ひだまり色の手紙
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ひだまり色の手紙
(*)このお話では名前を2つ設定できます
××年〇月△日、天才ヴァイオリニストと呼ばれ、世界で活躍していたいた齢15の少女"ソフィア"の死亡が確認されました。
高校1年の冬、いつも通り友達と昼食の時間を過ごしたあと、次の授業までのあいだ、なんとなく眺めてたスマホの画面で見つけたニュースにとてつもないショックを受けた。
それは言わずもがな、俺がそのソフィアという少女のことがファンとして大好きだったからだろう。
小学生のとき、母さんが見てた音楽番組の海外特集で彼女を見つけた。歳は自分とほとんど変わらないのに可愛いらしい笑顔とピシッとした姿勢でインタビューに答える彼女を見たとき、ドクンッと心臓が妙な音を立てた。
そのことを母さんに話すと、母さんは彼女について調べて教えてくれた。
6歳の頃から天才ヴァイオリニストと呼ばれ活躍をしていることやロシアという遠い国に住んでることを知った。そして自分とは違う華々しい舞台に立つ彼女が眩しくて、幼心ながら応援したいと思ったのをよく覚えている。
中学に上がる時にスマホを買ってもらってからは自分で彼女のことを調べていた。彼女も俺と同じように中学に通ってるのだろうか。10歳を過ぎた頃からメディアへと顔を出すことが徐々に減っていたソフィア。学校生活に影響が出るからか、他のことで忙しいのか分からないが、この時はもうほとんど彼女の顔をリアルタイムで見ることができなかった。あるとき、彼女に関する記事を漁っていると、ひとつのインタビュー記事を見つけた。どこかのラジオ番組でのものだった。ありがたいことに、他のファンの誰かが翻訳したものがあったから、ロシア語が全くわからない俺にもそのインタビュー内容を知ることが出来た。
『ソフィアさんの好きな人はどんな人なんでしょうか』
『そうですね…好きなことに夢中になれる人でしょうか。何であれ、ひとつの事に夢中になってとても楽しそうにしてる表情は輝いて見えます』
確かに、舞台に立つ彼女を観るのは非常に心地よい。音楽のことは全然分からないが、彼女の奏でる音はいつまでも聞いていられる。音楽を楽しむ彼女の姿が大好きだった。
『なるほど…とても素敵ですね。では、ソフィアさんが普段大切にしていることなんかはあったりしますか?』
『そうですね、"ちゃんと" やることでしょうか』
『ちゃんと…とは?』
『毎日の過ごし方です。規則正しい生活、挨拶、練習、勉強、片付け、掃除、全部丁寧にやるんです』
"ちゃんと" やること。その文字から目が離せない。翻訳された情報だから、本来どういう意味で彼女がその言葉を述べたのか、俺に知る術はない。けれど、自分と同じくらいの年齢なのにはるか遠くに見えていた彼女のその言葉に、なんだか親近感が湧いた。
俺も、いつも"ちゃんと"やってる。自分が手を伸ばしても届かない存在の彼女に少しだけ近づいた気がして嬉しかった。
あるとき、アイドルが好きだという友達からファンレターというものの話を聞いた。ソフィアも俺がファンレターを送ったら受け取ってくれるのだろうか。
