第1章
夢小説設定
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憲兵団の仕事は、いつも同じだ。
巡回、書類、確認、報告。
誰かが決めた秩序を、誰かの代わりに守り続ける。それが、この場所で与えられた役割だった。
私は上等兵として、その役割を淡々とこなしていた。
感情を挟まない。余計な事を考えない。規則に従い、決められた通りに動く。それが一番安全で、波風を立てないやり方だと、嫌というほど学んできた。
壁の内側では、疑問は持たない方がいい。疑問は、いずれ不満に変わる。不満は、居場所を失わせる。
──そのはずだった。
人の流れの向こうに、ひときわ背の高い影が見えた瞬間、胸の奥がひどく音を立てた。
理由は、すぐに分かった。
背筋を伸ばした立ち姿。無駄のない動き。人混みの中にいても、不思議と視線が吸い寄せられてしまう存在感。
間違えるはずがなかった。
エルヴィン・スミス。調査兵団団長。
──どうして、ここに?
頭の中が一瞬、真っ白になる。噂でしか知らない人。壁の外に出続ける人。新聞や報告書の中でしか見たことのない、遠い世界の住人。同じ空の下にいるとは思っていなかった存在が、今、数歩先に立っている。
心臓が、落ち着きなく跳ねる。
背筋を伸ばさなければ。視線を逸らしてはいけない。余計な反応は、絶対にしてはいけない。
分かっているのに、一瞬、動きが遅れた。
──見てしまった。彼の目を。
想像していたよりもずっと静かで、ずっと冷静で。それでいて、こちらの内側まで測るような視線。
「……珍しいな。」
低い声が、すぐ近くから聞こえた。
心臓が跳ね上がる。
反射的に敬礼するが、動きが少しだけぎこちなくなったのが、自分でも分かった。
「憲兵団トロスト区支部、ユニ・クライン上等兵です。」
声が震えなかったのは、訓練と、癖のおかげだ。彼は私を一瞥し、すぐに視線を空へ移した。その何気ない仕草に、少しだけ救われる。
──話しかけられるなんて、思っていなかった。
団長という存在は、命令を下す側で、声をかけられる側ではない。だから次に続く言葉を、私はまったく予測できなかった。
「勤務中に、空を見る余裕があるとは。」
一瞬、息が止まる。
叱責ではない。でも、評価でもない。ただ、事実をそのまま口にしたような声音。
言い訳を探しかけて、やめた。この人の前で取り繕うのは、意味がない気がした。
「…癖です。」
自分でも驚くほど、率直な言葉が出た。
エルヴィン・スミスは、すぐには何も言わない。沈黙が落ちる。
その短い間に、私はようやく実感する。
──私は今、調査兵団の団長と話している。
それを理解しただけで、胸の奥が、少しだけ熱くなった。
憧れの人を前にしているはずなのに、浮かれてはいけないと、必死に自分を抑えている。
「いつも私達の頭の上にある空は、どこまで続いているのだろうと…気になって。」
彼は、ゆっくりと私を見る。
「調査兵団に、興味が?」
その問いが、私の中でずっと眠っていたものを、静かに揺り起こした。
「……興味は、あります。」
そう答えてから、私は少しだけ視線を落とした。
「でも……私がそこに立つのは、違う気がして。…きっと、覚悟を決めた人が立つ場所、ですよね。」
言い切るには弱く、問いかけるには遅い言い方。
自分でも、逃げているのが分かっていた。
沈黙。
エルヴィン・スミスは、すぐには答えなかった。
私の顔ではなく、その奥を見るような視線。
「……それでも君は、考えるのをやめなかった。」
息が、わずかに止まる。
「向いているかどうか、戦えるかどうか。その前に、"何があるのか"を知ろうとしている。」
胸の奥が、じわりと熱を持つ。
言葉にしていないはずの思考を、拾い上げられた気がした。
「答えを出す必要はない。ただ……見るだけなら、危険は少ない。」
──見るだけ。
その言葉が、私の中に静かに落ちた。
選ぶとも、踏み出すとも言っていない。
拒む理由も、同時に消えていた。
「一度、調査兵団を見学してみるといい。」
それは命令ではなく、提案だった。
逃げ道を残したまま、背中を押す言い方。
私は返事をする前に、自分が頷きかけていることに気づいて、慌てて止めた。
だが、もう遅い。
「……見るだけ、なら。」
そう口にした時点で、私はもう、彼の示した選択肢の中に立っていた。
それが何を意味するのか、まだ分かっていない。
胸の奥に落ちたものの正体を、名前にするには早すぎた。
彼はもう、背を向けている。去り際に、ひとことだけ残した。
「問いを持つ人間は、どこにいても浮いてしまうものだ。」
その背中を見送りながら、私は胸の奥が静かに揺れるのを感じていた。
ずっと一人で抱えてきた疑問を、初めて、誰かにそのまま聞いてもらえた気がしたから。
空は、相変わらず遠い。
けれど──この世界は、思っていたより広いのかもしれない。
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