あくる日、僕らの憧憬
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「おい!あの女を追え!」
「被験者を逃すな!」
真っ暗の森の中、足音を消して駆けているのは白い布1枚を纏った女。目立つ橙色の髪が木々の隙間から覗く月に反射して目立たないように女は深く布を被った。彼女は裸足だ。よく見ると顔色も悪いし、身体のあちこちにも傷が見える。
しかし、そんな状態でも息をあげることなく、1度も走るスピードを緩めることもなく、彼女は一心に街を目指した。
日が昇る前には家にたどり着かなければならない。今の自分の姿を誰かに見られるわけにはいかないのだ。森から抜け、崖上から都市を見下ろした女はにんまりと笑みを作った。さあこれからが本番だ、と言わんばかりに瞳を輝かせた女は戸惑うことなく崖から飛び降りる。タンと小さく音を立てて難なく地面へ着地した女はそのままビルとビルの間の裏路地を通って目的地を目指す。
そしてようやくたどり着いたのは、あるマンションの一室の前。「如月」の表札がかかった家の扉を勢いよく開けて、彼女は力尽きた。
バタン、と扉が閉まると同時になにか鉄の破片のようなものがコンクリートの乾いた床へと落ちていった。ネジの外れたような扉の取っ手は風が吹く度ぶらぶらと揺れている。
* * *
ようやく仕事を終えて家に戻れる。時刻は夜中の3時。人気のない道路に車を走らせながら男は大きく欠伸をした。どんなブラック企業だよと思うかもしれないが、それが彼らの組織なのである。
今しがた駐車場に車を停めた男――如月千颯《きさらぎちはや》――は疲れた体を早く休めたくて、駆け足で部屋へ向かう。
宙ぶらりんになっている我が家の扉の取っ手が目に入ったが、眠気がピークに達していた如月にはそれを気にする余力が残っていなかった。なので「ああ、なんか家のドアが壊れてるな…」と心の片隅で呟きながら家の扉を開けた。
「はああ…ようやく我が家――」
と、一歩足を踏み入れた矢先、何かが足元に当たった。いったい何が転がってるんだと、煩わしそうに下を向いた如月は思ってもない光景に目をかっぴらいた。
はあ!?!?と無意識に出た自分のバカでかい声に、咄嗟に両手で口を抑える。意味もなくキョロキョロと目線を左右に動かしてから如月は自分家の玄関に横たわる物体に恐る恐る手を伸ばした。
「こんなの眠気なんて吹き飛ぶわ…」
物体には白い布が被さっているため、そこには何があるのか分からなかったがこの状況は明らかに普通ではない。如月は指先でその白い布を捲る。そして見えたのは、暗がりでもはっきりと見える橙色。所々すす汚れているがこの見覚えのある明るい橙色を、如月は決して忘れはしない。おいおい待ってくれ、この人…
「真白さんじゃねぇか!!!」
ハッと再び口を抑えた如月。急いで中身を確認した彼はそのボロボロの姿を見て空いた口が塞がらなかった。如月は被さる布ごと真白を抱えて家を飛びだし、車を発車させる。向かうは病院。我々「リベルテ」のための専門病院である。
桜花真白《おうかましろ》――先程、如月によって警察病院へ運ばれた女性――とは、約1年前に行方不明となっていた我々リベルテで精鋭部隊を務める仲間のひとりであった。彼女と連絡が途絶えてから精鋭部隊のメンバーたちが一斉に頭を抱えたのは記憶に新しい。
その時は、またか。今度は何をするつもりなのかと、誰もが口を揃えた。
というのも、彼女が行方不明となるのは何もこれが初めてではない。基本的には近距離戦に長けている桜花だが、彼女は潜入捜査も得意であった。功績も上々。仕事も早い。だから我々は彼女に頼る場面も多いのだが、度々独断で行動し、とんでもないことをしでかすのが彼女であった。
今回もそうだ。連絡が途絶えるような状況というのは、つまり危険で、切羽詰まった状況なのである。だからそうなる前に、一度離脱して作戦を練り直すのが普通である。失敗しても撤退できれば何度もやり直せる。戦力喪失が最も愚策だ。しかし、脳まで筋肉で出来てるのかというくらい何でも力で解決しようとする脳筋的な思考を持つ彼女は、自分1人でなんとかなると判断した途端、突っ込んで行くのだ。本当にありえないバカである。
しかし彼女の場合、それでも死なないどころか、こちらの想定以上の功績を毎度持ち帰ってくるのだから、こちらも閉口せざるを得ない。こっちは毎回、胃に穴が空きそうになっているのを彼女はちっとも分かってくれない。
「まあ、今回も戻っては来てくれてんだし、それだけで良いか」
