だんだんと花が咲き、春が始まる
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「来年の今日、また3人で焼き肉を食べに来ましょう」
「おお、いいねそれ。約束な」
「はい約束です」
「じんぺーちゃんは?」
「松田さんも約束してくれますか」
「あ?まあ、そんじゃまた来年な」
「はい、約束ですよ」
言葉の力というものは実に偉大だ。これは去年の春、松田が例の爆弾魔によって殺されかける前に、ユキと萩原、松田との間に交わされた約束である。
「えっ誰?ビビンバ3つ頼んだの」
特盛ビビンバが四人掛けのテーブルの三分の二を埋め尽くしたのを見て、「は?」と萩原は目を丸くする。
これには夢中で肉を焼いていたユキも萩原と同じように驚いて手を止めた。誰がこんな注文したのか、萩原とユキはどちらかともなく疑問を口にする。
すると、萩原とユキの向かいに座る松田が、不機嫌そうな顔で「俺」と小さく漏らした。仕事終わり、萩原に半ば強制的に連れてこられた松田は疲れていたのだ。こんなデカいなんて聞いてない。知らなかったと弁解しようとも思ったが松田にはその気力がなかった。
おや、とユキは松田のテンションの低さに気が付く。なんか、いつもと違う気がする。いつもなら、なんかこうもっとガッと意味もなく構ってくるのに。ユキは何となく今日の松田は静かだと感じた。
しかしそんなことより、ユキとしては何とかこのビビンバを松田に押し返すことが優先なので。
「松田さん、私ビビンバ要らんねんけど」
「はあ?焼肉屋来たら食うだろ普通」
「私は、お肉食べたくて来たんです。お肉以外食べたら食べられるはずだったお肉が胃に入らなくなる」
「肉だけじゃ飽きるだろうが」
「それにしてもコレは多すぎです。ちゃんとメニューの表記見てくださいよ」
ほらココ!ご飯の量がちゃんと表記されてるでしょうが!とタブレット端末を指さすユキ。そして便乗して松田の間違いを弄り始める萩原。
「まあ、今日が松田さんの奢りって言うなら許しますけど、どうでしょう?」なんて生意気な顔で喋り続けるユキに、松田はキレそうになるのを何とか堪えて「分かったよ」と仕方なく頷いた。
「あ、ちなみに私もさっき、牛タンと黒毛和牛を間違えて注文しちゃったんですよね。お揃いです」
「は?テメェ今なんつった?」
「いたたた、痛いです松田さん!頭掴むのやめて下さい、暴力反対!このまま頭が割れたら慰謝料も請求しますからね」
「ごちゃごちゃ言ってねぇで食えほら」
「げっパワハラだこれ!萩原さん、松田さんがパワハラしてきます!」
「はーいじんぺーちゃん逮捕!人の注文勝手に取らないでくださーい」
とんでもなく鬱陶しい2人だ。萩原とユキのウザ絡みにチッと短く舌打ちをした松田は深呼吸をして心を落ち着ける。
「ちょっとタバコ吸ってくる」
そう言って突然立ち上がった松田。胸元からタバコを取り出しながら、静かに個室を出ていく松田の背中を見送って、ユキは萩原に疑問を投げかける。
「松田さん、ちょっと機嫌悪いですよね?」
「あ、やっぱりわかる?ユキちゃんの前だからいつもより大分ましだけどね」
「お仕事、忙しいんですか?」
「まあ忙しいというか、自分で忙しくしてるというか。自分で自分を追い詰めてるというか…」
「なーんか思い詰めてる感じすんだよね」と目を伏せた萩原を見てユキは考える。萩原曰く、数年前から追っている事件の犯人が未だ捕まえられずにイライラしているらしい。その犯人とは以前、ユキと萩原が巻き込まれたことのある爆弾事件の犯人のこと。その事件で萩原とユキは一度死にかけたと言っても過言ではない。
松田陣平という男はぶっきらぼうだが情に厚く、若干ツンデレ属性の混じった男前な人物である、とユキは思っている。なぜ今日ユキが焼き肉へ誘われたのか、たまたま東京に遊びに来ていたからではないのだろう。萩原の意図を察することはできないが、萩原が松田のために何かしようとしていることはわかる。
