だんだんと花が咲き、春が始まる
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サクサクと煉瓦道に積もる雪を踏みながらドイツの街を歩く。背丈に対して大きなリュックを抱えるユキはキョロキョロと当たりを見渡し、噴水広場のベンチにひときわ目立つ容姿を持つ男を見つけた。
「あ、いつも私が勉強してるところ」
ポツリと呟いてユキはその男の方へ歩み寄る。3人ほど座れるであろうベンチの中央に堂々と足を広げて座る男は、ふうと白い息を吐きながらぼけっと空を見上げていた。
ハロー、とユキが声をかけると男のキリッとした瞳がユキの姿を捉える。続けて今時間があるかとユキが問えば、たまたま機嫌が良かった男は満足気に口角を上げ手招きをした。
男に反応にパッと表情を明るくさせたユキは男の隣に座り重たいリュックを雪の上に置く、そしていそいそとドイツ語の本を取り出した。
ユキは付箋の貼ってあるページを開き朗読を始める。それはドイツ人なら誰もが知っているであろうグリム童話の一節『ヘンゼルとグレーテル』。もちろん、男は予想外のユキの奇行に戸惑った。
約10分、綺麗なドイツ語の発音で物語の概要を読み終えたユキはふうっと白い息を吐いて男を見る。そして鼻先を赤くしながら満足気に目を細めて笑った。
なんだこの女は、というのが男の素直な感想である。しかしユキの、白い雪に反射してキラキラと輝く悪意のない笑顔が、異様に眩しく見えたのはどうしてだろうか。妙な居心地の悪さを覚えた男は不機嫌そうに目を逸らす。まるで息が詰まるような、憎たらしいほど呑気な微笑みだと思った。
冬の寒さは寂しさを助長させるから好きだ。自身の中にある寂しさを紛らわしてくれているようで、辺り一面に白しか映らない雪景色が男は好きだった。けれどこの女の笑みは、キンと冷え渡る空気の中にいながら、固まった氷を容赦なく溶かしていく太陽のように温かい。
チャックが半分ほど開けっ放しのユキのリュックの中にはドイツ語の教科書、参考書の数々。たまたま目に入ったそれらの本に、男はドイツ語の練習に付き合わされたのだと悟った。
最近、サッカーU-20ドイツ代表の選手として名を馳せたこのミヒャエル・カイザーのファンか、それとも身の程知らずのナンパ女か、どちらにせよ珍しく機嫌のよかったカイザーはその誘いに乗ってやろう、と思った矢先にこれである。
「Was denkst du?
Hast du es gefangen?」
(どうでしょう、聞き取れましたか?)
と、憎たらしいほど綺麗な発音でドイツ語を話すユキに腹が立ったカイザーはピキリと額に青筋を立てた。
「Machst du dich über mich lustig? verdammte Frau.」
「das bin ich...えっとなんて?スラングはちょっとまだ分からないんだよね」
わりと自身はあったのだけれど、何かが男の気に触れたらしい。なぜか分からないが目の前の男が綺麗な顔を思いきり歪めてめちゃくちゃ怒っているので、とりあえずユキはドイツ語でごめんなさいをして昼間に学校の食堂でもらったバームクーヘンをあげた。
双葉ユキとミヒャエル・カイザーの初対面はだいたいこんな感じだ。当時大学2年生のユキがドイツに留学してすぐの冬の出来事である。
それからは、ドイツの大学へ通うユキを見つけてはカイザーが絡みに行く。そして週に2、3回ほど、ユキのドイツ語練習にカイザーが付き合うという関係性が確立した。なぜカイザーがユキに絡むのか、それは単純にユキの顔が好みであったことと、初対面でユキをファンであると勘違いし恥をかかされたことの恨みに起因している。
とはいえ、ユキの留学は短期間のみだったため、別れの時はすぐに訪れた。出会ってから数ヶ月、いつも通り雑談をして、もうすぐ日が暮れるという頃、突然ユキが言い出した「そういえば、明日帰国するんだ」というセリフにカイザーは頭が真っ白になった。
突然のお別れ宣言に動揺するカイザーの手元に、ユキは昼間にスーパーで買ったバームクーヘンを置き、これまでのお礼を伝えて頭を下げる。「じゃあまたどこかで」そんな薄情な言葉を残してユキはカイザーのもとから去ったのだ。
連絡先など知らなかった。ついでに互いの名前も知らなかったので、2人の関係性はここで途切れたように思われた。
* * *
そして現在、
ネスがカイザーから聞いた話によれば、頭が良くて笑った顔が綺麗、そしてなにより心置きなく気楽な態度で話ができるクソ良い女、だという。薄情なのには変わらないけれど。カイザーはユキのことを割と気に入っていた。
さて、そんな女が今、カイザーの目の前にいた。ピシッとスーツを着て人の往来の中を歩いている。前あったときとは髪の色も変わってるし、雰囲気も変わっているけれど、カイザーはその顔を見間違えない自信があった。
ズカズカと大股で彼女に近づきその手を掴む。人目など気にせず怒りを滲ませた声で「やっと見つけたぞ薄情女」とドイツ語を放てば、ユキが不思議そうに振り向いた。
仕事終わり、新宿で買い物でもしてから帰ろうかと駅近のショッピングモールを見て回っていたときのことだ。強い力で腕が引っ張られてバランスを崩したユキは背後にいた誰かにぶつかった。
続いて聞こえてくるのはドイツ語、いったい何の用だとユキが振り向けば、そこには懐かしい顔が見えた。たしか名前はミヒャエル・カイザーだったか。ユキが従兄弟や友人の活躍を見るために加入したブルーロックTV、そこでこの男の姿を見たときにはこれまた驚いたものだ。
しかも名前がミヒャエル(天使)カイザー(皇帝)ときた。そんな厳つい名前だったかのかお前、とユキの中ではかなり印象的だったのでよく覚えている。
「あ、えっとミヒャエル・カイザー…」ユキが咄嗟にそう口にすれば男は驚いたように目を見開いた。「なんで俺の名前を知っている?」そんなことを言いたげな顔だ。
「
「Ich weiß nicht, was Sie sagen, aber ich kann nicht anders. Du hast endlich von mir erfahren.」
(何を言ってるか分からんがまあいい。それよりも、ようやく俺のことを知ったようでなによりだな)
「Das stimmt」(まあね)
「Also, wie war es?」
(それで、どうだった?)
