第1章
夢小説設定
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箱を積み直していた時だった。
視線の端で、影が動く。顔を上げるより先に、空気が僅かに重くなった。
入口に立っていたのは、リヴァイ兵士長だった。
中に足を踏み入れる事はせず、眉間に深く皺を寄せたまま、室内を見渡している。散乱した書類、床に置かれた器具、無秩序な配置。
──まずい。
何がまずいのか分からないまま、背中にひやりとしたものが走る。
「……何してる。」
低い声。
問いというより、確認。それでも、心臓が跳ねる。
私は手にしていた箱を抱えたまま固まってしまい、一拍遅れて、口を開いた。
「……ハンジさんに頼まれて……片付けを……。」
声が、自分でも驚くほど小さい。
言い訳でも、報告でもない。ただ事実を並べただけなのに、妙に緊張する。
リヴァイ兵士長は、もう一度だけ室内を見回す。
短く、舌打ちが落ちた。
反射的に、肩が跳ねる。
けれどその視線は、私を越えて、散らかった室内に向いていた。
何も言わない。評価も、否定もない。その沈黙が、逆に落ち着かない。
やがて、視線だけをこちらに向けて──
「……自分でやれと、断っていい。」
それだけ言った。命令でもなく、忠告でもなく、感情の乗らない、短い一言。
次の瞬間には、もう背を向けている。
足音が、廊下の向こうへ遠ざかる。
私はその場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。
──断って、よかったんだ。
そう理解するのに、少し時間がかかる。
胸の奥が、じんわりと熱を持つ。驚きと、戸惑いと、ほんの少しの安堵。
それでも──私は、箱を床に置かない。
視線を落とし、もう一度、部屋を見る。
「……。」
小さく息を吐いてから、黙って片付けを続けた。
断っていいと言われた。それでも、やると決めた。
──今は、それでいい。
そう思えたから。
床に散らばっていた書類を揃え、束ねて棚に押し込む。何が正しい配置なのか分からないまま、とにかく床を空けていく。
器具をまとめ、机の脚元を片付けていると──
「わっ!」
背後から、明るい声が落ちた。振り向くと、ハンジさんが立っている。部屋から姿を消していたのだが、今、戻ってきたらしい。目を丸くして、部屋の中をぐるりと見渡した。
「ちょ、え、え?さっきより……全然マシになってない!?」
そのまま数歩入り、足元を確認するように跳ねる。
「うわ、床が見える……!いや、見えるなんてもんじゃないね!これは大事件だよ、ユニ!」
勢いよくこちらを向いて、両手を広げる。
「ありがとう!本当にありがとう!正直、半分くらい冗談だったんだけど!」
冗談だったんだ、という言葉に、一瞬だけ手が止まる。けれど、ハンジさんは気づいた様子もなく棚の前にしゃがみ込んで、書類の束を覗き込む。
「いやぁ助かるなぁ。最近忙しくてさ、気づいたら増えてるんだよ、これ!」
笑いながら言う声は、心底嬉しそうだった。
「……いえ。」
短く答えながら、私は机の上を拭く。
感謝されるほどの事をした実感は、まだない。ただ、放っておけなかっただけだ。
「でもさ、」
ハンジさんは、ふいに顔を上げる。
「調査兵団に来たばっかりで、こういうの頼まれるの、嫌じゃなかった?」
探るようでもなく、責めるでもない、軽い問い。私は、ほんの少しだけ考えてから首を振った。
「……嫌、ではないです。」
言葉を選んだつもりはない。それが、今の私から出る正直な言葉だった。
ハンジさんは一瞬だけ目を細めて、それから、にっと笑う。
「そっか!」
それだけで、深追いはしない。
「じゃあさ、もう少しだけ頼んでいい?この箱、中身そのままで棚に突っ込んじゃって!」
