第3章
夢小説設定
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夜。
自室の灯りは、控えめだった。
机の上には、今日まとめきれなかった書類。
けれど指はなぜかそこに伸びず、私は部屋の奥に置いた木箱を開けていた。
──訓練兵時代の、私物。
整理は、何度もした。必要なものと、もう使わないもの。
それでもこの箱だけは処分できずに、ずっと一緒に持ち歩いてきた。
中から出てきたのは、使い込まれた小さなノート。
表紙は擦れていて、角は丸くなっている。
……懐かしい。
手に取った瞬間、胸の奥が、少しだけきゅっと縮んだ。
私は椅子に腰を下ろし、そっとページを開く。
文字は、今より少し幼い。それでも丁寧で、癖のない筆跡。
──今日の訓練は、うまくいかなかった。
──でも、何ができなかったのかは分かっている。
──だから、次はこうする。
淡々とした記録。
感情を書き殴るようなものではなく、自分を整理するための文章。
……あぁ、そうだった。
私は、こうやって自分の考えや気持ちを外に出す癖があった。
ページを、何枚かめくる。
不安。悔しさ。それでも前に進もうとする言葉。
──空は、どこまで続いているんだろう。
──川は、どこから来て、どこへ行くんだろう。
思わず、指が止まった。
……今と、同じだ。
あの頃の私は、疑問を疑問のまま放っておかず、ちゃんと向き合おうとしていた。
訓練兵を終えて、憲兵になって──憲兵の頃も、最初のうちは書いていた。
でも──中央。裏の任務。誰にも言えない判断。
書けば書くほど嫌な気持ちばかりが増えて。
──もう、見たくない。
そう思って、やめた。
ノートも処分した。
あの頃の私には、余白を作る余裕がなかった。
けれど、今は──
ノートを閉じて、机の上に置いた。しばらく見つめる。
前の私なら、気にしなかったはずの事。
前の私なら、「理由のない違和感」なんて仕事で塗りつぶしていた。
でも、今は違う。違うから、こうして立ち止まっている。
私は引き出しから新しい紙を取り出し、ペンを握った。
何を書くかは決めていない。答えも分からない。
ただ──このまま胸の中に置いておくよりは、外に出した方がいい気がした。
訓練兵の頃の私が、そうしていたように。
白い紙の上に、ゆっくりとペン先を落とす。
──どうして、気になるんだろう。
それが、最初の一行だった。
私は少しだけ息を吐いて、そのまま書き続けた。
答えは、まだ見えない。
けれど探し始める準備は、ようやく整った気がしていた。
◇
夜が、深まっていた。
窓の外はもう暗く、廊下を行き交う足音もほとんど聞こえない。
机の上の小さな灯りだけが、部屋の一角を照らしている。
『今日はリヴァイ兵士長が、行き先を告げてから外出した』
『それを聞いて私は──安心した』
……安心。
その言葉を、じっと見つめる。
『でも、それは普通だろうか』
『上官の行動を気にしているだけなら、
おかしくない』
『けれど──』
少し、間。
『姿が見えない時間、落ち着かなかった』
『前の私なら、こんなふうにはならなかったはずなのに』
ペン先が、かすかに震える。
『調査兵団に来てから、変わった』
『誰のそばにいるかで、気持ちが左右されるようになった』
書き終えたところで、小さく息を吐く。
……今日は、ここまででいい。
ページを閉じた、その時。
──こん。
控えめな音が、扉の向こうから聞こえた。
心臓が、少しだけ跳ねる。
一拍、置いてから──もう一度。
──こん。
今度は、間違いなくノックだ。
私は椅子から立ち上がり、足音を立てないように扉へ向かう。
「……はい。」
小さく答えると、扉の向こうから低い声が返ってきた。
「……まだ起きてるな。」
聞き慣れた声。
扉を開けると、そこに立っていたのはリヴァイ兵士長だった。
夜の静けさの中でも、姿勢は崩れていない。
けれど──どこか、様子をうかがうような立ち方。