互いが互いのために悩むのは素敵なことだ。けれども悩むことで視野が狭くなると、想いあっているはずのお互いのことが見えなくなってしまうこの矛盾は、どうにももどかしい。
「そういえば、今日は随分と急なお誘いでしたよね」
「それはほんとごめん。ユキちゃんが東京来てるって投稿見てつい」
「まあ、別にいいですけど。お2人と食事に行くのは好きなので」
「ユキちゃん嬉しいこと言ってくれんね」
萩原の意図はやはりユキには分からない。仕事もプライベートも関わりの薄いユキが何か言ったところで意味があるのだろうか。「ユキちゃんから松田になんか言ってやってくんね?」なんて人任せなことを言う萩原には困ったものだ。
「おい、なんでユキが不機嫌そうな顔してんだよ」
「あれ、もう戻ってきたの?もっとゆっくり吸ってくれば良かったのに」
「せっかくユキが来てくれてんのにそれはねーだろ」
「おーちょっと素直になった」
心なしか、スッキリとした表情で戻ってきた松田。今までの会話の中で何か悩み事が吹っ切れるようなやり取りがあっただろうか。そんなことを考えるユキの前に、いつもの調子を取り戻した松田が妙な笑みを浮かべながら座った。
「松田さん、なんか自分だけスッキリした感じで戻ってくるなんて随分と薄情な奴ですね」
「んだとコラ」
海老の皮を剥きながら少し松田を煽ってみればサングラス越しにキッと睨まれた。いつも通りだ。 その様子にふっと肩の力を抜いたユキはチラチラとこちらを見る萩原の視線を感じて短く息を吐いた。
「だって松田さんさっきまで機嫌悪かったんで。お仕事忙しいのは分かりますけど無理はしないでくださいね。考えすぎて視野が狭くなると良くないです」
「んなことは分かってんだよ」
「おーユキちゃんいい事言うね、そうそう松田は最近仕事詰めすぎだから、ちょっとくらい息抜きした方が良いって」
「あ?萩原テメェユキに何か言ったな?」
「げっ」
「別に萩原さんに何か言われたとかじゃないですよ。ただ松田さんが疲れているように見えたので」
「そうかよ、そりゃ悪かったな」
タブレットのお会計ボタンを押すと本日の合計額が表示される。思いのほか安かったのか、静かにホッと胸を撫でおろす松田を見て、ユキは萩原の後ろに隠れて噴き出した。
黒毛和牛を頼んだのはユキが適当についたウソなので、信じていた松田はさぞ拍子抜けしただろう。超高額だと思っていたのがまあまあ高額で済んだのだから、どちらかといえば得をした気分になるはずである。ユキはしめしめと思いつつ会計が終わるのを外で待っていた。
「今日はありがとうね、ユキちゃん」
「いえ、こちらこそご馳走様です。あの、また3人で焼き肉食べに来ましょう」
「それはもちろん!また誘うつもりでいるよ?」
「それじゃあ約束してくれませんか、来年の今日、また3人でここに焼き肉食べに来ましょう」
「おお、いいねそれ。約束な」
「はい約束です」
「じんぺーちゃんは?」
「松田さんも約束してくれますか」
「あ?まあ、そんじゃまた来年な」
「はい、約束ですよ」
この約束は口にしたのは単なるユキの思いつきだった。今日の食事会は最終的に穏やかな会のように締め括られたが、警察官である松田と萩原が最初から張り詰めたような空気を纏っているのをユキは何となく感じとっていた。理由はおおかた萩原からの話で察したが、正直ユキにできることはないだろう。
だから、ユキは約束という言葉を使って2人を縛りつけることにした。萩原と松田はユキにとって大切な友人だ。それと同時に2人が人を助けるのに自分の身を犠牲することを厭わないお人好しであることも知っている。警察官だからなんだ。とにかく危険な仕事なのは知ってるけれど、どうか2人に厄災が降りかかりませんようにと、ユキにはただ願うことしかできないのだから。
* * *
