも詰まる。
音。距離。気配。
視覚が使えなくなる分、全部が研ぎ澄まされていく。
馬の呼吸。蹄の音。革の擦れる感触。
──生き物の匂い。
俺は前を走りながら、無意識に速度を刻む。
上げすぎない。落としすぎない。
夜間だ。焦れば、死ぬ。
だが──遅れれば、もっとまずい。
壁内で何が起きているか分からない以上、"戻る"事自体が、作戦だ。
「灯りは出すな。」
低く、短く。
「音を揃えろ。馬を無駄に鳴かせるな。」
命令は、最小限でいい。
全員、分かっている。
夜の壁外を無警戒で走れるほど、新人ばかりじゃねぇ。
視界の端で、人影を確認する。
右。少し前。
ユニ。
昼より、姿勢が低い。馬の首に近い。無駄な力を入れていない。
視線は、前方固定。
……夜向きだな。
派手さはない。だがこういう状況で崩れない兵士は、信用できる。
空を見る。
星は出ている。だが、薄い雲が邪魔をする。
信煙弾は、もう上がらない。上げる必要がない。
今は"見つける"段階じゃねぇ。"抜ける"段階だ。
遠くで、何かが動いた気配がした。
巨人か。ただの影か。判断はしない。
判断する前に、距離を取る。
夜の巨人は、昼より厄介だ。
だが今夜の連中は相変わらず──北を向いている。
こちらに寄ってくる気配がない。追われていない。
それが一番、気持ち悪い。
「……。」
俺は、奥歯を噛みしめる。
無理はさせない。だが、止まりもしない。
野営は──しない。
今夜は、走れるところまで走る。
馬が持つ限界。兵士の集中力。その、ギリギリ。
夜が深まるにつれて、音は、逆に減っていく。
誰も喋らない。誰も余計な動きをしない。ただ、前へ。壁へ。
生きて戻るために。
暗闇の中、一定のリズムで揺れる背中を見ながら、俺は同じ事だけを考える。
──間に合え。
それだけだ。
夜は、まだ長い。