第2章
夢小説設定
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翌日。
朝の整備場は、いつもより音が少なかった。
金属が触れる音も、布が擦れる音も、どこか抑えられている。
私はいつもの位置に立ち、いつものように装置に手を伸ばした。
……のに。指が、止まる。
理由は分かっている。
視線だ。
正面。斜め後ろ。少し離れた場所。
誰も、こちらを見ていないふりをしている。
けれど──見ているのは、確かに分かる。
昨日の沈黙。言わなかった事。言えなかった事。
それが、そのまま残っている。
「……。」
耳に、声が入ってくる。
ひそひそ、というほど小さくない。作業の合間に、自然に混ざる程度の音量。
「……あのさ、」
「やっぱ、そうだよな。」
誰の声かは、分からない。分かろうとしても、意味はない。
「兵長の動き、昨日も今日も同じだし。」
「偶然じゃない、よな。」
名前は出ない。でも、自分の話だという事だけは、はっきり分かる。
私は装置を持ち上げようとして──持ち上げられなかった。
力が、入らない。胸の奥が、重く沈む。
息を吸っているはずなのに、空気が、うまく入ってこない。
「……。」
足が床に縫い留められたみたいに、動かない。
仕事中だ。分かっている。やる事は決まっている。
それなのに──"聞こえてしまう"。
「中央と繋がってるって話も、あるらしいぞ。」
「憲兵だしな。」
違う。正確じゃない。でも、訂正する言葉が、出てこない。
「……何も言わないのが、一番怪しいってのもあるよな。」
笑い声ではない。悪意、と言い切るほど強くもない。
ただの、評価。ただの、観測。
──それが一番、逃げ場がない。
私は、装置に触れたまま動けずにいた。
視線に、晒されている。言葉に、囲まれている。
それなのに、誰も直接は、何も言わない。
助けもない。遮る声もない。
昨日黙った選択がそのまま、今日の私を縛っている。
喉が、きゅっと縮む。
名前を出せばいい。エルヴィン団長の名を。正式な手続きを。
分かっている。それで終わる。それでも。
ここでそれを言ったら──私はもう"私"として立てなくなる気がした。
指先が、震える。装置が、僅かに鳴る。
「……。」
誰かがこちらを見た気配がして、すぐに、視線が逸らされる。
その仕草が、決定打だった。
私はゆっくりと息を吐こうとして、うまくできず……そのまま俯いた。
視界が狭くなる。動けない。立っているのに、前に進めない。
──折れた。
音もなく。誰にも分からない形で。
私はその場で、ただ立ち尽くしていた。
仕事中だという事も、時間が進んでいる事も、遠くで起きている出来事みたいに感じながら。
火はもう、はっきりと──熱を持っていた。
───────────────
訓練の合間。
報告を一つ受け、書類を返し、次の指示を飛ばす。
いつも通りだ。何も変わらない──はずだった。
だが……視界の端に、引っかかるものがあった。
列の中。装置の整備をしている兵士たちの中で、1人だけ、動きが止まっている。
ユニだ。
手は装置の金具に掛かったまま。指先が、動いていない。
ぼんやりしているわけじゃない。考え事をしている、という感じでもない。
──固まっている。
視線は前。だが、何も見ていない目だ。
その周囲。
距離を空けたまま、妙に静かな兵士達。誰も声を掛けない。けれど空気だけが、そちらに寄っている。
……なるほどな。
息を一つ吐いた。
昨日。一昨日。その前から。
視線が増えたのは知っている。
だがここまで露骨なのは──
「……チッ。」
舌打ちは、無意識だった。
声を荒げる気はない。今ここで割って入れば、余計に"特別"が強調される。
だが……あのまま放っておく選択肢は、ねぇ。
足を止める。号令を出す直前で、動線を変えた。
ユニのすぐ横。誰の視界にも入る位置で、立ち止まる。
「──おい。」
低い声。
場の空気が、一斉に引き締まる。ユニの肩が、僅かに揺れた。だが、顔は上がらない。
視線を落とす。
金具に掛かったままの、その手。白くなった指先。
……あぁ。
こいつ、もう限界か。
「……手、止まってる。」
責める調子ではない。事実を告げるだけ。
「整備は。」
一拍。
「終わってねぇなら、やり直せ。」
命令口調。だが、内容はごく普通だ。
ユニはハッとしたように息を吸い、小さく頷く。
「……はい。」
その声は、少しだけ掠れていた。
俺はそれ以上、何も言わない。視線も、長く留めない。
代わりに、周囲を一瞥する。言葉はない。だが、十分だった。
空気が変わる。視線が散る。さっきまでの"音"が、急に小さくなる。
それを確認し、背を向ける。
──見てなかったとでも、思ったか。
胸の奥に、冷たいものが沈む。
折れる前に、気づいた。それだけは、確かだ。だが──次はもっと、派手に動く必要がある。
俺は歩きながら、考える。
あいつが"兵士として"立てなくなる前に。
火はもう、放っておける段階じゃねぇ。
◇
訓練は、基礎の反復だった。
派手さはない。だがこういう時ほど、綻びは出る。
俺は全体を見渡しながら、号令を出す。
視線は自然と、流れていく。その途中で、引っかかった。
……遅い。
ほんの僅か、半拍にも満たないズレ。だが──あいつだ。
ユニの動きが、今日に限って鈍い。踏み込みが浅い。重心が、定まっていない。
ミスと言うほどじゃねぇ。周囲に埋もれれば、見逃される程度だ。
だが──俺は見逃さない。
号令を出しながら、意識の端でずっと捉えている。
俯きがちだ。視線が、前にない。集中が切れている。昨日とは、明らかに違う。
「……。」
舌打ちは飲み込む。
ここで声を荒げる理由はない。だが、このまま放っておく気もねぇ。
そう判断した、その時。
「──リヴァイ。」
隣から、低い声。
横を見ると、エルヴィンが立っていた。
いつからいたのか。気配を殺すのが、相変わらず上手い。
視線は俺ではなく──訓練列の中。
「……あぁ。」
短く返す。
エルヴィンは数秒、何も言わずに見ていた。そして、静かに言う。
「彼女、調子を落としているな。」
確認ではない。把握した上での言葉だ。
「昨日からだ。」
俺がそう答えると、エルヴィンはほんの少しだけ目を細めた。
「理由は?」
「察しはついてる。」
それだけで、十分だったらしい。
「……そうか。」
一拍。
「なら、内部の火種だな。」
淡々とした声音。
だがその奥にある判断の速さは、いつも通りだ。
俺は、視線を前に戻したまま言う。
「何も知らねぇ連中に、少し……手荒な教育をしてもいいか。」
自分でも分かる。"少し"で済む保証はねぇ。
エルヴィンは一瞬だけ考え、そして──あっさりと言った。
「死人が出なければ、問題ない。」
……やっぱりな。
「了解した。」
それ以上、言葉はいらない。
訓練は、まだ続いている。
だが──俺の中で、次にやる事はもう決まった。
視線の先で、俯いたまま動く小さな背中を見る。
気づいていないかもしれないが──ここから先は、俺の仕事だ。
静かに。確実に。
火は、これ以上広げさせねぇ。