第3章
夢小説設定
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春の気配が、少しずつ本部に入り込んできている。
廊下の窓から入る風はまだ冷たいけれど、どこか重さが抜けていた。
私は、執務室で資料を整理していた。
特別な仕事じゃない。いつも通りの作業。
……なのに視線が、何度も扉の方へ向いてしまう。
理由は、分かっている。
最近──リヴァイ兵士長は、出かける前に必ず声をかけるようになった。
その「いつも通り」が、私の中でいつの間にか基準になっている。
扉が、音を立てて開いた。
「ユニ。」
呼ばれて、反射的に顔を上げる。
「はい。」
リヴァイ兵士長は装備を整えながら、こちらを見た。
「これから、外に出る。」
一拍。
「補給所までだ。昼前には戻る。」
……それだけ。
それだけなのに、胸の奥が、すっと落ち着くのが分かった。
「分かりました。」
そう答えると彼は小さく頷いて、踵を返す。
その背中を何の気なしに見送って──ふと、思う。
(……あれ?)
今の。今のやり取り。
上官と部下としては少しだけ──近すぎないだろうか。
行き先を告げる必要は、本来ない。
私が把握していなくても、任務は回る。
それなのに──
(……私は、ほっとしてる。)
その事実に、自分で少し驚いた。
憲兵だった頃は、こんな感覚なかった。
誰がどこに行こうと、気にした事もない。
見えなくなっても、不安にならなかった。
なのに、今は。
「……。」
私は無意識に、自室の窓の方を見ていた。
彼が通るはずの方向。
もう、姿は見えない。
それでも。
(……戻る。)
そう思える。
それが、当たり前みたいになっている。
「……これ、」
小さく、息を吐く。
「普通じゃ、ないかも。」
声に出さず、心の中だけで認める。
嫌じゃない。不快でもない。ただ──理由を説明できない。
私は、資料に視線を戻す。
仕事は、進む。手は、止まらない。
けれど彼が戻る時間をどこかで数えている自分を、否定はできなかった。
◇
廊下。
書類を胸に抱えて歩きながら、私は無意識に視線を落としていた。
床。靴先。行き交う兵士達の影。
考え事をしている自覚は、ない。
けれど頭のどこかに、霧のようなものがかかっている。
──これって、普通なんだろうか。
そんな言葉が、形にならないまま沈んでいる。
「……何か、考え事をしているな。」
横から、不意に声がした。
びく、と肩が揺れる。
「……エルヴィン、団長。」
顔を上げると、少し横の位置からこちらを覗き込むように立っていた。
近すぎない。けれど、遠くもない。ちょうど、逃げ場を塞がない距離。
「……そう、見えますか。」
自分でも驚くほど、素直な声が出た。
エルヴィン団長は、すぐには答えない。一瞬、私の表情を確かめるように目を細めてから、ゆっくりと言った。
「あぁ。それも──今の今、という感じではないな。」
言葉を選びながら。
「悩んでいる、というほど深刻ではないが……霧の中で、何かを探しているような顔だ。」
胸の奥が、僅かに揺れた。
──エルヴィン団長からは、そんなふうに、見えるんだ。
「……。」
何かを言おうとして、言葉が見つからない。
エルヴィン団長は、それ以上踏み込まない。代わりに、いつもの穏やかな声で続ける。
「答えが出ていないなら、無理に形にしなくていい。霧は、動いていればいずれ薄れるものだ。」
そう言って、軽く肩をすくめた。
「君は立ち止まるよりも、歩きながら考える方が得意だろう。」
……確かに。
私は、小さく息を吐いた。
「……ありがとうございます。」
それだけを言うと、エルヴィン団長は満足そうに頷いた。
「では、私はこれで。」
すれ違いざま、一瞬だけこちらを見て──
「──霧の中で見つかるものは、案外、すぐそばにあることも多い。」
それだけを残して、去っていく。
その背中を見送りながら、私は無意識に指先を握りしめていた。
霧の中で、探しているもの。
……本当に、すぐそばにあるのだろうか。
ふと、顔を上げる。
視線の先に、見慣れた廊下の向こうが広がっていた。
──なぜかその先にあの背中がいない事を、少しだけ、不安に思いながら。
私は、また歩き出した。