第1章
夢小説設定
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目を開けた瞬間、身体が——軋んだ。
筋肉という筋肉が、一拍遅れて存在を主張してくる。
……痛い。
けれど、頭は不思議なほど澄んでいる。意識だけが、先に起きてしまったような感覚。
しばらく天井を見つめてから、小さく息を吐いた。
……よく、寝た。
そう思った次の瞬間。
——え?
違和感が、遅れてやって来る。
……静かすぎる。
朝の訓練前特有の、あの慌ただしさがない。
時計代わりにしている感覚が、明らかに「行き過ぎ」を告げていた。
私は、勢いよく上半身を起こす。
「……っ。」
軽く眩暈。でもそれ以上に。
……寝すぎた。完全に。
一瞬、心臓が跳ねる。
訓練。遅刻。叱責。
そこまで思考が走ってから、ふっと、引っかかる。
……昨日。
壁の中。支部。解散。
そして——
『明日の訓練は無しだ。ゆっくり休め。』
低くて、短い声。
……そうだ。
訓練は、ない。
理解が落ちた途端、全身から力が抜けた。
私はもう一度深く息を吐き、ベッドの縁に腰を下ろす。
軋む身体。でも、頭ははっきりしている。
悪くない。
むしろ——これが、休めたということなんだろう。
ゆっくりと立ち上がり、身支度を始める。
シャツを通し、ベルトを締める。
指先が動くにつれて、思考も少しずつ整っていく。
——さて。
次は、どうする。
訓練がない以上、命令待ちで部屋にいる必要はない。
ふと、あの日の夜が脳裏をよぎる。
焚き火。短い会話。そして、
『明日、帰還だ』
そう告げた、エルヴィン・スミスの声。
……エルヴィン団長。
初めての壁外調査。無事に終えて。
きっと——聞かれる気がした。
「どうだった?」
そう、直接的じゃなくても。何かしら。
それが用件になるかどうかは分からない。
壁外調査直後で忙しいのは分かっている。
けれど——もし、手伝えることがあるなら。
雑務でも、報告でも。
こちらから伺って、邪魔なら引けばいい。
……それに。
向こうから、話したい事があるかもしれない。
根拠はない。ただの予感だ。
でも昨日までの時間が——そう思わせた。
私は最後にもう一度ベルトを確かめ、扉に手をかける。
……行ってみよう。
考えすぎかもしれない。空振りかもしれない。
それでも、今の私は動いた方がいい気がした。
扉を開ける。
朝の空気が、肺に入る。
壁の中の日常が、ゆっくりと、戻ってきていた。
団長室の前に立つ。
扉は、いつもと変わらない。重くて、静かで、向こう側の気配を簡単には漏らさない。
以前なら、ここで一度、呼吸を整えていた。
ノックする理由を頭の中で組み立てて、それでも「今でいいのか」と迷っていたと思う。
でも、今日は違った。躊躇はなかった。
私は、そのまま拳を上げる。
コン、コン。
乾いた音が、廊下に小さく響く。
「お忙しいところ恐れ入ります。ユニです。」
「入れ。」
間を置かずに返ってきた声。エルヴィン・スミス団長のものだ。
私は扉を開け、一歩中へ入る。
「失礼します。」
室内は壁外調査直後らしく、地図や書類が広げられたままだった。
椅子に腰掛けたエルヴィン団長は、書類から視線を上げ、私を見る。
その目に、驚きはない。むしろ、来ると分かっていたような静けさがあった。
「ユニ。もう体は動くか?」
問いは、簡潔だった。
「はい。……よく、休めました。」
少しだけ、間を置いてから答える。
嘘ではない。身体は軋むが、頭は不思議なほど冴えている。
エルヴィン団長はふっと小さく口元を緩めた。
「そうか。それなら何よりだ。」
それだけ言って、また書類に視線を落とす。
だが、完全に戻ったわけではない。意識の一部は、こちらに向いたままだ。
「こちらから呼ぶ前に来た、という事は……、」
視線が、再び上がる。
「何か、気になったか?それとも——」
言葉を切り、私を正面から見る。
「何となく、か?」
私は少しだけ考えてから、正直に答えた。
「……はい。初めての壁外調査でしたし……、」