大きくため息をついて如月は待合室の椅子に腰掛けた。その時、目前のドアが開いて、微妙に顔を引き攣らせた医者が出てきた。桜花の手当てと精密検査が一通り終わったようだ。
そして聞かされた彼女の容態を聞いて、如月は自分の顔も医者と同じように引き攣っていくのを感じた。
要約すると、「よく生きてたなお前」である。
「ああ、それと…」
そう言って医者が出してきたのは1枚のレントゲン写真。彼女の胃の中のレントゲンのようだ。
「ここに、異物が入っているようなんです。サイズはちょうどパソコンに繋ぐUSBくらいの大きさですが、何が入ってるのかは取り出してみないと分かりません」
そう淡々と述べる医師に、うっと如月は思わず自分の胃を右手で抑えた。
しかし同時に彼は気付いた。医者がUSBメモリと同じサイズだと言う物体は、紛れもないUSBそのものであることに。コイツ、これを飲み込んで逃げてきたのかと。
USBのデータなんて、いくらなんでも最強アイテム過ぎるな?相手の組織の情報大量収穫である。こんな綺麗に膨大なデータを盗まれるなんて敵組織側も思ってなかっただろう。
ははは…。乾いた笑いをこぼした如月は、ここから先の医者の話の半分以上が頭に入ってこなかった。
後日またご連絡します。という医師の言葉を最後に、如月は適当に手を振ってその場を後にした。
* * *
「えー、これより定例会議を始める。本日も政府からの依頼が非常に渋滞しているので、みんな心して聞くように」
くわあ、と大きな欠伸をして、議長は怠そうに目線を資料に落とした。今日も仕事がてんこ盛り。政府による我々リベルテの過剰評価は本当にどうにかしなければならないようだ。
翌日、リベルテ本部・中央大会議室。
ロシアのテロ組織対策―通称ACCプラン―について、数ヶ月後に行われる国際サミットに関する公安からの協力要請について、今日も今日とて行われる小難しい定例会議の内容を如月は半ば放心状態で聞いていた。
彼は昨日、家に帰ってから時計を見て絶望したAM6時、デジタル時計に表示された数字を見て込み上げてくる悲しみを何とか飲み込んだ如月は、「俺、今日3徹目なんだけど。」と冷凍庫から適当にアイスクリームを取り出し、再び車に乗り出社したのだ。出勤前に一応確認したが家の鍵はやっぱり壊れていた。
「次に、非道に人体実験を行っている例の組織について…」
その議題に会議室の面々は一斉に目を鋭くさせた。まさに、桜花真白が行方不明となった原因である組織のことである。あの、桜花真白が行方を眩ませた。それくらい彼女が手を焼いている。この事実はリベルテの人々にとってかなり致命傷であった。
桜花真白と連絡が取れない以上、彼女を信じていないわけではないが、最悪の事態を想定し、そろそろ我々からも何かしらのアクションを取らなければならない。
なぜ、今まで具体的な行動を起こさなかったかというと、桜花真白の存在の他に、この組織の情報が全くといっていいほど手に入っていなかったからだ。外部からの情報は殆どゼロに等しい。
そもそもこの問題は、元より警察庁の者たちが担当していた案件だったが、あまりにも立て続けに殉職者が出たために、リベルテに回ってきたものだ。だから最初から主戦力である彼女を向かわせた。これら事実から分かることは、いくら特殊能力者の中から厳選された精鋭が集ったこの組織といえど、無闇矢鱈に突っ込むわけにはいかないということだ。
「なら、俺が接触を試みようか」
重い雰囲気の漂う会議室で、名乗りを上げたのはつい先日、別件の潜入捜査から戻ってきた多々良湊《たたらみなと》という男。こちらは桜花真白と並ぶ潜入捜査のプロだ。しかも桜花より幾分か頭が回る。
「本当に言ってるのか」
「だけど何も進展もないし、ただここで足踏みをしてるっていうのも良くない。真白に頼り過ぎるのもどうかと思うが?」
「まあ、それもそうだな。それじゃあ――ん?どうした如月」
会議をボケっと聞いていた如月は、どんどん進んでいく会話にようやく気付いた。この案件に関して一番と言って良い程の情報を先日手に入れたはずなのに、危うく伝えそびれるところだった。勢いよく、ピシッと上がった如月の手に気付いた議長の目がこちらを向く。次いでにみんなもこちらを向く。まずは何を伝えるべきか、ちょっと直近の情報量が多すぎてしばらく頭を悩ませた如月は、とりあえず先程の話に出てきた人物の帰還について簡潔に述べる。
「真白さんなら、昨夜帰って来ましたけど…」
「は?」
数秒の沈黙の後、はあああああ!?!?という全員の絶叫が会議室に響き渡り、五月蝿すぎるそれは如月の寝不足の脳に多大なダメージを与えた。