寄る辺のない春に咲く
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夕方、防災無線から流れる小気味よい音楽と同時に降り始めた雨が、公園の地面を黒く染めていく様子を眺めて3日前のことを思い出す。
あの時、ヒロさんに父のことを明かしたあの日、焦ったように私に背を向けて帰ってしまったヒロさんの後ろ姿が、どうしても父の姿と重なって頭から離れないのだ。
最近はずっと晴れてたのに、どうしてこんな時に限って雨は降り始めるのだろう。
あの日から彼はこの公園に現れていない。あの時の、ヒロさんの焦りようを考えると私の推測は間違ってなかったのだと思える。だからこそ、この3日間不安と恐怖に心が押し潰されそうで大変だった。バイト先に向かう途中で道を間違えるし、いつもならしないようなミスをして先輩に注意された。店長にも体調不良だと勘違いされて休みを取らされたし、帰りにお弁当を買うためにスーパーに寄ったはずがホテルに着いた途端何も持っていないことに気がついて絶望した。急いでスーパーに折り返せば店員さんが荷物を預かっててくれたみたいだけど、そこでようやく自分の様子がおかしいことに気がついた。
ずっと、心の中がソワソワして落ち着かないのだ。いつもなら集中して読める教科書の文章だって全然頭に入ってこない。昨日覚えたはずの単語だって何一つ覚えてないし、今日も、朝から公園のベンチでぼやぼやと過ごしていたらあっという間に夕方になった。しかも雨まで降ってくる始末。傘も持ってないし、もう気分は最悪だった。
私は、自分が思ってるよりもずっと父のことを引きずっていたのだ。ヒロさんを父の姿に重ねて、彼が死んでしまったのではないかと不安で、どうしようもなく心が苦しい。
朝、硬いホテルのベッドで目覚めて外を見た。カーテンの隙間から差す光は眩しいほど明るいのに、心の中は全く晴れていない。いくら寝たって、嫌なこと何一つ忘れられやしないじゃないか。
雲ひとつない快晴を目の当たりにして、私は大声で泣き出したい気分になった。
でも、もしかしたら今日こそヒロさんは公園に来てくれるかもしれない。今まできっと悪い組織から逃げてただけ、きっと今頃、上手く危機を回避して無事に過ごしている。そして何事もなかったかのようにして、ちょっと変態じみたセリフを吐きながら私の前に現れるのだ。
「ユキちゃん、待たせちゃってごめんね」なんて言って...。そこまで考えてため息をついた。バカみたい。なんで、私が見ず知らずの男性を公園で待たなければならないのか、別にヒロさんは私の恋人でも、友達でも家族でもなんでもないはずなのに。
都合の良い期待を込めた妄想で現実逃避なんて...。
(ほんとに何やってんだろ私。ヒロさんが私の本名を知るはずないのに...)
「シードル、これが父のコードネームです。半年前、娘である私の存在を隠すための嘘がバレて殺されました」
充電の切れそうなシードルのスマホを眺めて、3日前にユキちゃんが言っていた言葉を思い出す。あの日、彼女から自分自身の危機を知らされて俺はすぐに警察庁へ戻った。
まさか、何でこんなことになった?彼女の父親が組織の人間だった?組織の奴らから殺された?どうして彼女が俺のことを知っていた?疑問に思う部分は多くあるが、組織の中で俺がノックだという話がまだ広がっていなかったのが不幸中の幸いだった。
彼女からもらった情報をもとに俺はゼロや風見さんの力を借りて情報の出処を探った。
それから3日、最終的にスコッチとしての俺の身分を終わらせることが最善策だという結論に至り、スコッチの死を偽装するところまで済ませて、ようやく一息つけたことに俺は安堵した。
俺が今こうして生きていることも、警察から裏切り者が発覚したことも、何もかもユキちゃんのおかげだった。今は夜中の2時。
(いくら早く会いたいからといってもさすがにユキちゃんのバイト先で出待ちはまずいか…)
七葉ユキの父親はかなり前から組織の一員となっていた。特別な能力があるわけではないが組織の中でも歴が長い彼はシードルというコードネームを貰っていた。だから俺やゼロが潜入する前から彼女こ父親が組織の一員だったのは間違いない。そしてシードルはお金に困っていた。より多くのお金を稼ぐため職を転々とするうちに辿り着いたのが組織だったようだ。
