第1章
夢小説設定
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食堂を出ると、空気が少し張りつめているのが分かった。
人の数は多い。けれど、雑談は少なく、足取りは一定で、目的だけが前にある。
──準備中だ。
壁外調査。それも、近い。
その中に放り込まれた自分が、今どう扱われるのか。考える暇は、確かにない。
私は一度だけ、背筋を伸ばした。
指示は、まだ出ていない。何をするのかも、どこに立つのかも。だからこそ、行き先は一つしかなかった。
団長室。
扉の前に立つと、昨日と同じはずなのに、距離が違って感じる。近くなったわけでも、遠くなったわけでもない。
──もう一度、ここに来るとは思っていなかった。
ノックをしようとして、わずかに躊躇う。その一瞬を、内側からの声が遮った。
「……入っていい。」
低く、落ち着いた声。
私は、扉を開けた。
室内には、エルヴィン・スミス団長が立っている。
机の上には地図と書類。視線は、それらから私へと移った。
「来てくれたか。」
迎える言葉は、簡潔だった。
「はい。」
それだけで、十分だったらしい。
「まだ正式な配置は決まっていない。今は、準備の流れの中にいると思ってくれればいい。」
説明は業務的で、感情がない。けれど、切り捨てる感じもしない。
「質問はあるか?」
私は、一瞬だけ考える。
たくさんある。けれど、今ここで聞くべき事は、限られている。
「……私が、今すべき事は?」
エルヴィン団長は、ほんの少しだけ目を細めた。
「観る事だ。」
即答だった。
「この兵団が何を準備していて、人がどう動き、どんな緊張で回っているのか。」
それから、静かに付け足す。
「君は、すでに"選ばれている側"だ。だが、"組み込まれる側"かどうかは、これからだ。」
試すようでも、突き放すようでもない。ただ、事実を並べただけの声音。
私は、短く頷いた。
「……分かりました。」
その返答を、エルヴィン団長は否定しない。
「今は、それでいい。」
そう言って、書類に視線を戻す。
会話は、そこで終わった。
退室しようとした、その時──背後から、もう一言だけ声がかかる。
「ユニ。」
振り返ると、エルヴィン団長は私を見ていた。
「迷いがあるまま立っている人間は案外、よく周囲が見える。」
それ以上は、言わない。
私は一礼して、部屋を出た。
廊下に戻ると、遠くで誰かが走る音がする。金属音が、短く鳴る。
調査兵団は、止まらない。
その中で、私はまだ、立っている。
でも──立たされている、だけじゃない。
そう思えたのは、ほんの少し前に進んだ証だった。
◇
団長室の扉を出た、その直後だった。
「──あ。」
間を詰めるみたいに、横から声が飛んでくる。反応するより早く、距離が一気に縮まった。昨日ここに来た時、最初に出会った人だ。リヴァイ兵士長と、一言二言、話をしていた人。
「君、いま暇かい?」
問いかけ、というより確認。私は一瞬だけ考えてから、正直に答える。
「……指示は、まだ何も。」
その瞬間。
「じゃあ決まり!」
勢いよく言われて、肩に軽い圧がかかる。押された、というほどじゃない。でも、拒否を考える余地もない。
「手伝ってほしい事があるんだ!もう大変でさぁ!」
半ば引っ張られるように、廊下を進む。
「ちょ、あの──」
言葉を挟む前に、楽しそうな声が重なった。
「大丈夫大丈夫。ちゃんと許可は取るから!」
取る気があるのかどうかは、怪しい。彼女とはほぼ初対面ではあるが、なぜかそう思ってしまった。
歩きながら、彼女はふと横を見る。
「そういえば、まだ名乗ってなかったね。私はハンジ・ゾエ。」
あっけらかんとした自己紹介。
調査兵団の、あの人。見学の時に、遠目で見た記憶が、遅れて重なる。
「……ユニ・クラインです。」
フルネームで名乗ると、彼女は即座に反応した。
「ユニ、ね。」
迷いがない。呼び慣れていたみたいに、自然に。
「よろしく、ユニ。」
その一言で、距離が一段、縮まった気がした。
「いやぁ、君が来るとは思わなかったよ。」
軽い口調。
でもどこか、本気も混じっている。
「ま、詳しい話はあと!」
そう言って、扉の前で立ち止まる。
そして取っ手に手をかけたまま、振り返った。
「覚悟はいい?」
冗談めかした声。でもその目は、少しだけ真剣だ。
私は、短く息を整える。
「……はい。」
ハンジさんはにっと笑って、扉を開けた。
扉が開いた瞬間──言葉が、喉の奥で止まった。
「……これは……。」
部屋、と呼んでいいのか分からない空間だった。
机の上には、書類の山。床には、分解された器具。壁際には用途不明の箱と、用途は分かるが置き場所を完全に間違えている刃物類。
椅子はある。だが、座れる状態ではない。
「じゃあ頼んだよ、片付け!」
背後から、やけに明るい声。振り返ると、ハンジさんはもう次の用事に気を取られている。この惨状を見てなお、何の疑問も抱いていない顔。
私はもう一度、部屋を見る。
ここは、本部じゃない。
壁外調査前に一時的に使われる、仮の拠点。
それが──どうして、こうなる。
準備のための場所だ。整理されているべきで、効率が最優先されるはずなのに。
頭が、ついていかない。
一瞬、迷いがよぎる。
(私は、何をしているんだろう。)
調査兵団に来た意味。憲兵団籍のまま、ここに立っている理由。証明しなければならないものが、確かにある。
こんな事をしていて、いいのだろうか。
けれど──視線を落とすと、床に散らばった書類の端が、踏まれて折れ曲がっている。器具の上に、無造作に置かれたカップが傾いている。
──放っておけない。
考えるより先に、体が動いた。
私は無言で袖をまくり、まず床の中央に転がっていた箱を持ち上げる。中身が崩れないよう、慎重に。
(……やるしかない。)
ここまで来たのだ。今さら引き返す場所もない。
これは雑用かもしれない。けれど、今の私に任された仕事でもある。
「……っ!」
器具の重さに、思わず声が漏れる。
調査兵団の仕事は、危険だと聞いていた。命がけだと、分かっていた。
それがまさか、片付けから始まるとは思わなかったけれど。
散らかった部屋の中で一人、息を整える。
──とりあえず。
この惨状を、どうにかしよう。そう決めてから、ようやく気づいた。
胸の奥にあった張り詰めたものが、ほんの少しだけ、緩んでいる事に。