あくる日、僕らの憧憬
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「はあ!?お茶に毒が入ってた!?あのお茶、真白さんめちゃくちゃ飲んでましたけど」
「毒っていっても、致死性のあるものじゃなくて良く流通してる麻薬の類だから大丈夫だよ。たくさん飲んだら何の薬物か分かるかなーって思っただけ」
「全然大丈夫じゃないですし、そんなんで分かるわけないでしょう。あんまり危険なことはやめてくださいよ」
まったく何やってるですか…と大きなため息をつく如月。せっかく商談を成功させて帰ってきたばかりだというのに、商談中の桜花の言動に対して説教たれる如月の態度に、桜花は不服そうに頬を膨らませた。
「もー、大丈夫だったからいいでしょ?そーゆうところだよ千颯」
桜花は千颯の顔の前で人差し指を立て、チチチと効果音をつけながら首を左右に振る。如月はそんな桜花を前に呆れたように頬を付いた。
「何がそういうところですか。意味分かりませんから」
再び大きなため息をつく如月に、文句を言おうと桜花が口を開こうとしたそんな折、オフィスにあるドリンクサーバーに移動していた榊が桜花たちの前へ帰ってくる。そしてサッと桜花のデスクの上へアイスココアを置いた榊は、桜花の機嫌を取るように口を開いた。
「まあまあ桜花さん。空気の読めない如月先輩なんて放っておいて、これ飲んでいったん落ち着きましょう?」
少し怒気のこもった如月の目線が榊へ向いたような気がしたが、榊は気にすることなく自分のドリンクを持って来て桜花の隣へ腰掛ける。そして俺の分も持ってきてーという高坂の声も完全に無視した榊は、一口お茶を飲んでからとある疑問を口にした。
「しかし社長はなぜあの場でそんなお茶を出したんでしょう?」
「それは俺たちを見極めるためでしょうね。警察からの刺客かどうか、本当にメリットのある契約かどうか。自分たちが有利に立てるかどうか。今回の契約はこれがキッカケになったようなものだし」
榊の疑問にすかさず返答をしたのは如月。実際にターゲットと会話を交わすことが多かった如月は自身の感じたターゲットの思惑について考察する。
あのターゲットは、我々リベルテが自分たちに仇なす敵でないと分かったとき、次は金をむしり取るための駒として使えるかどうか、という視点しか持っていなかったように思う。単純に桜花真白に惹かれたという理由だけではないはずだ。むしろ、利用価値のある信者というように思われているかもしれない。
このような如月の話を聞いた桜花は思わず音を立てて立ち上がった。
「ちょっと待って、それってもしかして私たちが下に見られてるってこと?」
「そりゃそうでしょう。相手に自分が圧倒的に上の立場であると思わせる必要があったんですから。それよりも、明日から2人、真白さんと高坂はしっかり捜査お願いしますよ」
明日からは桜花と高坂が取引先で捜査をすることになる。如月としてはリベルテ側の企画担当がこの2人になってしまったのは不本意なのだがまあ仕方ない。ターゲットの会社へ行って直接捜査するのが桜花と高坂。そして情報の受け渡しとして、如月と榊はサポートに回ることになる。
後日、ターゲットが社長を勤める会社で、合同企画の担当となった社員たちと顔を合わせる桜花と高坂。やけにげっそりとしているように見える社員たちの様子からして相当ブラックなのが見受けられる。
とりあえず相手からの好感度を上げるため、桜花は笑顔を振りまきながら各社員に挨拶をした。それに前回は少し動揺をみせることになってしまった高坂も、今回は大丈夫。桜花から必殺技の"愛嬌"を教わった高坂はその素材の良さを活かして爽やかな笑顔で挨拶をしてみせた。
しかし、桜花たちが明るく挨拶したしたにも関わらず、死んだ目をした社員たちの表情筋はピクリともしない。桜花と高坂の挨拶の効果はいまひとつのようだ。社員の顔はまるで1週間の睡眠がたったの5時間だったときの如月のようである。この企画に抜擢された人達は優秀が故の犠牲者なのだろうか。
これはどうすべきか…としばし思案した後、桜花が提案したのは今日の目的である。今日はまず、このコラボ企画で売り出す商品の話をしよう。それが決まれば今日こ仕事は終わり!これならすぐに終わりそうだし、めっちゃホワイト!そう思い発言した桜花だったが、どういう訳か社員たちは、もともと悪い顔色をより一層悪くさせた。
「え、あれ?思ってた反応と違う。こんな直ぐに終わる目標にしたのに」
それから俯いたままブツブツと独り言を呟く社員たちの声に耳を傾けると「この話し合いが終わればまたあの地獄の作業が…」「今日はちょっと気が楽だと思ってたのに、またあの仕事へ戻らなければならないのね…」といった言葉の数々。
「ま、まずいです真白さん。なんか想像以上に鬱々とした空気になってきてます」
「ほんとだよ、どうすれば良いのこの空気…」