シードルは長年娘の存在を隠していたがその隠し事がバレそうになった時、最後まで娘の存在を否定し続けたシードルはそのまま殺された。その後シードルの自宅に組織が乗り込んだがその家は既に解約されており、何の形跡も残っていなかった。そのため組織はその場で娘の調査を断念。シードルの娘は本当にいなかった。今思えば結局それで方が付いたのが奇跡だった。ただ、組織の行動より、ユキちゃんの行動の方が早かったというだけのこと。
シードル、もしかしたら助けられたかもしれなかった命だ。組織の裏切りものを始末した。その知らせを受け取ったとき、酷い虚しさを覚えたのをよく覚えている。
ユキちゃんの父と最後まで連絡を取り合っていたブランデーという人物には心当たりがあった。ここ半年でものすごいスピード出世をしているから、俺もゼロもその名前はよく耳にした。なんでもバーボンに並ぶほど情報収集が得意らしいとか。
しかしシードルとバディを組んでいたということはブランデーも組織内でも古参であるはず。なのになぜ、突然大量の情報を手に入れられる程の能力を得たのかというと、警察側の裏切り者から情報を貰っていたからだった。ここで、警察側にいる裏切り者の存在が明らかになったというわけだ。普通にシードルと仲の良かったブランデーは、シードルが殺されたことをずっと信じていなかった。きっとどこかで生きているだろう、そう思っていたブランデーはスコッチの情報を入手したのち、真っ先にシードルへ連絡した。だから組織内でスコッチの情報が広がる前に、俺は全ての事実を知ることが出来たのだ。
ユキちゃんが名前を偽っていたのも、安いホテルを転々として過ごしているのも、全ては組織から逃げて自分の身を守るため。本当に、恐ろしいくらい賢い子だ。彼女はおそらく父親が今までやってきたことも知っているのだろう。
(だけど彼女はずっと、父親のことが大好きなんだろうな…)
* * *
朝、目を覚ました俺は公園へ行くために急いで着替えたセーフハウスを出た。
(何はともあれ、これで俺が彼女を気にかける大義名分ができたんだ)
1週間も通えばこの景色も見慣れたもので、3日ぶりに公園の門をくぐればいつものベンチに彼女は座っていた。本を閉じてぼんやり桜の木を眺めるユキちゃん。少し悲しそうに見えるその表情に少し違和感を覚えつつも、いつものように話しかければユキちゃんは勢いよく立ち上がった。
「なあユキちゃん」
パチパチと瞬きして、目を丸くする彼女はひどく驚いたような顔で俺を見つめている。そんな彼女を前に、俺はさっそくこの数日間考えていた提案を投げかけた。
「俺と一緒に暮らさないか?」
「...ああヒロさん、これで完全な不審者になってしまいましたね」
少しの間を挟んで、涙ぐんだ声がいつものような憎まれ口を叩いた。たった3日会ってなかっただけなのに、そのやり取りに懐かしさ感じて彼女に近づけば、彼女は涙を堪えるようにしてくしゃりと顔を歪めた。
(ユキちゃん…)
この3日間、彼女にものすごい心配をかけてしまったのだと、彼女の表情から切実に伝わってくるようで、胸の奥が苦しくなった。
「俺は、君がいなければ死んでいたかもしれない」
「…そうですね、私もそう思います」
「だから俺にはこれから君を守る義務があると思うんだ」
「どういう定義ですか、それ」
彼女がクスリと笑った。いつもの会話の調子だ。
「俺は君に恩を返したいと思ってる。もちろん組織から君を守る目的もあるし、君だってこれからもずっと今のような生活を続けるには大変だろ」
「それは、まあそうですね」
「それに君だってもっと落ち着いて勉強できる場所があったら嬉しいと思わないか?」
「そうですね…」
いったい何の話がしたいんだ、と言いたげな視線だ。相変わらず疑り深い彼女の性格には困った。俺だってこれは真剣に考えて出した結論なんだぞ。
「俺なんかが君の父親の変わりになれるなんて思ってないが、俺は君と養子縁組を結びたいと思ってる」
「…俺なんか、はやめてください。私はヒロさんのこと好きですよ」
「え!?それはどういう…」
「何考えてるか分かりませんが、人としてに決まってるじゃないですか」
「そうだよな、はは…」
微妙に気まずい雰囲気が流れて思わず目を逸らす。やば、完全に言葉選びを間違えた。けっこう良い感じに話が進みそうなはずだったのに、風が吹いた直後のように静かになったこの空気をどうしよう...そんなことを思ったとき、
ーーコホン、と大袈裟な咳払いが公園に響いた。俺がやった訳じゃない。もちろんユキちゃんでもない。公園の入り口をみると気まずそうな顔をして立っているゼロの姿があった。