とにかく、彼女に応援のメッセージを直接送ることができることにテンションの上がった俺はその日、友達からファンレターの書き方を教わり、拙いロシア語で書いたファンレターを送った。
「まさか北がヴァイオリンに興味あるなんてな」
「正確に言うとヴァイオリンというよりソフィアっていうアーティストにやけどな、音楽のことはよお分からんし」
「なんや、意外やな」
という会話を、部活仲間である尾白アランとしたのはつい先日。俺の胸中を騒がせた例のニュース記事が出たのもその日だった。この会話の中心の人物、ソフィアはもうこの世にはいない。そう思った途端、ものすごい虚しさと怒りが込み上げでくる。
なんで、彼女は死んでしまったんやろか。彼女が死んだのは公演会の最中だとニュースの記事には書いてあった。なんで事故なんか起こんねん。安全点検をちゃんとしとけばそんな大きな事故起こらなかったやろと、行き場のない怒りが頭の中を支配して、午後の授業は集中出来なかった。
翌朝、いつもと同じようにルーティーンをこなす。特に何も変わらない日々なのに、彼女がいないという事実だけが頭にこびり付いて離れない。
だけど事実は変わらない。彼女の曲が消えるわけやないし、彼女に対する気持ちも変わる訳やない。家に帰って彼女のヴァイオリンの音を聞いて心を落ち着かせる。彼女の奏でるクラシック音楽が大好きだ。
「信介、調子が戻ったようやな」
「すんません。気合い入れ直してきました。」
ソフィアの死亡を知った日から数か月後、高校2年に学年が上がり、部活の後輩が出来た。部活動が忙しくなり、既に彼女の死は俺の頭な中から遠ざかっていた。
高校2年の夏、部活がオフだったので1人ロードワークをしていたら、公園でヴァイオリンの練習をしている小さな女の子を見かけた。小学生やろうか。小さな女の子はヴァイオリンが思うように弾けないようで、近くで遊んでいた男の子達にからかわれていた。
人の練習の邪魔はするもんやないで、と軽く注意をしようとしたそのとき、「一生懸命やってる人をからかうのは良くないよ」という自分じゃない声が聞こえて黙ってしまった。
とても綺麗で落ち着いた声に、女の子をからかっていた男の子達も口を噤んだ。それを見て優しく微笑んだその人は、俯いて涙を我慢する小さな女の子に歩み寄った。
「あなたの演奏、とても素敵ね」
「…ほんとう?」
「うん。一生懸命演奏してるのに、素敵じゃないわけないでしょ?」
「でも、わたし、あんまり上手じゃない」
「ヴァイオリンは楽しい?」
「…うん」
「じゃあ、もっと楽しく弾こう。あなたが思うように、もっと自由に」
その女性がそんなことを言うもんだから、一瞬その人が彼女の姿に重なった。何故だかその場から足が動かず、しばらく女の子と彼女に似た女性の様子を観察してしまった。
あんな風に人に優しくする人を見て暖かい気持ちになった。初めてソフィアを見たときと同じような、その感覚に気分が高揚する。
日直の仕事で少し遅れて部活に向かうと、扉の前で佇んでる女の子を見つけた。バレー部に用事かと思い声をかけると、振り向いた女の子の顔が見えた。トクンという心音。まただ。初めて彼女を見たときと、昨日のロードワークであの人にあったとき、そして今。よお見たら昨日と同じ人か?
