第2章
夢小説設定
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廊下を歩いていると、ふと、視線を感じた。
気のせいかと思いそのまま進もうとして──一瞬、遅れて振り返る。
目が、合う。
2人。3人。
調査兵団の兵士達。
けれど次の瞬間には、まるで何事もなかったかのように視線が逸らされる。
話していた声も、少しだけ低くなる。
「……。」
何かを言われたわけじゃない。呼び止められたわけでも、責められたわけでもない。
ただ"見られている"という感覚だけが、残る。
私は、足を止めない。歩調も、姿勢も、変えない。
けれど胸の奥に、小さな違和感が沈んでいく。
──あぁ、これは……嫌な雰囲気だ。
理由は、分かっている。
憲兵の制服で、壁外調査に出た事。リヴァイ兵士長と行動を共にしていた事。本部に来て、部屋まで用意された事。しかも──その部屋は、兵士長自らが掃除をした。
説明しようと思えば、できる。事情を話せば、理解される部分もあるかもしれない。
でも、誰も聞いてきてはいない。
代わりに、見て、測って、判断する。
それが、今の空気だ。
私は、無意識にリヴァイ兵士長の背中を探す。
……いない。
執務中だ。それは分かっている。
この場所で、この時間、私は1人だ。
リヴァイ兵士長のそばには、確かに居場所がある。迷わず立てる位置がある。離れなくていい距離がある。
けれど調査兵団という大きな集団の中で、私の立つ場所は──まだ、どこにも決まっていない。
私は何も言われていないのに、少しだけ背筋を伸ばす。
見誤られないように。隙を見せないように。
それは、リヴァイ兵士長の前でしていた事と同じ。
ただ一つ違うのは、ここでは、守ってくれる視線は、まだない。
私は歩き続ける。視線を浴びながら、何もなかった顔をして。
──火は、まだ上がっていない。
けれどその前の"熱"だけが、確かに、足元に溜まり始めていた。
訓練場に張られたワイヤーが、風に微かに鳴っている。
久しぶりの、立体機動訓練。
本部の訓練場はトロスト区よりも広く、視線が集まりやすい。
私は装置を確認しながら、自然と周囲を見渡す。
──見られている。
はっきりとした悪意じゃない。でも、好意でもない。
視線が合えば、逸らされる。小声が止まり、また始まる。
胸の奥に、薄い違和感が溜まっていく。
それでも、私は、何も言わない。
装具を締め、息を整える。
合図。
私は地を蹴り、ワイヤーを射出する。空気を切る音。身体が引き上げられる感覚。
久しぶりなのに、怖さはない。むしろ──静かだ。軌道を描き、次の支点へ。
速さは抑える。派手な動きはしない。"見せる"必要はない。
ただ、正確に。ただ、確実に。
視界の端で、黒い影が動いた気がした。
視線を向けなくても分かる。
──リヴァイ兵士長。
近づいては来ない。声もかけない。ただ、少し離れた場所から見ている。
私は、次の動作に移る。
着地。方向転換。高度を落とす。
一瞬、バランスがずれた。
そのとき。
「……肘、開きすぎだ。」
低い声。それだけ。
名前もない。視線も、向けられない。でも──私は、反射的に姿勢を修正する。
次の動きは、安定した。
訓練は続く。
周囲の兵士達はちらちらとこちらを見る。
何かを期待するように。何かを探るように。でも、何も起きない。
リヴァイ兵士長は、口出しをしない。私も、主張しない。ただ、訓練が進むだけ。
最後の着地。私は、静かに地面に降り立つ。
息を整えながら、装置を外す。
その瞬間、また視線を感じた。
でも、さっきとは少し違う。
──上手いとか、下手とか。
──特別だとか、違うとか。
そういう評価の手前。
「……。」
私は、何も言わずに装具をまとめる。
調査兵団の中での居場所は、まだここにはない。
それでも。
遠くでリヴァイ兵士長が、視線を外すのが分かった。
──見ていた。
──それで、終わり。
それだけで、今は踏みとどまれる。
私は次の訓練に備えて、もう一度息を吸った。
訓練が終わり、器具の金属音が落ち着いていく。
