第1章
夢小説設定
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見学は、予定通り終わった。余計な問題も起きていない。設備も、人間も、最低限は見せた。それ以上の事は、していない。
なのに、頭のどこかに引っかかりが残っている。
憲兵団の上等兵。それだけなら、珍しくもない。だが、あの女は違った。
怯えない。媚びない。余計な事も言わない。なのに──目だけが、やけに動く。
周囲を見ている。人を見ている。だが、自分を良く見せようとはしていない。
「……チッ。」
自分の思考に舌打ちして、俺は団長室の扉を開けた。
中にいたのは、エルヴィン・スミス。いつも通りの姿勢。いつも通りの顔。
「どうした。」
書類から目を離さず、それだけ言う。
「さっきの見学だ。」
短く切り出す。
「憲兵が来るのは、そう珍しい話じゃねぇ。だが、あの女はおかしい。」
そこまで言ってようやく、エルヴィンがペンを止めた。そしてそれまで書類に向いていた視線が、俺に向く。
「どこがだ?」
その言い方が、もう腹立たしい。知っている顔だ。
「怖がってねぇ。」
「それだけか?」
「それだけじゃねぇ。」
言葉を選ぶのは苦手だ。だが、黙る気はなかった。頭の中に浮かんだ感覚を、そのまま吐き出すしかない。理屈に落とす前に、引っかかりだけが先に残っている。だからこそ、ここで止めるわけにはいかなかった。
「値踏みされてるって分かってて、視線を逸らさねぇ。近づこうともしない。だが、引きもしねぇ。…あぁいうのは、最初から覚悟してる人間だ。」
腕を組む。言い切ったあと、室内に短い沈黙が落ちた。エルヴィンは何も言わない。ただ、その沈黙が否定でも肯定でもない事だけは、長い付き合いで分かる。
「聞いてねぇぞ。憲兵団が、調査兵団に見学を希望するなんて話は。」
沈黙。
エルヴィンは、少しだけ目を細めた。
「彼女からだ。」
「…は?」
「見学をしたい、と言われた。」
それだけ。
それだけで、胸の奥がざわつく。
「理由は?」
「聞いた。」
「で?」
エルヴィンは、少し考えるように視線を逸らした。
「世界を、知りたいそうだ。」
……ふざけてるのか?
俺は、眉間に皺を寄せた。
「ガキみてぇな理由だな。」
「そうか?」
「何をしに来たのか、本人が分かってねぇ。覚悟が足りねぇ。」
言い切った。
エルヴィンは、それを否定しない。
否定しないという態度が、かえって厄介だった。簡単に切り捨てる気がない事だけは、はっきりと伝わってくる。
「彼女は、自分に力がない事を理解している。だからこそ、考える事をやめなかった。」
その言い方に、嫌な予感がした。その評価は、俺が一番聞きたくなかった種類のものだ。力や技能じゃない場所に目を向けた時、エルヴィンは決まって後戻りしなくなる。
「お前、最初から分かっててここに呼んだな。」
エルヴィンは、ようやく小さく笑った。
「"呼んだ"わけじゃない。選択肢を示しただけだ。」
クソ。一番タチが悪い。
選ぶのは本人だと言いながら、逃げ道だけを先に塞ぐやり方だ。知らないうちに舞台に立たされている側の身にもなれ、と内心で吐き捨てる。
「憲兵団が、簡単に手放すと思ってるのか。」
「思っていない。」
即答だった。
「だが、見学は"選択"だ。それを否定する権利は、誰にもない。」
俺は、しばらく黙った。
そして、あの女の顔を思い出す。作った表情。だが、どこかで必ず崩れそうな均衡。
「……あの女は、調査兵団向きじゃねぇ。」
そう言うと、エルヴィンは静かに答えた。
「そうかもしれない。だが、"問い"を持つ人間は、どこにいても苦しむ。ならばせめて、選ばせるべきだ。」
俺は、舌打ちした。
正論だ。だからこそ、反論できない。分かっていても納得できない時があるのが、人間だ。
「……厄介な種を拾ったな。」
「そうでもない。」
エルヴィンは、再びペンを取る。
「育つか潰れるかは、彼女次第だ。」
立ち去ろうとして、俺は一度だけ振り返った。
「……あの女、俺を怖がってなかった。」
だからあの時、あそこで止めた。
踏み込ませる気も、受け入れる気もなかった。
だが──そのまま来られるのは、違うと思った。
エルヴィンは、顔を上げないまま言う。
「君の前で、嘘をつく余裕がなかっただけだろう。」
……なるほどな。
扉を閉めながら、俺は思った。
──だから、引っかかる。
あの女は、弱い。だが、折れてはいない。
そういう人間がこの場所に来た時、どうなるか。
考えたくもないのに、目を離せなくなる。