11-1 発端
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11-1 発端
遠くで誰かの泣いているような叫ぶような声が聞こえる。自分の頭が重く、どこか深いところに引き摺られていくように意識が遠くなる。恐怖よりも痛みよりも今は、なんだかすごく眠たい…。
* * *
思い返せば、確かに今日はちょっといつもと違うところが多かったと思う。今朝だって朝食を作っているときに箸を落としてしまったし、彼が家を出たとき、家の目の前にじっと座っている黒猫を見た。旅館に行く途中、いつも使っている道が水溜まりになっていたからわざわざ周り道をした。少し遅れてしまったから小走りで旅館に向かったら知らない人とぶつかってしまった。
けれど、どれもその時にあれ?と思ったくらいで特に気にもしなかった。いや、これらは何も関係ないかもしれないけど、確かに今日はいつもと違う点が多すぎたように感じる。だから、女将さんと千代ちゃんと談笑しているときに感じた違和感、今日の天気予報では快晴だと言っていたのに、何故か風が強いなと感じた違和感も大して気にしなかった。
突然、大きな音が聞こえて暴風が窓を直撃した。勢いよく割れた窓を唖然と眺めて、ふと天井を見上げた。メキメキと嫌な音を立てる天井を見て、私は咄嗟に2人の背を押した。
その直後、ガンっと頭に来る衝撃を感じて、私は何も考えられなくなった。
わけが分からないまま、私達は瓦礫に囲まれた。今日はユキと一緒に、ユキが以前働いていた旅館に遊びに来ていただけなのに。
直前に背中を押された私はたたらを踏んで数歩前に出た。なんだと思って振り返る。煙たい空気にぱちくりと目を瞬いた後、よく目を凝らして先程自分がいた場所を見ると、そこには上から降って来た天井の板が突き刺さっていた。
ふと、混乱した思考の中で親友の名前を必死に叫んでいる女将さんの声が聞こえてきた。
あれ、そういえばユキはどこにいるの?さっきまで隣にいたはずの彼女はどこ…?
女将さんが必死の形相で瓦礫をどかそうとしているのが見える。
私は、私は何をしたらいい。ユキはその瓦礫の下にいるの?
数秒遅れて、ようやく状況を理解したのか弾かれたように動き出した私の身体。女将さんが掴んでいる瓦礫を自分も掴んで引っ張る。気味の悪い鉄どうしが擦れるような音が耳に響く中、確かに小さな呻き声が聞こえた。
「っ…ユキ!」
「ユキちゃん!頑張って、もう少しで助けられるからね!」
弱々しいユキの声を聞いて、どうしようもない不安に駆られる。震える手に無理やり力を入れてユキに覆い被さる瓦礫を退かす。
ガタッと音がして動かそうとしていたものとは違う瓦礫が動いて隙間ができた。このスペースなら人が通れると確信して、女将さんと一緒にユキを引きずり出す。
けれど、この突如起こった災害の状況は想定していたよりもずっと悲惨なものだった。
「、っひどい…」
真っ青になった足からは血がドクドクと流れていて、頭の下の床にも血が滲んでいる。
女将さんが自分の来ている着物をちぎってユキの頭を押さえる。傷が酷くて、苦しそうに顔を歪める姿が痛々しい。
どうしたら良いか分からない私には、力なく垂れ下がるユキの手を掴んでいることしかできない。徐々にユキの呼吸が弱くなって、握っている手の温度も下がっているような気がする。次第に、目が虚ろになっていき瞼を閉じようとするユキに咄嗟に声をかけた。
「ユキ、まだ寝ちゃダメだよ!きっとヒーローが迎えに来るから!ユキの大好きなヒーローが来るんだから…
まだ…目を閉じたら、ダメでしょ…」
ユキを捉えているはずの視界がどんどん歪んでいく。際限なく流れてくるそれを止められなくて、ユキの着物の色が変わっていく…。
早く、誰か早く来てよ。
いいえ、誰かじゃないわ。貴方が来ないと、ヒーローショートが今ユキを助けないでどうするのよ…!!
