第1章
夢小説設定
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この建物に戻ると、身体のどこかが緩む。気を抜くわけじゃない。ただ、戻ってきたという実感があるだけだ。外に出る前と、戻った後。やることは山ほどあるが、流れは決まっている。報告、整理、次の準備。調査兵団にとって、ここはそういう場所だ。
廊下を進んでいると、前方に見慣れた背中があった。背が高く、無駄のない姿勢。周囲が自然と静まるのは、いつものことだ。
「エルヴィン。」
呼びかけると、エルヴィン・スミスは振り返った。
「戻ったか、リヴァイ。」
それだけ聞けば、いつも通りのやり取りだ。だが、俺は足を止めた。
……微妙に、違う。
表情は変わらない。声の調子も同じだ。それでも、違和感が残る。外に出る前に纏っていた、あの張りつめた硬さが、わずかに削がれている。
「…今日は、やけに落ち着いてるな。」
探るように言うと、エルヴィンは目を細めた。
「そう見えるか?」
「あぁ。悪くはない。」
皮肉じゃない。長い付き合いだからこそ分かる差だ。
エルヴィンは少しだけ考えるように間を置いてから、口を開いた。
「考えさせられる事があった。」
「…珍しいな。」
「人の話だ。」
その一言で、だいたい察しはつく。
エルヴィンが足を止める理由は、いつだって人だ。
「憲兵団の詰所に寄った。」
「……そっちか。」
わざわざ行く理由がある時点で、ただ事じゃない。コイツが自分から勧んで足を運ぶ場所じゃない。必要があるから行く。それだけだ。
「そこで、興味深い兵士に会った。」
名前は出さない。評価もしない。
だが、"興味深い"という言葉だけが、妙に重い。
「階級は?」
「上等兵だ。」
覚えている。それだけで十分だった。名も評価も添えないが階級だけを切り出すという選び方が、すでに記憶している証拠だ。
「何を見た。」
エルヴィンはすぐに答えなかった。廊下の窓へと視線を流し、そのまま一拍置く。その沈黙に迷いはない。言葉を探しているんじゃない。削っている。余計なものを落とし、残すべき一点を量っている。
「疑問を持つ事を、やめていなかった。」
……なるほど。
それだけで、面倒だと分かる。扱いづらく、放っておけない。そういう種類の人間だ。
「面倒だな。」
「そうだな。」
即座に肯定するあたり、分かっていて話している。危うさも、その先に待つ道も、全部承知の上だ。
「それで?」
「見学を勧めた。」
「拾うわけじゃないんだな。」
確認するように言うと、エルヴィンは首を振る。
「まだだ。ただ、見せる価値はあると思った。」
その言い方が、いかにもエルヴィンらしい。
決めつけない。押しつけない。だが、可能性だけは手放さない。
「……相手は、厄介な道に足を踏み入れたな。」
「そうかもしれない。」
否定しない。だが、後悔もしていない。
コイツにそう言われた時点で、その兵士はもう、同じ場所に留まり続けることはできない。
「選ぶのは、向こうだな。」
「あぁ。」
短く、はっきりと。俺は小さく息を吐いた。
「掃除の手間が増えそうだ。」
「頼りにしている。」
軽く言われて、肩が僅かに下がる。
だが、分かっている。
この男が誰かに目を留めた時、それは偶然じゃない。
昔、俺自身がそうだった。拾われたと言うほど、甘い話じゃない。だが、見逃されもしなかった。エルヴィンの視線は、いつも"先"を見ている。
「名前は?」
何気なく聞いたつもりだった。エルヴィンは一瞬だけ間を置き、答えた。
「まだ、呼ぶほどじゃない。」
……なるほど。名を口にしないという選択そのものが、距離の測り方を物語っている。近づけすぎず、だが切り捨てもしていない。エルヴィンらしい、慎重な線引きだ。
「本当に厄介だな。」
「そう思うか?」
「あぁ。お前がそういう言い方をする時は、大抵そうだ。」
エルヴィンは、ほんの僅かに口元を緩めた。
それを見て、確信する。何かを見つけた時の顔だ。声に出さなくても分かる。
「外に出る理由は、人それぞれだ。」
エルヴィンが、独り言のように言う。その声音は誰に向けたものでもなく、だからこそ、妙に重い。答えを求めているわけじゃない。ただ、事実としてそこに置いているだけだ。
「だが、疑問を持ち続ける人間は、いずれ今いる場所では息ができなくなる。」
続いたその声は静かで、断定的だった。予測じゃない。経験に裏打ちされた言い切りだ。
「……俺みたいにな。」
思わず、口をつく。
エルヴィンは、何も言わなかった。否定もしない。その沈黙が、肯定よりも雄弁だった。
「面倒な未来になりそうだ。」
「その可能性は高いな。」
即答だった。
それでも、その表情は穏やかだ。期待というより、静かな確信。
「じゃあ、覚悟しておく。」
「頼もしいな。」
軽く言われて、鼻で笑う。
この男が拾い上げるのは、才能でも、忠誠心でもない。考えることを、やめなかった人間だ。
拾われるのが、希望か。それとも、ただの現実か。答えは、まだ先だ。だが、ひとつだけ確かな事がある。
この話は、もう始まっている。