共同戦線
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ピ、ピ、ピ、ピ
自分のいる位置から、数歩進んだほどの距離にある黒い物体を見つめて、ユキははたと目を瞬いた。
ついさっき、目を覚ましたユキの視界に最初に入ってきたのはその黒い物体。身体を動かしてすぐ聞こえたのは金属の擦れる音。耳につくその不快な音に、ユキは手首につけられた鎖に気がついた。この鎖はあの黒い物体と繋がっているようだ。
ポツン、と6畳ほどの部屋の隅に座り込むユキには何が何だか分からなかった。なぜだかわからないけどズキズキと痛む首元。そしてどこからか入り込んでくる冷たい風にユキは小さく体を震わせた。すると、ガチャリと音を立てて扉から入ってきた男。小気味悪い笑みを浮かべながら部屋へ入ってくるその男は、ユキの前で立ち止まった。
たった今、警察から伝えられた事実を聞いてマスターは唖然とした。マスターにとってそれは、買ったばかりの食材を地面に落としたことにすら気づかないほど大きな事件だった。
「彼女が何者かによって誘拐された」
それを聞いた時、一瞬何を言われたか理解ができなかった。だってユキは今、ポアロでいつも通り仕事をしているはずなのに…。
本日ポアロに出勤していた梓は昼休憩の後、ユキの姿が見当たらないことに疑問を持った。直接電話しても見当たらなかったので店中を探し回ることにしたのだが、そのとき見つかったのは裏口に転がるホウキとチリトリ、そして散らばった落ち葉の中にあったユキのスマホだけ。
春さんの身に何か良くないことが起きている。直感的にそう感じだ梓はその場ですぐに警察へ連絡した。
そして数分後、買い出しを終え、車に乗り込もうとしていたマスターのもとへ警察から連絡が届いたのだった。
「どういうことですか?」
「ですから、奥様が誘拐された可能性があります」
今、ポアロの防犯カメラなど、状況を調べているところです。そうスマホ越しに告げられたマスターは、落とした食材には目もくれず、急いで車に乗りポアロに向かった。途中、彼女に電話を繋いでみるも、それに応えたのは梓だった。
「あ、マスター!これユキさんのスマホです。裏口のところに落ちていたのを見つけたんです」
ポアロに着いてすぐ、梓から受け取ったユキのスマホをマスターは強く握りしめる。落下の衝撃だろうか、今朝まで綺麗だった彼女のスマホの画面は、右上から斜めにヒビが入っている。
「防犯カメラの様子はどうだったんです?」
捜査中の警察にマスターが問いかける。すると1人の警察が防犯カメラに繋いだパソコンを持ってきた。
画面にはちょうど梓が昼休憩に入ったすぐ後、店のゴミをまとめてユキが裏口へ出ていく様子が写っている。
ゴミを壁側に置き、今度はホウキを持って足元に広がる葉っぱを掃いてまとめていた。するとその時、全身黒い服を着て、フードを被った何者かがユキに話しかけた。そして手を止めたユキがその人物に気を取られたとき、後ろから来たもう1人の奴に襲われた。ユキは首にスタンガンを当てられ気絶し、そのまま連れ去られてしまったようだ。
防犯カメラにはここまでの映像がバッチリと写っている。しかし、その誘拐犯たちが乗っていたであろう車に関してはどこの防犯カメラを見ても写っていなかった。その事実にマスターの表情が曇っていく。
彼女の居場所を突き止める手がかりがこれ以上ない。ポアロ内の捜査をする警察の顔色も険しく、それはユキの捜索が停滞していることを示している。
"今すぐ俺の息子を釈放しろ、でなければこの街の何処かに爆弾を設置する"
そんな声明が警視庁に送られてきたのは数日前、それなのに未だに犯人の居場所が突き止められていない警察は焦っていた。今回の犯人の手口は実に巧妙だ。警察は今日も今日とて最善を尽くし、犯人特定を急いでいたのだが、その最中、捜査一課に2枚のFAXが送られてきた。
"人質はこちらで預かった。人質を解放して欲しければ、すぐに息子を釈放しろ!!"
