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その日、定時の退勤時間を前に桜花企画活動公司の営業部はバタバタしていた。部長の命令で、緊急でない限りは残業禁止!というお達しが出たのだ。
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加瀬部長
エエか!
定時過ぎて俺の許可無く残ってたら -
加瀬部長
残業代払うどころか、光熱費請求すんで!
覚悟しとけ! -
どこまで本気か分からないが、部長にそうまで言われてのんびりしてはいられない。一斉に時間内に片付け、定時退社を目指していた。
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川村志延
加瀬部長、ちょっといいですか?
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加瀬部長
え?なんや、川村くん?
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川村志延
ご相談したいことがあるんですが、今夜、この後お食事でも?
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加瀬部長
ん、ええよ。
君が定時で退社できるんなら。 -
川村志延
もちろん、出来ます。
部長の命令でしたら、必ず守ります。 -
加瀬部長
なんや、エライ、カワイイ事言う新人やな~
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加瀬部長
おっしゃ、今夜は俺の奢りやで!
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川村志延
嬉しいです。
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加瀬部長
ほな、定時に、な。
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川村志延
はい♡
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そして、定時になり、一番遅いはずの営業部ですら、15分遅れで全員が一応オフィスを出た。
もちろんクライアント対応で、まだ外での業務中の者もいるが、それらは直帰が許されていた。 -
加瀬部長
ゴメン、ゴメン!
待たせてしもたな。 -
川村志延
いいえ。
部長のためなら、いつまでも待てます。 -
加瀬部長
キミ、ヤバいなあ。
ヤバいくらいにカワイイこと言うやん♪ -
加瀬部長
おっちゃん、帰りのタクシー代も出したるわ。
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川村志延
同じタクシーでいいです。
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加瀬部長
は?
あ、ま、そうなん? -
加瀬部長
え?この子って、俺んちの近所に住んでんの?
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川村志延
どこへ行きますか?
良かったら、僕、部長の家で、宅飲みしたいな。 -
加瀬部長
そんなん、無理に決まってるやん。
ウェイウェイの出張中に、若い男連れ込んだとか思われたらヤバいやん! -
加瀬部長
ん~。
それも気楽でいいんやけどさ~。 -
加瀬部長
今、ウチの冷蔵庫空っぽやし、料理したり、片付けたりするの、面倒やん。
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川村志延
僕、料理作りますよ!
片付けもちゃんとしますから。 -
加瀬部長
まあまあ。
今夜はそんなに気張らずに、どっか美味しいトコ行こう。 -
川村志延
じゃあ…新天地の「鼎泰豊」はどうですか?
部長のご自宅からも近いですよね。 -
川村志延
僕、あの店の一品料理とかも好きなんです。
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加瀬部長
あ~、あっこな。
まあ、外れないし…。 -
加瀬部長
え?
やっぱりこの子、俺んちの近所に住んでない? -
加瀬部長
まあ、ウェイとはあんなベタな店には行かへんし…。
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加瀬部長
この子がそう言うなら、「鼎泰豊」で台湾料理でもエエか~。
-
川村志延
部長、台湾料理、お嫌いでしたか?
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川村志延
僕、部長のお好みを知らなくて…。
もし他の料理の方が…。 -
加瀬部長
いやいや、別にかまへんよ。
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加瀬部長
ほな、行こか。
タクシー呼ぶ? -
川村志延
あ、僕がアプリで呼びます!
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そして新天地へ
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川村志延
僕、タクシーの中で予約入れたので、お店には並ばずにすぐに入れますよ。
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加瀬部長
へえ。
キミ、なかなかデキる子やね。
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加瀬部長
能見3班は、エエ新人が入って良かったなあ。
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川村志延
ありがとうございます!
僕、部長の期待に応えられるよう、頑張ります! -
加瀬部長
ん~、ホンマにエエ子や。
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鼎泰豊 店員1
こちらのお席へ。
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加瀬部長
はいはい、ありがとう。
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加瀬部長
この店は日本語通じる店員さんがいるし、安心やな。
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川村志延
心配されなくても、レストランくらいなら、郎主任じゃなくても、僕でも通訳出来ますよ。
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加瀬部長
え?なんて?