そうだった。確かにスコッチの処分については方が付いたが仕事が終わったわけじゃない。ゼロの意図を察して俺は慌ててベンチを立った。遅くとも1時間後には戻るとゼロには言ったはずが、思ったより長く話してしまったらしい。野外時計の指す短針は既にてっぺんを過ぎている。
ベンチに座り不思議そうな顔で俺のことを見上げるユキちゃん。俺は咄嗟に彼女の手を取った。そして、彼女の答えを聞くのも忘れて、俺はゼロの車に乗り込んだ。
「あの、ヒロさん…なんで私まで」
「ああごめんユキちゃん。とりあえず養子縁組の手続きとか諸々はゼロがやってくれるから、俺はちょっとまだ忙しくてね」
「...私まだ、何も答えてないんですが?」
「でも俺が提案したときに否定しなかっただろ?それなら、これからは俺に君のことを守らせてくれないか」
結局彼女はその質問の答えを返してくれない。やっぱり急すぎるだろうか、そんなことを思って彼女の顔を見れば、ポタリと彼女の瞳からこぼれ落ちた一雫。
それを見て俺は、心の底から安心した。だって、頬を涙で濡らしている彼女が、止まらない涙を拭いながら嬉しそうに笑っていたから。
不躾にも俺は彼女の頬に手を伸ばした。気持ち悪いと払われるかも、なんて思いながらそっと彼女の涙を拭うと、彼女の手が俺の手に重なった。
俺の手のひらに擦り寄るようにして首を傾けた彼女は、俺の腕の中で安心したように笑っていた。その仕草が、初めて彼女がちゃんと俺を信頼してくれたのだと感じられて嬉しかった。
だったら今度こそ少し調子に乗っても良いだろうか、そんな気持ちで彼女の小さな身体を抱きしめれば、意外にも彼女は俺にその身を預けてくれた。
「ヒロさんが生きて良かった」
俺の肩に顔を埋めるようにして小さく呟いた彼女の震えた声に、俺は彼女の弱さを初めて見た気がした。
どれだけ彼女が強い心と優秀な頭脳を持っていたとしても、彼女だってまだまだ子どもなのだ。今まで色んな不安を抱えて彼女は1人で過ごしてきたのだろう。そんな君を、これからはどうか俺に守らせてくれないだろうか。絶対に君を一人にしないと約束するから。
(だから君はこれから、もっとわがままになっていいんだよ)
あの時、ヒロさんに父のことを明かしたあの日、焦ったように私に背を向けて帰ってしまったヒロさんの後ろ姿が、どうしても父の姿と重なって頭から離れないのだ。
最近はずっと晴れてたのに、どうしてこんな時に限って雨は降り始めるのだろう。
あの日から彼はこの公園に現れていない。あの時の、ヒロさんの焦りようを考えると私の推測は間違ってなかったのだと思える。だからこそ、この3日間不安と恐怖に心が押し潰されそうで大変だった。バイト先に向かう途中で道を間違えるし、いつもならしないようなミスをして先輩に注意された。店長にも体調不良だと勘違いされて休みを取らされたし、帰りにお弁当を買うためにスーパーに寄ったはずがホテルに着いた途端何も持っていないことに気がついて絶望した。急いでスーパーに折り返せば店員さんが荷物を預かっててくれたみたいだけど、そこでようやく自分の様子がおかしいことに気がついた。
ずっと、心の中がソワソワして落ち着かないのだ。いつもなら集中して読める教科書の文章だって全然頭に入ってこない。昨日覚えたはずの単語だって何一つ覚えてないし、今日も、朝から公園のベンチでぼやぼやと過ごしていたらあっという間に夕方になった。しかも雨まで降ってくる始末。傘も持ってないし、もう気分は最悪だった。
私は、自分が思ってるよりもずっと父のことを引きずっていたのだ。ヒロさんを父の姿に重ねて、彼が死んでしまったのではないかと不安で、どうしようもなく心が苦しい。
朝、硬いホテルのベッドで目覚めて外を見た。カーテンの隙間から差す光は眩しいほど明るいのに、心の中は全く晴れていない。いくら寝たって、嫌なこと何一つ忘れられやしないじゃないか。
雲ひとつない快晴を目の当たりにして、私は大声で泣き出したい気分になった。
でも、もしかしたら今日こそヒロさんは公園に来てくれるかもしれない。今まできっと悪い組織から逃げてただけ、きっと今頃、上手く危機を回避して無事に過ごしている。そして何事もなかったかのようにして、ちょっと変態じみたセリフを吐きながら私の前に現れるのだ。
「ユキちゃん、待たせちゃってごめんね」なんて言って...。そこまで考えてため息をついた。バカみたい。なんで、私が見ず知らずの男性を公園で待たなければならないのか、別にヒロさんは私の恋人でも、友達でも家族でもなんでもないはずなのに。
都合の良い期待を込めた妄想で現実逃避なんて...。
(ほんとに何やってんだろ私。ヒロさんが私の本名を知るはずないのに...)
