第3章
夢小説設定
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冬の空気は、容赦がない。
任務を終えて戻った直後だというのに、指先がじんと痛む。外気で冷えたままの体を、ようやく休ませられる時間だった。
簡易的な休憩所。長椅子と、壁際のストーブ。
私は壁側に立って手袋を外しながら、人の様子を見ていた。
ハンジさんは相変わらず元気そうで、椅子に腰掛けて足をぶらぶらさせている。
対して──リヴァイ兵士長は、立ったままだった。
いつもと同じ姿勢。腕を組み、壁にもたれている。
……でも、気づいてしまった。
呼吸が、少し浅い。視線が、ほんの僅かに遠い。
疲れていないわけがないのに。それを表に出さないまま、ここまで来ている。
その沈黙を、破ったのはハンジさんだった。
「ねぇ、リヴァイ。」
呼び捨て。でも、声は軽い。
「最近さ。"我慢"するの、上手くなりすぎじゃない?」
一瞬、空気が止まる。
リヴァイ兵士長の視線が、ほんの少しだけ動いた。
「……何の話だ。」
低く、短い返事。
けれどハンジさんは、そこで引かなかった。
むしろ、私の方を見る。
「ユニはさ、」
その視線に、思わず背筋が伸びる。
「ちゃんと、元気そうなんだよね。」
その一言が、静かに落ちた。
それだけ。
責めるでもない。追及でもない。ただ、事実を置いただけ。
なのに──胸の奥が、すっと冷える。
リヴァイ兵士長は、何も言わなかった。
視線を逸らすことも、言い返すことも、しない。
ただ──沈黙した。
その沈黙が、答えのように思えてしまって。
(……私、元気そう、に見えるんだ。)
それは、悪い事じゃない。
でも──その"元気"の裏で、誰かが無理をしていたとしたら。
ハンジさんは、くるりと肩をすくめる。
「ま、余計なお世話だったらごめんね。」
いつもの調子。軽く、笑って。
「でもさ、冬って、体も心も固くなるから。」
一拍。
「折れる前に、少しは緩めてもいいと思うよ?」
それ以上は、何も言わなかった。
リヴァイ兵士長は、しばらくしてから小さく息を吐く。
「……くだらねぇ。」
いつもの言い方。でも、どこか力が抜けている。
私はその横顔を見つめながら、何も言えずにいた。
ただ胸の奥で、静かにざわつくものがあった。
──冬は、寒い。
だからこそ、誰か一人だけが、耐え続ける季節じゃない。
そんな事を初めてはっきりと意識したまま、私は手袋を握り直した。
◇
夜。
部屋の灯りは、いつもより少しだけ落としている。
机の上にはノートと、何枚かの紙。昼間に書き足したもの。線を引いて、丸をつけて、並べ替えた言葉達。
私は椅子に座ったまま、しばらくそれを眺めていた。
──静かだ。
外の音も、兵舎の気配も、遠い。考えるには、ちょうどいい。
ペンを取る。けれど、すぐには書かない。先に、目で追う。
「体調の事」「位置の事」「視線」「距離」「触れる/触れない」
……こうして並べると、どれも些細な事ばかりだ。
ひとつひとつを切り取れば、全部、説明はつく。上司だから。部下だから。配慮。判断。責任。
そうやって、今までは片付けてきた。
でも──紙の上に散らばる言葉をもう一度、ゆっくり見渡して、気づく。
(全部、"私がどう感じたか"が、先に来てる。)
守られた、ではなく。指示された、でもなく。
──安心した。
──落ち着いた。
──近くにいると、呼吸が楽だった。
──離れると、少し不安になった。
事実よりも前に、感情が必ず書いてある。
ペン先が、紙の上で止まる。
(……あれ?)
小さく、息を吸う。
(私、理由を探してた……。)
相手の立場とか。規則とか。上司として正しいかどうか。
でもノートの中にあるのは、ずっと、自分の反応だ。
リヴァイ兵士長がどう思っているか、じゃない。どうするべきか、でもない。
ただ「私は、どうだったか」。
そこから、逃げないように書いている。
胸の奥が、少しだけざわつく。
怖さは、ある。けれど、不快じゃない。
むしろ──長い間、霧の中で掴めなかった輪郭が、ようやく浮かび上がってきたような感覚。
私は紙の余白に、新しく線を引いた。
大きくは書かない。強い言葉も、使わない。ただ、静かに。
「傾向」
その下に、短く書く。
・そばにいると、安心する
・体調や所在が分からないと、不安になる
・触れられること自体より、"ためらい"に引っかかる
・上官として、で片付けようとすると、違和感が残る
書き終えて、ペンを置く。しばらく、動けない。
……これは。
答えじゃない。結論でもない。
でも──
(前より、ちゃんと見えてる。)
それだけは、はっきりしていた。
私は椅子の背に少し体重を預け、小さく息を吐いた。
今夜は、ここまででいい。
無理に先へ行かなくていい。考え続けなくてもいい。
ただこの整理を、「なかった事」にしない。
それだけを、胸に留めて。ノートを閉じ、灯りを落とした。
──この日の夜、確かに、ひとつ段を上がった。
◇
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいる。
私は静かに身支度を整えながら、昨夜の事を思い返していた。
休憩中。何気ない空気の中で、ハンジさんがぽつりと言った、あの言葉。
「最近、"我慢"するの、上手くなりすぎじゃない?」
冗談みたいな調子。けれど、笑って流すには、少しだけ鋭かった。
その時のリヴァイ兵士長の反応も、はっきり覚えている。
否定もしなかった。肯定もしなかった。ただ一瞬だけ、言葉を失ったように見えた。
(……あれは、)
手を止めて、小さく息を吐く。
今までなら、あそこに意識は向かなかった。
「兵長がどう思っているか」
「どういう意図なのか」
そっちばかりを考えていたはずなのに。
今日は自然と、別のところに引っかかっている。
視線が、クローゼットの方へ向く。
扉を開けると、制服の間に見慣れた色がある。
リヴァイ兵士長のマント。
あの日返そうとした時、淡々と、けれどはっきり言われた。
「今は──そっちの方が、必要だったんだろ。」
暗に、今は返さなくていい、という意味だった。
そのマントをじっと見つめる。
(……必要だったのは、)
寒さをしのぐため、だけじゃない。
分かっている。それを言葉にしてしまうほど、自分はもう、鈍感じゃない。
昨日のハンジさんの言葉。リヴァイ兵士長の沈黙。
それらが胸の奥で、静かにつながっていく。
──リヴァイ兵士長。無理……してるのかな。
自分のために。距離を守るために。理性を保つために。
それが、当たり前になりすぎていないだろうか。
マントに触れようとして一度、手を止めた。
触れたらもう一段、考えが進んでしまいそうだったから。
今日は、まだいい。
制服を手に取り、クローゼットを閉める。
答えは、きっと夜にノートの前で向き合う。
でも──この違和感は、もう見なかった事にはできない。
私は静かに背筋を伸ばし、部屋を出る準備を整えた。
今日から、少しだけ見る場所が変わった。
それだけは、はっきりと分かっていた。