雑だけど、彼女なりの信頼の置き方だった。
私は小さく頷き、箱を持ち上げる。
調査兵団に来て初めて、「役に立った」と言われた気がした。
言われたわけじゃない。
そう思ってもらえていたらいいな、と一瞬だけ、考えてしまう。
──期待するな。
そう言い聞かせて、私は黙って片付けを続けた。
床が見えるようになって、机の上も最低限は片付いた。私は壁際に置かれた箱に腰を下ろし、水筒を口に運ぶ。息を吐くと、ようやく肩の力が抜けた。
「いやぁ…、」
向かいでハンジさんが、椅子に逆向きに座り直す。
「助かったよ、ほんと。これでしばらくは怒られずに済む。」
軽い調子で言いながら、視線だけはどこか遠い。
「……怒られる、んですか。」
思わず口にすると、ハンジさんは一瞬きょとんとしてから、笑った。
「そりゃあもう。」
肩をすくめる。
「エルヴィンは言葉が丁寧だから分かりにくいけど、リヴァイは分かりやすいからね。」
その名前が出ただけで、胸の奥が小さく反応する。
「眉間に皺が増えてたら、だいたい私のせい。」
そう言って、くつくつと喉で笑う。
「でもね、」
ふっと、声の調子が落ち着いた。
「エルヴィンは、"ここが散らかってる"って事自体は、気にしないんだ。」
私は、黙って聞く。
「彼が見るのは、それで"何が起きているか"だから。」
言葉を選ぶように、一拍置く。
「この場所が使われてるのか。誰が、どれだけ、何を考えて動いてるのか。」
視線が、机の上に揃えられた書類に向く。
「片付いてるかどうかは、その結果でしかない。」
なるほど、と思う。
「一方で──」
ハンジさんは、今度はにやりとする。
「リヴァイは逆。」
「…、逆…ですか。」
「うん。」
即答だった。
「"結果が出る場所"だからこそ、整ってないと許さない。」
その言い方は、悪口ではない。むしろ、少し誇らしげですらある。
「戦場に出る前に、余計な事を考えさせられるのが我慢ならない人なんだ。」
私は、さっきの背中を思い出す。何も言わず、ただ一言だけ置いていった、あの感じ。
「でも、」
ハンジさんは、ちらりと私を見る。
「2人とも、同じところを見てる。」
「……同じ、ところ。」
「そう。」
指で、床をとんと叩く。
「"人"。」
短い言葉だった。
「使えるかどうか、じゃない。"ここに立たせるかどうか"。」
少しだけ、声が低くなる。
「ユニをここに呼んだのも、その延長だよ。」
私は、返事をしなかった。していいのか、分からなかった。ハンジさんは、それ以上踏み込まない。
「ま、私は難しい事考える役じゃないからさ。」
立ち上がって、背伸びをする。
「でも、今の君に言えるのはひとつ。」
振り返って、軽く笑う。
2人ともね、"君が来た事"自体は、ちゃんと見てるよ。」
「じゃ、私は次の準備があるから。」
ハンジさんは、軽く手を振って出口へ向かう。
その背中に、私は反射的に立ち上がりかけた。
──まだ、終わってない。
もう少し、整えられる。そう思った瞬間──ハンジさんが、振り返る。
「手伝ってくれてありがとう。」
軽い調子のまま、けれど言葉だけはきちんと。
「またこうなったら、お願いね。」
それだけ言って、今度こそ廊下へ出ていった。足音が、遠ざかる。
私はその場に立ち尽くしたまま、空になった椅子と、片付いた室内を見回す。
──また、こうなったら。
その一言が区切りだったのだと、少し遅れて理解する。
もし言われなければ、きっと私は、完璧になるまで手を動かしていた。
その時──脳裏に、低い声がよぎる。
──自分でやれと、断っていい。
思わず、息を吸う。
顔を上げるが、そこにいるはずの人はいない。
もう、誰もいない。
私は、小さく肩の力を抜いた。
そして何も言わずに、部屋を後にした。