第1章
夢小説設定
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訓練場の空気は、いつもより少し冷たかった。
装置を装着しながら、肩の奥に残る鈍い痛みを確かめる。打ったところはまだ主張してくるけれど、動けないほどじゃない。
──行ける。
昨日より、感覚は戻っている。判断も、視界も。
グリップを握り直した、その時だった。
「…ユニ。」
名前を呼ばれて、心臓が跳ねる。
振り向くと、少し離れた場所にリヴァイ兵士長が立っていた。視線は私に向いているのに、どこか全体を見ているような目。
一瞬、何を言われるのか分からなくて、思わず姿勢を正した。
「怪我の具合はどうだ。」
確認するような声。責める調子じゃない。
「……動けます。」
短く答える。嘘は言っていない。
「訓練も──」
続けようとした、その途中。
「今日はやめておけ。」
短い言葉だった。命令でも、叱責でもない。判断だけが、落とされた。
一瞬、意味が分からなかった。
──え?
思わず、瞬きをする。
昨日は、判断は間違っていないと言われた。踏み込んだ事も、止められなかった。だから、今日も積み重ねるものだと──。
視線が、自然と下がる。
グリップを握っていた指に力が入っていたことに気づいて、それが、緩んだ。
「……はい。」
返事は出た。ちゃんと。でも、声は思ったより小さかった。肩が、少しだけ落ちる。
自分でも分かる。落ち込んでいるわけじゃない。反発したいわけでもない。ただ。
──行けると思ったのに。
その気持ちが、行き場を失っただけだ。
リヴァイ兵士長は、それ以上何も言わなかった。理由も、説明もない。視線を一度だけ私から外し、訓練場の奥へ向ける。
「今、やるべき事を間違えるな。」
背中越しに落ちた、その一言。優しくはない。けれど、切り捨てる声音でもなかった。
「……無理して消耗する場面じゃねぇ。」
私はその場に立ったまま、しばらく動けずにいた。胸の奥が、じわりと温かい。
止められた。でも、否定されたわけじゃない。
──見られてる。
それだけが、はっきり分かった。
私はゆっくりと装置を外す。
今日は、飛ばない。でも──昨日より、確かに前にいる。
そう思えたから、少しだけ、悔しさが和らいだ。
扉の前で、一度だけ息を整える。
訓練場から離れても、身体の奥に残った重さは消えていない。それでも、立ち止まる理由には、ならなかった。
軽くノックをすると、中から間の抜けた声が返ってくる。
「どうぞー。」
扉を開けた瞬間、紙の山が視界に飛び込んできた。
机の上。床。椅子の背。
先日よりはマシ──いや、誤差かもしれない。
「おや。」
ハンジ・ゾエが顔を上げる。
「ユニじゃないか。どうしたの?」
私は一歩だけ中へ入り、扉を閉める。
「…怪我をして訓練へ参加できないので…何か、手伝える事があればと思って。」
言いながら、自分でも少し可笑しくなる。"手伝える事"なんて、ありすぎる部屋だ。
ハンジさんは一瞬きょとんとしてから、にっと笑った。
「書類仕事?」
「はい。」
即答だった。
片付け、と言わなかったのは、自分でも無意識だったと思う。
その様子を見て、ハンジさんは肩をすくめる。
「なるほどね。」
それから、わざとらしく部屋を見回して、
「じゃあ今日は、片付けはできなさそうだね。」
軽い調子。からかうみたいな声音。
私はほんの少しだけ、視線を落とした。
「……はい。」
声が、思ったよりも小さくなる。それを聞いて、ハンジさんは満足そうに頷いた。
「うんうん。」
椅子をくるりと回して立ち上がる。
「じゃあ、こっちお願いしようかな。」
山の中から、比較的まともそうな束を一つ引き抜く。
「単純な確認作業。急ぎじゃないけど、面倒なやつ。」
私の前に置いて、にやり。
「こういう時ほど、役に立つ仕事だよ。」
励ますでもなく、慰めるでもなく、ただ"今の私"に合った場所を示すみたいに。
私は小さく頷いて、書類に手を伸ばす。
紙の感触はひんやりしていて、現実的だった。
──できる事は、まだある。
そう思えただけで、胸の奥の重さが、ほんの少しだけ軽くなる。
ハンジさんはその様子を横目で見て、何も言わずに自分の席へ戻っていった。
からかいはたぶん、気づいていたから、だ。
シュンとしている私を。それでもここに来た事を。
それから、1時間あまり。
書類の山は、相変わらず減る気配がない。
紙をめくる音。ペン先が走る音。
私は頼まれた作業を、黙々と続けていた。
昨日の事を、考えないようにしながら。
「……いやぁ。」
不意に、ため息とも笑いともつかない声。
「今日は片付かないね、これ。」
ハンジさんは、机の向こうで書類を軽く叩いた。
「手伝いに来たのは助かるけどさ。」
ちら、と私を見る。
「昨日の今日で、無理して動くと思わなかったな。」
「……見て、いらしたんですね。」
「そりゃね。」
私は、首を振る。
「無理は、していません。」
少しだけ間が空いた。ハンジさんはそれを、面白がるように笑う。
「その言い方。してない"つもり"のやつだ。」
ペンを置く。
「怪我はどう?」
「……大丈夫です。」
即答。
「今日は、訓練もありませんし。」
「うん。」
あっさり。
「だからここにいるんでしょ。」
書類を一枚、横に避ける。
「リヴァイ、あの後も気にしてたみたいだよ。」
指が、止まる。それを、ハンジさんは見逃さなかった。けれど、そこは拾わない。
代わりに。
「……いやぁ、」
小さく、喉を鳴らす。
「ほんと、珍しいってさ。」
独り言みたいな声。
私が顔を上げるより先に、ハンジさんは書類に視線を落とす。紙の端を揃えながら、くつ、と短く笑った。
「エルヴィン曰く──」
軽く前置きしてから、続けて口を開いた。
「"あそこまで分かりやすいのは久しぶりだ"って。」
ペン先が止まる。
「まぁ、本人はそう思ってないだろうけどね。」
言葉を選ぶ、間。
「判断は早いのに、一瞬だけ間が空いたらしい。」
それだけで、十分だろうと言うように。
「自覚がない分、普段は隠れてるものが、焦ると滲んじゃうんだろうね。リヴァイは。」
私は、何も言えない。ハンジさんはそんな私をちらりと確認して、にやっとする。
「本人に言ったら、絶対"余計な事言うな"って怒られるやつ。」
肩をすくめる。
「だから、これは内緒だよ。」
そう言って、何事もなかったみたいにペンを走らせる。
「さぁさぁ、続き続き。」
私は遅れて頷き、作業に戻る。けれど──胸の奥に残ったのは、"気にしていた"よりも、ずっと生々しい感触だった。
焦り。間。隠しきれなかった、何か。
それが何かは、まだ分からない。
でも──知らなかった頃には、もう戻れない。