「シードル、これが父のコードネームです。半年前、娘である私の存在を隠すための嘘がバレて殺されました」
充電の切れそうなシードルのスマホを眺めて、3日前にユキちゃんが言っていた言葉を思い出す。あの日、彼女から自分自身の危機を知らされて俺はすぐに警察庁へ戻った。
まさか、何でこんなことになった?彼女の父親が組織の人間だった?組織の奴らから殺された?どうして彼女が俺のことを知っていた?疑問に思う部分は多くあるが、組織の中で俺がノックだという話がまだ広がっていなかったのが不幸中の幸いだった。
彼女からもらった情報をもとに俺はゼロや風見さんの力を借りて情報の出処を探った。
それから3日、最終的にスコッチとしての俺の身分を終わらせることが最善策だという結論に至り、スコッチの死を偽装するところまで済ませて、ようやく一息つけたことに俺は安堵した。
俺が今こうして生きていることも、警察から裏切り者が発覚したことも、何もかもユキちゃんのおかげだった。今は夜中の2時。
(いくら早く会いたいからといってもさすがにユキちゃんのバイト先で出待ちはまずいか…)
七葉ユキの父親はかなり前から組織の一員となっていた。特別な能力があるわけではないが組織の中でも歴が長い彼はシードルというコードネームを貰っていた。だから俺やゼロが潜入する前から彼女こ父親が組織の一員だったのは間違いない。そしてシードルはお金に困っていた。より多くのお金を稼ぐため職を転々とするうちに辿り着いたのが組織だったようだ。
シードルは長年娘の存在を隠していたがその隠し事がバレそうになった時、最後まで娘の存在を否定し続けたシードルはそのまま殺された。その後シードルの自宅に組織が乗り込んだがその家は既に解約されており、何の形跡も残っていなかった。そのため組織はその場で娘の調査を断念。シードルの娘は本当にいなかった。今思えば結局それで方が付いたのが奇跡だった。ただ、組織の行動より、ユキちゃんの行動の方が早かったというだけのこと。
シードル、もしかしたら助けられたかもしれなかった命だ。組織の裏切りものを始末した。その知らせを受け取ったとき、酷い虚しさを覚えたのをよく覚えている。
ユキちゃんの父と最後まで連絡を取り合っていたブランデーという人物には心当たりがあった。ここ半年でものすごいスピード出世をしているから、俺もゼロもその名前はよく耳にした。なんでもバーボンに並ぶほど情報収集が得意らしいとか。
しかしシードルとバディを組んでいたということはブランデーも組織内でも古参であるはず。なのになぜ、突然大量の情報を手に入れられる程の能力を得たのかというと、警察側の裏切り者から情報を貰っていたからだった。ここで、警察側にいる裏切り者の存在が明らかになったというわけだ。普通にシードルと仲の良かったブランデーは、シードルが殺されたことをずっと信じていなかった。きっとどこかで生きているだろう、そう思っていたブランデーはスコッチの情報を入手したのち、真っ先にシードルへ連絡した。だから組織内でスコッチの情報が広がる前に、俺は全ての事実を知ることが出来たのだ。
ユキちゃんが名前を偽っていたのも、安いホテルを転々として過ごしているのも、全ては組織から逃げて自分の身を守るため。本当に、恐ろしいくらい賢い子だ。彼女はおそらく父親が今までやってきたことも知っているのだろう。
(だけど彼女はずっと、父親のことが大好きなんだろうな…)
* * *
朝、目を覚ました俺は公園へ行くために急いで着替えたセーフハウスを出た。
(何はともあれ、これで俺が彼女を気にかける大義名分ができたんだ)
1週間も通えばこの景色も見慣れたもので、3日ぶりに公園の門をくぐればいつものベンチに彼女は座っていた。本を閉じてぼんやり桜の木を眺めるユキちゃん。少し悲しそうに見えるその表情に少し違和感を覚えつつも、いつものように話しかければユキちゃんは勢いよく立ち上がった。
「なあユキちゃん」
パチパチと瞬きして、目を丸くする彼女はひどく驚いたような顔で俺を見つめている。そんな彼女を前に、俺はさっそくこの数日間考えていた提案を投げかけた。
「俺と一緒に暮らさないか?」
「...ああヒロさん、これで完全な不審者になってしまいましたね」