「あの、宮侑くんの忘れ物です。明日までの宿題のプリントが机の上に置きっぱなしだったので」
「わざわざ届けに来たんか。すまんな。今はちょうど試合中みたいやから俺が渡しとくけどそれでもええか?」
「はい、お願いします」
「…なあ、今、バレー部の様子見とったやろ、どう思ったか聞かせてや」
「それはもう皆さんとても輝いて見えますよ。バレーボールのことはあまり知らないですけど、全力で努力し楽しむ姿はいつ見ても素敵だと思いますよ」
「…そうか、ありがとうな。侑にはこれ渡しとくわ、自分名前は?」
「杠葉 ユキです」
「杠葉さん、ほんまにありがとう」
まさか、同じ高校の人やとは思わなかった。どうしてか分からないけど、彼女にもう一度会いたい。どうにかして彼女ともう一度話せないだろうか。
今日は昼のお弁当が物足りなくて珍しく食堂まで足を運んだのが吉と出た。
ごちゃごちゃと人が集まる食堂で彼女の姿を見つけた。ちょうど彼女の横に座ってた生徒が席を立ったのを狙って、「ここ座ってもええか?」と声をかけると「もちろんです」と笑顔で答えてくれた。友達とかと一緒だったら邪魔したらあかんと思い質問すると、いつも一緒にご飯を食べてる友達はたまたま休みだと言った。これはチャンスだと思いこの前ロードワーク中に見かけた旨の話をする。
今思うと、いきなりそんな知らん奴に声かけられて彼女は心底びっくりしただろう。気味悪がられてもおかしくなかった。だけど、彼女と話がしたくて仕方がなかった俺には、そんな気遣いが出来なかった。
「あ、あの時の」
「せや、たまたま見かけてん。そんでその時女の子と話してたのを聞いたんやけど、ええ人やな思ってな」
「ええ!?なんか恥ずかしですね」
「なんも恥ずかしいことはないやろ、俺めっちゃ自分の言った言葉が心に残っててん」
「ふふ、そう言ってもらえるとなんだか嬉しいですね」
「…なあ、杠葉さんはソフィアってアーティスト知っとる?」
「えっと、ヴァイオリンの?」
「やっぱ知っとるんか!俺その人のことめっちゃ好きやねん」
しばらく会話を続けてようやく一番聞きたかったことが聞けた。身近に知っとる人がいたことに少し興奮してもうた。杠葉さんは微笑みながら うんうんと頷いてくれる。
「また、時間がある時に話さへんか?」
「もちろん、良いですよ」
昼休みが終わるチャイムを聞いて杠葉さんと別れる。好きなことを共有できるという嬉しさと、彼女に対して覚え始めた不思議な気持ちを抱えて自身の教室へ戻った。
ユキと仲良くなってから数ヶ月後、連絡先も交換して時間が会う時は一緒に帰ったりもするくらいには距離が縮まった。彼女と関われば関わるほど、ソフィアと重なる部分があると感じる。最初は好きなアーティストへの憧れから、ソフィアの言動を真似しているから似ているのだと、そう感じさせるのかと思っていた。けれど最近気づいたのはユキの方からソフィアの話をあまりしないこと。
もしかしたら知っとるだけでほんまは好きというわけではないのかもしれない。少しショックな気もするけど、それやったらこれ以上付き合わせるのは申し訳ない。でも、やっぱりユキとの接点を失いたくはない。
もうすぐ定期テストが始まる。ということは放課後の部活がオフになるということ。案外諦めの悪いらしい自分に呆れながら、今日も一緒に帰れないかと彼女を誘った。
「あれ、今日はソフィアの話はしないんですか?」
「ユキはソフィアの話して楽しいか?ユキからソフィアの話あんま聞かへんから、俺に合わせてくれてるのかと思って」
「え、そんなことない!私いつも北さんの話楽しみにしてますよ」
「ほんまか?」
うん!と大きく首を振る彼女に嬉しくなる気持ちを抑え、本当に俺に気を使ってるわけではないのかと今一度確認する。
