るろうに剣心・剣薫
近頃、薫殿の様子がおかしい。気のせいかもしれないが、どこか上の空というか、ぼーっとしていることが多い。大丈夫か?体調が悪いのか?と尋ねても毎回「ごめんね」とはぐらかされてしまう。そして、その様子を彼女の一番弟子である弥彦も気にしていたようだ。
「おい薫、最近ぼーっとしてばかりじゃねぇか。本当に大丈夫なのかよ」
剣術稽古の休憩中、弥彦が薫殿に尋ねている声が聞こえた。
「大丈夫よ!ちょっと考え事をしてただけだから気にしないで」
そう答える彼女の笑顔はどこか覇気がなかった。
「そんなんじゃこっちの調子が狂うんだ!明日は稽古休みだろ?たまには剣心と二人で出掛けて気分転換してこいよ」
そして弥彦の気遣いのもと、今日は薫殿と歌舞伎を観ることとなった。薫殿が前々から気になっていた演目で、嬉しそうに笑顔を見せてくれた。最近元気のないことが多かったから、彼女の笑顔が見られて少しホッとした。
「二人でお出かけなんて、久しぶりね」
歌舞伎劇場に向かう道中、薫殿が呟く。久しぶりと言われれば久しぶりかもしれないが、弥彦が生活の拠点を(左之助の)破落戸長屋へ移したことで、二人で過ごす時間も以前より増えて、日頃の買い出しも二人で行くこともある。そんなことを考えたものだから、
「そう……でござるな」
少し歯切れの悪い返事となってしまった。薫殿に元気を出してもらうための外出なのに、これでは逆に彼女を傷つけてしまったのではと後悔したところで目的地に到着した。
歌舞伎はとても見応えがあるもので、薫殿もコロコロと表情を変え真剣に観劇していた。幕間も主役は人気役者であること、錦絵がすぐに売り切れてしまうこと等、色々楽しそうに話しながら笑顔を見せてくれ、先程の後悔が少し和らぐ。そして、本日の公演は大成功で幕を閉じ、拙者と薫殿は劇場を後にした。
その後、今日の演目の感想を話しながら甘味処で団子を食べ、今は神谷道場へ帰る途中、河原でふと足を止めた。
「剣心?どうしたの?」
彼女がこちらを振り返り尋ねる。
「夕焼けが綺麗で思わず……」
己の髪と似た橙の空、それに対する位置に伸びる二つの影。その対比が美しく、温かい気持ちになった。
「本当、綺麗な夕焼けね」
夕日に照らされた彼女の横顔が愛おしい。人の立場も感情もずっと同じ場所に在り続けることはない、そう思いながらも、このままずっと彼女と穏やかに過ごせたらと矛盾した感情が沸く。
「今日は、弥彦の助言で出かけることとなったが、二人きりの時間が過ごせて……拙者、嬉しかったでござる。ありがとう、薫殿」
この幸せが過ぎる気持ちをどうしても伝えたくて、彼女の顔を見てそう伝えた。薫殿は一瞬目を見開いて、耳を染めながら拙者から目を背けた。こういうところも可愛くてたまらない。
少し顔が緩みそうになるところで、突然彼女が予想外のことを呟く。
「……二人きりじゃないの」
ん?二人きりじゃない?どういうことだ?実は陰で弥彦や燕殿や妙殿が見ていた……とか?意味がよく分からない薫殿の発言に困惑している拙者の横で、彼女が続けて、
「お腹の中に……」
と自身の腹を擦りながら、こちらを見る。
思考停止したが、ゆっくり薫殿の言葉を思い出す。二人きりじゃない、お腹の中に?薫殿のお腹の中に……
「え⁉」
「私と、剣心の、子どもがお腹の中にいるのよ」
固まってしまった拙者を思ってか、薫殿は拙者を見つめながらゆっくりと話してくれた。拙者と薫殿の子ども?拙者が父親になる?信じられないが、薫殿が嘘をつくとは到底思えない。それに拙者を見つめる彼女の穏やかで幸せそうな笑顔が、懐妊が誠であることを物語っていた。
「最近ぼーっとしてばかりだったのはね、貴方に何時この事を告げようか悩んでたの」
自身の体調の変化を感じ、おそらく医者にかかり懐妊を告げられた。相当な不安の中、彼女はそれを隠して過ごしていたのだ。それを打ち明け、今、彼女はとても清々しい表情をしている。
「薫殿は……良いのでござるか?」
孕ませておいてどの口が言うと思われそうだが、年齢が一回り以上離れた、しかも人斬りの過去がある男が相手なのだ。
「……そりゃあ不安が全くないなんてことはないわよ?でも、子を宿した女の人は誰しも不安になるものって恵さんも言ってたし、剣心となら大丈夫って私は思ってるから」
そう言えば、先日恵殿から文が届いていた。そりゃあ、医者であり、同性である恵殿は一番の相談相手である。ただ、点と点が繋がって一安心ともいかず、今は己が父親になるという知らない世界へと向かっているような不安が消えない。
「剣心は……やっぱり嬉しくない?」
彼女の問いかけにハッとした。そんなことはない、むしろ嬉しくて幸せでいっぱいなのだ。
「嬉しくないはずがない、その逆でござる」
薫殿を抱きしめながら、精一杯の言葉で彼女に気持ちを伝える。いくら大丈夫と口に出していても、子を宿している薫殿の方が何倍も不安なのだ。その不安は少しでも減らして彼女の負担を軽くしてあげたい。
「ありがとう、拙者の子を宿してくれて。拙者にできることは何でもするから、遠慮なく言ってほしいでござるよ」
拙者の言葉に腕の中の薫殿が少し涙ぐみながら頷いたのを察した。
「ありがとう、剣心……幸せ」
