第1章
夢小説設定
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二度目の黒は、嫌な位置で上がった。
さっきより、近い。距離感で分かる。風に流される前の立ち上がりが、速すぎる。
——入り込まれたか。
それとも、別個体が最初からこちらを追っていたか。
どちらにせよ、陣形の「外」じゃない。
だが俺は、手綱を引かなかった。速度も、角度も変えない。
振り返らない。
黒は、避けるための情報じゃない。警戒の合図だ。
つまり——ここからは、誤差が許されなくなる。
隊列全体に、見えない緊張が走る。
誰も声を上げないが、馬の呼吸が、わずかに揃い直されるのが分かる。
……チッ。
間に合ってる。判断は、遅れていない。
だが一度目の黒より、明らかに近い。
俺は前を見たまま視界の端で——自分の班の位置をなぞる。
中央。中列〜やや後方。
そこに、ユニ・クラインがいる。
直接、姿を確認しなくてもいい。配置と速度が、崩れていない。引き離されていない。突っ込んでもいない。
——問題ない。
そう判断できる範囲に、いる。
それで十分だ。
直後、中央列のさらに前方から緑が上がる。
二度目の、進路修正。
……来たか。
いや、来ると思っていた。
エルヴィン・スミスは、この距離で黒が二度出た時点で、もう「様子を見る」段階を終えている。
大きくは変えない。だが、確実にずらす。
奇行種に、「狙いを定める時間」を与えないための判断。
その緑を一瞬だけ視界に入れ、すぐ前を向き直す。
隊列が、また少しだけ流れる。滑らかで、無駄がない。
……いい。
その動きの中に、乱れはない。
ユニも、その流れに乗っているはずだ。
あいつは、空を見て浮つくほど馬鹿じゃない。
だが何も感じないほど、鈍くもない。
だからこそ、今みたいな局面で——
振り返らなくても、「戻れているか」だけは気になる。
唇を引き結ぶ。
気にする必要はない。条件は満たしている。
俺の視界に入る位置。引く判断ができる距離。前に出すぎない判断。
全部、事前に確認した。
それでも——黒が近い。
だからこそもう一度だけ、速度と間隔を確認する。
馬は、応える。隊列は、崩れない。
——行ける。
そう判断し、完全に前方へ意識を戻した。
ここから先は、個々が耐える時間だ。
そして、耐える力があるかどうかは——もう、試されている。
————————————————
二度目の黒は、見た瞬間に分かった。
……近い。
さっきとは違う。色じゃない。位置だ。
煙が立ち上がる前の"気配"が、近すぎる。風に流される前の角度が、鋭い。
胸の奥が、きゅっと縮む。
——内側だ。
陣形の外じゃない。どこかが、もう噛み合っている。
喉が、無意識に鳴る。
でも、馬は止まらない。手綱も引かない。列は崩れない。
私は視線を前に固定したまま、意識だけを、少し先へ伸ばす。
——いる。
前方、少し高い位置。黒い影。リヴァイ兵士長の背。
振り返らない。合図もない。それでも、あの背中が動いていない事が分かる。
速度も、間隔も、変わっていない。
……まだ、行ける。
そう判断されている。
黒が近い。
それでも、止められていない。
その事実が、ぎりぎりのところで私を踏みとどまらせる。
息を、吐く。浅く、長く。肩に力が入りすぎないように。視野を狭めすぎないように。
——大丈夫。
そう言い聞かせるより先に、隊列が僅かに流れた。
緑。
二度目の進路修正。
角度は小さい。だが、はっきりしている。私は、迷わず従う。
馬の首が、自然にその方向を向く。地面の感触が、少し変わる。黒は、視界の端から外れていく。
……離れた。
完全じゃない。だが、さっきよりは。
胸の奥で張りつめていたものが、ほんの少しだけ、形を変える。
それでも、緊張は解けない。解けるはずがない。
風の音が、やけに大きく聞こえる。馬の呼吸が、近い。誰も、喋らない。ただ、走り続ける。
時間が、伸びる。距離が、曖昧になる。
「まだか」と思った瞬間に、また「まだだ」と思い直す。
その繰り返し。
それでも、前方の背は変わらない。
振り返らないまま、隊列の一部として、そこに在り続けている。
……行けている。
そう思える"基準"が、いつの間にかあの背になっている事に気づいて、少しだけ息が詰まる。
でも、今は考えない。考える余裕は、ない。ただ、踏みとどまる。
前へ。
やがて、太陽の位置が、はっきりと傾き始めた。
長く引き伸ばされていた影が、少しずつ地面に近づいてくる。
その時——前方、中央寄り。隊列の先から、合図が走った。
色はない。音もない。
だが——「終わりが近い」という判断だけが、確実に伝わってくる。
——野営準備。
速度が、僅かに落ちる。止まらない。だが、揃え直される。
引き伸ばされていた列が、糸を巻き戻すように、少しずつ縮んでいく。
長距離索敵陣形が、静かに閉じられていく。
私は馬を走らせたまま、前方の距離が詰まっていくのを感じていた。
視界の先。黒い背中が、少しずつ大きくなる。
リヴァイ兵士長。
さっきまで「見える位置」にあった背が、今は、はっきりと近づいてくる。
速度を合わせる。間隔を詰める。
それでも、まだ声は届かない距離。
ただ、背中がある。
それだけで張りつめていた何かが、少しだけ緩んだ。
さらに距離が縮まる。
その瞬間——
ふいに、リヴァイ兵士長がこちらを見た。
一瞬だけ。
確認するような視線。問いも、合図もない。
けれど——「無事か」
そう言われた気がして、私は反射的に背筋を正していた。
頷くほど大げさでもなく、視線を逸らすほどでもない。
ただ、走り続ける。
彼はそれ以上こちらを見ず、すぐ前へ向き直った。
隊列は、さらに集約されていく。中央に、意識が寄せられていく。
走りながら、今日一日の緊張が少しずつ、身体の奥に沈んでいくのが分かった。
まだ、外だ。油断はできない。
それでも——野営が近い。
その事実だけが、胸の奥に静かに落ちてくる。
私は手綱を握り直し、前を向いたまま、馬を走らせ続けた。
——今日は、ここまでだ。
そう思える距離に、確かに辿り着いていた。