萩原は普段、スケジュール管理をスマホのカレンダー機能でまかなっているが、ある日付けに去年からずっと書かれている星のマークがある。ユキと焼き肉を食べに行くと約束した日だ。でもこれはただの口約束、たぶんユキにとってはその場のノリで言ったただの社交辞令で、もう忘れていると考えた方が良いだろうな、なんて考えながらも萩原はこの約束をずっと覚えていた。あの日、去年の11月7日に、松田が死を免れたのは間違いなくこの言葉の呪縛があったからだ。
ただの口約束?されど口約束だ。あれは死に急いでいた松田の正気を戻すには十分な役割を持っていた。これはただの口約束ではない。萩原にとって特別な約束なのだ。
『友達と新作カフェ行ってきた!🍓』
場所:東京都××区
だから萩原はユキのインスタの投稿を見て、つい勢い余ってしまった。
* * *
「夕食どうしようかな」
確かホテルの一階にパン屋があったような。いやでもビュッフェに行くのもありかなあ。ちょっと高いけど。
昼間にスイーツを堪能して、その後夕刻まで友達とゲーセンに入り浸っていたユキは、友達と解散したあと、ホテルの自室で寛いでいた。
先程インスタ投稿にした桜いちごパフェとクレープの写真。我ながら上手く撮れていると、満足気に自身の投稿を眺めていると、ピコン!と通知が鳴る。
「ユキちゃん東京来てるの!?もし今から時間あるなら焼き肉い行こうぜ!じんぺーちゃんも誘っとく!!」
萩原さんからのDMだった。あまりにも勢いのあるメッセージにユキはつい笑ってしまう。
さてと、先ほど脱いだばかりの上着を再び手に取ったユキはルームキーを持って部屋を出た。今夜はユキの大好きな焼き肉である。
「それにしても、随分と急な誘いだな。珍しい…」
例によって特盛ビビンバ事件はユキの記憶には残っていないので、ユキは油断していたのだ。ちなみに今回の戦犯は萩原である。
ーーーーーー萩原研二の独白
松田が仕事を詰め込みすぎている。爆処の先輩からその事実を聞かされたとき、萩原はどんな顔をしたら良いかわからなかった。
数年前の秋、警視庁爆発物処理班に所属している萩原は友人2人によって命を救われた。一人は幼馴染である松田陣平という男。彼がいなければ萩原は防護服を着ることなく爆弾解体に向かい、爆弾と共に木端微塵に砕け散るところだった。もう一人は双葉ユキという女。当時大学生だった彼女とは、まあ色々あって仲良くなったのだが、とにかくあの時、マンションに取り残された彼女がいなければ萩原は爆弾のある場所に留まり爆弾と共に木端微塵に砕け散るところだった。そんなわけで萩原にとって2人は命の恩人でもあるわけである。
さて、そんな命の恩人でもあり幼馴染でもある松田が最近イラついているのには萩原も気が付いていた。その原因が萩原と松田自身が巻き込まれた爆弾事件と関連していることにも。なにせ犯人がまだ捕まっていないからだ。萩原とて焦っていないわけではないが、爆処に所属する身として出来ることは限られているし、焦ったところで何も解決しない。
松田はユキのことを可愛がっている。そこに恋愛感情があるかないかはまだわからないが、少なくとも松田が心を許している数少ない友人と言ってよい、と萩原は思う。何か息抜きや気分転換になれば、或いは松田の心の少しでも安らいでくれたら良いと、萩原はユキに頼ってみることにした。
だって今日はちょうど約束の日だ。おそらく萩原だけが覚えてる日付。たまたまユキは東京に来てるみたいだし。日本に来たら飯行こうぜという話はしていたから、急に誘っても問題ないはず…。
場所は去年と同じ場所でいいかな。と予約のためスマホでホームページを検索しながら、萩原は何かが引っかかる感覚がした。あれ、何か忘れてるような…。
▶▷誰?ビビンバ3つ頼んだ奴😡💢👊
↪︎ sunarin. え、ユキそれ全部食べたの?笑
↪︎ shoyo. 焼き肉良いですね!俺も行きたい!
↪︎ kotaro. ヘイ日向!俺が連れてってやる!!