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川村志延
部長は、いつも郎主任ばっかりに頼っておられるから…。
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川村志延
僕、ちょっと悔しいです。
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加瀬部長
は?
どういう意味? -
川村志延
部長、小籠包召し上がられます?
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川村志延
飲物はビールでよろしかったですか?
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川村志延
それと…。
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加瀬部長
いやいや、川村くん…。
キミ、なんかどさくさに紛れて変なこと言わへんかった? -
加瀬部長
え?
気のせいなん?
俺の気のせい? -
鼎泰豊 店員1
…と、スペアリブですね。
以上でよろしいですか? -
川村志延
はい。結構です。
お願いします。 -
川村志延
部長?
-
加瀬部長
なんなん?これ何かマズイ?
ウェイウェイの出張中に、こんな事言う子とメシ食うのってマズイ? -
川村志延
部長?
加瀬部長? -
加瀬部長
あ、は、はいはい。
何やったけか?
注文?俺、小籠包とエビ焼売とスペアリブがあれば…。 -
川村志延
それはもう、注文しました。
-
加瀬部長
あ、そう。
-
加瀬部長
え~っと。
で、話ってなんやったっけ? -
川村志延
いきなり、核心を突きますか?
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加瀬部長
はあ?
いや、核心も何も。キミが相談したいことがあるって言うたんやん、川村くん。 -
川村志延
それはそうですけど…。
察してくれても、いいと思うんですよね。 -
加瀬部長
察するって、何を?
-
川村志延
僕、部長の事、好きなんです。
-
加瀬部長
き、キタ~!!
ヤバい、こんなん、ウェイに知られたら、メッチャヤバい! -
加瀬部長
そうなん?
俺、割と部下に好かれてる方やと思うけど、口に出してハッキリ言われることって、あんまし無いなあ。 -
加瀬部長
素直にありがたく受け取っておくわ。
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川村志延
誤魔化すつもりですか。
-
加瀬部長
うわ~。
何、メッチャ真顔やん!
アカン、アカン。
これ、アカンやつやん。 -
加瀬部長
誤魔化す?
何のことかなあ。 -
川村志延
…それは、郎主任のせいですか?
郎主任がいるから…。 -
加瀬部長
コレ、ウェイにバレたら、絶対に怒られる。それか、メッチャ拗ねてしまう。
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加瀬部長
郎主任は、関係無いんちゃうか?
-
川村志延
だって、部長と主任って…
-
加瀬部長
待てや。
-
川村志延
……っ。
-
加瀬部長
それ以上、余計なことを口にするな。
-
川村志延
か、加瀬部長…。
僕は…。 -
加瀬部長
郎主任は、関係無いやろ?
-
加瀬部長
俺と、お前の事やないのんか?
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川村志延
加瀬…さん…。
-
加瀬部長
お前の気持ちは今、聞いた。
-
加瀬部長
その分なら、俺の答えも分かってたんと違うんか?
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加瀬部長
どうしたいねん。
俺を困らせたい?
自分のモンにならへんから、怒ってる? -
川村志延
そんな!
違います!僕、そんな…。
僕は、ただ…。 -
川村志延
僕じゃ、郎主任の代わりにはなれないのかなって…。
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加瀬部長
ん~、無理やね。
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川村志延
そ、そりゃ、郎主任のように完璧な顔立ちで、背が高くて、スタイルよくて…。
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加瀬部長
そやな。
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加瀬部長
それだけと、ちゃうけどな。
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川村志延
賢くて、仕事も出来て、みんなに尊敬されてる人の代わりなんて、おこがましいとは思いますけど!