少しの間を挟んで、涙ぐんだ声がいつものような憎まれ口を叩いた。たった3日会ってなかっただけなのに、そのやり取りに懐かしさ感じて彼女に近づけば、彼女は涙を堪えるようにしてくしゃりと顔を歪めた。
(ユキちゃん…)
この3日間、彼女にものすごい心配をかけてしまったのだと、彼女の表情から切実に伝わってくるようで、胸の奥が苦しくなった。
「俺は、君がいなければ死んでいたかもしれない」
「…そうですね、私もそう思います」
「だから俺にはこれから君を守る義務があると思うんだ」
「どういう定義ですか、それ」
彼女がクスリと笑った。いつもの会話の調子だ。
「俺は君に恩を返したいと思ってる。もちろん組織から君を守る目的もあるし、君だってこれからもずっと今のような生活を続けるには大変だろ」
「それは、まあそうですね」
「それに君だってもっと落ち着いて勉強できる場所があったら嬉しいと思わないか?」
「そうですね…」
いったい何の話がしたいんだ、と言いたげな視線だ。相変わらず疑り深い彼女の性格には困った。俺だってこれは真剣に考えて出した結論なんだぞ。
「俺なんかが君の父親の変わりになれるなんて思ってないが、俺は君と養子縁組を結びたいと思ってる」
「…俺なんか、はやめてください。私はヒロさんのこと好きですよ」
「え!?それはどういう…」
「何考えてるか分かりませんが、人としてに決まってるじゃないですか」
「そうだよな、はは…」
微妙に気まずい雰囲気が流れて思わず目を逸らす。やば、完全に言葉選びを間違えた。けっこう良い感じに話が進みそうなはずだったのに、風が吹いた直後のように静かになったこの空気をどうしよう...そんなことを思ったとき、
ーーコホン、と大袈裟な咳払いが公園に響いた。俺がやった訳じゃない。もちろんユキちゃんでもない。公園の入り口をみると気まずそうな顔をして立っているゼロの姿があった。
そうだった。確かにスコッチの処分については方が付いたが仕事が終わったわけじゃない。ゼロの意図を察して俺は慌ててベンチを立った。遅くとも1時間後には戻るとゼロには言ったはずが、思ったより長く話してしまったらしい。野外時計の指す短針は既にてっぺんを過ぎている。
ベンチに座り不思議そうな顔で俺のことを見上げるユキちゃん。俺は咄嗟に彼女の手を取った。そして、彼女の答えを聞くのも忘れて、俺はゼロの車に乗り込んだ。
「あの、ヒロさん…なんで私まで」
「ああごめんユキちゃん。とりあえず養子縁組の手続きとか諸々はゼロがやってくれるから、俺はちょっとまだ忙しくてね」
「...私まだ、何も答えてないんですが?」
「でも俺が提案したときに否定しなかっただろ?それなら、これからは俺に君のことを守らせてくれないか」
結局彼女はその質問の答えを返してくれない。やっぱり急すぎるだろうか、そんなことを思って彼女の顔を見れば、ポタリと彼女の瞳からこぼれ落ちた一雫。
それを見て俺は、心の底から安心した。だって、頬を涙で濡らしている彼女が、止まらない涙を拭いながら嬉しそうに笑っていたから。
不躾にも俺は彼女の頬に手を伸ばした。気持ち悪いと払われるかも、なんて思いながらそっと彼女の涙を拭うと、彼女の手が俺の手に重なった。
俺の手のひらに擦り寄るようにして首を傾けた彼女は、俺の腕の中で安心したように笑っていた。その仕草が、初めて彼女がちゃんと俺を信頼してくれたのだと感じられて嬉しかった。
だったら今度こそ少し調子に乗っても良いだろうか、そんな気持ちで彼女の小さな身体を抱きしめれば、意外にも彼女は俺にその身を預けてくれた。
「ヒロさんが生きて良かった」
俺の肩に顔を埋めるようにして小さく呟いた彼女の震えた声に、俺は彼女の弱さを初めて見た気がした。
どれだけ彼女が強い心と優秀な頭脳を持っていたとしても、彼女だってまだまだ子どもなのだ。今まで色んな不安を抱えて彼女は1人で過ごしてきたのだろう。そんな君を、これからはどうか俺に守らせてくれないだろうか。絶対に君を一人にしないと約束するから。
(だから君はこれから、もっとわがままになっていいんだよ)
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