"余計なことをしたら、人質に繋がってる爆弾が爆発すると思え"
そう書かれた1枚目のFAX。そして2枚目には爆弾に繋がれた人質の写真が貼付されていた。
捜査一課の面々はその写真を見て驚愕した。それもそうだ、爆弾のそばで気絶しているのは、見慣れた女性の姿。ポアロの常連客が多い捜査一課の人達に衝撃を与えるには十分だった。
「おいどういうことだ!なんでユキが人質になってんだよ!」
「ちょっと、落ち着いて松田くん」
「あ?ユキが人質にされて爆弾と繋がれてんだぞ!」
「そんなの見たら分かるわよ!私は落ち着きなさいって言ってるの!」
「うっせぇな、俺はすこぶる落ち着いてんだよ」
犯人からの挑発に声をあげたのは松田。そして今にも何かに殴りかかりそうな松田を佐藤が抑えた。想定外の事態、それもユキが犯人の手中にいるという事実が松田や佐藤の心を荒立たせた。
2人の言い合いは伊達の一括により一旦は収まったが、胸の内は全く落ち着いていない。怖い顔で沈黙する2人の横で、伊達はすぐに爆発物処理班へ連絡を、彼らの様子を静観していた目暮も、FAXの情報から何か手がかりを掴むことができないかと電子機器分析の専門へと連絡を試みる。
捜査一課から届いた資料を見て萩原の表情は険しくなった。ユキちゃんが心配だ、それにゼロの様子も気がかりだ。
「爆弾の設置場所はまだ特定できてないのか?」
「それが、誘拐犯の足取りが全く掴めていないようで…」
「じゃあ、ユキちゃんはずっとこんな状態なの?」
「誘拐されてから既に数時間経っていると伺っています」
「そんな…」
部下の言葉に萩原の表情はさらに険しくなっていく。写真にある爆弾は時限式、一刻を争う事態なのは明白だ。早く見つけてあげないと。逸る気持ちを落ち着かせて、萩原は資料にある爆弾の解除方法について考える。今自分にできることは出動命令を待つこと、ただそれだけなのがどうにも歯がゆい。
しかし、資料にある爆弾をじっと眺めていた萩原は、その爆弾のある特徴に気がついた。配線の設置の仕方や使われているパーツが普段日本で見かけるものと少し違う。どちらかと言えば、海外製の爆弾に近い作りだ。ということはつまり…。
一般人による武器の密輸、この可能性に気が付いた萩原の目に好機の色が浮かんだ。こういった問題を取り扱うのは警視庁の役割じゃない。これは、もしかしたらヒロや風見さんに頼れるかもしれない。そう思った萩原はさっそく、ヒロと風見に連絡を入れた。
萩原から唐突に送られてきた例の資料を見た景光と風見は激怒した。必ず、彼女を誘拐した犯人に自分たちの手で制裁を加えなければと決意した。萩原から爆弾の構造についての仮説を聞き、現在公安が捜査中の案件に関わっていることを確信した2人はすぐに動き出した。
「これってもしかして、前に風見さんが言ってた…」
深刻な顔で問いかける景光に風見は黙って頷いた。間違いなく、現在風見自身が追っている武器密輸に関わる人物と、今回の誘拐犯は繋がっている。誘拐犯の方は息子の釈放のため感情に任せて動いてるようだが、もう1人の方は違う。公安が追っている程の人物だ。恐らく計画を立てたのは後者なのだろう。わざと警察を挑発するため、警察と関わりの多い彼女を攫った。その際にマスターのことをよく調べ、彼の優秀さを考慮した上で計画を立てている程度には賢いことがわかる。
「風見さん、この案件俺も前線で関わらせてくれないか?きっとゼロもそう言うぞ」
「しかし、」
「俺たちが捜査に加われば圧倒的な戦力になるのは風見さんが1番良く分かってるだろ?」
「…分かった。正直、今すぐ動ける者が多いわけではないし、諸伏や降谷さんの助力を得られるのは有難い限りだ。後の処理は適当に誤魔化すことにする」
警察以外の人間からの協力を得るなど、それでもお前は公安警察なのかと、以前であれば誰かから怒られそうなことだが、幸いにも今回の犯人が関わっているであろう大元――武器密輸を焚き付けた可能性の高い人物――に風見は心当たりがあった。しかも自分が担当している案件。そのため、現在は警察ではない2人に頼ることを不本意ながら風見は決意したのだ。普通に考えたら有り得ない話だが、上への報告書を適当に改ざんすれば何とかなるだろう。
