るろうに剣心・剣薫
「雨はどうも苦手だわ」
そう呟くのは、この家の主であり、神谷活心流師範代の神谷薫。彼女は今、針仕事の真っ最中である。
今日の天気は雨、土砂降りまではないが明け方から降り続いている。部屋も仄暗く、まるで藍色に染められたようだ。
「拙者は嫌いじゃないでござるよ」
雨は己の嫌な心を音で消して洗い流してくれるような気がするから嫌いじゃない。日本中を流れている間、突然の雨に降られ時には体調を崩してしまうこともあった。それでも人斬りである己に寄り添ってくれる雨を嫌いにはなれなかったのだ。
「えー!?雨が降ると洗濯物は乾かないし、着物は濡れちゃうし、やっぱり私は苦手だわ」
薫殿は針仕事の手を止めて、こちらを見る。因みに、彼女が今仕立てているのは拙者の冬用の寝巻だ。風邪をひくといけないからと。彼女の優しさに顔が綻ぶのを抑えるのに一苦労する。
「まぁ薫殿の気持ちは解らなくもないでござるよ」
確かに洗濯物は乾かないし、着物は濡れる。薫殿の言うことは一理ある。
「ふーん……」
そう言って薫殿は針仕事を再開した。
沈黙が流れる。しかし、それは決して気不味いものではなく、時間がゆっくりと流れるような穏やかな沈黙だ。聞こえるのは、雨音と時計の針の音、そして己の少し早い鼓動のみ。
「薫殿、そろそろ休憩にしよう」
彼女が作業を始めてからどれ程の時間が経っただろうか。自分の為に針仕事をしてくれているというのは十分理解はしているし、とても有難く思っているが、なんとなく放っておかれている気分になってしまった。今日、弥彦は赤べこの仕事で不在、せっかくの二人きりの時間を堪能したくなったのだ。
「そうね、きりも良いしひと休みしようかしら」
「では拙者はお茶と茶菓子を用意するから、薫殿はゆっくり待ってて」
「ありがとう、よろしくね剣心」
先日薫殿が購入した茶葉が入った容器を手に取る。これは香りが上品で彼女がとても気に入っているものだ。茶菓子は葵屋から届いた落雁、こちらも薫殿が大層気に入って操殿にお礼の手紙を書いていた。
二人分のお茶と落雁を盆に乗せ薫殿が待つ部屋へと向かう。外は相変わらず雨模様である。廊下の角を曲がると、薫殿は縁側に腰掛けていた。
「薫殿、お待たせ。今日は操殿から頂戴した落雁を……」
そう声をかけたが、彼女はすやすやと眠っていた。
「おろ……」
神経を使う作業で疲れたのだろう。呼びかけに気がつくことなく寝息を立てている。起こすのも気の毒なので、盆を置き薫殿の横に拙者も腰掛ける。
薫殿の寝顔を眺めながら、ふと彼女と出会った夜のことを思い出す。抜刀斎の名を騙り、神谷活心流を陥れる辻斬りを一人で追いかけていた気丈な娘。初めはお転婆であるなと思っていたが、彼女が言ってくれた「流浪人のあなたにいてほしい」「人の過去に拘らない」という言葉が嬉しくて、暫く留まることを決めた。多くの仲間との出会いもあった。しかし、鵜堂刃衛、御庭番衆、斎藤一、志々雄真実、そして雪代縁――戦いの日々は絶えず続いた。その中で彼女の存在が己の中で徐々に居候先の主人から大切な人へと変化していった。
「薫殿は、拙者にとって一筋の光……であるな」
彼女の髪から頬にかけてゆっくりと触れながら呟く。拙者にとって……俺にとっての光、君と出会った季節、春のお日様のような温かくて優しい光だ。
「ん?……剣心?」
薫殿が目を覚ました。
「薫殿、起こしてしまい忝い……寝顔が愛おしくてつい」
「ちょっ、ちょっといきなり!?」
「本音でござるよ」
そう言って額に口付けをした。薫殿はというと、恥ずかしいの顔を赤らめながら目を閉じているが、なんだかんだ言いつつも彼女は己に身を預けてくれる。信頼してくれているという喜びと、一人の男の前に無防備な姿を晒すのは感心しない不安が入り混じる。
額から頬、頬から鼻へと順に口付けをしていく中、
「け、剣心!ここ縁側!もし誰か来たら」
「この雨だし、誰も来ぬでござる。それに」
例え誰かがここに来たとしても、その時は見せつけてやれば良いと耳元で囁く。このまま二人だけになれる時間……雨の世界に鍵をかけて閉じ込めてしまいたい。
「ばっ……ばかじゃないの!?そんなことよりお茶、冷めちゃうでしょ!早くいただきましょう」
あともう少しで唇が重なるところで突き離されてしまった。耳まで真っ赤にして本当に愛おしくてたまらない。
「そうでござるな」
熱を帯びた溢れる想いをしまい込み、盆からお茶と落雁を薫殿に手渡した。
雨は、まだ止みそうにない。だか、止まない雨はない。拙者の償いの旅に一つの答えが出たように、仄暗い世界に射す一筋の光、春の陽射しのような温かい光は必ず見えてくる。それに気がつくことができたのも薫殿と出会ったおかげなんだ。暗闇の中で生きていた拙者は、いつの間にか君という光に落ちていたんだよ。拙者を救ってくれて、ありがとう。