すると少し俯いて考える素振りをする彼女。やっぱり俺に気を使ってたんやろか。モヤモヤする気持ちをどう処理すべきか考えていると、彼女が急に顔を上げてこう言った。
「じゃあ、今日は私がソフィアの話をしましょうか。私、多分北さんが知らない話も知っているので」
「ほんま?聞きたいわ」
「実はですね、ソフィアは死んでないんですよ、まあ死んだことにはなってますが実際は死んでないです。確かに命を狙われていて大変でしたが、あの事件のときは右腕の怪我だけで済んだので。今は名前も国籍も変えて普通に暮らしているらしいですよ」
「うーん、それがほんまやったら嬉しいな」
「信じてませんね?」
「いや、それやったらほんまに嬉しいけどな」
「それじゃあもうひとつ、ソフィアには実は気になる人がいるらしいんですよ」
「…?」
「ソフィアは日本のファンの人から貰ったファンレターを気に入ってずっと持っているんですよ?知ってましたか?」
「…そんな話があったんか」
「そのファンレターには下手くそなロシア語が書かれてて、一生懸命書かれたであろうその手紙がとても嬉しかった、と彼女は思ってるんですよ。あの時、怪我のせいで今までのようにヴァイオリンが弾けなくて塞ぎ込んでいたときに、その手紙を見つけて少し元気が出たんです。同じくらいの歳の子から手紙を貰ったのは、あれが初めてだったんですよ?…確かその手紙を送った人の名前はキタシンスケと書かれていたとか」
「…俺のことからかっとるんか」
にこにこと愛らしい笑みを浮かべてソフィアにまつわる話をするユキ。彼女はいつにも増して饒舌で、自分の知らないソフィアの話が聞けることが嬉しいはずなのに、内容には妙に引っかかることが多い。ファンレターの話に至っては見覚えがありすぎる。彼女の作り話か、ほんまの話か分からんけど、最後に自分の名前まで出できて驚いた。なんだかからかわれているような妙な気分だ。
「やっぱり信じてませんね?ソフィアはずっとその人に会ってみたいと思ってたんですよ。だから今、その願いが叶ってとっても楽しいって」
「な、何を言うてるん…それじゃあまるで」
「ふふ、ソフィアは杠葉ユキとして生まれ変わったんですよ!それだとちょっと語弊があるけど…あ、ほら見てこの手紙」
急展開に頭がついて行かない。確かにソフィアとユキが重なる部分はあった。ソフィアについてはテレビや雑誌の中でしか知らないけど、自分が憧れてる人物と自分が好きな人とで何故だか既視感があった。
まだ整理のつかない頭。フリーズしている俺の横で、彼女が財布の中から1枚の綺麗に畳まれた紙を取り出した。
淡い橙色の、ひだまりみたいな綺麗な色をした便箋。少し色褪せてるけど間違いない、俺が送ったファンレターと全く同じものだ。
「ほ、ほんまなんか?」
「今まで騙してしまってごめんなさい、なかなか言い出せなくて」
「いや、まあなんや恥ずいけどええわ。俺今めっちゃ贅沢者やし」
「私のこと嫌いになってない?」
「なんでそうなるんや、ソフィアのこともユキのことも好きやのに、これ以上の好きはないやろ」
「そんな好きを連呼しないでくださいよ、こっちまで恥ずかしい…」
「俺なんてずっとソフィア本人に愛を語ってたってことやろ、俺やって恥ずかしいんだからお互い様やろ」
「…まだ仲良くしてくれますか?」
「あたりまえや。正直ソフィアについてはまだ疑問しかないけど、俺がユキのこと好きなんは変わらへんからな」
「あ、ありがとう」
「ほな、また明日な」
次の日からもいつもと変わらない日々。だけどユキとの距離がさらに縮まったような気がして、正直少し浮かれとる。