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加瀬部長
うん、そうやな。
キミは、郎主任にはなれへんからな。 -
加瀬部長
彼は彼。川村くんは、川村くんなんやから。
比べても意味無いわな。 -
川村志延
でも僕…。
加瀬さんのこと、初めて会った時から好きで…。 -
加瀬部長
俺も、彼に初めて会った時から好きやで。
今までずっと。 -
川村志延
……。
郎主任と別れて、僕と付き合って欲しいって言ってるわけじゃないんです。 -
加瀬部長
そりゃ、無理やから…。
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川村志延
今夜みたいに、郎主任がいない時に、ちょっと遊んでもらえるだけでいいんです…。
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加瀬部長
……。
-
加瀬部長
いじらしいこと言うけどさあ…。
やっぱりウェイとは違うよな。 -
加瀬部長
なんかこう…。
あざといというか、こういう事に慣れてると言うか…。 -
川村志延
ハッキリ言ってしまえば…。
一度だけでもいいんです。 -
川村志延
あなたに、抱いて欲しいんです…。
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加瀬部長
アカン、ウェイに知られたら、俺が殺されるか、ウェイが憤死する…。
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加瀬部長
念のために言うけど、俺は好きな人を裏切ったりはせえへんで。
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川村志延
そんな深刻なことじゃないんです!
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川村志延
ただ…僕は…。
好きな人に、抱かれたいだけです。 -
加瀬部長
俺が、キミのこと、好きでも何でもないのに?
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川村志延
一度だけ…。
今夜、一度だけでも…。 -
川村志延
ダメですか?
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加瀬部長
ダメやねえ。
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川村志延
そんな…。
僕に、ほんの少しでも同情してもらえないんですか? -
加瀬部長
なんの義理があって?
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加瀬部長
仕事のことならともかく、プライベートで何で俺がキミに同情せなアカンのん?
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川村志延
1番は郎主任でいいんです。
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川村志延
僕は2番で。
時々、思い出した時に相手にしてもらえる、手軽なセフレでいいんです。 -
加瀬部長
今、手一杯なんでな。
キミの事まで構ってられへんねん。 -
川村志延
ダメですか…。
僕…、こんなに、こんなにあなたが好きなのに! -
加瀬部長
うん。
俺の事好きなら、俺の幸せのために、身を引いてくれる? -
川村志延
ひどい…。
どうして、そんな残酷なことが言えるんですか。 -
加瀬部長
そりゃ、他に好きな人が居るんやから、しゃあないわな。
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加瀬部長
大好きで、大事な人を守るのが最優先やから。
キミの気持ちは二の次、三の次になるのはしゃあないねん。 -
川村志延
お願いです!
郎主任が居ない今夜、一度だけでいいから、僕を抱いてください。 -
川村志延
そうしたら…。
一度だけ、あなたを知れたら…。
諦めます。郎主任にちゃんとあなたをお返ししますから…。 -
加瀬部長
……。
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加瀬部長
なあ、川村くん。
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川村志延
はい?
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加瀬部長
キミ、そんなん言うの何度目なん?
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川村志延
え?
な、何度目って…。 -
加瀬部長
そういう泣き落とし、慣れてるやろ?
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加瀬部長
場数踏んでるって、バレバレやで。
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川村志延
……。
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加瀬部長
こう見えても、俺、元官僚やねん。
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加瀬部長
なんやかんやいわれても、日本の官僚の優秀さをナメてもろたら困るわ。
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川村志延
……。
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加瀬部長
キミのソレ、ハニートラップやん。
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加瀬部長
今夜、俺と寝て既成事実作ったら、どうするん?
俺の大事な人にそれを暴露して別れさす? -
加瀬部長
それとも、俺に対する脅しのネタとして使うん?
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川村志延
そんな!
僕はただ…。 -
加瀬部長
一回キミとセックスしたら、俺が彼よりキミに夢中になるとでも?
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川村志延
そう…なるかもしれないじゃないですか。
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川村志延
僕、自信ありますし。
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加瀬部長
無いわ~。
この俺が、キミに夢中になるなんて無いわ~。
あり得へん。 -
川村志延
そんなに郎主任が大事ですか!