「明かりがついてた。」
それだけ言って、視線が一瞬、私の後ろへ流れる。
机。ノート。
「……仕事か?」
問いは短い。
私は、少し迷ってから首を振った。
「いえ。私用、です。」
嘘ではない。
リヴァイ兵士長は、それ以上踏み込まなかった。ただ、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「時間見ろ。もう深夜だ。」
「……はい。」
返事をしながら、自分でも不思議なくらい素直だった。
怒られているという感じはしない。心配──とも言い切れない。
でも、
「……眠れなくて。」
ぽつりとそう零したのは、自分でも予想外だった。
リヴァイ兵士長は、すぐには何も言わない。
一拍。それから低く、「……そうか」と、それだけ。
視線を外し、扉の縁に軽く手を置く。
「無理に考えすぎるな。続きは、明日でいい。」
命令じゃない。忠告でもない。ただの事実確認みたいな声。
「……分かりました。」
そう答えると、彼は小さく頷いた。
「灯り、消せ。寝ろ。」
「はい。」
扉が、静かに閉まる。足音が遠ざかっていく。
私はしばらくその場に立ったまま、閉じた扉を見つめていた。
それから、振り返る。
机の上。閉じられたノート。
机に戻り、もう一度だけノートを開く。
さっきの続きに、一行だけ足す。
『今は、答えが出なくてもいい』
『分からないままでも、ちゃんと向き合っている』
そう書いて、今度こそノートを閉じた。
ランプの火を落とす。
布団に潜り込みながら、胸の奥が少しだけ軽い。
……大丈夫。
今日は、ここまで。
静かな部屋に、夜がゆっくりと降りてきた。
───────────────
朝。
兵舎の廊下は、いつもより静かだった。時間帯のせいか、それとも季節のせいか。
視線を動かして、すぐに見つける。
──ユニだ。
書類を片手に歩いている。足取りは安定しているし、姿勢も崩れていない。
……だが。
最近、あぁいう顔をよくする。
考え事をしている時の、あの視線。前を見ているようで、少しだけ焦点がずれている。
仕事は早い。判断も正確だ。指示を出せば、即座に理解して動く。
問題はそこじゃねぇ。
──距離だ。
考え事をしている時ほど、無意識に近づいてくる。確認するように寄ってくる。肩が触れるほど。時には、肘が当たるほど。
本人に悪気はない。それが、余計に厄介だ。
……昨日も、そうだった。
夜。自室の窓から、向かいの明かりが点いているのが見えた。
あの時間まで起きているのは珍しい。
無理をしている様子も、最近はないはずだったが──
気になって、部屋まで行った。
ノックをして、様子を窺っただけだ。
中から返ってきた声は落ち着いていた。息も乱れていない。焦りも、切迫感もなかった。
ただ──
机の上に、開かれたノート。書き込んだばかりの跡。
内容までは見ていない。見る気もなかった。
必要な事なんだろう。
そう判断して、引き返した。
だから今、目の前で少しだけ瞬きを増やしているその顔を見て、内心で舌打ちする。
完全に寝不足じゃねぇか。
ユニはこちらに気づいていない。思考の海に、片足突っ込んだままだ。
俺は一歩、位置を変える。
正面までは行かない。だが、視線を合わせるには十分な距離。
少し下から、覗き込む。
「……。」
一瞬、ユニの目が動く。
俺の存在を認識して、はっとした顔になる。
そのタイミングで、低く言った。
「今日は寝るなよ。」
短く。命令形。
ユニは一拍遅れて、背筋を伸ばす。
「……はい。」
返事は素直だ。だが、まだ少し眠そうだ。
……まったく。
俺はそれ以上何も言わず歩き出す。追ってくる足音が、すぐ後ろにつく。
距離はいつも通り。近い。だが──今は、動かさない。
必要な考え事なら、させておけ。だが体を壊すほどなら、話は別だ。
視界の端で、ユニが一度だけ、小さく瞬きをした。
ちゃんと、起きていろ。
そう思いながら、俺は前だけを見て歩いた。