憧れの人、好きな人と言ってしまったが、ユキはどう捉えたやろか。あんまり手応えがあったような感じはせんかったけど、もっとユキと一緒におりたいっていうのは烏滸がましいと思われるやろか。
「ユキは、俺が好きやって言うたら迷惑か」
「そう言われて迷惑なんて思いませんよ」
「いや、俺が言いたいんは…」
「分かってますよ、私も信介くんが好きです。多分、ファンレターを貰った日からずっと」
「ほ、ほんまなん?」
「信介くんが知ってるソフィアはこうやって嘘をつく人に見えた?」
「いや、せやな。俺も改めて言わせてもらうわ。ユキのことが好きや。初めてテレビで見た日からずっと、俺と付き合うてくれませんか」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
俺が出した手をユキの手が優しく握り返してくれる。嬉しい気持ちが込み上げてきて、繋いだ手を引っ張って自身の腕の中に閉じ込めた。小さくて柔らかい肩を抱き締めると、楽しそうな笑い声をあげる彼女が腕の中で身じろぐのを感じた。
ひだまり色の手紙
(*)このお話では名前を2つ設定できます
××年〇月△日、天才ヴァイオリニストと呼ばれ、世界で活躍していたいた齢15の少女"ソフィア"の死亡が確認されました。
高校1年の冬、いつも通り友達と昼食の時間を過ごしたあと、次の授業までのあいだ、なんとなく眺めてたスマホの画面で見つけたニュースにとてつもないショックを受けた。
それは言わずもがな、俺がそのソフィアという少女のことがファンとして大好きだったからだろう。
小学生のとき、母さんが見てた音楽番組の海外特集で彼女を見つけた。歳は自分とほとんど変わらないのに可愛いらしい笑顔とピシッとした姿勢でインタビューに答える彼女を見たとき、ドクンッと心臓が妙な音を立てた。
そのことを母さんに話すと、母さんは彼女について調べて教えてくれた。
6歳の頃から天才ヴァイオリニストと呼ばれ活躍をしていることやロシアという遠い国に住んでることを知った。そして自分とは違う華々しい舞台に立つ彼女が眩しくて、幼心ながら応援したいと思ったのをよく覚えている。
中学に上がる時にスマホを買ってもらってからは自分で彼女のことを調べていた。彼女も俺と同じように中学に通ってるのだろうか。10歳を過ぎた頃からメディアへと顔を出すことが徐々に減っていたソフィア。学校生活に影響が出るからか、他のことで忙しいのか分からないが、この時はもうほとんど彼女の顔をリアルタイムで見ることができなかった。あるとき、彼女に関する記事を漁っていると、ひとつのインタビュー記事を見つけた。どこかのラジオ番組でのものだった。ありがたいことに、他のファンの誰かが翻訳したものがあったから、ロシア語が全くわからない俺にもそのインタビュー内容を知ることが出来た。
『ソフィアさんの好きな人はどんな人なんでしょうか』
『そうですね…好きなことに夢中になれる人でしょうか。何であれ、ひとつの事に夢中になってとても楽しそうにしてる表情は輝いて見えます』
確かに、舞台に立つ彼女を観るのは非常に心地よい。音楽のことは全然分からないが、彼女の奏でる音はいつまでも聞いていられる。音楽を楽しむ彼女の姿が大好きだった。
『なるほど…とても素敵ですね。では、ソフィアさんが普段大切にしていることなんかはあったりしますか?』
『そうですね、"ちゃんと" やることでしょうか』
『ちゃんと…とは?』
『毎日の過ごし方です。規則正しい生活、挨拶、練習、勉強、片付け、掃除、全部丁寧にやるんです』
"ちゃんと" やること。その文字から目が離せない。翻訳された情報だから、本来どういう意味で彼女がその言葉を述べたのか、俺に知る術はない。けれど、自分と同じくらいの年齢なのにはるか遠くに見えていた彼女のその言葉に、なんだか親近感が湧いた。