夕日に照らされ伸びる二つの影、この影が三つになる日が待ち遠しい。
「おい薫、最近ぼーっとしてばかりじゃねぇか。本当に大丈夫なのかよ」
剣術稽古の休憩中、弥彦が薫殿に尋ねている声が聞こえた。
「大丈夫よ!ちょっと考え事をしてただけだから気にしないで」
そう答える彼女の笑顔はどこか覇気がなかった。
「そんなんじゃこっちの調子が狂うんだ!明日は稽古休みだろ?たまには剣心と二人で出掛けて気分転換してこいよ」
そして弥彦の気遣いのもと、今日は薫殿と歌舞伎を観ることとなった。薫殿が前々から気になっていた演目で、嬉しそうに笑顔を見せてくれた。最近元気のないことが多かったから、彼女の笑顔が見られて少しホッとした。
「二人でお出かけなんて、久しぶりね」
歌舞伎劇場に向かう道中、薫殿が呟く。久しぶりと言われれば久しぶりかもしれないが、弥彦が生活の拠点を(左之助の)破落戸長屋へ移したことで、二人で過ごす時間も以前より増えて、日頃の買い出しも二人で行くこともある。そんなことを考えたものだから、
「そう……でござるな」
少し歯切れの悪い返事となってしまった。薫殿に元気を出してもらうための外出なのに、これでは逆に彼女を傷つけてしまったのではと後悔したところで目的地に到着した。
歌舞伎はとても見応えがあるもので、薫殿もコロコロと表情を変え真剣に観劇していた。幕間も主役は人気役者であること、錦絵がすぐに売り切れてしまうこと等、色々楽しそうに話しながら笑顔を見せてくれ、先程の後悔が少し和らぐ。そして、本日の公演は大成功で幕を閉じ、拙者と薫殿は劇場を後にした。
その後、今日の演目の感想を話しながら甘味処で団子を食べ、今は神谷道場へ帰る途中、河原でふと足を止めた。
「剣心?どうしたの?」
彼女がこちらを振り返り尋ねる。
「夕焼けが綺麗で思わず……」
己の髪と似た橙の空、それに対する位置に伸びる二つの影。その対比が美しく、温かい気持ちになった。
「本当、綺麗な夕焼けね」
夕日に照らされた彼女の横顔が愛おしい。人の立場も感情もずっと同じ場所に在り続けることはない、そう思いながらも、このままずっと彼女と穏やかに過ごせたらと矛盾した感情が沸く。
「今日は、弥彦の助言で出かけることとなったが、二人きりの時間が過ごせて……拙者、嬉しかったでござる。ありがとう、薫殿」
この幸せが過ぎる気持ちをどうしても伝えたくて、彼女の顔を見てそう伝えた。薫殿は一瞬目を見開いて、耳を染めながら拙者から目を背けた。こういうところも可愛くてたまらない。
少し顔が緩みそうになるところで、突然彼女が予想外のことを呟く。
「……二人きりじゃないの」
ん?二人きりじゃない?どういうことだ?実は陰で弥彦や燕殿や妙殿が見ていた……とか?意味がよく分からない薫殿の発言に困惑している拙者の横で、彼女が続けて、
「お腹の中に……」
と自身の腹を擦りながら、こちらを見る。
思考停止したが、ゆっくり薫殿の言葉を思い出す。二人きりじゃない、お腹の中に?薫殿のお腹の中に……
「え⁉」
「私と、剣心の、子どもがお腹の中にいるのよ」
固まってしまった拙者を思ってか、薫殿は拙者を見つめながらゆっくりと話してくれた。拙者と薫殿の子ども?拙者が父親になる?信じられないが、薫殿が嘘をつくとは到底思えない。それに拙者を見つめる彼女の穏やかで幸せそうな笑顔が、懐妊が誠であることを物語っていた。
「最近ぼーっとしてばかりだったのはね、貴方に何時この事を告げようか悩んでたの」
自身の体調の変化を感じ、おそらく医者にかかり懐妊を告げられた。相当な不安の中、彼女はそれを隠して過ごしていたのだ。それを打ち明け、今、彼女はとても清々しい表情をしている。
「薫殿は……良いのでござるか?」
孕ませておいてどの口が言うと思われそうだが、年齢が一回り以上離れた、しかも人斬りの過去がある男が相手なのだ。
「……そりゃあ不安が全くないなんてことはないわよ?でも、子を宿した女の人は誰しも不安になるものって恵さんも言ってたし、剣心となら大丈夫って私は思ってるから」
そう言えば、先日恵殿から文が届いていた。そりゃあ、医者であり、同性である恵殿は一番の相談相手である。ただ、点と点が繋がって一安心ともいかず、今は己が父親になるという知らない世界へと向かっているような不安が消えない。
「剣心は……やっぱり嬉しくない?」
彼女の問いかけにハッとした。そんなことはない、むしろ嬉しくて幸せでいっぱいなのだ。
「嬉しくないはずがない、その逆でござる」
薫殿を抱きしめながら、精一杯の言葉で彼女に気持ちを伝える。いくら大丈夫と口に出していても、子を宿している薫殿の方が何倍も不安なのだ。その不安は少しでも減らして彼女の負担を軽くしてあげたい。
「ありがとう、拙者の子を宿してくれて。拙者にできることは何でもするから、遠慮なく言ってほしいでござるよ」
拙者の言葉に腕の中の薫殿が少し涙ぐみながら頷いたのを察した。
「ありがとう、剣心……幸せ」
夕日に照らされ伸びる二つの影、この影が三つになる日が待ち遠しい。
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