第3章
夢小説設定
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机の上に、ノートを開いたまま置く。
ページは、かなり埋まっていた。日付も内容も、ばらばらだ。
私は一度深く息を吸ってから、引き出しの奥から別の紙を一枚取り出した。
……整理しよう。
書いたままにしておくと、感情も思考も重なったままになる。
これは、訓練兵の頃からやっていたやり方だ。一度ばらして、並べて、見える形にする。
ペンを持ち直す。
まずはノートを見返しながら、気になった出来事をそのまま書き写していく。
・憲兵だった頃の事
・調査兵団に来たばかりの頃
・制服を受け取った日
・リヴァイ兵士長に距離を取られた時
・泣いて、引き止めて、抱きしめられた夜
・班に選ばれた日の事
・風邪をひいた時
・看病されて、医務室まで運ばれた事
・今日の、喧嘩の仲裁未遂
淡々と、事実だけを抜き出す。
書き写しながら、ときどき、手が止まる。
(これは……、)
今日の項目に、視線が留まる。
肩を掴まれた感触。必要以上に、強かった力。
(止める必要があったのかは、まだ分からない。)
そう書いたその下に、自然と別の言葉が浮かんだ。
(私にも、できたはず)
(私だって、兵士なのに)
一瞬、ペン先が止まる。
……でも、消さずにそのまま書いた。
次へ、進む。
「位置を直された事」
「視界に入る場所にいるよう言われる事」
「どこに行くか告げるようになった事」
「目が合わない事」
(これは……、)
また、引っかかる。
位置は把握されている。声も、すぐに届く。なのに──目は、合わない。
偶然、ではない気がする。理由はまだ分からない。分からないけれど、気づいてしまった事実として、紙の上に書き写す。
次のページ。
「安心した時の事」
「そばにいると、落ち着く事」
「離れていると、気になる事」
「姿が見えないと、不安になる事」
……ここで、手が止まった。
これは、出来事じゃない。感情だ。
上司としての判断、兵士としての行動。そういう分類には入らない。
しばらく考えてから、紙の端に小さく印をつける。
(保留)
今は、無理に答えを出さない。
まずは、並べる。
時計を見ると、針は思ったより進んでいた。
……明日は休みだ。
私はもう一枚、紙を引き出す。
「今日は、分類だけ」
小さくそう書いてから、もう一度ノートに視線を戻した。
まだ全部は見えていない。
けれど、少なくとも──「前の私なら気にしなかった事」が、確かにここには並び始めていた。
私はペンを置き、一度だけ目を閉じる。
今夜は、ここまで。
次はこの中から"上司として"では説明できないものを、ちゃんと拾い上げてみよう。
そう思いながら、紙を丁寧に揃えて机の端に置いた。
────────────────
食堂へ向かう廊下。
朝食を終えた兵士達が、それぞれの持ち場へ散っていく時間帯だ。ざわめきはもう薄れ、足音だけが規則的に響いている。
俺は壁際を歩きながら、手にした資料に目を落としていた──はずだった。
ふと視界の奥に、見覚えのある小さな背を見つける。
……ユニだ。
距離は十分にある。声をかけるほどでもない。だから歩調を変える事もなく、ただ、そのまま目で追った。
少し、眠そうだ。
瞼が重いのか、瞬きの回数が普段より多い。
だが──足取りは、軽い。
急いでいるわけじゃない。走っているわけでもない。
けれどほんの僅かに前のめりで、目的地を意識している歩き方。
(……なるほど。)
表情も、以前とは違う。迷っている時の、霧の中を探るような顔じゃない。
考え事はしている。だがそれは出口のない思考ではなく──「続きを早くやりたい」という顔だ。
整理の途中。手応えを感じている人間の顔。
俺は足を止めないまま、小さく息を吐いた。
(次の段階に入ったな。)
声をかける必要はない。助言も確認も、もういらない。
あの歩き方は、自分で見つけた答えに向かっている人間のものだ。
ユニはこちらに気づく事もなく、そのまま食堂の方へ消えていく。
俺は一瞬だけ視線を落とし、それから前を見る。
(……よし。)
胸の奥に、静かな満足が残った。
教えたわけじゃない。導いたつもりもない。
ただ、"育っていく瞬間"を見ただけだ。
それだけで──十分、嬉しかった。
廊下を抜ける風が、少しだけ軽く感じられた。
────────────────
朝食を終えたあとも、私はしばらくそのまま席に座っていた。
皿はもう空だ。飲みかけのカップだけが、まだ少し温かい。
膝の上には、昨夜まとめた紙。ノートから抜き出して、分類した言葉たち。
一度、最初から目を通す。ゆっくりと。今の自分の気持ちを確かめるように。
その時──ふと、風が入った。
窓を開けていた事に、今さら気づく。
朝の空気。少し冷たくて、でも澄んでいる。
向こう側にも、窓がある。視界には入らない位置。けれど、距離は分かる。
……あそこだ。
仕事の話し声がかすかに聞こえてくる。
低くて短くて、指示だけを切り取ったような声。
姿は見えない。それなのに、確かにそこにいると分かる。
それだけで、胸の奥がすっと落ち着いた。
理由を考える前に、安心している自分に気づいてしまう。
私は紙に視線を落としたまま、小さく息を吐いた。
「……。」
言葉にならないままの感覚。
昨夜までなら、気づかないふりをしていたかもしれない。
でも、今日は──
私は、ペンを取る。
余白を探して、そこに、短く書き足す。
──声が聞こえるだけで、安心する。
──姿が見えなくても、近くにいると分かると落ち着く。
書いてから、少し迷って……でも、消さなかった。
「……これも、書いておこう。」
誰に聞かせるでもなく、自分に向けて、そう言う。
窓の向こうから、また声がする。
変わらない調子。いつも通りの仕事の声。
私はもう一度、紙に目を落とした。
今は、答えを出さなくていい。
ただ、こうして書き留めておく。
それだけで──今の私は、ちゃんと前に進んでいる気がした。
朝の光が、机の上の文字を静かに照らしていた。