俺も、いつも"ちゃんと"やってる。自分が手を伸ばしても届かない存在の彼女に少しだけ近づいた気がして嬉しかった。
あるとき、アイドルが好きだという友達からファンレターというものの話を聞いた。ソフィアも俺がファンレターを送ったら受け取ってくれるのだろうか。
とにかく、彼女に応援のメッセージを直接送ることができることにテンションの上がった俺はその日、友達からファンレターの書き方を教わり、拙いロシア語で書いたファンレターを送った。
「まさか北がヴァイオリンに興味あるなんてな」
「正確に言うとヴァイオリンというよりソフィアっていうアーティストにやけどな、音楽のことはよお分からんし」
「なんや、意外やな」
という会話を、部活仲間である尾白アランとしたのはつい先日。俺の胸中を騒がせた例のニュース記事が出たのもその日だった。この会話の中心の人物、ソフィアはもうこの世にはいない。そう思った途端、ものすごい虚しさと怒りが込み上げでくる。
なんで、彼女は死んでしまったんやろか。彼女が死んだのは公演会の最中だとニュースの記事には書いてあった。なんで事故なんか起こんねん。安全点検をちゃんとしとけばそんな大きな事故起こらなかったやろと、行き場のない怒りが頭の中を支配して、午後の授業は集中出来なかった。
翌朝、いつもと同じようにルーティーンをこなす。特に何も変わらない日々なのに、彼女がいないという事実だけが頭にこびり付いて離れない。
だけど事実は変わらない。彼女の曲が消えるわけやないし、彼女に対する気持ちも変わる訳やない。家に帰って彼女のヴァイオリンの音を聞いて心を落ち着かせる。彼女の奏でるクラシック音楽が大好きだ。
「信介、調子が戻ったようやな」
「すんません。気合い入れ直してきました。」
ソフィアの死亡を知った日から数か月後、高校2年に学年が上がり、部活の後輩が出来た。部活動が忙しくなり、既に彼女の死は俺の頭な中から遠ざかっていた。
高校2年の夏、部活がオフだったので1人ロードワークをしていたら、公園でヴァイオリンの練習をしている小さな女の子を見かけた。小学生やろうか。小さな女の子はヴァイオリンが思うように弾けないようで、近くで遊んでいた男の子達にからかわれていた。
人の練習の邪魔はするもんやないで、と軽く注意をしようとしたそのとき、「一生懸命やってる人をからかうのは良くないよ」という自分じゃない声が聞こえて黙ってしまった。
とても綺麗で落ち着いた声に、女の子をからかっていた男の子達も口を噤んだ。それを見て優しく微笑んだその人は、俯いて涙を我慢する小さな女の子に歩み寄った。
「あなたの演奏、とても素敵ね」
「…ほんとう?」
「うん。一生懸命演奏してるのに、素敵じゃないわけないでしょ?」
「でも、わたし、あんまり上手じゃない」
「ヴァイオリンは楽しい?」
「…うん」
「じゃあ、もっと楽しく弾こう。あなたが思うように、もっと自由に」
その女性がそんなことを言うもんだから、一瞬その人が彼女の姿に重なった。何故だかその場から足が動かず、しばらく女の子と彼女に似た女性の様子を観察してしまった。
あんな風に人に優しくする人を見て暖かい気持ちになった。初めてソフィアを見たときと同じような、その感覚に気分が高揚する。
日直の仕事で少し遅れて部活に向かうと、扉の前で佇んでる女の子を見つけた。バレー部に用事かと思い声をかけると、振り向いた女の子の顔が見えた。トクンという心音。まただ。初めて彼女を見たときと、昨日のロードワークであの人にあったとき、そして今。よお見たら昨日と同じ人か?
