8. 甘い音のなる方へ
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稲荷崎高校男子バレー部には、それはもう完璧な美少女がいる。ユキちゃん、俺はその人に一目惚れをした。初めて目が合ったとき、あの海みたいな瞳に飲み込まれそうになった。
その出会いから数週間…ユキちゃんがバレー部のマネージャーとなってくれたおかげで彼女との関わりは多くなる一方、俺は未だにユキちゃんと1秒以上目を合わせることができないでいた。
「ぎんくん、これで大丈夫かな?もう痛くない?」
「う、うん完璧や!おおきに!」
「良かった、じゃあ練習頑張ってね」
「おう!」
ドッドッドッと鳴る自分の心臓の音を聞きながら、頑張ってねと笑ったユキちゃんの笑顔を脳に焼き付けて練習に戻る。たった今ユキちゃんにテーピングを巻いてもらった右手を見つめて、数回握り直してから深呼吸。俺の心臓はユキちゃんと話すときいつもバクバクで、ユキちゃんが今みたいに応援の言葉をかけてくれるだけで気分が上がる。なんて単純な男なんだと思われるかもしれないが、嬉しいもんは嬉しいので仕方ないと自分で開き直る。普段はなかなか自分から話しかけられないから、部活中に何かしら理由を付けて休憩の度にユキちゃんのもとへ話に行く。そしてユキちゃんは俺が何も言わなくても必ず俺の欲しい言葉をくれる完璧なマネージャーや。これが今の俺の精一杯。
だから、だから双子や角名がクソ羨ましくてししゃーないんや!!俺やってもっと近くで話したいし、ユキちゃんの頭撫でたい!ほんまに、アイツらなんであんなに自然にできんねん。
そして、最近1番の悩みは俺だけまだ名前で呼ばれていないこと。いや、ぎんくんって呼ばれるのも全然ええねんけど。やっぱ距離を詰めるにはここからやろ。
ということで本日の目標は、ユキちゃんの目を見て名前で読んでもらうようにお願いすること。タイミングはやっぱ部活中やな。他の3人が集まってたら邪魔されかねない。因みに朝練は完全に失敗した。今日に限ったことではないが、双子が鬱陶しいくらいにユキちゃんにくっつき回ってるからタイミングが掴めんかった。
「はい、ぎんくんお疲れ様」
ぽんっと俺の手にドリンクが置かれる。くるっと体育館全体を見渡してユキちゃんの目を見ると、ユキちゃんは不思議そうな顔でこちらを見上げている。かわええ。
今、侑と治はさっきの試合中の小競り合いの延長で喧嘩中。角名も大見さんと話をしとってしばらくは大丈夫そう。北さんも今は双子の方に気が向いとる。ちゅうことは…今がチャンスやろ!!
ふう、と大きく息を吐いて呼吸を整える。そして俺は渾身の勇気を振り絞って、ユキちゃんに声をかけた。
「っユキちゃん!!」
ビクッッと肩を上げて驚くユキちゃんと、静まり返る体育館。あ、あれ緊張してきてめっちゃデカい声が出てもうた。ユキちゃんもめっちゃびっくりしてもうてるし。
驚かせてほんまに申し訳ないけど、今の俺に後戻りという概念はなかった。一歩後退るユキちゃんの肩を掴んで、半ば無理やり目を合わせてからもう一度大きく息を吸う。がんばれ俺。ユキちゃんの目をちゃんと見て伝えるんや!
