13.雨上がり見た景色
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ゴンッという鈍い音と共に体勢を崩すユキ。体育館のドアが空いていたから、そのまま外に飛び出してしまったユキが頭からコンクリートの地面に倒れる場面を見た。
1番近くにいた俺は急いで駆けつけて、焦りのままにユキを抱き起こそうとして、北さんに止められた。
「頭打ってるんならあんま動かさん方がええ。俺が先生呼んでくるからユキのこと見とってくれ」
俺に続いてユキのもとへ来た北さんは冷静な瞳でそう言った。ユキの背中から手を離し、その場へ寝かせる。じっと目を閉じるユキが、俺の呼びかけに反応しなくて怖くなった。これって救急車呼んだ方がいいんじゃないか、そう思ったとき、きゅっとユニフォームが引っ張られる感覚にユキを見た。
「ユキよかった、俺の声が聞こえる?」
そう声をかけると、ユキは小さく口を動かす。けれど声が小さすぎて何を言ってるかわからなかった。もう一度、ユキの声を聞こうとユキの口元に耳を近づけたとき、保健の先生を連れて北さんが戻ってきた。
ちょっといいかしら、と言ってユキの隣に座った先生は手際よくユキの怪我の状況を確認する。そのときにユキのそばから追いやられた俺は、さっき確かに聞こえたユキの言葉の意味が理解しきれずに首を傾げた。“ごめんなさい”って、なんのことだよ。
「誰か、神代さんを保健室まで負ぶってくれないかな」
いつの間にか診察を終えたらしい保健の先生が俺たちバレー部員を見渡してそう言ったのを聞いて、俺はすぐに返事をした。
自分でもびっくりするくらいの反射的に答えていた。先生も、北さんも、食い気味で手を上げた俺を見て驚いているようだ。
「そ、それならよろしくね」
ユキの背中と両膝の裏に手を通して抱き上げる。先生に言われた通り、なるべく揺らさないように保健室に連れていき、ベッドに寝かせた。
すると先生が保冷剤とガーゼを取り出してユキの頭にくくりつけている。
俺は、どうしたら良いのか。連れてきた後なにをすれば良いかわからなくて保健室の扉の前で突っ立っていたら、カルテを取り出した先生が手招きして俺を呼んだ。
詳しく説明をお願いできるかな?という先生の問いかけに頷けば先生は部屋の隅から丸椅子を取り出してくる。俺はさっきの光景を思い出す。ユキが、体育館のドア前でバレー部を見ていた一年生の女子たちを注意していた。しかしユキの注意を不機嫌そうに聞き流す女子。それでもあきらめずに注意を続けていたユキのもとに、たまたまバレーボールが飛んできた。普段のユキであったら難なく避けていたボールだっただろう。だってユキは運動神経も悪くないし、いつもよく周りを見て動いているから。けれども今回はタイミングが悪かったのだ。
状況説明を終えて立ち上がる。とりあえず、ずっとここにいる訳にもいかないので先生に言われたとおりユキの荷物を取りに保健室を出ようとしたとき、ユキが眠っているベッドの上が少し動いたのが見えた。ユキの意識が戻ったみたいだ。
目を覚まして良かったと、ホッと息をついて俺はユキの様子を確認しようとベッドの横に移動する。するとユキの、何か恐ろしいものを見たかのような強ばった表情が見えてギョッとした。そんなに体調が良くないのか、そう思った矢先、突然ベッドから起き上がろうとするユキに驚いて咄嗟に彼女の肩を抑えた。
「ちょっと、なに勝手に動こうとしてんの」
「ごめんなさい、すぐに戻れるから」
「何言ってんだよ。今はとりあえず安静にしてて」
頭を打ってるんだから、今ユキを動かすわけにはいかない。すぐに戻れると言ったユキを抑えてベッドの上に戻すと、ユキは立ち上がるのを辞めた。その様子に安堵してため息をついたとき、ヒクッとユキの、息を吸う音が聞こえた。どうしたのかと、俯くユキの顔を覗き込む。すると、ユキの綺麗なユキの顔がくしゃりと歪み、その大きな瞳が涙で溢れた。
「ごめんなさい」と言って涙を流すユキに動揺した。まさか、泣き出すなんて思わなかった。またごめんなさいって、それはいったい何への謝罪なのだろうか。ぶつけた場所がそんなに痛いのかと聞こうとしたけどそれはユキの小さな声に遮られた。
もうこんなミスはしないからと、まるで縋るようにして俺のジャージの裾を握り締めてユキは肩を震わせる。そんなユキを見て、とても今の彼女を一人にさせることなんてできなかった。
ユキは自分がミスをしたと言ったが、その意味がよく分からなかった。別に、これはユキのミスじゃないのに。ユキは体育館のドアの前に居た1年を危ないから避難させようとしてただけ、本来ならボールはあの1年達に当たってたはずだ。
ゆっくりと、そう説明しても中々ユキの涙が止まることはなかった。
ごめんなさいと、しゃくりあげた声でまた言った。自分がボールに当たったことでマネージャーの仕事が遂行できなくなったこと、俺の練習時間が減ったことを悔やんでいるのだろうか。泣き止みたいのに涙が止まらない。そう言いたげに何度も何度も目を擦るユキの手を取って俺はユキの顔を見た。