「あの、宮侑くんの忘れ物です。明日までの宿題のプリントが机の上に置きっぱなしだったので」
「わざわざ届けに来たんか。すまんな。今はちょうど試合中みたいやから俺が渡しとくけどそれでもええか?」
「はい、お願いします」
「…なあ、今、バレー部の様子見とったやろ、どう思ったか聞かせてや」
「それはもう皆さんとても輝いて見えますよ。バレーボールのことはあまり知らないですけど、全力で努力し楽しむ姿はいつ見ても素敵だと思いますよ」
「…そうか、ありがとうな。侑にはこれ渡しとくわ、自分名前は?」
「
「杠葉さん、ほんまにありがとう」
まさか、同じ高校の人やとは思わなかった。どうしてか分からないけど、彼女にもう一度会いたい。どうにかして彼女ともう一度話せないだろうか。
今日は昼のお弁当が物足りなくて珍しく食堂まで足を運んだのが吉と出た。
ごちゃごちゃと人が集まる食堂で彼女の姿を見つけた。ちょうど彼女の横に座ってた生徒が席を立ったのを狙って、「ここ座ってもええか?」と声をかけると「もちろんです」と笑顔で答えてくれた。友達とかと一緒だったら邪魔したらあかんと思い質問すると、いつも一緒にご飯を食べてる友達はたまたま休みだと言った。これはチャンスだと思いこの前ロードワーク中に見かけた旨の話をする。
今思うと、いきなりそんな知らん奴に声かけられて彼女は心底びっくりしただろう。気味悪がられてもおかしくなかった。だけど、彼女と話がしたくて仕方がなかった俺には、そんな気遣いが出来なかった。
「あ、あの時の」
「せや、たまたま見かけてん。そんでその時女の子と話してたのを聞いたんやけど、ええ人やな思ってな」
「ええ!?なんか恥ずかしですね」
「なんも恥ずかしいことはないやろ、俺めっちゃ自分の言った言葉が心に残っててん」
「ふふ、そう言ってもらえるとなんだか嬉しいですね」
「…なあ、杠葉さんはソフィアってアーティスト知っとる?」
「えっと、ヴァイオリンの?」
「やっぱ知っとるんか!俺その人のことめっちゃ好きやねん」
しばらく会話を続けてようやく一番聞きたかったことが聞けた。身近に知っとる人がいたことに少し興奮してもうた。杠葉さんは微笑みながら うんうんと頷いてくれる。
「また、時間がある時に話さへんか?」
「もちろん、良いですよ」
昼休みが終わるチャイムを聞いて杠葉さんと別れる。好きなことを共有できるという嬉しさと、彼女に対して覚え始めた不思議な気持ちを抱えて自身の教室へ戻った。
ユキと仲良くなってから数ヶ月後、連絡先も交換して時間が会う時は一緒に帰ったりもするくらいには距離が縮まった。彼女と関われば関わるほど、ソフィアと重なる部分があると感じる。最初は好きなアーティストへの憧れから、ソフィアの言動を真似しているから似ているのだと、そう感じさせるのかと思っていた。けれど最近気づいたのはユキの方からソフィアの話をあまりしないこと。
もしかしたら知っとるだけでほんまは好きというわけではないのかもしれない。少しショックな気もするけど、それやったらこれ以上付き合わせるのは申し訳ない。でも、やっぱりユキとの接点を失いたくはない。
もうすぐ定期テストが始まる。ということは放課後の部活がオフになるということ。案外諦めの悪いらしい自分に呆れながら、今日も一緒に帰れないかと彼女を誘った。
「あれ、今日はソフィアの話はしないんですか?」
「ユキはソフィアの話して楽しいか?ユキからソフィアの話あんま聞かへんから、俺に合わせてくれてるのかと思って」
「え、そんなことない!私いつも北さんの話楽しみにしてますよ」
「ほんまか?」
うん!と大きく首を振る彼女に嬉しくなる気持ちを抑え、本当に俺に気を使ってるわけではないのかと今一度確認する。
すると少し俯いて考える素振りをする彼女。やっぱり俺に気を使ってたんやろか。モヤモヤする気持ちをどう処理すべきか考えていると、彼女が急に顔を上げてこう言った。
「じゃあ、今日は私がソフィアの話をしましょうか。私、多分北さんが知らない話も知っているので」
「ほんま?聞きたいわ」
「実はですね、ソフィアは死んでないんですよ、まあ死んだことにはなってますが実際は死んでないです。確かに命を狙われていて大変でしたが、あの事件のときは右腕の怪我だけで済んだので。今は名前も国籍も変えて普通に暮らしているらしいですよ」