「おおお俺も名前て呼んで下さい!!!」
勢い任せに言い放った俺の言葉を聞いたユキちゃんは、ぱちぱちと瞬きをしてから首を傾げる。そこで、ようやく体育館に自分とユキちゃん以外の人たちの声が聞こえないことに気が付いた。明らかに注目を浴びている俺とユキちゃん。…俺の心臓壊れそう。
ああやってもうた、これじゃあユキちゃんにまで恥ずかしい思いさせてるだけやないか!なんて後悔の念に駆られていると、後方でドリンクを吹き出しながら大爆笑する侑の姿が見えた。
「ぶはぁ!銀お前緊張しすぎやろ!」
「銀ってほんとに面白いよね」
「お前、今日ずっとソワソワしてたもんな」
頭が真っ白になって硬直する俺の耳にそんな声が次から次へ聞こえてくる。クソ恥ずかしいな。
それよりもユキちゃんは、ともう一度ユキちゃんと目を合わせると、彼女はふわっと微笑んでから俺の目を見た。そして、俺しか聞こえないくらいの小さな声で「ひとしくん」と口にしたユキちゃんに、はっと息を呑んだ。爆発しそうだった俺の心臓が、今度はぎゅううと鷲掴みにされるような感覚に陥る。
「うっ俺もう死んでまう」
ユキちゃん、かわいすぎやろ。そんでもって俺をキュン死にさせようとしてくる。
「銀、もう次の練習始まるけど」
冷静な角名の声に我に返った。今日の俺にもう悩みはない。あるのはとてつもない幸福感と満足感だけ。その後の試合はありえないくらい調子が良かった。さすが俺らのユキちゃんや。
* * *
「銀にしては頑張ったよね」
「せやな、でも銀、お前明日からユキちゃんの名前呼びに耐えられるか?」
「1日持たへんのちゃう?」
部活が終わり部室で着替えてると角名が呟いた。それに続いて喋った侑と治の言葉について考える。確かに、あれは…俺明日から大丈夫やろか。てか逆になんでお前らは平気なん?
「お前らの方が異常なんだよ、名前呼びのこともだけど、毎日毎日あんだけ近くにおって平気なんか?俺なんて目を合わせるだけでやっとやで」
「いや、俺かていつも死にかけやで」
「可愛さで死にかけることはあるけど、緊張するのは意味わからへんな、もっとこう、侑くんって言われて抱きつかれたい」
「キモイでツム」
「お前に言われたくないわサム」
「俺だっていつも必死だけど、ユキも俺らのこと大好きだからね、もっと可愛がりたいって思う方が強いかな」
お前ら凄いなあ。ユキちゃん俺のことも大好きやって思っとるんかな。でも確かに、俺ら以外と話すのをあんま見たことないかもしらん。それに俺ら以外にあんなふうにふわふわ笑っとるのも見たことないな。俺も、ユキちゃんの特別ということやろか。
なんやそう思うと嬉しいなあ。ほんならもっとユキちゃんと仲良くならなあかんな。
「銀、顔きもいで」
「え」
* * *
帰り支度をさっさと終わらせて1番に部室を出る。今ならユキちゃんと2人きりでもめっちゃ話せる気がする!俺は先に行くで!とまだ着替え中の奴らを置いて部室を飛び出すと、既にユキちゃんが体育館の外で待っとった。背中を綺麗に伸ばして凛とした姿勢で立つユキちゃんが不意にこちらを向いた。俺に気づいてお疲れ様と手を振ってくれる。かわええ。
「ユキちゃん!俺、今日ユキちゃんのおかけでめっちゃ調子良かってん」
「ふふ、私のおかげかは分からないけど、調子の良いひとしくんとってもかっこよかった」
「ぐっ」
だめやっ、やっぱユキちゃんとこれ以上2人きりでおったら死んでまう。
「あれ、銀そんなとこで何やってん」
「やから言うたやんか、お前には耐えられんて」
「ユキもあんま虐めないであげてね」
良かった…みんな直ぐに来てくれて、侑の言う通りやったわ。それより、最後の角名の言葉…。俺の前を通り過ぎて慣れたようにユキちゃんの隣の位置を取った角名を目で追う。
ちょうど角名の背中で隠れてしまったユキちゃんの方に目を向けると、角名の後ろからちょこっと顔を出したユキちゃんが俺に向かって、にこーっと満面の笑みを浮かべてきた。え、なんそれかわええんやけど…。
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