風見の返答に感謝の気持ちを込めて、景光は風見の背中を思いきり叩いた。2人がまず行うのはポアロを中心として町中の防犯カメラのハッキングからだ。
人質の存在により、急を要することとなった今回の事件。難航している捜査に警視庁捜査一課や強行犯系が足踏みしている中、突如伝えられたのは、この案件が警察庁に引き継がれるというものだった。
突然の引き継ぎに警視庁は混乱した。しかし彼らに上からの指示に従う以外の選択肢はない。
この事件、本当にあっちに任せても大丈夫なの?そう目暮に訴える佐藤を横目に、松田は伊達とアイコンタクトを取った。
そして、こっちのことは任せたぜ、何とか適当に誤魔化してくれ班長。そう心の中で呟いて松田はこっそり警視庁を抜け出した。
「陣平ちゃん!こっち、早く乗って」
駆け足で警視庁から出てきた松田を外で待っていたのは萩原。松田が乗り込んだことを確認した萩原は車を急発進させた。目的地であるポアロの前で萩原の車が止まった瞬間、マスターが鬼の形相で車に飛び乗ってきた。
そして3人は景光から送られてきた情報を元に、次の目的地へと急いだ。
「諸伏、犯人の場所とユキさんのいる場所の特定ができた」
「本当か?今、萩原と松田がゼロと合流したみたいだ。ユキちゃんの方には3人が行くだろうから、俺たちは犯人の方か」
「そうだ、自分たちは犯人の捕獲に向かうぞ」
降谷さんたちの平穏を脅かしたことを後悔させてやる。重々しい表情でそう呟き警察庁を出た風見。それに続いて景光も風見の車に乗り込む。どうやら犯人は一緒に行動し、逃走を図っているようだ。
恐怖に染まったユキの瞳に写るのは、酷く憤りを抱えた男の目。何かを強く訴えられているようだとユキは感じた。グッと絞められた喉が苦しい。男はユキの上に跨り、首を絞めながら彼女を見下している。
「警察が要求をのんでくれなければ今から3時間後、この爆弾は爆破する。そしてお前は爆弾と共に木っ端微塵だ。せいぜい警察に見捨てられることがないよう祈ってることだな」
目を大きく見開きながら、男は興奮した様子でそう吐き捨てた。そうして満足した男はようやくユキの首を解放した。突然肺に入りこんできた空気に咳き込みながら、ユキはボヤけた視界の中で部屋から出ていく犯人の姿を捉えた。
この爆弾は3時間後、爆発する。血走った目、恐ろしい形相でそう伝えてきた誘拐犯の言葉が、ユキの頭にこびりついて離れない。ユキが目を覚ましてからもう2時間も経っている。この部屋が何処なのか分からないが、爆弾のタイマーの音のみが響くこの空間から想像できるのは、ユキが1人、この場に取り残されているということだけ。
ピ、ピ、ピ、ピ
静かになったこの場所で、いっそう存在感を知らせてくる時限爆弾のカウントの音に、ユキは体を強ばらせるばかりだった。
お願い、助けて零くん…。
ユキが、心の中で愛しい彼の名を呟いたそのとき、突然、部屋の窓ガラスが割れて何者かが飛び込んできた。
「ユキちゃん!」
「は、」
萩原さん、と発音しようとした声は驚きで空気に溶けてしまった。
あまりにも突然の出来事で完全に固まってしまったユキに、萩原は安心させるように笑いかけ、優しく肩に手を添えた。
「ゼロじゃなくてごめんね。でももう大丈夫だよ。俺、爆弾解除のプロだからさ!」
部屋の隅に座り込むユキの頭を撫で、そう言った萩原は、時限爆弾に近付いていく。
やっぱり日本製じゃない。海外輸入の爆弾だと萩原は確信した。どこかで役に立つかもしれないと前に風見に渡された海外式爆弾マニュアルを読み込んでおいて良かった。生憎、この形式の爆弾は勉強したばっかりなんだよね。
数十分ほどかけて完璧に爆弾を解除した萩原は、次にユキと繋がる鎖を素手で引きちぎった。
その光景にハッと口を抑えてユキは萩原を見た。待って今どうやって鎖を…。色々驚きすぎて言いたいことが声にならない。そんなユキに萩原は何事もなかったかのような表情で問いかける。怪我はないか、立てるかどうか、細かく確認してから彼女の手を取り2人は部屋を出た。
下の階で見張りをしていた下っ端ども、おそらく犯人に金で雇われたのだろうが、見張りというには弱すぎる敵は、既にマスターと松田の手によって殲滅していた。
気絶した男の腕を捻りあげるマスターの目は決して喫茶店オーナーがして良いものではなかった。完全にオーバーキルであったが、松田は見て見ぬふりをした。