「うーん、それがほんまやったら嬉しいな」
「信じてませんね?」
「いや、それやったらほんまに嬉しいけどな」
「それじゃあもうひとつ、ソフィアには実は気になる人がいるらしいんですよ」
「…?」
「ソフィアは日本のファンの人から貰ったファンレターを気に入ってずっと持っているんですよ?知ってましたか?」
「…そんな話があったんか」
「そのファンレターには下手くそなロシア語が書かれてて、一生懸命書かれたであろうその手紙がとても嬉しかった、と彼女は思ってるんですよ。あの時、怪我のせいで今までのようにヴァイオリンが弾けなくて塞ぎ込んでいたときに、その手紙を見つけて少し元気が出たんです。同じくらいの歳の子から手紙を貰ったのは、あれが初めてだったんですよ?…確かその手紙を送った人の名前はキタシンスケと書かれていたとか」
「…俺のことからかっとるんか」
にこにこと愛らしい笑みを浮かべてソフィアにまつわる話をするユキ。彼女はいつにも増して饒舌で、自分の知らないソフィアの話が聞けることが嬉しいはずなのに、内容には妙に引っかかることが多い。ファンレターの話に至っては見覚えがありすぎる。彼女の作り話か、ほんまの話か分からんけど、最後に自分の名前まで出できて驚いた。なんだかからかわれているような妙な気分だ。
「やっぱり信じてませんね?ソフィアはずっとその人に会ってみたいと思ってたんですよ。だから今、その願いが叶ってとっても楽しいって」
「な、何を言うてるん…それじゃあまるで」
「ふふ、ソフィアは杠葉ユキとして生まれ変わったんですよ!それだとちょっと語弊があるけど…あ、ほら見てこの手紙」
急展開に頭がついて行かない。確かにソフィアとユキが重なる部分はあった。ソフィアについてはテレビや雑誌の中でしか知らないけど、自分が憧れてる人物と自分が好きな人とで何故だか既視感があった。
まだ整理のつかない頭。フリーズしている俺の横で、彼女が財布の中から1枚の綺麗に畳まれた紙を取り出した。
淡い橙色の、ひだまりみたいな綺麗な色をした便箋。少し色褪せてるけど間違いない、俺が送ったファンレターと全く同じものだ。
「ほ、ほんまなんか?」
「今まで騙してしまってごめんなさい、なかなか言い出せなくて」
「いや、まあなんや恥ずいけどええわ。俺今めっちゃ贅沢者やし」
「私のこと嫌いになってない?」
「なんでそうなるんや、ソフィアのこともユキのことも好きやのに、これ以上の好きはないやろ」
「そんな好きを連呼しないでくださいよ、こっちまで恥ずかしい…」
「俺なんてずっとソフィア本人に愛を語ってたってことやろ、俺やって恥ずかしいんだからお互い様やろ」
「…まだ仲良くしてくれますか?」
「あたりまえや。正直ソフィアについてはまだ疑問しかないけど、俺がユキのこと好きなんは変わらへんからな」
「あ、ありがとう」
「ほな、また明日な」
次の日からもいつもと変わらない日々。だけどユキとの距離がさらに縮まったような気がして、正直少し浮かれとる。
憧れの人、好きな人と言ってしまったが、ユキはどう捉えたやろか。あんまり手応えがあったような感じはせんかったけど、もっとユキと一緒におりたいっていうのは烏滸がましいと思われるやろか。
「ユキは、俺が好きやって言うたら迷惑か」
「そう言われて迷惑なんて思いませんよ」
「いや、俺が言いたいんは…」
「分かってますよ、私も信介くんが好きです。多分、ファンレターを貰った日からずっと」
「ほ、ほんまなん?」
「信介くんが知ってるソフィアはこうやって嘘をつく人に見えた?」
「いや、せやな。俺も改めて言わせてもらうわ。ユキのことが好きや。初めてテレビで見た日からずっと、俺と付き合うてくれませんか」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
俺が出した手をユキの手が優しく握り返してくれる。嬉しい気持ちが込み上げてきて、繋いだ手を引っ張って自身の腕の中に閉じ込めた。小さくて柔らかい肩を抱き締めると、楽しそうな笑い声をあげる彼女が腕の中で身じろぐのを感じた。
ひだまり色の手紙
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