だんだんと花が咲き、春が始まる
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双葉ユキには、幼い頃から好きなアーティストがいた。蜂楽優という画家である。ユキは彼女の作る世界が昔から好きだった。
ユキが初めて彼女の個展へ訪れたのは高校生の頃だ。そしてその日、ユキは不思議なサッカー少年と出会った。
ユキの東京旅行最終日の予定は、東京都江東区にある現代美術館に推しの絵を見に行くこと。あの日に出会った不思議なサッカー少年と共に。
最初は迷子だと思って話しかけたのがきっかけだけど、なんの縁か、いつの間にか仲良くなってしまった2人は、こうして度々遊びに出かけている。
毎年、彼女の作品を一緒に見に行くのはユキと蜂楽廻が交わしたあの日の"約束"である。
* * *
"
その英文はことわざだね。あんまり文法とかは考えない方が良いかも。そして次の問題は、さっきのことわざに関する長文読解か…。
昨日助けた赤髪の美人がさっそく送ってきた英語問題とその意味不明は回答を見てユキは微妙な顔をした。何だその奇怪な和訳は、いったいどこからサッカーの話しと前十字靭帯の話が出てきたのか。文章を訳すのに単語を予想するのは大切なことだけどあまりにも雑すぎる、本当にやる気があるのか?と。
いやでも、積極的に勉強することは良いことだ。せっかく本人が英語を学ぼうと声をかけてきてくれたのだからあまりネガティブなことは言わないでおこう。
待ち合わせ時間から約10分後、ぽちぽちとアドバイスを入力していれば、ようやく待ち人が現れた。
「ユキちゃーーん、お待たせ!待った?」
「うん、ちょっと待った」
「そっか、それじゃ」
「はい!」と言って差し出された蜂楽の手のひら。いつも通り、ユキが手を乗せると、その手を蜂楽はぎゅっと力強く握る。そして、大きな琥珀色の瞳をにっと細めて「レッツゴー!」と楽しそうに歩き出すのだ。
ブルーロックというサッカー選手強化プロジェクトなるものに参加するため、しばらく遊べないかもという連絡をもらってから実に数ヶ月ぶりのお出かけである。この間、テレビに映っている彼の姿を見た。とても楽しそうで、キラキラと輝いていた。今、ユキの目の前にはユキの手を引いて前を歩く蜂楽の後ろ姿。その背中を見て、ユキは蜂楽廻という男の中に、僅かな変化を見出した。
(廻くん、今日はなんかいつもより堂々としてる)
「廻くん、なんか成長したね」
「え?何言ってんのユキちゃん、俺だってもう高校生なんだから、当たり前でしょ!」
成長ぶりを示すように、蜂楽はユキに向かってふんっと胸を張って見せる。そんな蜂楽の姿が、ユキの目にはなんだかとても感慨深いものの様に映って、ユキは不思議な感覚になった。
ユキから見た蜂楽廻は、幾度となく孤独と寂しさと戦っている少年だった。蜂楽は最高にネガティブな思考に陥っているとき、必ずユキに相談する。「俺って、やっぱり変なのかな」ユキに会うたび、確認しなければ安心できないというように、不安そうな顔で問い掛けてくるのだ。
けれども今ここにいる彼は、なんとなく自分の中の迷いを克服したような、寂しさという「かいぶつ」の呪縛から解き放たれたような、そんな顔をしているとユキは思った。彼は負の感情を隠すのが上手いので、見るからに何かが変わったという訳ではないが、確実に纏っている雰囲気が前とは少し違っている。ブルーロックという場所で何か良い出来事があったと想像するのは容易い。きっと、彼がかねてより願っていた友達と出会えたのだろう。
良かったねと、ユキは心からそう思う。この素晴らしい変化は、きっとユキには作れなかったものだから。つい嬉しくなって、ユキは繋いだ手に力を込める。
「どーしたの?ユキちゃん。あ、俺歩くの速かった?」
「ううん、なんでもない。早く優さんの作品見に行こう」
「うん、一緒に行こ!」
まずは美術館の入口にある地図を見て、現代美術、期間限定で設置されている蜂楽優コレクションのコーナーを探す。
手前にある現代美術作品の数々を一度スルーして、真っ先に目的の場所へ入れば、その部屋全体に彼女の作品が飾られている。
彼女の個展には訪れたことは何度もあるが、彼女の世界に入り込むこの瞬間は、ユキにとっていつまでも大好きなひとときだった。
「ねぇユキちゃんはさ、優の作品の中でどれがいちばん好きなの?」
「えっとそうだな…どれも好きな絵だけど、私が特に好きなのは、これ」
面積約10m2の画用紙いっぱいに描かれた大きな獣。その獣の両眼はじっとこちらを見据えている。いつかのテレビ番組で紹介されていたこのタイトルのない絵画、さてこの獣の形は何の動物に見える?そんな問いを聞いたことがある。
「これって…かいぶつに似てる?」
「確かに、この絵は怪物って言われればそうかも」