そんな最悪な空気の中、目の下に大きな隈を作りながら前へ出てきた女性。よろしくお願いします。と平坦に述べた女性は共同企画の代表になっているらしい。しかしなぜかその瞳は桜花たちを睨んでるようだ。
不満か、怒りか、恨みか、とにかくネガティブな感情を含んだ代表者の鋭い目付き。そんな代表者の表情を見て小首を傾げた桜花は、ここである提案を持ち出した。
翌日、高坂ではなく如月を連れた桜花は例のブラック会社に足を踏み込んだ。そして会社の雰囲気に馴染むように完璧に変装した2人は「企画部」というプレートが貼られている部屋へと入っていく。
桜花と如月が事前に聞いていた席に着くと、隣の席の社員くんが桜花へと話しかけてきた。そして隣に立つ如月を見て不思議そうに首を傾げる。
「おはようございます佐藤さん。あの、隣の人は…」
「ああ、彼は新入社員の水無月くん。今日が初出勤だからよろしく」
「はあ、この時期に新入社員ですか…」
そう、黒髪重め前髪で目元を隠し眼鏡をかけた地味目の姿をした如月は、今日からこの会社の新入社員の水無月くん。どうやら本当に人手不足が深刻らしいこの会社。昨日の夜、人事部に入社面接がしたいと直談判したら呆気なく通った。
その名も、「一石二鳥!潜入捜査と魂の救済、社員入れ替わり大作戦、新入社員を添えて。」である。作戦については昨日、コラボ企画の話し合いの際に桜花が持ち出した提案から計画したものだ。
リベルテとのコラボ企画の代表に抜擢された気の毒な女性社員、佐藤美奈(さとうみな)。このブラック会社に勤めて約5年。とっても優秀な彼女は社員や上司たちから期待されている。それ故に、のしかかってくる負担はいかほどか。そんな時に舞い込んできた新しい企画。今ある仕事で既に手一杯であるというのに、どんどん増えていく仕事に佐藤は泣きたくなった。しかしここで心を折るわけにはいかない。もっとこのブラック会社の悪事を暴き、その証拠を掴むまでは…そしてこの会社を貶めるところまでいかなくては自身のプライドが許さない。
それなのに、こんな時によくも仕事を増やしてくれたな。といった具合に佐藤美奈は自分の働くブラック会社と同レベルでリベルテという会社にも怒りを向けていた。なので綺麗な顔で笑顔を振り撒く桜花に対して、少々キツく鋭く睨みをきかせてしまったのも仕方ない。
桜花と佐藤が顔を合わせて数秒。佐藤の秘めたるその気持ちを直感的に理解した桜花。その瞬間、桜花の脳裏にはある妙案が飛び込んできたのである。リベルテと佐藤美奈の目的は大枠で見たらほぼ一致していると言っても良いのではないか。これはもう、この会社に直接潜入できるのでは?と。
そうと決まればさっそく、桜花は今回の作戦を佐藤へと提案する。もしこの会社を訴えようと思ってるのなら私たちに任せてみない?と耳打ちしてくる桜花に佐藤は目を見開いた。
まったく、昔は若者たちの憧れの眼差しを一心に受けていたこの会社が、どうしてこんなブラックな内部へと変遷してしまったのか。数年前まではこの会社を訴えようと声を上げていた人達もいたのだが、今では皆そんな気力すらないようだ。最後にこの会社を自主退職した男は、突如として薬物所持の濡れ衣を着せられ逮捕されたそうな。会社の上層部は軒並みターゲットに取り込まれているようで、もはや若い社員たちだけが弱音を吐くことすら許されず、ただただ搾取されるという惨状だ。桜花たちが佐藤から聞いた話はこんな感じ。
ただ一筋の細い光を信じ、心を壊さずにいた佐藤のその姿に、桜花と高坂は感動して涙した。もうこれは救済するしかないのでは?と。
そうしてこの日、企画の会議を放置して佐藤美奈に変装した桜花は、さっそく普段佐藤が働いている場所へと赴いたのだ。
事務仕事は嫌いな桜花であるが、別に苦手というわけでもない。なんなら容量は良い方である。佐藤美奈のパソコンの画面に出されたタスク表を見ながら仕事をする進める。途中、何となく佐藤美奈の予定表を開いた桜花は、うげっと声をあげてすぐにそのページを閉じた。これでもかというくらい敷き詰められた予定を見て顔色を悪くした桜花。そんな彼女を気にした隣の同僚らしき人から「さ、佐藤さん無理しないで下さい。俺らももう少し頑張るんで」なんて声をかけられて桜花は大声で叫びたい気持ちになった。
こんな状況下で励ましあっている社員たちの姿を見て心を揺さぶられない人がいるだろうか。いや、そんな血も涙もない人なんていない!隣の同僚もここの社員たちもみんな良い人すぎるよ!!やっぱりみんなを助けるには千颯を召喚するしかない。
そういうわけで翌日、ブラック会社のオフィスビルには見なれない新入社員の姿があったのだ。
「真白さんなんですかこの変装」
「し、静かに千颯!だってあんなに必死に頑張ってるみんなの姿を見たら助けなくちゃ」
「だからってなんで俺…」
「だって、ウチで一番仕事が早いっていったら千颯かなって思ったのね?」
「…まあ、そういうことなら」