その後、萩原の腕に抱えられてやって来たユキを見たマスターは慌てて駆け寄った。
「ユキ!」
「ユキちゃん、ずっと気を張りつめてたみたいでさ、部屋を出た瞬間に気絶しちゃったんだ」
「気絶…」
「歩けない状態だったとかではなかったのか?」
「確認したところ、怪我はスタンガンを当てられた首元と、多分犯人に首を絞められたんだと思う、首に赤く痕がついてる」
萩原の腕の中でぐったりと意識を失っているユキ。怖い思いをさせてごめん。マスターはユキの頬に伝う涙の跡を親指で拭いながら自分の不甲斐なさを悔いた。
萩原からユキを受け取り、背に担いだマスターは背中から伝わる彼女の脈拍にようやく安心することができた。
今回の犯人は誘拐犯、公安が追っていた要注意人物共に案外あっさりと逮捕された。公安が追っていた人物の方は中々頭の回る男であったが、誘拐犯に手を貸したのが間違いだったのだろう。杜撰な誘拐犯のおかげで、今回2つの事案を同時に解決することができた。
後日、警察病院で検査入院をしていたユキのもとへ風見がやって来た。
「すみません!」
病室に入り早々に頭を下げてきた風見にユキは困惑した。なんでも今回の誘拐犯は計画を立てるときや、爆弾を入手する際に風見が追っていた指名手配されている男の手を借りていたらしいのだ。だからその大元の男の捕獲に手間取っていた自分の責任だと言う風見の顔は真剣そのものだった。相変わらず真面目すぎるな、景光やマスターがいたらそう言われそうだ。
必死に頭を下げる風見に、ユキも必要で対抗して慰めているのだが、それよりも…
「風見さんも警察官だったんですね」
「え!?あ、そういえば言ってませんでしたね」
そもそもユキには風見の言っていることの半分も理解出来ていなかった。風見が警察だというのも実は初耳だというのに。ユキの指摘に、しまった…と頭を抱えた風見は、自分が警察であることを秘密にして欲しいということと、その理由を適当に話してユキを説得した。
その翌々日、ユキを困らせ、挙句に自分が警察であると口走ったことをマスターに叱られた風見は、マスターに指定された日時で降谷家のマンションにお詫びの菓子折を持ってきていた。
「あ!いらっしゃい風見さん。どうぞ上がって」
「ああいえ、本日はお詫びの品を持ってきただけですので…」
「何やってるんだ風見、せっかくユキが出迎えてくれたんだぞ早く入れ。家に風が入るだろ」
「ふ、降谷さん…?」
何が何だか分からずに風見は降谷家の中に誘導されリビングに通される。そこにはテーブルいっぱいに並べられた料理とマスターの旧友たち。つまり例の誘拐犯捕獲に関わった面々が揃っていた。
「今日はね、頑張ってくれたみんなにお礼として料理を作ったんです。この前は助けてくれてありがとうございました」
そう言って、控えめに笑ったユキを見て風見は肩の力を抜いた。
「降谷さん、こうなるなら先に言って下さいよ!」
「だってお前は、直接誘っても遠慮するだろ。今回はユキがお前にお礼をしたがってたんだ」
「しかし自分は特別なことは何も…」
「ちょっとそこで何コソコソしてんの?俺らもう共同戦線を張った仲なんだから、それ禁止!」
「そうそう、萩原の言う通り。もっとこう、ラフにいこ?風見さんは真面目過ぎなんだって」
「も、諸伏まで…」
「おい萩、お前俺の焼き鮭取っただろ」
「え、待ってそれ俺じゃな、いたたたっ痛いって!陣平ちゃんちょっとタイム!」
「おいお前ら、人ん家で暴れんなよ!」
「いった!?え、班長まで!?松田はまだしも俺は何も悪くないってば!」
マスターと話していたはずなのに、次々と絡まれる風見。そうして目の前で行われるやり取りに風見は拍子抜けして、思わずマスターの方を見た。
「なんだ、それはどんな表情だ?俺だってお前に感謝してるんだ、礼くらいさせてくれ。たまにはこういうのも悪くないだろ?」
風見の目線に、そう返答する前世の上司を前に、風見は力なく笑った。とにかく、ユキさんと降谷さんに大事がなくて良かった。
それにしても、こんな暖かい空間にいたら否応なく気が緩んでしまいそうだ。
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