第1章
夢小説設定
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部屋に、紙を捲る音だけが続く。一定の間隔。迷いのない手つき。インクの匂いと、乾いた空気。
私は背筋を伸ばしたまま椅子に座り視線だけを落としていた。
──何もしない。
それが、今与えられた役割だ。
時間の感覚が、少し曖昧になる。
十分か、二十分か。その区切りすら、どうでもよくなった頃。
不意に。
「……そこのファイル。」
低い声。
私は、即座に顔を上げる。
リヴァイ兵士長はこちらを見ていない。机から視線を外さないまま、顎だけで室内の棚を示していた。
「右から2番目だ。」
短い指示。それだけ。
私は音を立てないように立ち上がり、示された棚へ向かう。言われた通りの位置。迷う余地はない。
手に取って、机の端にそっと置く。
「……これですか。」
「あぁ。」
それだけで、やり取りは終わる。
リヴァイ兵士長は受け取ったファイルを開き、また作業に戻る。
私は何も言わず、元の椅子へ戻った。
──それだけ。なのに。
胸の奥が、ほんの少し、温かくなる。
「……ついでだ。」
また、声。
今度は、さっきよりほんの僅かに間が短い。
「そこの束、順番が逆だ。上から3枚、入れ替えろ。」
私は頷き、言われた通りに動く。余計な確認はしない。勝手な判断もしない。
終わったら、元の位置へ戻る。
それを、何度か。
本当に、ぽつりぽつりと。
「インク、替えとけ。」
「この地図、端を押さえろ。」
「……そこ、風で捲れる。」
どれも、誰にでもできる事。
けれど、"今ここにいる私"に向けられた言葉だ。
作業の流れは、途切れない。空気も、変わらない。それでも──私はもう、ただ座っているだけじゃなかった。
「……。」
一つの作業を終えたところで、リヴァイ兵士長が一瞬だけ、視線をこちらに寄越す。
すぐに外される。本当に、一瞬。
でも、それで十分だった。
見ている。任せている。
それが、はっきり分かる。
私は静かに息を吸い、また、次に呼ばれるまで待つ。
ここにいればいい。
今はそれが──確かな居場所だった。
机の上の書類がひと区切りついたところで、リヴァイ兵士長の手が、止まった。
紙を揃え、ペンを置く。
それから、短く息を吐く。
「……紅茶。」
唐突だったが、命令というより、自然な流れだった。
「奥の給湯室だ。戸棚は、勝手に開けていい。」
私は、即座に立ち上がる。
「…はい。」
給湯室へ向かう途中、ふと、思い出す。
──紅茶が好き。
噂程度に、耳にしたことがあった。
だからこそ、適当に淹れるわけにはいかない。
火を使い、湯を沸かす。茶葉を量り、蒸らす時間を数える。
過剰にならないように。でも、雑にもならないように。自分なりに、できる限り丁寧に。
カップに注ぎ、静かに香りを確かめてから、私は部屋へ戻った。
机の端に、そっと置く。
「……どうぞ。」
それだけ言って、一歩下がる。
リヴァイ兵士長は、何も言わずにカップを手に取る。
一口。喉を通す。
──沈黙。
評価も、感想もない。
失敗だったか、と考えかけた、その時。
「……お前の分は。」
問いではなく、確認するような声。
「……え?」
思わず、間の抜けた声が出る。
その視線が、ようやくこちらに向いた。
「少し、休憩だ。」
短く。それだけ。
命令でもなく、気遣いとも言い切れない。ただの事実の提示。
理解が、一拍遅れて落ちる。
「……あ。」
私は慌てて頷き、もう一つ、カップを用意する。
自分の分。
席に戻ると、リヴァイ兵士長はもう一口、紅茶を飲んでいた。
相変わらず、言葉はない。
でも、作業を急かす気配もない。
机と、椅子と、湯気。その間に流れる、静かな時間。
私はカップを手に取り、一口、口をつける。
……温かい。
それだけで、張り詰めていたものが少しだけほどけた。
──休憩だ。
そう理解できる程度には、ここにいる事が当たり前になっていた。