真っ白な頬っぺたが涙でぐしょぐしょに濡れている。突然の俺の行動に驚いたのか真っ赤になってしまった目を丸くしてこちらを見るユキ。その時の、きょとんとこちらを見上げるユキなんだか小さな子どものように見えて、ついつい笑みがこぼれた。
何がそんなにユキを責めてるのかわからないけど、涙を流しながら俺を引き止めるユキの姿が子どもように見えた。小さな子どもが仕事に行く親に向かって「いかないで」と甘えているような、そんな感じた。
いつも真面目で完璧なユキだけど、珍しいこともあるものだと思った。そんなユキが可愛くて、思わず背中に腕を回して抱きしめると、ユキがきゅっと俺のユニフォームを掴んだのがわかった。
「おねがい、私をきらわないで」
「嫌わないよ」
俺はユキを嫌わない。ユキが何かを言う前に、もう一度強くそう伝えると、ユキは呆気にとられたように固まってしまった。
今、ユキがどんな風に考えてるかわからないけど、俺が今ユキに言えることはこんなことでユキを嫌うはずがないということ。
「ユキは俺がそんな薄情なやつに見えてたんだ」
「ち、違うよ!」
「そ?」
「違う、りんたろうくんは薄情なやつなんかじゃない…」
ああユキの止まりかけた涙がまた溢れてきてしまった。
ユキはちょっと抜けてる部分はあれど部活でも授業中でもテストでも完璧で、どうしてそんなに頑張るんだろうと思ったことがある。ふと、授業中にも関わらずバレーの勉強をしてるユキを思い出した。その姿が、完璧じゃないとダメだ。まるでそう言ってるように思えて、いまだ泣き止む様子のないユキを見た。
ユキは今、マネージャーの仕事ができていない自分を責めてる。悪口とか、噂話にはまったく動揺の色を見せなかったユキが、今自分のミスによって俺たち嫌われることを恐れて動揺している。
いや多分悪口や噂話に関しては慣れてるのかもしれない。ユキの過去についてはアメリカにいたということくらいしか知らないけど、今までもそうやって過ごしていたのかもしれないと思った。ユキと過ごす中でなんとなく違和感があったのは確かだ。
完璧でなければならない。俺にはその感覚があまり分からないけど、中学の同級生で両親に完璧を求められて必死に勉強をしていた奴を見たことがある。
完璧でなければ俺たちに嫌われるか…。
ユキが今までそんなことを思って俺たちと過ごしていたのだと思うと非常に心外だ。
そんなことあるわけないのに。
そんなことありえないのだ。ユキは気づいてないかもしれないけど、もう俺たちはユキのことが大好きになってるっていうのに。それに、ユキを含めて稲荷崎高校バレー部なわけだし。何勝手に一人だけ外れようとしてるのかな。こっちは毛ほども手放すつもりないんだけど。
「ユキは何もわかってないね」
「...え?」
「さっきも言ったけど俺らはユキを嫌わないよ。むしろ、ユキが俺たちを嫌だって言ってもユキを手放すつもりはないんだけど」
ユキは普段どんなことを考えて過ごしているのか。俺にはとうてい想像できない。俺たちの中でユキのことが話題にあがることは多くあるのに、俺は自分の思っている以上にユキのことを知らないのだと思った。
しばらくユキと話していると、徐々にユキの様子も落ち着いてくる。
「大丈夫そ?」
「うん、ごめん変なこと言って」
「変なことって何?それよりも、ごめんじゃなくて他の言葉が聞きたいんだけど」
「あ、ありがとう、りんたろうくん」
頬に張り付いた髪の毛を払ってやると、くすぐったそうにユキが笑った。そうして緊張が解けて笑った顔が、ユキが初めて素の自分を見せてくれたような気がして嬉しかった。
「俺、ユキの荷物とか取ってくるけど」
「私も一緒に行く」
「だめ、ここで待ってて」
むうっとかわいい顔してもだめ。頭打ってるんだから、ほんとに安静にしてて。
* * *
「ユキちゃん!頭大丈夫か?」
「侑、それじゃあ悪口みたいやろ」
「そうなんか?ユキちゃん悪口ちゃうからな」
「ユキちゃん元気そうで良かったわ、おにぎり食べれるか?辛かって言うてな?」
「とにかく、ユキの目が覚めて安心したわ。今大丈夫でもちゃんと明日病院行くんやで」
「あ、ありがとうございます」
ユキの荷物を取りに行って、とりあえず大丈夫そうだということを伝えたらみんな着いてきた。周りから一斉に心配する言葉をかけられると、ユキは予想外だという顔をしてたじろいだ。いやあれは双子の勢いに気圧されてるだけか。
けどほら、ユキが不安になる要素はどこにもなかっただろ。そう心の中で呟くと、まるで俺の心の声が聞こえていたかのようにタイミング良くユキがこちらを向いた。
パチリとユキと目が合う。すると俺の視線の先には、ありがとうと、涙の後のある目尻を下げて、いつもより可愛く笑うユキの姿が映っていた。
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