今朝、ユキと離れるとき、妙な胸騒ぎがした。いつものように抱きしめて、キスをして仕事に向かおうと、行ってきますと言ったとき、何故だか彼女と離れてはいけないような気がした。
ほんとにそれは一瞬で、その違和感はどうしたの?とこちらを見る彼女の優しい声に吹き飛ばされた。
だから、今日は友達と遊びに行く予定だと言う彼女に気をつけろと、一言だけ残して俺は仕事に向かった。
いつもと同じようにパトロールをして、見つけた敵を拘束して警察に引き渡す。嫌な夢を見せる個性を使って、人を操っていた敵を見つけた。気味の悪い個性の使い方に気分が悪くなる。そいつを警察に引き渡すとき、ニヤリと不気味に笑ったそいつと目が合った。その時に朝と同じ妙な胸騒ぎを感じたけど、俺は気づかぬふりをしてすぐに目を逸らした。
その直後だ。少し遠くでサイレンの音が鳴り響いた。この音が鳴ったということは、大きな被害が出たときだ。氷結を使って急いでその場所に向かう。大丈夫、ここにはヒーローが沢山いる。多くのヒーローがそこへ向かうはずだ。なのに、どうしてこの胸騒ぎは消えないままなのだろう…。
* * *
そこに着いたとき、その光景に声を失った。
考えるよりも先に身体が動いて、暴風を引き起こす敵を凍らせる。かなり強い風の個性だ。普通に抑えるのは厳しかったのか、駆け付けたヒーローたちは敵を拘束するタイミングを図っていたのだろう。俺の攻撃に便乗して敵を捉えるために複数のヒーローが動き出すのを見た。
だから、俺は敵を通り越してそいつによって半分ほど倒壊した建物にすぐさま移動した。既に救助は行われているが暴風のせいで難航しているようで、進捗はあまり良くない。
先程よりも酷くうるさい心臓を無視して救助を手伝う。この場所は、ユキが前に働いていた旅館で間違いない。瓦礫で埋まった旅館内を走りまわる。要救助者の数は分からない。とにかく、急いで助けを求めている人を探す、それだけ。
ドンドン、ドンドンと何かを叩くような音が響いている場所を見つけた。誰かいるのかと声を張ると、知らない女の声が響いた。
「早く助けなさいよ!ヒーローショートは何してるのよ!」
その言葉にドクンと心臓が大きく動いた。
声は全く知らない女のものだし、なぜ俺の名前を呼んだのかも分からないが、急がないと取り返しのつかないことになると思った。一生懸命音を出すその救助者のおかげで、何処にいるのかは直ぐに検討がついた。
隙間なく瓦礫に埋め尽くされたその場所を見つけて、他のヒーローにも伝える。さらなる倒壊を防ぐために丁寧に瓦礫を退かしていくと、その隙間から目を真っ赤に腫らした救助者と目が合った。その人は真っ直ぐに俺の方に向かってきて、泣き腫らした目でこちらを睨みつけている。
「早く!早くしないと、ユキが…、ユキが死んじゃうよ」
「ユキは何処にいる」
先程、瓦礫の中で聞いたものと同じ声だ。その人の言葉にどくどくと加速していく鼓動を感じながら今度は俺が彼女へ尋ねる。
「こ、こっちよ」
そう言って力強く俺の手を取った彼女が走り出す。その先には、旅館で働いている者だと思われる人達が数名と女将の姿。
そして女将にぐったりとして寄り掛かっているのは…。
「っユキ!」
頭を打ったのか、破られた着物で抑えられているが血が滲んでいる。すぐに自分の持っている応急セットで処置を行い、抱きかかえようとして、ユキの足に違和感を覚える。女将さんの羽織がかけられていたから気づかなかったが、青く変色した足は完全に折れている。
込み上げてくる悔しさと怒りを押し潰してユキを背中に乗せる。
「他に、重傷者はいるか」
「…いえ、ユキだけです」
その言葉に頷いて踵を返し途端、けたたましいサイレンの音が聞こえてきた。閉じ込められていた場所に光が差し込んでくる。そして1番大きな瓦礫の撤去に伴って複数のヒーローが閉じ込められていた人たちを救出し、安否を確認する。
俺は、背中に乗せたユキに刺激を与えないようにゆっくり、でもなるべく速く救急車まで運ぶ。体温がいつもの何倍も低く、呼吸が浅い。焦りからか、恐怖からか、ひどく動揺している自分の手が震えるのを感じて彼女の膝裏に回った手に力が入った。
「ショートさん、要救助者ですね、すぐにこちらへ」
言われた通り、救護ベッドに彼女を寝かせるとそのまま救助者の中へ運ばれていく。つられて彼女と同じ方向へ行こうとする足を止める。
俺の仕事はまだ終わってない。他にも救助が必要な者がいるかもしれない。最後まで確認し、安全を確保するまで仕事は終わらない。ユキを救護班に預けた今、優先すべきはヒーローの仕事なのは分かっているはずだ。
ユキの方へ伸ばしかけた手を下ろして、俺は倒壊した建物を見据える。
* * *
激しく鼓動する心臓に震える手足、これまでこんなに恐怖を抱いたことがあっただろうか。
ベンチに座り手術中と書かれた蛍光板の色が消えるのをじっと待つ。背中に乗せたユキの冷たくなる体温と、消えそうなほど細い呼吸が嫌でも思い出される。ユキが死んでしまうと泣いていた彼女もこんな気持ちでヒーローを待っていたのだろう。彼女の言葉を聞いたときは全身から血の気がひいた。もう二度と体験したくない感覚だと思った。
バチッと蛍光板の光が消えた。咄嗟に立ち上がって、手術室から出てくる彼女に駆け寄る。真っ白い彼女の顔には酸素マスクがつけられていて、細い腕にはたくさんの管が繋がっている。酸素マスクが呼吸によって僅かに白く曇るのを見てようやく彼女が生きてることに安心できた。とにかく、生きていてくれて良かった。
「あのショートさん、奥様についてなんですが、一命は取り留めたものの極めて危険な状態です」
「えっ…」
ふぅと息をついた矢先、医者の言葉に呼吸が止まった。
「どういう、ことですか」
「落ち着いて聞いてください。彼女は、左脚の骨折、脳挫傷、多量出血といつ死んでもおかしくない状態でした。特に、脳へのダメージが大きく目を覚ますのか、正直断言し難いです」
「…そうですか」
「それと目を覚ました後の話ですが、後遺症や記憶障害が起こる可能性もあると視野に入れておいてください」
医者の冷静な言葉を聞いて、握っていた拳に力が入る。なぜ彼女がこんな目に合わなければならなかったのか。なぜ自分は彼女が危険なときに隣にいてあげられなかったのか。なぜ、彼女はこんなにも弱々しく息をしているのか。
左から炎を出しているわけではないのに目元が熱くなる。ぽたぽたと自身からこぼれ落ちる涙が彼女が眠るベッドを濡らしている。
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