整備場には油の匂いと、乾いた布が擦れる音だけが残っていた。
誰も大きな声は出さない。身体を動かしたあとの、独特の静けさ。
私は立体機動装置を膝に乗せ、黙々と点検を進めていた。
ワイヤー。圧縮装置。刃の固定。
手順は、もう身体が覚えている。頭を使わなくても、指が勝手に動く。
けれど今日の私は少しだけ──雑だった。
自覚はある。だからこそ、余計に黙る。
リヴァイ兵士長は少し離れた場所で、別の兵の装置を見ている。
声を張ることもなく、淡々と。いつも通りだ。
……何も、変わっていない。
そう思おうとした、そのとき。
「……ユニ。」
低い声。
私は、即座に顔を上げる。
「はい。」
呼ばれただけで、背筋が伸びる。視線が合う。
リヴァイ兵士長はこちらに近づいてくるわけでもなく、ただ、作業の手を止めたまま言った。
「今日の訓練だが、」
心臓が、僅かに跳ねる。
「全体としては、問題ねぇ。」
一拍。
「……だが何度か、集中が抜けた瞬間があった。」
責める口調ではない。事実を事実として述べているだけ。
私は、反射的に視線を落とす。
「……はい。」
否定はできない。言い訳もしない。
「今は誤差の範囲だ。だが、戦場じゃ誤差で死ぬ。」
淡々とした声音。
「気をつけろ。」
それだけ。それ以上、何も言わない。深掘りもしない。理由を問う事もない。
私は、静かに頷く。
「……はい。」
その返事に、リヴァイ兵士長は一瞬だけ視線を留める。
ほんの一瞬。けれど確かに、こちらを見ていた。
「整備、続けろ。」
「はい。」
それで、会話は終わる。
リヴァイ兵士長は、また別の装置へ視線を戻す。もう、私を見ていない。私はゆっくりと息を吐き、手元の金具をもう一度締め直した。
胸の奥に、何かが残っている。
安心。……そう、安心だ。
何も解決していない。視線も、噂も、空気も、変わってはいない。
それでも──この人は、以前と同じように見ていた。
できていないところも、崩れかけた瞬間も、"兵士として"の私を。
それだけで──私は確かに、安心した。
私は装置に視線を戻し、もう一度、指先に意識を集中させる。
ここにいる。見られている。
それを、静かに噛みしめながら。
整備が一通り終わり、器具を所定の位置に戻す。
金属音が、ひとつ、またひとつと消えていく。人も、少しずつ散っていく。
私は最後に装置を棚へ収めてから、立ち上がった。
その横に「……久しぶりだね」と声が落ちた。
振り向くと、少し離れた位置にナナバがいた。
視線は合うけれど、距離は詰めない。あの頃と同じようで、少し違う立ち方。
「……うん。」
短く返す。それ以上、続く言葉はない。
無理に近づく事も、昔みたいに軽口を叩く事もしない。
整備場の端を、並んで歩く。肩が触れるほどではない。けれど、完全に離れてもいない。
「……今、視線が集まってるのは分かってる?」
前を向いたまま、ナナバが言う。確認でも、詰問でもない。ただの事実確認。
私はほんの一瞬だけ息を吸ってから、頷いた。
「……うん。」
否定しない。もう、分かっている。理由までは、口にしない。説明もしない。
ナナバは、それ以上を聞かなかった。
「責めてるわけじゃないよ。」
歩調を合わせたまま、ぽつりと。
「ただ……知っておいた方がいい。」
それだけ。
一拍置いて、続く。
「あんまり気にしない方がいい。気にして縮こまってるほうが、目立つ。」
助言というより、経験則。同期としての距離感のまま、投げられた言葉。
私は少しだけ考えてから、静かに答える。
「……分かってる。」
それも本当だ。
ナナバは、それで十分だと判断したらしい。それ以上、何も言わない。
歩く速度が、自然とずれていく。もう並ばない距離。
「じゃ。」
短く言って、ナナバは別の方向へ向かった。
私は、その背中を追わない。
ただ立ち止まりもせず、前を向く。
──分かっている人は、分かっている。
それ以上、言葉にする必要はない。
胸の奥に、小さな重さは残る。でもそれはもう、初めて感じるものじゃなかった。
私は、歩き続ける。
リヴァイ兵士長のいる方へ。自分が、戻るべき位置へ。
静かな整備場にまた、足音が一つだけ残った。