そう呟くのは、この家の主であり、神谷活心流師範代の神谷薫。彼女は今、針仕事の真っ最中である。
今日の天気は雨、土砂降りまではないが明け方から降り続いている。部屋も仄暗く、まるで藍色に染められたようだ。
「拙者は嫌いじゃないでござるよ」
雨は己の嫌な心を音で消して洗い流してくれるような気がするから嫌いじゃない。日本中を流れている間、突然の雨に降られ時には体調を崩してしまうこともあった。それでも人斬りである己に寄り添ってくれる雨を嫌いにはなれなかったのだ。
「えー!?雨が降ると洗濯物は乾かないし、着物は濡れちゃうし、やっぱり私は苦手だわ」
薫殿は針仕事の手を止めて、こちらを見る。因みに、彼女が今仕立てているのは拙者の冬用の寝巻だ。風邪をひくといけないからと。彼女の優しさに顔が綻ぶのを抑えるのに一苦労する。
「まぁ薫殿の気持ちは解らなくもないでござるよ」
確かに洗濯物は乾かないし、着物は濡れる。薫殿の言うことは一理ある。
「ふーん……」
そう言って薫殿は針仕事を再開した。
沈黙が流れる。しかし、それは決して気不味いものではなく、時間がゆっくりと流れるような穏やかな沈黙だ。聞こえるのは、雨音と時計の針の音、そして己の少し早い鼓動のみ。
「薫殿、そろそろ休憩にしよう」
彼女が作業を始めてからどれ程の時間が経っただろうか。自分の為に針仕事をしてくれているというのは十分理解はしているし、とても有難く思っているが、なんとなく放っておかれている気分になってしまった。今日、弥彦は赤べこの仕事で不在、せっかくの二人きりの時間を堪能したくなったのだ。
「そうね、きりも良いしひと休みしようかしら」
「では拙者はお茶と茶菓子を用意するから、薫殿はゆっくり待ってて」
「ありがとう、よろしくね剣心」
先日薫殿が購入した茶葉が入った容器を手に取る。これは香りが上品で彼女がとても気に入っているものだ。茶菓子は葵屋から届いた落雁、こちらも薫殿が大層気に入って操殿にお礼の手紙を書いていた。
二人分のお茶と落雁を盆に乗せ薫殿が待つ部屋へと向かう。外は相変わらず雨模様である。廊下の角を曲がると、薫殿は縁側に腰掛けていた。
「薫殿、お待たせ。今日は操殿から頂戴した落雁を……」
そう声をかけたが、彼女はすやすやと眠っていた。
「おろ……」
神経を使う作業で疲れたのだろう。呼びかけに気がつくことなく寝息を立てている。起こすのも気の毒なので、盆を置き薫殿の横に拙者も腰掛ける。
薫殿の寝顔を眺めながら、ふと彼女と出会った夜のことを思い出す。抜刀斎の名を騙り、神谷活心流を陥れる辻斬りを一人で追いかけていた気丈な娘。初めはお転婆であるなと思っていたが、彼女が言ってくれた「流浪人のあなたにいてほしい」「人の過去に拘らない」という言葉が嬉しくて、暫く留まることを決めた。多くの仲間との出会いもあった。しかし、鵜堂刃衛、御庭番衆、斎藤一、志々雄真実、そして雪代縁――戦いの日々は絶えず続いた。その中で彼女の存在が己の中で徐々に居候先の主人から大切な人へと変化していった。
「薫殿は、拙者にとって一筋の光……であるな」
彼女の髪から頬にかけてゆっくりと触れながら呟く。拙者にとって……俺にとっての光、君と出会った季節、春のお日様のような温かくて優しい光だ。
「ん?……剣心?」
薫殿が目を覚ました。
「薫殿、起こしてしまい忝い……寝顔が愛おしくてつい」
「ちょっ、ちょっといきなり!?」
「本音でござるよ」
そう言って額に口付けをした。薫殿はというと、恥ずかしいの顔を赤らめながら目を閉じているが、なんだかんだ言いつつも彼女は己に身を預けてくれる。信頼してくれているという喜びと、一人の男の前に無防備な姿を晒すのは感心しない不安が入り混じる。
額から頬、頬から鼻へと順に口付けをしていく中、
「け、剣心!ここ縁側!もし誰か来たら」
「この雨だし、誰も来ぬでござる。それに」
例え誰かがここに来たとしても、その時は見せつけてやれば良いと耳元で囁く。このまま二人だけになれる時間……雨の世界に鍵をかけて閉じ込めてしまいたい。
「ばっ……ばかじゃないの!?そんなことよりお茶、冷めちゃうでしょ!早くいただきましょう」
あともう少しで唇が重なるところで突き離されてしまった。耳まで真っ赤にして本当に愛おしくてたまらない。
「そうでござるな」
熱を帯びた溢れる想いをしまい込み、盆からお茶と落雁を薫殿に手渡した。
雨は、まだ止みそうにない。だか、止まない雨はない。拙者の償いの旅に一つの答えが出たように、仄暗い世界に射す一筋の光、春の陽射しのような温かい光は必ず見えてくる。それに気がつくことができたのも薫殿と出会ったおかげなんだ。暗闇の中で生きていた拙者は、いつの間にか君という光に落ちていたんだよ。拙者を救ってくれて、ありがとう。
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