けれど、その割には、空虚な印象より迫力や力強さが感じられる作品であるとユキは思う。人は得体の知れない恐ろしい物をかいぶつと呼ぶけれど、この絵は違う。ユキに自分らしく生きる方法を教えてくれた"宝物"だ。
ユキの人生のポリシーは「らしく生きる」である。小学生の頃、ユキは周りの子ども達と剃りが合わず孤立することが多かった。だって自分と自分以外の人とでは考え方や価値観が全然違うんだもの。だから幼い頃のユキは自分自身の心に蓋をして塞ぎ込んでいたような時期もあった。
しかしそれは自分自身に背を向けることと同義だと気が付いたのだ。孤独とは、自分の意思に従う覚悟である。たとえ自分以外が自分とは反対の道に進んだとしても、正しいと思う自分の意思に従う。
そして自分を認めてあげることで初めて、他人を尊ぶことができる。「私は私」なのだと、それを教えてくれたのがこの作品だ。
「ユキちゃん!」
耳元で自分の名前が呼ばれたことでユキはハッと現実に戻る。ユキの手を引く蜂楽が、パンフレットを見ながらあちこちを指差している。
「あっち化石展だって!あっちは何たらコーナー…うえ、漢字が読めない。あ、外には売店もあるんだって!見に行ってみない?」
「そうだね。全部見に行きたい」
「うん!俺もユキちゃんと全部みたい!」
これ、優さんの絵をモチーフにしてる。そう思って手に取ったボールペンをユキが眺めていると、蜂楽がユキの背後に飛びついてきた。気に入ったお土産たちを両手に持って。
あれも可愛い、これも可愛い、そう言って何を買おうか迷っている蜂楽の無邪気な顔を見て、なんだか穏やかな気持ちになったユキは蜂楽の手の中からひとつ、商品を取った。
「これ、私が買ってあげるね」
「え、いいの?」
「うん。実はこの前ね、廻くんがサッカーで活躍してるところをテレビで見たの」
「ユキちゃんも見てくれてたの?」
「見てたよ。感動した。だからこれは私からのプレゼント」
廻くんが楽しそうで嬉しかったんだ。そう言って微笑んだユキは、気になっていたボールペンと蜂楽へのプレゼントを持ってお会計へ進む。その背中を眺めて蜂楽はポカンと口を開けて固まった。
そして、じわじわと込み上げてくる嬉しいという感情に従ってゆっくりと足を動かす。
いつの間にか自分よりも小さくなったユキの背丈、いつでも自分に笑いかけてくれる大好きな人の背中に追いつけば、蜂楽は子どものような無邪気な笑顔を見せて、ガバッと勢いよく抱きついた。
「ありがとうユキちゃん」
「どういたしまして」
ーーー以下、蜂楽廻の回想録
蜂楽廻は小学生の頃、女神様に出会ったと本気でそう思っていた。
「何かを一所懸命にできるのって、本当にすごいことなんだよ」
「君が本気でサッカーやってるのに、それをバカにするんは君のことなんも分かってないんやなって思ってまうわ」
「かいぶつ?」
「私はサッカーのことよお分からんけど、君がサッカーを心から愛しとるってことは伝わったよ」
「いつかきっと、君と同じくらいサッカーが大好きな人と出会えることを願ってるよ」
「それまでにまた、寂しいときがあったら、その時は一緒に彼女の絵を見に来よう」
蜂楽廻は母親の個展で出会った女神様のことをよく覚えていた。
その日、母親の後をつけて個展会場までたどり着いた蜂楽は、会場の入り口でサッカーをしていた。母親の個展を見に来る人たちは蜂楽の存在を傍目に次々と個展会場へ入っていく。自分を無視して通り過ぎていく人たち。そんな流れるような光景の中で、唯一蜂楽の目の前で立ち止まった人物がいた。
「ねえ、君ひとりで来たの?私もひとりなんだけど、よかったら一緒に周らないかな?」
まさか話しかけられるだなんて思わなかったから蜂楽は驚いた。今でも差し出された手を迷わずに取った理由はわからないけど、彼女と他愛のない会話をしながら歩くのは楽しかった。
翌年の春、蜂楽はいつもの河川敷でひとりサッカーをしていた。複数の自転車が蜂楽の視界の端を通り過ぎる。続いて複数の子どもたちの笑い声も聞こえてくる。
かいぶつとサッカーをしていて、ふと現実に戻る瞬間がある。そうして周りに目を向けたとき、蜂楽の胸に襲い掛かるのは「寂しい」という感情だった。
そして「寂しい」と思ったときに思い出すのが、あの女神様との約束だった。
母親の個展に再び訪れた蜂楽は目的の人物は簡単に見つけることができた。だって、母親の創った作品を見ている彼女の存在は、蜂楽の瞳の中でキラキラと輝いて映っているから。
「俺、廻って言うんだ。女神様の名前も教えてよ」
「えっ女神…?」
「うん」
「私の名前は双葉ユキだけど…」
「ユキちゃん?」
「うん、そうだよ。どうしたの?廻くん」
「次はいつ会える?」
「えっと、個展にはまた来年も来るつもりだけど」
「…分かった。じゃあまた来年だ!絶対、約束だからねユキちゃん!」
▶▷美術館で推しの絵見てきた🙌
↪︎ meguru. 今日は楽しかったね(*ˊᵕˋ*)
↪︎ keiji. ユキって映画館とか美術館に行った後、余韻に浸るタイプ?