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加瀬部長
大事やねえ。
俺が命を懸けて守ってやりたいほど、大事な人や。 -
川村志延
ひどいや…。
僕、これでも本気なのに。 -
加瀬部長
本気で俺を口説き落としてどうしたいねん。
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川村志延
どういう意味ですか。
口説いたら、付き合って、恋人同士になるんですよ。 -
加瀬部長
キミ、そんなんが目的ちゃうやろ。
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加瀬部長
こんなこと何回もやってるってことは、1人の相手に長続きせえへんってことや。
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川村志延
僕、重いから捨てられるんです。
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加瀬部長
違うな。
キミの方から捨ててるか、捨てられるよう画策してるやろ。 -
加瀬部長
キミ、まだ運命の相手に出会ってへんから次から次へと探し回ってるだけや。
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川村志延
部長が、俺の運命の相手だったかもしれないじゃないですか。
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加瀬部長
あ~、それはない。
俺にはもう運命の相手がいるから。 -
川村志延
ちぇっ。
好きな人からノロケを聞かされるなんてさ。 -
加瀬部長
そうかそうか。
俺のノロケをもっと聞きたいか。 -
川村志延
もう分かりました!
僕はテイよく振られたんですね。 -
加瀬部長
よう言うわ。
キミこそ本気や無かったクセに。 -
川村志延
えぇ~っ!
僕は本気でしたよ! -
加瀬部長
ん~、まあ俺とセックスしたい、までは本気やったかもな。
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川村志延
分かってるなら…。
一度くらい…。減るもんじゃなし。 -
加瀬部長
減ります、減ります。
この歳になると、よそで消耗したら大事な人を愛する分が減ってしまいますぅ。 -
川村志延
そうなんだ…。
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加瀬部長
納得すんなや。
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川村志延
僕…年上の人が好きなんですよ…。
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川村志延
でも、好きになる年上の人って、もうみんな結婚してたりして…。
相手にしてもらえないんですよね。 -
加瀬部長
好きでもない人に、相手にしてもらわんでエエんやって。
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加瀬部長
キミには、キミだけを愛してくれる人に大事にされる権利があるんやから。
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川村志延
そんな権利より、僕を満足させる義務を負ってくれる人の方がいいな。
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加瀬部長
キミ、夜の方、相当好きなん?
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川村志延
大好きだし、結構上手です。
興味湧いてきました? -
加瀬部長
いや、そうやなくて…。
相手するの、大変やろな~って。
あはは…。 -
川村志延
今さら、そんな心配、部長にしてもらわなくて結構です。
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加瀬部長
言うとくけど、自分を大事にしいや。
行きずりの相手とか、自分を傷つけるようなこと、したらアカンで。 -
川村志延
じゃあ、部長が慰めて下さいよ。
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加瀬部長
川村くん。
この程度のビールで酔わんといて。 -
川村志延
部長のバカ。
人でなし…。
僕、泣きますからね。 -
加瀬部長
あ、アカンて。
こんな健全な店で酔って泣くなんて最悪やん。 -
川村志延
じゃあ、僕んちまで送って下さい。
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加瀬部長
無理無理!
そんな怖い事できひんって。 -
川村志延
僕に襲われると思ってるんですね。
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加瀬部長
だって、襲う気やろ?
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川村志延
そうですけど。
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加瀬部長
いや~、もう怖い~。
俺、帰るし。 -
加瀬部長
ほな、お先!
これで足りると思うし。 -
そうして、部長は100元札を6枚取り出し、その場に置くと、逃げるように帰って行った。
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川村志延
ちっ、失敗か。
ベッドにさえ引きずり込めば、こっちのものだと思ったけど…。
2人の絆がこれほどとは、ね。 -
川村志延
さあ、明日からまた次のターゲットを物色しなくちゃな~。
あ、クライアントの櫛田さんなんかどうだろう? -
意外にタフなメンタルの川村くんは、この後、「太子事件」のどさくさに、クライアントの櫛田副社長に接待サウナで迫り、まんまと愛人に収まり、桜花企画活動公司を退職して日本に帰るのでした。
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