第1章
夢小説設定
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初めて足を踏み入れた調査兵団本部は、想像していたよりも静かだった。
もっと張り詰めた空気を想像していたのに、そこにあったのは日常と地続きの現場だった。
それでも足を踏み入れた瞬間から、胸の奥が落ち着かない。
ここは、何度も壁の外へ出て、何度も人が死んで帰ってくる場所。
……私が、ずっと見上げていた場所。
エルヴィン団長の案内で、廊下を進んでいた時だった。
「…おい。」
低く、短い声。
空気が、変わった。
視線を向ける前に分かってしまった。
背筋が、条件反射みたいに伸びる。
そこに立っていたのは小柄で鋭くて、異様なほど"削ぎ落とされた"存在。
リヴァイ兵士長。人類最強。
噂も戦果も、嫌というほど耳にしてきた名前。
エルヴィン団長とは、違う。
彼は"遠い人"だったけれど、この人は──距離を誤れば、許されない人だ。
心臓が、一拍遅れて強く鳴る。
私は反射的に敬礼しようとして、途中で動きを止めた。
──違う。ここは、私の持ち場じゃない。
一瞬の迷い。その"間"を、彼は見逃さなかった。鋭い視線が、私を上から下までなぞる。値踏み、という言葉が一番近い。
「…見学か。」
確認するような、興味のない声。なのに視線だけは、やけに正確だった。
喉が、きゅっと締まる。
エルヴィン団長の前では、言葉を選びながらも、話せた。でもこの人の前では、言葉を選ぶ余裕すら奪われる。怖い、というより──隠せない、という感覚。
「憲兵のままで、踏み込む場所じゃない。」
淡々とした一言。突き放しているわけでも、脅しているわけでもない。ただ、事実を置いただけの声だった。
私は、何も言えなかった。
それでも、視線だけは逸らさなかった。退くべきだと分かっているのに、ここで引いたら、最初から測られてもいない気がしたからだ。
一瞬の沈黙。
そして、ほんの僅かに眉が動いた。
「……そのまま来るな。」
それだけ言って、リヴァイ兵士長は視線を外した。
興味を失ったような仕草。けれど、その背中は、どこか線を引くように硬かった。
その仕草が、なぜか胸の奥に小さな痛みを残した。
憧れていたはずなのに。怖くて、近寄れないはずなのに。それでも私は、この人から目を逸らしたくなかった。
エルヴィン団長が歩き出し、私もそれに続く。
背後からまだ視線を感じている気がして、無意識に背筋を伸ばした。
後で気づく。私はエルヴィン団長の前では"理解されたい"と思っていた。
でも、リヴァイ兵士長の前では違う。
"認められたい"でもない。ただ、"見誤られたくない"。
それだけだった。
◇
本部の入口が見えてきたあたりで、私はふと足を緩めた。
終わりが近いと分かると、急に頭が忙しくなる。見たもの、聞いた声、受け取った空気。それらがまだ、うまく言葉にならないまま胸の内に溜まっていた。
……不思議だ。
ここへ来る前、私はもっと緊張すると思っていた。
それなのに今、強く残っているのは別の感覚だ。疑問。違和感。置き去りにされたような気配。
私は横を歩くエルヴィン団長を、盗み見るように観察した。
歩幅、姿勢、視線の向け方。声色の変化。沈黙の長さ。
いつもの癖で、無意識に情報を拾おうとしている自分に気づく。
──感情を、読め。
そう意識した瞬間、逆に何も掴めなくなった。
落ち着いている。だが、それは平静というより、制御だ。
穏やかに見えるのに、どこにも感情の起伏が見当たらない。期待も、警戒も、試すような色さえない。ただ、整っている。
……ない?
違う。ないんじゃない。見えない場所に置かれている。
私は内心で舌を巻いた。
これまで学んできた理論も、観察の積み重ねも、ここでは足場にならない。相手は感情を隠しているのではなく、最初から"外に出していない"のだ。
「……エルヴィン団長。」
呼びかける声が、少しだけ遅れた。
「なんだ。」
振り返った顔は、相変わらず穏やかだ。そこに読み取れる答えはない。
「どうして、私を見学に?」
言い切ってから、胸の奥が僅かに強く鳴った。
聞いていいのか、という迷いよりも、聞かずに終わる方が怖かった。
エルヴィン団長はすぐには答えなかった。一瞬、私を見る。その視線に評価はない。だが、拒絶もない。
「理由が必要か?」
問い返し。
それは煙に巻くためじゃない。本気で、そう思っている声音だった。
「……気になります。」
正直に答えた。理解したい、という衝動が、抑えきれなかったから。
エルヴィン団長は、ほんの僅かに目を細める。
それは感情ではなく、思考の動きだ。
「人を選ぶ時、必ずしも理由は一つじゃない。」
淡々とした声。説明でも、説得でもない。
「私は、君に"向いている"とも、"必要だ"とも、まだ判断していない。」
胸の奥が、少しだけざわつく。
否定でも肯定でもない。その中間。
「ただ──」
言葉が切れる。その一拍に、私は無意識に息を止めていた。
「疑問を抱えたまま留まり続けるのは、簡単な事じゃない。」
どれも間違っていないはずなのに、その言葉に当てはめた瞬間、胸の奥がひやりとした。
このまま、何もせずに生きていたら──
そこで、思考が止まる。
先を考えようとした途端、触れてはいけない線を踏みそうな気がして──無意識に、息を詰めた。
分からない。どうなるのかは、私には分からない。ただ、考えなければならない場所に立たされてしまった事だけは、分かった。
「……そう、ですか。」
それ以上、言葉は出てこなかった。
エルヴィン団長は、私の沈黙を気に留めた様子もなく、静かに言った。
「答えが欲しいなら、急ぐ必要はない。」
その言葉だけが、妙に胸に残る。
理解できなかった。感情も、思惑も、目的も。けれど──理解できない相手に、理解しようとした事自体が、すでに選ばれているのかもしれない。
そんな考えが、しつこく胸の奥に残り続けた。