第1章
夢小説設定
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休日だった。
本来なら、身体を休める日に充てるべき時間だと分かっている。けれど、じっとしていられなかった。椅子に座っても、横になっても、思考だけが落ち着かない。
だから私は、部屋を片づける事にした。
理由は何でもよかった。埃が気になるとか、配置を変えたいとか。
実際は、手を動かしていないと、考えてしまうからだ。
机の引き出しを空にし、棚の上の箱を下ろす。
久しく触れていなかったものばかり。紙類、布切れ、使い古した手袋。その一番下に、畳まれた布があった。
訓練兵時代の制服。
手に取った瞬間、指が止まる。思っていたより、軽い。そして、覚えているより、ずっと小さい。
私はそれを広げ、膝の上に置いた。
──あの頃は、迷っていなかった。
壁の外に出たかった。
理由は単純だ。空の向こうを見たかったし、川の先がどうなっているのか知りたかった。人類や文明が、壁の外に残っているかもしれない。
その"かもしれない"に、胸がいっぱいになっていた。
同期に何を言われても構わなかった。無謀だと笑われても、現実を見ろと言われても、外に出られるなら、それでよかった。
だから努力した。誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで訓練をした。身体が小さいなら、精度を上げればいい。力が足りないなら、回数で補えばいい。結果は、ついてきた。
成績は、首席だった。それを誇った事はない。誇れるものじゃないと、知っていたからだ。
成績が良くても、身体は変わらない。剣を振るえば分かる。衝撃の重さも、押し返される感触も、他の者とは違う。
壁の外では、数字も、評価も、順位も、意味を持たない。必要なのは、生き延びる力だけだ。
私は理解してしまった。
外の世界を"知る"前に、自分は死ぬだろう、と。
それは恐怖じゃなかった。まして、夢が壊れたわけでもない。ただ、現実だった。
だから私は、調査兵団を選ばなかった。憧れを捨てたわけじゃない。自分の生存確率を選んだ。
制服を畳み直し、箱に戻す。動作はゆっくりで、乱れがない。それでも、指先に力が入り、布に小さな皺が寄った。
逃げたのだと、今なら言える。同時に、あれが間違いだったとも、今なら思える。どちらも、否定できない。
掃除を続け、床を拭き、棚を整える。部屋は少しずつ、元よりも整っていった。
けれど、胸の奥は逆だ。静まるどころか、かえって輪郭を持ち始めている。
『……そのまま来るな。』
ふいに、低い声が思い出された。拒絶ではない言葉。けれど、甘やかしでもない。
今なら分かる。
あれは、変わらないままなら来るな、という意味だった。
手を止め、箱の上に置いた異動願の控えを見る。紙の端には、はっきりと皺が残っている。指でなぞると、わずかに紙が引っかかった。
目の奥が、熱くなる。涙は出ない。けれど、瞬きをすると視界が揺れた。
私は、もう逃げない場所を選んだ。逃げられないところへ、自分の足で行こうとしている。それが正しいかどうかは、まだ分からない。迷惑をかけるかもしれないし、後悔するかもしれない。
それでも──私は、あの時の自分が手を離した世界へ、もう一度、触れに行こうとしている。
箱の蓋を閉じ、掃除を終える。部屋は静かで、いつもと変わらない。
けれど確かに、私はもう、同じ場所には立っていなかった。