言葉を探して、少しだけ視線が泳ぐ。
「はっきりした理由があったわけではないんですが……近いうちに、エルヴィン団長の方から何かお話があるのかな、とは……」
自分でも曖昧だと思う言い方だ。けれど、正直な感覚でもあった。
それに、と続けようとして、一瞬だけ迷う。
「……もし、お忙しいようでしたら、お手伝いできる事があればと、思いまして。」
エルヴィン団長は、すぐには答えなかった。
視線を外し、机の上の書類に手を伸ばす。
評価するようでも、試すようでもない。ただ、人を見る時の沈黙。
やがて紙を揃える音がして、それから、ゆっくりと頷いた。
「なるほど。」
短く、それだけ。
「君の考え方は、理解した。悪くない判断だ。」
視線が、もう一度こちらに戻る。
「確かに、君には聞きたい事がある。今回の壁外調査について——特にな。」
だが、と続けて、すぐに言葉を切る。
「ただし、それは後でいい。」
机の上を整理しながら、淡々と続ける。
「今は、報告と全体の整理が先だ。君を引き留める理由は、今はない。」
そして、はっきりと。
「今日は、体を戻す事を優先しろ。それも任務のうちだ。」
私は、背筋を正す。
「……はい。」
エルヴィン団長は、満足そうに一度だけ頷いた。
「改めて時間を取る。その時に、君自身の言葉で聞かせてくれ。」
静かな声だったが、逃げ場のない、確定した未来の提示だった。
「承知しました。」
一礼して、私は扉へ向かう。
呼ばれたわけではない。約束があったわけでもない。
それでも——ここに来た判断は、間違っていなかった。
扉を閉めると、廊下には支部の朝の気配が満ちている。
私は、次にやるべき事を考えながら、静かに歩き出した。
兵舎の中は、静かに騒がしかった。
壁外調査が終わった直後特有の、あちこちで同時に動いている気配。
装備を片付ける音。報告をまとめる声。上官たちの足取りは早く、一般兵は、どこか遠慮がちにその流れを避けている。
——忙しさの質が、違う。
自分が今、割り込める場所は多くない。
けれど、「何もできない」と決めるほど、完全に部外者でもない。
少し考えてから、私は足先の向きを変えた。
リヴァイ兵士長の執務室。
扉の前で立ち止まるが、迷いはなかった。執務室の扉を、軽くノックする。
「……リヴァイ兵士長。ユニです。」
間を置かずに、「入れ」と、低い声が返る。
中に入ると、机の上にはすでに書類が積まれている。
報告書。索敵の記録。数字と線と、無駄のない文字。
リヴァイ兵士長は椅子に腰掛けたまま、視線だけを上げた。
「何だ。」
端的な声。
私は一歩進み、姿勢を正した。
「お忙しいところ、失礼します。」
それから、少し間を置いて。
「団長室からの帰りです。特に用を言いつけられたわけではありません。」
一拍置いてから、続ける。
「何か、お手伝いできる事があればと思いまして。」
一瞬。リヴァイ兵士長の視線が、私を測るように止まる。
それから、書類へ戻る。
「……お前が触る仕事じゃねぇのが、ほとんどだ。」
低く、即断。拒絶ではない。ただの事実確認だ。
私は、すぐに頷く。
「はい。理解しています。」
間髪入れず、続ける。
「ですから、すぐに作業に入るというよりは……必要になった時に動けるよう、待機しておこうかと。」
言い切りではない。提案に留めた言い方。
「もしお邪魔でしたら、別の仕事を探します。」
室内に、短い沈黙が落ちる。
紙を揃える音。ペンを置く、乾いた気配。
リヴァイ兵士長は、ようやくこちらを見る。
その目には、苛立ちも迷いもない。
「……理解してるなら、余計な事は言わねぇ。」
一拍置き、リヴァイ兵士長は書類から視線を上げないまま、顎で室内の一角を示す。
「そこに座ってろ。」
短い、だが完全な許可だった。
私は、即座に理解する。
——"待機"の許可。
それ以上でも、それ以下でもない。
「……はい。」
小さく答え、示された椅子へ向かう。背後で、また紙を捲る音が始まる。
仕事の速度は、変わらない。空気も、変わらない。
けれど——私は、その場に居ていい。
それだけで、今は十分だった。