「うんうん!そうだよ千颯!それじゃあ、今日の君は"水無月くん"だからよろしく!」
よろしくと言われても…と如月は未だ煮え切らない態度で桜花の後ろを歩いていた。それは如月の中で、桜花の作戦について非常に気になる点が一つあったからだ。新入社員として変装した自分はまだしも、既にこの会社で働いている人物に成りすますには、さすがの桜花でも無理があるのではないかと。メイクや髪型である程度似せてるとはいえ、どう考えても顔が違う。
しかし実際はどうだろう。オフィスに着いてからというもの、隣の社員は桜花を見て、何の問題もなく佐藤と認識していたし、他のどの社員も突っ込んでくる様子はない。ブラックすぎて互いの顔の認知すら曖昧になっているのか、なぜか桜花の作戦は今のところ順調に進んでいた。
桜花真白は様々な事柄に対する非常に高いポテンシャルを持っている。そして桜花が最も信頼する部下、如月千颯も非常に優秀な能力を持った部下である。頭の回転が速いし、なにより記憶力も容量も良い。加えて2人ともこことは違う意味でブラックな会社で働いているのである。そんな2人にとって普通の仕事を効率よく終わらすことなど容易い。
タスク表に書かれている資料作成を次々と終わらせる桜花と如月。そして死にかけている係長にとって変わって仲間の社員たちに効率よく仕事を割り振り、お昼休憩の時間もちゃんと決めた。今日のお昼ご飯はデリバリーピザである。桜花が頼んでおいた20人前のピザは、ちょうど12時にこの会社へ届くようになっている。
社内を見渡して思うことは、この部屋にいる社員たちは皆とても若い人達ばかりだということ。佐藤の話によると、ヤバいのは社長だけじゃないらしい。上層部の者がほとんど腐りきっていると聞いていたけど、そのような人達は今のところ見当たらない。
「ねえ、今日は部長何時に来るかな?」
「何言ってるんですかあの人たちが来るわけないでしょう。今頃みんなで旅行にでも行っててもおかしくありませんよ…」
桜花が隣の同僚くんにさり気なく聞いたところによると、上層部の人達はもう仕事を部下へ丸投げ状態だということがわかった。
お昼の12時。少し前から外で宅配ピザを受け取るために待機していた如月が戻ってきた。ちょっと開けてください!とドアの向こう側で叫ぶ如月に桜花が慌ててドアを開ければ、大量のピザを抱えた如月もとい水無月の姿が。
そして驚く社員たちに何かを言う暇も与えず、桜花は部屋の奥、今ではほとんど使われていない休憩スペースへ皆を誘導した。
「ほらほらピザが届いたよ!早く食べよう!12時からお昼休憩っていったでしょ?」
「ちょっと何やってるんですか佐藤さん。仕事がまだ残ってますよ」
「ちょっと君!えっと同僚くん、何のために私と水無月くんが来たと思ってるの」
「同僚くん…?」
さっそくピザパーティの準備を始める桜花に対して焦ったように腕を引っ張る同僚くん。しかし馬鹿力で同僚の腕を振り払った桜花は、タスク表を前に掲げて同僚を見る。
「ほらちゃんと見て、今日やるべき仕事は?」
「は、半分以上終わってます…」
「そうでしょ!!だから休憩!」
その後、佐藤に変装した桜花の圧に押された皆は言われるがまま休憩スペースへ移動した。いつもはクールな雰囲気であるはずの佐藤の様子がおかしい。忙しすぎてついに気が狂ってしまったのか、と呟きながら哀れみの目を向けてくる社員たち。桜花は堪らず近くにいた者にゲンコツをかました。
結局、気がふれてしまった佐藤に合わせよう、という体で始まったピザパーティ。まずい、真面目な佐藤のイメージが徐々に崩れ始めている。とりあえず如月は心の中で本物の佐藤に土下座しておいた。
「しかし佐藤さん、本当に大丈夫なんでしょうか。あそこに監視カメラだってあるんです。我々が長時間デスクから離れるのはまずいのでは」
「ああそれなら大丈夫、昨夜いじくって乗っ取っておいたから」
桜花が得意気にそう言うも、未だ不安そうな社員たち。せっかく用意したピザが目の前にあるのに、遠慮して手を伸ばす者すらいないなんて。暗い顔をしながらピザを囲っているというなんとも悲しい光景に桜花は大きくため息をついた。
本来であればこの作戦を知る者をこれ以上増やすつもりはなかったのだが…。如月と目配せをした桜花はここにいる社員たちに作戦を話すことにした。もちろん、桜花と如月の正体は伏せた上で。
休憩スペースで談笑する桜花と社員たち。最初はそんな作戦上手くいくはずない、と俯いていた社員たちだったが、休憩時間の中で桜花と話をしていくうちに、朝よりも幾分かいきいきと話すようになった。少なくとも、彼らの気分転換にはなっているようだ。
そんな中、スマホの通知音に気がついた桜花。手に持っていたピザを丸ごと口へと放り込み、ちらりと榊からのメッセージを確認した。
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