第1章
夢小説設定
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朝の喧騒が、拠点を満たしている。
人の声。金属が擦れる音。装備を運ぶ足音。
それらはすべて、一定の方向へ流れているのに──私だけが、そこから一歩外れている。
書類を抱えたまま、立ち止まる。指示は、まだ来ていない。呼ばれてもいない。だから何もせず待機していればいいかというと──そんなわけがない。私が見た……見ようとしたエルヴィン・スミスは、"待つ"という選択を、軽く扱う人じゃない。
周囲を見回すと、皆それぞれに役割を持って動いているのが分かる。
誰かは、馬の準備へ。誰かは、倉庫へ。誰かは、打ち合わせへ。
私は、どこへ行けばいい。
「……。」
声に出さず、問いだけが残る。
憲兵団にいたなら、この時間は存在しなかった。やるべき事は最初から決まっていて、迷う余地なんてないから。でも、ここでは違う。
"待つ"という選択肢がある事が、何よりも不安を増幅させる。
書類の端を、無意識に揃える。揃え終わっても、意味はない。それでも、手が止まらない。
──私は、ここに何をしに来たんだろう。
答えはある。分かっている。けれど"今"の自分に与えられている役割が、見えない。
一瞬、視線が食堂の方へ向く。
ナナバが、向こうで誰かと話している。忙しそうだ。
目が合う前に、視線を逸らした。頼るのは、違う気がした。
私は息をひとつ吐いて、もう一度、周囲を見る。
倉庫の扉が、半分だけ開いているのが目に入った。中では物資の箱が積まれ、数人の兵士が慌ただしく動いている。
書類を見下ろす。
照合表。数量確認。搬入記録。
……できることは、ある。
私は意を決めたわけでもなく、ただ自然に、足を向けていた。
倉庫の中は、思っていた以上に慌ただしかった。
木箱が積み上げられ、帳簿と声が飛び交っている。
私は、入口の脇で一瞬だけ立ち止まった。
──勝手に入っていいのか。
そう思ってから、それでも引き返さなかった。
「照合表、ありますか。」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
近くにいた兵士が、ぱっとこちらを見る。一瞬、制服に視線が落ちる。憲兵団の紋章。
けれど何も言わず、机の上の紙束を指で叩いた。
「そこに。山積みだ。」
「ありがとうございます。」
自然に頭を下げて、書類を手に取る。数字を追う。箱の数を確認する。記載と現物を照らし合わせる。
──できる。
当たり前の作業。けれど今はそれが、何よりありがたかった。
背後で、誰かが箱を動かす音がする。
「それ、昨日搬入分?」
「はい、記録はこっちです。」
会話が、途切れない。私は、ただ作業を続ける。気づいた頃には、箱の山が少し低くなっていた。
「……助かるな。」
ぽつりと、誰かが言った。
誰に向けた言葉かは分からない。けれど胸の奥で、何かが静かにほどける。私は、顔を上げずに答える。
「まだ、続けます。」
その言葉は、誰かに認められたくて出たものじゃない。ただ──ここにいていい理由が、欲しかった。
しばらくして、帳簿を閉じる音がした。
「よし、一区切りだ。」
周囲が、ほっと息をつく。最後に数字を見直し、紙を揃えた。
「……合ってます。」
差し出すと、兵士は一瞬だけ目を丸くしてから、受け取った。
「早いな。」
「慣れているだけです。」
それ以上は言わない。私は書類を戻し、そっと一歩、下がる。
役割は、小さい。けれど、確かにあった。
──私は、動いた。
それだけで、胸の奥の不安は、少しだけ形を変えていた。
人の少ない通路だった。
壁際に積まれた箱。簡易机の上に並べた書類。与えられたわけでも、命じられたわけでもない作業。紙の端を揃えながら、ひとつずつ確認していく。
どこまでやっていいのか。どこからが余計なのか。
考えすぎると、手が止まる。だから考えないようにして動く。
足音がした。
近づくでもなく、遠ざかるでもない。途中で止まる、重さのある足取り。
私は手を止め、顔を上げる。
入口に立っていたのは、リヴァイ兵士長だった。
眉間に刻まれた深い皺。視線は室内を一巡し、それから私に落ちる。
──何か、用があるのだろうか。
姿勢を正し、口を開きかける。
「何か──」
言い切る前に、低い声が落ちた。
「気にするな。」
短く、それだけ。
視線はもう机の上に戻っている。散らかり具合を測るように、一瞬。
それ以上何も言わず、兵士長は踵を返した。足音が、遠ざかる。
私はしばらくその場に立ったまま、去っていった背中のあった場所を見ていた。
──気にするな。
命令でも、許可でもない。けれど、否定でもなかった。
ゆっくりと息を吐き、もう一度、書類に手を伸ばす。紙を揃え、順番を整える。
胸の奥で、さっきまであったざわつきが、音を立てずに沈んでいく。理由は、分からない。でも──少なくとも、ここにいていい。
そう思えるまでに、少し時間がかかっただけだった。