言葉は、いらない。
今はただ、同じ部屋で、同じ時間を使っている。
それだけで、十分だった。
報告書の束は、思ったよりも重くはなかった。けれど、その中身の重みは分かっている。
リヴァイ兵士長がまとめた、今回の壁外調査の記録。
簡潔で、無駄がなく、必要な事だけが、正確に揃えられている。
それを抱えて、私は団長室の前に立った。
今度は、迷わない。
コン、コン。
「入れ。」
扉を開けると、
エルヴィン団長は机に向かったまま書類に視線を落としていた。
「失礼します。リヴァイ兵士長から、報告書をお預かりしました。」
そう言って、机の上に差し出す。
エルヴィン団長はようやく顔を上げ、書類の束に目をやった。
「……もう出来たのか。」
小さく、感心したような声。
「早いな。」
「……そうなんですか?」
自分では、比較がつかない。正直な疑問だった。
エルヴィン団長は報告書の1枚目をめくりながら、口元を僅かに緩める。
「いつもより、だ。それも、かなり。」
一拍置いてから、ちらりとこちらを見る。
「君が手伝ったからか。」
「いえ。」
即座に、首を振る。
「大した事は、何もしていません。ファイルを取ったり、順番を整えたり……それくらいです。」
エルヴィン団長はその答えを聞いて、何かを確かめるように、一度だけ頷いた。
「それで十分だ。」
短くそう言って、報告書に視線を戻す。
「リヴァイは余計な手を嫌うが……"必要な手"は見逃さない。」
その言葉は、評価とも、事実の確認ともつかない響きだった。
私は何も言わず、ただ姿勢を正す。
「──あぁ、そうだ。」
エルヴィン団長が思い出したように、机の脇から別の書類を取り出した。
「これは、リヴァイに返してくれ。こちらで確認した分だ。」
差し出されたのは数枚の書類と、簡単な付箋。
「承知しました。」
受け取り、一礼する。
「頼む。……それと、」
一瞬だけ、視線が鋭くなる。
「君自身の話は、また改めて聞かせてもらう。」
「……はい。」
確かにそう答えて、私は扉へ向かった。
廊下に出ると、支部の中は相変わらず慌ただしい。
けれどその中で──私は今、確かに"繋ぐ役目"を担っている。
それが少しだけ、誇らしかった。
書類を胸に抱え、そのまま、廊下を進む。足取りは、昨日よりも軽い。理由は分からない。ただ、迷いがない。
扉の前に立ち、いつも通りの動作で、声をかける。
中に入ると、リヴァイ兵士長はすでに机に向かっていた。
昨日と同じ姿勢。
昨日と同じ空気。
私は机の脇まで進み、書類を差し出す。
「エルヴィン団長から、お預かりしました。」
簡潔に。余計な説明はしない。
リヴァイ兵士長は視線を上げる事なく、書類を受け取る。
紙が、静かに重なる音。
「……あぁ。」
それだけ。
中身に、すぐ目を通し始める。指の動きは、相変わらず速い。
昨日と同じ場所へ向かい、同じように腰を下ろした。
──指示は、ない。
だが、立ち去る理由もない。
机の上に私が運んできた書類が置かれ、すでに次の作業が始まっている。
紙を捲る音。ペンが走る音。
昨日と変わらない。
私は視線を落とし、次に呼ばれるまで、静かに待つ。
もう「ここにいていいか」を考える必要はなかった。
ここにいる。それが、今の私の役目だ。
部屋に、また紙を捲る音が戻る。
ペンが走り、書類が積み替えられ、思考が、無駄なく流れていく。
私は視線を落とし、気配を消す。
必要なら、呼ばれる。不要なら、何も起きない。
それでいい。
しばらくして──
「……その地図。」
低い声。
私は、即座に反応する。
机の端にある一枚を取り、指示を待つ。
「右下、押さえろ。」
言われた通りに手を添える。紙が、ぴたりと止まる。
リヴァイ兵士長は何も言わないまま、作業を続ける。
私は手を引き、元の位置へ戻る。
昨日と、同じ。
でも、違うのは──
ここにいることが、もう「偶然」じゃないという事。
部屋の空気は、静かだ。
けれどこの静けさはもう、私を拒んでいなかった。