カイザーはドヤ顔でユキに問うた。ようやくこの俺の凄さに気が付いたかと、お前があれだけ振り回した男はこんな有名人だったんだと思い知ったか、そんな風に見下ろしてくるカイザーを見上げ、ユキはブルーロックTVで見たカイザーの姿を思い浮かべる。たしかに普段の言動はちょっとアレだけれど、あんな風に頑張る人たちを見て、感動しない人はいないだろう。ユキだって、カイザーのことを密かに応援していたのだ。だからユキは素直に感想を述べた。
「Ja. Es war wirklich cool.」
(うん、めちゃくちゃかっこよかったよ)
「...Dann ist das in Ordnung」
(…ならいい)
「ブルーロックTVで見るまでは初対面でクソ女とか言ってくる生意気な奴だと思ってたけど」
「Was ist es jetzt?」(なんて言った?)
「überprüft」(見直したなって)
「Absolut nicht...」(絶対違うだろ)
もはや人を見下したような態度は彼の性質なのだろう。脊髄反射のようなものだ。少し褒めれば調子の良いことに「俺の前では日本語で喋るな」と主張し始める。そのカイザーの王様ぶりを見て、ユキは思わず笑った。ドイツで会っていたときとまるで変わらぬその態度がひどく懐かしい。
「ねえミヒャエル、私のことはユキって呼んでよ」
「…ユキ」
「Ja, was ist das?」(はい、なあに?)
「Ich schenke dir heute meine Zeit.」(今日は俺の時間をお前にくれてやる)
カイザーはまたもドヤ顔でユキにそう言った。だからおすすめの店にでも連れて行け。そんな物言いのカイザーにユキはえ?と立ち止まる。私、仕事帰りなんだけど。明日使う資料まとめたいから今日は無理、そう言おうとしてユキは口を噤む。
偶然であるが、せっかくカイザーと会えたのに? たしかにユキとしてもこの機会を逃すのは惜しいのではないか。
きっとこうして再び巡り会えたのは何かの縁なのだろう。ユキはそう思う事にして、頭の中には有名なラーメン屋を思い浮かべた。今日はあまり時間が取れないけれど、これを機に新たに親交を深めるのも悪くない。
今日はラーメンで、次に会ったときはまた違うものをご馳走様しよう、そしてまた次に会う時も、一緒に美味しいものを食べに行こう。
「Sag mal Michya, bringe ich dir köstliches japanisches Essen bei.」
「Wenn du so viel sagst, werde ich dir folgen. Bedenken Sie dies, wenn Ihre Erwartungen nicht erfüllt werden.」
(私が美味しい日本食を教えてあげるよ)
(そこまで言うなら付いてってやろう。期待外れだったら覚えておけよ)
「ミヒャエル、ほんとにその生意気さは変わらないよね」
「Was?」(なんだ?)
「Schon gut」(なんでもないよ)
「Ich verstehe.」(そうか)
この数分の会話で機嫌が良くなったカイザーはユキの顔を見て穏やかに笑った。ユキがラーメン屋へ向かう途中、日本では恋人同士でしか見られないような距離感まで近づいたカイザーはユキの腰に手を回して隣を歩く。
そこまではまあ、ユキも欧米スタイルだなあくらいの感覚で受け入れられた。けれどひどく上機嫌なカイザーが「ユキはどんな食べ物が好きなんだ?」「そうだな、今日会えた記念に何か欲しいものでも買ってやろう」なんて、年下の姉弟に向かって話しているような甘い口調で話すから、ユキはあることを悟って顔を覆った。
カイザーは多分、私のことを未だに年下のティーンだとか思ってるのだろう。と何度訂正しても実年齢を信じてくれなかったカイザーの顔を思い浮かべてユキは苦笑する。確かに欧米では実年齢よりも5歳程若く見られることが多いので慣れているけれど、親しい間柄の年下の男に年下のように扱われることは初めてなのでユキとしては違和感がすごかった。
たしかカイザーは20歳になったかなってないかくらいの年だった気がするけど、同い年くらいに見えるのかな…。
ん?待てよ、そう考えると案外悪い気分ではないのかもしれない。
やっぱり訂正はしないでおこう。とユキはスキップするかのような軽い足取りで件のラーメン屋の暖簾をくぐった。
「
「まあね」
▶▷やっぱりラーメンといえばこれ❕🍜
↪︎ yukie. わかる~!そのラーメン美味しいよね
↪︎ keiji. 半熟塩ゆでたまご🥚がないけど
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